「JOHANAS」は、富山県南砺市城端(じょうはな)地区から生まれた、「しけ絹」を用いたブランドです。通常、1頭の蚕が一つの繭をつくるのですが、ごく稀に、2頭の蚕が一つの繭玉をつくり出すことがあります。その繭からできる糸を織り上げたのが、「しけ絹」です。
松井機業では140年前から、この「しけ絹」を和紙に貼り合わせたふすま用の素材を作り続けてきました。一方で、2014年に立ち上げられた「JOHANAS」ブランドは、「しけ絹」を用いたストールやインナー、タオルなど、様々な女性向けのアイテムを展開。都心の百貨店などで販売されており、特に働く若い女性から高い人気を得ています。
竹本:今日はよろしくお願いします。ここ城端地区は、機織りの街として昔から栄えていたとお聞きしました。
松井:はい。その起源は400年以上前にさかのぼります。松井機業が創業した明治時代には機織屋さんが30軒ほどありましたが、今では2軒にまで減ってしまいました。全国的に見ても絹の生産は減っており、現在昔ながらの製法で「しけ絹」を製造するのは私たちの会社だけだと思います。
竹本:それほど栄えていた絹の機織り業が、なぜ衰退してしまったんですか?
松井:一番は和装需要の減退により着物の生産が減ったからです。80年代後半、いわゆるバブルの頃は絹を使った高価な着物がたくさん作られました。今、着物の生産量は当時に比べて激減しています。
「しけ絹」からとれる糸を「玉糸」というのですが、その名の通り、糸の途中にぽつぽつと小さな玉ができるのが特徴です。ふすまや空間の演出に使うにはキレイなのですが、着物として使うとあまり上質ではないものとしてみなされます。それで、儲かる着物用の絹に生産が集中して、「しけ絹」を扱う会社はほとんどなくなってしまいました。
今、時代が変わって、着物の素材としての絹の生産は減り、機織屋さんの倒産が続いたのですが、インテリアとしての「しけ絹」はなんとか持ちこたえることができ、私たちはギリギリ生き残ることが出来ています。
竹本:なるほど、機織りの街は大きく変わってしまったんですね。そんな激動の中、松井さんは大学から東京に出て、卒業後も東京でお仕事をしていたと聞きました。
松井:はい。働きながら東京を謳歌していたので、富山に戻るのは老後だと思っていました。絹や家業についても古臭いイメージしかなくて、正直「つぶれてもしょうがないんじゃないか」とすら思っていました。実は、当時はニョロニョロ系の虫も苦手だったんです(笑)。
竹本: そんなに興味が無かった松井さんが、家業に戻るきっかけは何だったのですか?
松井:ある日、社長である父から、とある会社の社長さんとの会合に呼ばれたんです。「シルクの面白い話が聞けるから」と。軽い気持ちで行ってみたら、二人の会話に衝撃を受けたんです。
お蚕さんは、実は、人間との付き合いが4000年以上ある、豚や牛よりも古い家畜だということ。絹糸はアミノ酸の比率がなぜか人間と一緒で、手術にも使われること。繭(まゆ)はお蚕さんを10日間包むカプセルだから、汗やアンモニアを吸い取って清潔に保つ力があること。
今までの古臭いシルクのイメージががらりと変わって、目の前がキラキラ輝いたんです。当時、25歳ぐらいで、東京でお付き合いをしていた人もいたのですが、今戻らないと後悔すると思い、家業を継ぐことを決意しました。
竹本:そんな運命的な1日があったんですね。戻ってからは、どのようなことに挑戦されたのですか。
松井:2010年に富山に戻って来たのですが、富山発の世界的なブランド「能作(※)」の社長の話に影響を受けて、「まずは世界を目指すんだ!そのために、エンドユーザー向けの商品をつくらねば!」と意気込んでいました。これまで主に取り扱っていたのはふすまやインテリアの素材でしたが、それらは問屋さんに卸すだけでしたので使って下さるお客さんの顔は見えません。ですので、直接お客さんに売れる商品を作ろうと考えたんです。今の時代に使ってもらえる「しけ絹」の商品をつくらねばと試作を繰り返しましたが、母からも「目立ちたいだけやろ」と言われるなど、あまり周囲には理解されていませんでした。
竹本:そうだったのですね。当時のお客さんの反応も、同じようなものでしたか?
