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「つたわるフォント」の軌跡に見るオープンイノベーションの意義

2022.11.09
2009年9月に博報堂が販売を開始した「つたわるフォント」は、高齢者や障害者をはじめとする多くの人に情報を伝えることを目的に、株式会社タイプバンク(現在は株式会社モリサワ)、慶應義塾大学との共創で生まれたユニバーサルデザイン仕様のフォント。実態調査をはじめとしたエビデンスを取ったUDフォントの先駆け的存在として、現在も多くの企業や自治体で活用されています。発売から12年となるいま、当時の担当者も同席のもと、全体責任者が改めて開発当初を振り返り、開発の裏話や、「つたわるフォント」が果たした社会的意義、現在は当たり前となってきたオープンイノベーションへの挑戦、取り組みの難しさなどについて語り合います。

対談者:
田村 猛 株式会社モリサワ 営業部門 シニアディレクター 兼 東京本社統括
森 泰規 株式会社 博報堂 ブランド・イノベーションデザイン ビジネスプラニングディレクター

「くくって広げる」――ニッチな市場に応えることで全体のベースを上げていく


つたわるフォントについての正確な経緯をたどると、タイプバンクさんが開発し、博報堂が共同研究に加わり、2009年に発売したものです。生活者発想を謳う博報堂が、ユーザーの声を取り入れながら科学的なエビデンスにも裏打ちされた視認性の高いフォントとして発売しました。現在UD(ユニバーサルデザイン)フォントは非常にリッチなカテゴリーに成長するに至りました。共に研究開発にあたった当時のタイプバンク社、慶應義塾大学の中野泰志先生なくしては実現しなかったもの。まさに、いまでいうオープンイノベーションの原型となる業務だったと思います。

田村
確かにそうですね。UDフォントの成り立ちでいうと、そもそも国内では2006年に大手企業とフォントメーカーが他に先駆けてUDフォントを開発し、話題になっていました。それを先駆けとして、2009年前後、タイプバンク社始め他のフォントメーカーもUDフォントを次々と手掛けていったという経緯があります。当時は「フォントは読みやすくて当たり前」「わざわざUDの冠をつけて読みやすさをアピールすべきではない」という考えもフォントメーカーの一部にはありましたから、その点当時のタイプバンク社は、弱視や老眼など文字が読みにくい人にも高い可読性を担保するという、UDフォントの「機能性」を早い段階で重視していました。モリサワと合併したいまも、その進取の考え方は息づいていると思います。


おっしゃる通り、フォントデザインは読みやすくわかりやすいことが大前提なので、あえて読みやすさを売りにするという考え方があまり理解されないところもありましたね。「つたわるフォント」の開発にあたっては、ユーザーの声を取り入れ、かつエビデンスに裏打ちされているという、まさにその機能性を主軸に考えていきましたが、いまでいうUXUIの改善と非常に近しい取り組みであったと思います。さらにいえば、当時は「特殊な人の特殊なニーズに向けてつくったものは、それ以上にもそれ以下にもならない」と考えられていたので、我々としては、「負荷の高い人や特殊な状況に置かれた人に合わせてものをつくることで、全体のベースが上がるはず」というロジックを用いました。つまり、極端な方法で利用しているユーザーを見ていく方が、結果として良いものがつくれるはずだという、言わばエクストリームユーザーの考え方です。当時はまだ珍しい考え方ではありましたが、理解者は少しずつ増えていきました。

田村
我々はそれを、「くくって広げる」と表現します。ニッチな需要には、ときに重要なポイントが隠れているもので、そこに応えることによって、実はマスマーケットに隠れていたニーズにも合致させることができるのです。弱視や老眼など視力に難のある人向けにつくったフォントは、実は健常者にとっても見やすかったりする。UDフォントの取り組みによって改めて気づかされました。


そして、開発から10年以上経ったいまUDフォントは広く社会に普及しはじめています。取扱説明書や成分表示、IR資料や自治体広報など、幅広い方々に正確に情報を伝えたい際には、UDフォントを使うことは当たり前になってきています。
ちなみにもう一つ、2005 年からの取り組みで、田村さんが手掛けられた年間ライセンス契約製品「MORISAWA PASSPORT」のサービスも非常に重要だったと思います。いまでこそプラットフォームとかサブスクリプションという言葉が当たり前になっていますが、年間契約でフォントが自由に使えるという仕掛けは当時としては革新的でした。

田村
それまでは書体別に一つ一つ販売するというのがフォントビジネスの基本でしたが、実は当時すでにサブスクリプションサービスへのニーズも次第に高まっていたのです。日本語は2万字以上あり、フォントをつくるのは非常に手間がかかる作業なわけで、事業として採算は合うのかという疑問も当然ありました。しかし、予算が潤沢にある会社に限らず、誰もが広く使えるサービスにしていくべきだという考えに、会社としてもシフトしていくタイミングだった。UDフォントもそうですが、結局フォントというものは、必要な人がきちんと使えなければ意味がありませんから。

