僕が選んだ一冊は、村上春樹著『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。
この本に出会ったのは高校3年生のとき。僕は田舎に育ったのですが、子どもの頃からずっと周囲の人とは話が合わなくて。小4のとき、この状況を脱するにはどうすればいいかを考えて、“勉強するしかない”と悟ったんです。そして、東京の大学を目指して勉強している中、本屋で見かけたのが『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でした。
タイトルが変だな、と思って手に取ったのですが、とにかくおもしろくて一気に読みました。その後、そこの本屋にある村上春樹の本を全部買って読まずにおいて、入試に受かったら読むと決めてとにかく勉学に勤しみました。
だから、東京の大学に入ってからはずっと読んでいましたね。当時とても影響を受けていたことをよく覚えています。村上作品の登場人物には、なにをするにも美学がある。僕はとりあえず、レタスは紀ノ國屋でしか買わないとか、そういうディテイルから取り入れてました(笑)。
小説を読む楽しみって、頭の中に風景を描けることだと思うんです。心の中にある“その世界”に生きている人に会いに行く、旅のようなものです。だから、例えば二十歳の頃に読んだときといまの年代で読むときと、全然感じ方が違ったりする。
ハードボイルド・ワンダーランドの主人公は35歳で、僕はいまそれを通り越して38歳。「シャフリング」という特殊能力をもち、自分の職業にプロフェッショナリズムをおぼえていて、自分の暮らしを大切に生きている。いまは、まずそこに共感がもてます。
一方の世界の終りは、ひとつのルールが支配している別の世界。「夢読み」という職業があって、陽の光を浴びられないとか、設定がすべて美しいですよね。そしてマップがあるのも好きなところ。ビジュアルがすごくわかりやすいんです。
僕がインタラクティブの表現をつくるのも、自分がつくったルールの中でユーザーがどう遊ぶかを規定していくこと。そのルール設定の巧妙さがブランディングになり、ユーザーの満足にもつながる。それがパーフェクトにシンクロしていることが大事で、ひとつも欠かせないぐらいまで突き詰めてものをつくることがクオリティだと思っています。村上作品への憧れが、自分をそういうものづくりに向かわせているのかもしれません。
もうひとつ、村上春樹さんの著作「風の歌を聴け」のなかで、「少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える」という主人公のセリフを目にして、すごくよくわかるなと思って。僕もコピーライターとして、企業やブランディングのコピーを書きますが、特にこだわっているのは、キャンペーンのタイトル。それはコアアイデアそのもので、結局ルールなんです。言葉は非常に強いルールなので、そのルールが無駄なく書かれることが大切だと思っています。
僕は本当に本がすき。最近忙しくてあんまり読めていないのですが、大体5冊ぐらいを同時に読み続けている感じです。でも、本はいつも入り口で、やっぱり“人”を見ているんですよね。まず人が気になって、その人の著作や、読んでいる本を全部買うというスタイル。その人のことを深く知るためには、共通言語が必要だから。その人が好きな本を読んだり、音楽を聴いたりすることで、その世界を豊かに理解できると思っています。
仕事のパートナーが読んでいる本なんかを教えてもらうのも全部勉強になるし、そうすることで仕事そのものをもっと楽しむことができる。クリエイティブは、自分が退屈しないことが一番大事だと思っているので。
自分が感動しないものは、誰も感動しないですから。
2002年、博報堂にコピーライターとして入社。日本のトラディショナルなアド経験を嫌というほどした後、表現の新天地を求めてウェブの世界へ。かねてより大好きだったデジタルアートを仕事に取り込み、カルチャーコネクテッドなインタラクティブ表現を創り出している。 “広告は、ひととひととをつなぎ、世界を良き方向へと向かわせる、最大のメディア・アートである”という考えのもと、表現における自分なりのソーシャルグッドを探し求める。夢は、ボリス・ヴィアンのカクテルピアノのような装置をつくること。SANAAの建築物と村上春樹の新作を楽しみにしながら毎日を生きている。
代表作に「Hermès :JINGLE GAMES!」「GooglePixel3:Magic Illumination」「日興証券:FROGGY」「TBS NEWS;いらすとキャスター」「Mori Building:Tokyo City Symphony」「Samsung:Space Balloon Project」など。カンヌライオンズ金・銀・銅賞、文化庁メディア芸術祭グランプリなど受賞多数。