松井:はい。実際に富山の百貨店や東京ビックサイトの展示会、渋谷の百貨店などに、ハンカチやスカーフなどの試作品をならべましたが、結果は芳しくありませんでした。「素敵だね」とは言われるのですが、値段を聞いて去っていく…。このままではダメだと迷っていた時に、つてをたどってお会いしたのが須藤玲子さん(※)だったんです。
わらをもすがる思いで須藤さんに電話したら、「明日の15時なら空いている」と言われ、迷わず東京行きチケットを購入して会いに行ったのが、忘れもしない2011年3月11日。14時45分ごろに揺れだして、余震が続く中、須藤さんのオフィスにお邪魔しました。机の下で、ろくに話も出来なかったのですが、その時に言われたことがいまでも心に残っています。
それが、「あなた、絹との距離があるわ」という一言でした。
竹本:絹との距離、ですか。
松井:はい。絹に囲まれた生活をしているのに、外ばかり見て、絹の声を聞いていないということだったんですね。殴られたようなショックをうけました。今思えば「自分の代で何かを残さなければ!」と、自我を出し過ぎていたと思います。
家に帰ってからも、仏壇の前で悶々と考えました。そんな時、ふと襖に使われている「しけ絹」を見たら、すごくキラキラと輝いていたんです。そこから、改めてちゃんと素材を毎日見るようになりました。すると、朝と晩では表情が変わることや、季節によって見え方が違うことに気付きました。「しけ絹」は、光の演出次第で様々に輝く素材だったんです。昔の人は月明かりやろうそくの光しかなかったので、「しけ絹」の輝きにもっと敏感だったのかもしれません。そんなことに気が付きました。
竹本:なるほど。しけ絹と対話する生活に変わったことで、しけ絹の真の魅力に気付かされたのですね。自分が扱う素材や商品こそ、知ったつもりになっていることがある―。須藤さんとの出会いは、松井さんにとっての大きな転機になったのでしょうね。
その後、2014年に「しけ絹」を使ったブランド「JOHANAS(ヨハナス)」を立ち上げられました。
松井:はい。元々持っていた、「しけ絹」の魅力を現代に伝えたい、という思いを、「しけ絹」の持つ魅力を最大限に生かしながら形にしたブランドです。私は城端街が大好きで、街の名前をブランド名にしました。知り合いのデンマーク人に「JOHANA」のスペルを見せたら、「ヨハナ」と発音すると教えてもらいました。女の子の名前に使われるそうです。そこに、シルクのSをつけて、「JOHANAS」としました。
竹本:JOHANASブランドは、ストールなどの服飾だけでなく、枕カバーやタオル、ショーツやマスクなど様々な商品展開が特徴ですが、どのように商品開発を行っているのでしょうか。
松井:実は、「しけ絹」を使ったふんどしパンツ「F☆PAN」が人気なんです。最初は、「お蚕さんの絹を股に使うなんて」と、私自身思っていましたが、冷えなどの悩みを抱える30代~40代の女性に好評です。
枕に敷く絹「美髪シルク」も、ある人が「絹のスカーフを枕にひいたら、髪の毛がまとまりやすくなった」と聞いて、自分で試してみたんです。そうしたら、いつもは鳥の巣のようにひどかった寝癖が、すごく落ち付くようになって。「美髪シルク」という名前で商品化したところ、これもやはり若い女性に人気になりました。
「JOHANAS」は一見ばらばらの商品展開なのですが、実はすべて自分や周囲が体感したシルクのメリットを活かして作った、「女性によりそう」ブランドなんです。
竹本:なるほど。女性の悩みを解決するという軸のもと、みなさまの経験を活かして商品展開されているのが「JOHANAS」なんですね。お話を聞いていると、自分も女性として、欲しいものばかりです。
松井:マスクの内側にシルクを一枚入れておくと、喉の乾燥が全然違う。一緒に製造を手伝って下っている女性にそう聞いて、実際に試してみたらその通りでした。そこで、シルクのガーゼも「美唇シルク」として商品化しました。
竹本:「しけ絹」の背景や、松井さんのお話を直接お聞きすると、シルクの素晴らしさに気づくことができますが、店頭で数ある商品の中から選ばれるのは簡単ではないと思います。「JOHANAS」ブランドの魅力をお客様に伝える時に、工夫されていることはありますか。
