博報堂・博報堂DYメディアパートナーズは今年、5年後・10年後のビジョンとして、
「未来を発明する会社へ。Inventing the future with sei-katsu-sha」を掲げました。
ではなぜ、広告会社が、「発明」を?
広告会社は、これまで、クライアントの商品やサービスのコミュニケーションを
主なビジネスとしてきました。
しかし、時代は大きく舵を切っています。インターネットをはじめ、縦横無尽のネットワークと
発信手段を手に入れた「新しい生活者」は、いまや、ただの受動的な存在でありません。
デジタルでつながった「行動する主体」「発信する主体」として、
単に情報を受け取るだけでは満足しなくなりました。
1981年に「生活者発想」を掲げて以来、生活者と共に歩んできた
博報堂・博報堂DYメディアパートナーズにとって、今は、次の時代に向けて、
ビジネスを大きくシフトする時です。
私たちは、従来の広告業に加えて、様々な商品やサービス、
事業やメディアを「つくる」会社になります。
過去に全く存在しなかった何かを、生み出す主体になります。
これは、生活者のつながりに身を投じ、リスクを恐れず、広告ビジネスを超えた
新しい可能性に挑戦しよう、という「変革の宣言」でもあります。
だから、「発明」。
DNAである「生活者発想」と「パートナー主義」を一層進化させ、
日本でも、グローバルでも、「発明」を繰り返す。
そんな会社に、私たちはなることに決めました。
いよいよ、「生活者とともに未来をつくる」存在へ。
私たちのビジネスは、未曾有の大きな転換点を迎えています。
私たちのミッションは、パートナーである得意先企業や媒体社のマーケティング活動を支援することです。けれども、真の課題は企業の中だけにあるのではありません。社会の中で"私に出来ること"を探している若者たち、育児と仕事の両立で汗をかいているパパとママ、自助と互助のネットワークを築こうとする高齢者の人たち、そこにも課題はあります。解くべき課題は、生活者の中にある。得意先企業や媒体社と連合軍を組んで生活者の課題を解くことが未来の発明であり、生活者への貢献度合いがパートナーと自社の成長に結びつきます。
私たちは、「第一生活者」でなければなりません。自らも生活者世界の一員として問いを生み出し、課題を発見する、それが「第一生活者」の姿です。自分の行動を振り返って、何気なくやり過ごしていることに対し、「なぜ?」と問い直す、reflection…「内省、黙想」が大切です。好きな道や通りがあるのはなぜだろう? なぜ、あの店には入りたくないんだろう? 居心地の良い場所と悪い場所があるのは、なぜ? 自問からは普段気づかずにいた意識の深層が浮かび上がってきます。まず、自らが進んで内なる声を聞く、その主体的実践が人間理解の第一歩です。
発明とは、常識を打ち破って行く行為。ならば、いま真ん中にいるもの、支配的な通念こそ疑うべきです。たとえば、「消費者」という概念そのものを疑ってみる。ある人は平日の夜、PCと大判プリンタでコミュニティ・マガジンを制作し、週末はパーソナル耕運機を持って市民農園に向かい、自宅のキッチンをベーカリー(パン菓子工房)仕様に改装することを計画しています。この人の姿は「消費者」でしょうか? この人が求めているのは耐久生産財です。《生産する生活》という大きな未来のために、我々が立てるべき問いはたくさんあります。
暮らしの未来を描き出そう…「そうは言っても、自分は絵がどうにも苦手で」という人もいるでしょう。実は、そういう人の絵こそ周囲の想像力をかき立ててくれます。精緻な図は、かえって未来への思考を停止させます。正確なものより、デフォルメ(変形・歪曲)された絵の方が、その人の気持ちが立って見えてきます。隙間にみんなが手を入れていく、認識のずれを補正し合っていく、思いが折り重なっていく、それが創造。広いテーブルや壁を用意して、横からどんどん筆を挟んで、大きな落書きをつくろう。臆せずに、フリーハンド・カルチャーを楽しみましょう。
グラフィック・ワークショップ、グラフィック・ファシリテーション──いま、対話とそこで生まれたストーリーを絵にする場づくりが盛んに開催されています。こうした動きは、未来の発明プロセスにおいて非常に重要です。ビジュアル・コミュニケーションは民族の壁をも超える確かな共通認識のつくり方なのですから。ビジネス・パートナーの人々と「絵で考えて、絵で話す」会議を持ちましょう。たとえば、議論の素材は写真だけというフォトグラフィック・ミーティング。壁に貼り出された数々の景色の向こう側に、新しい生活という「一枚」を映し出す対話を。
「工場萌え」…深夜の工場へ出かけて行って、その無機質に切ない佇まいを楽しむ人々です。いまや、海から工場夜景を眺めるクルーズ・ツアーも人気です。この新しい余暇の場面を生み出した人々は、工場の定義を「生産拠点」から「観光資源」に変えています。また、発電床を敷いた上で踊るクラブ・イベントや、蹴ることで電力を起こせる発電サッカーボールは、遊びやスポーツを「資源づくり」へと再定義しています。未来の暮らしを描き出すとは、行動や物事の意味を作り直していくことです。20年後のお金の定義を、50年後の恋愛の定義を考えよう。
「着想を実現する」とは重たい仕事です。焦って規模を追わず、まず"やってみる"姿勢が大切。たとえば、いきなり100万人のコミュニティをつくろうと前のめりになっても上手くは行きません。小さくても現実につくってしまう、起ち上げてしまう、スモール・スタートで行く。「50%のマーケット・イン」という言葉をスローガンに掲げていたネット・サービス企業があります。各種ソフトが半分仕上がったら市場へ出そうと。残り50%はユーザーがつくってくれるという考えです。まず世に出して生活者とともに《育成》していくβ版発想が発明を大きくしてくれます。
未来の発明は実験室に籠って一人で行うものではありません。人の中に飛び込んで、触れ合い、巻き込み、人々と育てていくもの、いわば"親身な営み"です。これ、体力、要ります。デジタル・ネットワークの進展は、投げ掛けと反応と共創のスピードを加速させて行きます。それがグローバルな渦となって押し寄せて来ます。人と広く深く関わっていける耐性と肉体づくりも未来の発明の条件。チーム・スポーツ、グループでのキャンプ、開墾や里山づくり、祭りで神輿を担ぐなど、身体性のあるリアルな共同体験に参加して、"発明の基礎体力"を鍛えましょう。
時代のページをめくる大きなコンセプトそのものを事業化していくことを考えてみましょう。かつての時代にあった“ビューティフルな生活へ”“おいしい生活へ”“スローな生活へ”という企業メッセージは、一社のものでした。これからは、大きなチームを組んで、こうした社会提言を、業種を超えたムーブメントにしていくべきだと思います。たとえば、食育、飼育、徳育など「育の幸福」をテーマに設定し、食品産業やペット産業や生涯学習産業の連携を図っていく。[ワン・コンセプト→マルチ・カンパニー→カテゴリー創出]、これこそ未来の発明の王道です。