松井:実は、色々と説明するのではなく、五感で感じてもらえる商品を作ることを大事にしています。商品の力を借りるのが一番だと思っているんです。以前は、私が外に出て色々説明しなくてはと意気込んでいましたが、今はむしろ城端に籠って、お客さんが触るだけで違いが分かるような、とんでもなく面白いもの、いいものを作ろうと考えています。
城端は元々加賀前田藩の領地でしたが、数ある領地の中でも唯一、取り締まる役人が前田藩から派遣されない場所でした。「城端は、自由にさせておいた方が良いものを作る」という認識があったようです。城端は、「別院」と呼ばれる善徳寺というお寺を中心に、様々な美しい景色や自然が残されています。以前は外ばかり見ていた私ですが、今は足元にあるものを大事にしながら、絹と対話しながら、自然のリズムで正しい事をやっていきたいですね。
竹本:最後に、松井さんの今後についてお聞きいたします。お話をする中で、絹の力が再び注目を集めていると感じていますが、一方で、日本では養蚕をしている人はかなり減っていますよね。
松井:その通りです。ただ、養蚕を始めたいという若い人が少しずつ増えています。先日、桑の植樹イベントを地元で行ったのですが、その際に同じ富山県の五箇山から来て下さり、「地元で200頭の養蚕をやりたい」という人と出会いました。その方は今、同じく五箇山の養蚕経験者(現在はご高齢のため引退)と繋がっていて、世代を超えてアドバイスをもらっているそうです。経験者に教えを聞くことができるのは、今がまさにギリギリの時期です。他の地域でも養蚕を始めたいという人がいればネットワークを繋げていきたいですね。今までは技術を独占して競合と戦う時代でしたが、今はみんなで助け合う「和」の時代です。この和を広げて行きたいと思っています。
竹本:松井機業さんや「JOHANAS」ブランドの今後はいかがでしょうか。
松井:松井機業としては、これまで通り「しけ絹」を使ったふすまを作り続けたいです。着物の生地も一部生産していますが、着物やふすまは「3代はもつ」といわれている程、丈夫で長持ちです。私が死んだあとも松井機業のふすまが愛されているといいな、と思います。
一方の「JOHANAS」は、スタイルを提案するブランドだと考えています。ふすまも大事ですが、今以上にふすまが増える世の中にはなり得ないと思います。家全体を「しけ絹」で包むことは難しいですが、一人ひとりがシルクで囲まれる生活にはできるのではないか。それが、「JOHANAS」として送り出す様々な商品を通じて提供したいことです。
最近のヒット商品が、「しけ絹」を使った日傘なんです
竹本:うわー、かわいいですね!
松井:受注生産なのですが、すでに数ヶ月待ちの状態です。イメージとしては、まさに「シルクに包まれる心地よさ」なのですが、実際に使った方からは「繭のなかにいるみたい」と言われたり、森の中の木漏れ日とおなじような透過率なので、「木漏れ日と一緒に歩いているみたい」と言われたりしており、とても好評です。
私自身もそうでしたが、30代~40代の働く女性は、体の声をゆっくりと聞く暇がありません。ですので、「JOHANAS」の商品を通じて、シルクの中に住まう体験をすることで、私たちが本来持っている自然の感覚を取り戻すお役にたてればと思っています。
竹本:私自身、同世代の働く女性として、とても共感することが多くありました。
本日はありがとうございました。
<対談終了後、工場を見学させていただきました>
■ご参考■
JOHANAS http://www.shikesilk.com/2_1.html
【撮影協力】竹島咲
博報堂ブランド・イノベーションデザインでは、これからのブランドには「志」「属」「形」の3要素が不可欠だと考えています。「志」はその社会的な意義、「形」はその独自の個性、“らしさ”、「属」はそれを応援、支持するコミュニティを指しています。(詳しくはこちらをご覧ください)
今回は「形」の視点で、「JOHANAS」から読み取れるこれからのブランド作りのヒントを考えてみたいと思います。
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