当事者参加型の開発で実践した「生活者発想」

田村
いま振り返っても、やはりさすが博報堂だなと思わせられるのは、「つたわるフォント」というネーミングです。フォントメーカーの発想ではなかなか出てこない、柔らかい発想に感銘を受けました。そして多種多様なクライアントネットワーク。我々のメインのお客様は印刷会社や出版社やデザイナーさんで、フォントに対するリテラシーがもともと高い相手ですが、「つたわるフォント」に関しては、交渉相手は一般企業のトップの方々やブランドに関係する人たちなど、我々が日頃あまりリーチできないような業界の人たちです。フォントメーカーが「いいフォントを作りました」と言って持って行っても、価値を理解いただいて販売することは、難しかったのではないかなと思います。


「つたわるフォント」というネーミングについては、私個人の発案ではなく、ユーザー目線でどういうメリットがあるかを当時のメンバーで考えた結果、たどり着いたものです。また販売の広げ方については、当時の実感でいうと、世の中の流れとして、多くの企業が「自分たちもUDに取り組むべきだ」と考え始めていたように思います。具体的な販売先を挙げると、総合電機メーカーさんに大量のライセンス契約に踏み切っていただいたほか、大手通信事業者さんが大規模なブランドイメージの刷新をされた際、自らの企業姿勢を見せるという意図もあり、大々的に「つたわるフォント」を採用されました。飲料パッケージの裏面にも採用いただきました。また意外なところでは、医薬品の外装箱や点滴の袋、家電製品の押しボタンやパネルといった、それまで広告会社が携わることがほぼなかった領域においても採用いただくようになり、広く世間に普及していきました。

田村
多くの日本企業が、きれいに見せるとか読みやすく見せる、HMI(ヒューマンマシンインターフェイス)にこだわっていたことも大事なポイントだったと思います。また、人の命や健康にかかわる医療現場で使われる製品の場合はなおさら、限られたスペースでいかに素早く正確に情報を伝えられるかが問われます。そのニーズにUDの機能がぴったり合致したともいえますよね。


おっしゃる通りだと思います。また大手食品会社さんとは、製品パッケージの裏面にあるレシピのフローチャートで、その可読性を検証するプロジェクトを行いました。「つたわるフォント」を使ったものと、現行のものとで、実際にユーザーにレシピ通りに料理をつくってもらい、動作の違いなどを確認しながらどちらがわかりやすく、きちんとつくれるかを検証したのです。科学的なエビデンスに加えユーザー目線でのエビデンス、つまり生活者発想を活かすことが重要と考えた結果、採用した手法でした。いまでこそユーザーイノベーションという言い方をしますが、当時から、当事者が参画した開発こそが正解のはずだと、チームメンバーが共通して認識していました。

ユーザーと対話しながら発展を続けるUDフォントはオープンイノベーションのプロセスそのもの


デザインの側面から見た「つたわるフォント」のこだわりについて、改めておうかがいできますか。

田村
デザインは、慶應義塾大学の中野先生の検証を受けて少しずつ調整を加えていきました。当初は主に高齢者を想定して考えていましたが、実は世の中には、はっきりと診断はされていなくても、読むことが困難な子どもたちが一定数存在します。そんな子どもたちにとっても読みやすいものにするべく、なるべく学校で最初に学ぶ文字の形状に近づけるようにしていきました。たとえば「き」や「ふ」は、つながっている部分を離し、空間部分を広くする。逆に「や」は、学校で習う形状を踏襲するとロービジョン(弱視)の方には読みにくいことが分かり、ロービジョンの人の読みやすさを優先させました。ロービジョンの方は、突き出すところはしっかりと突き出させ、離すところはしっかりと空間を広げる方が読みやすいようです。また、「4」の場合も、学校で習うようにてっぺんを開ける形状にしたところ、中野先生の研究データによって、ロービジョンの人にとっては「6」と間違えやすくなるとわかり、てっぺんを閉じた形にしました。デザイナーによる試作をもとに、博報堂、中野先生と一緒に文字の判別のしやすさ、読書のしやすさなどについてシミュレーションしたり、科学的な検証、ヒアリングを重ねながら、改良していきました。その後もユーザーとの対話を通じてUDフォント自体の検証、改良を続けています。
ただ一つ忘れてはならないのは、万人にとって読みやすい完璧なフォントというものは存在しないということ。見え方はあくまでも人によってさまざまであるという前提を理解し、いろんな選択肢から、目的に応じたUDフォントを選ぶことが大切だと考えています。また、レイアウトによっては、たとえUDフォントが使われていたとしても読みにくくなってしまうケースもある。UDフォントさえ使えばいいというわけではなくて、視認性・可読性においてはレイアウトの良しあしも問われるということも、フォントメーカーとしてはお伝えしておきたいところです。


そうですね。ユーザーと対話しながら、いまなお改良され続けているという点は、まさにユーザーイノベーションの思想だと思いますし、UDとはまさに、継続的に発展するプロセスそのものだととらえることもできそうです。今では一般的な考えになってきましたが、10年も前にそうしたアイデアを得て「つたわるフォント」という商品を世に出せたことは、大きな意味があったと思います。

田村
弊社で開発した「UDデジタル教科書体」は、ある意味UDフォントのひとつの到達点ではないかという自負があります。WindowsOSに黒みの違う2書体が標準搭載されている、フェルトペンで書いたような丸みのある書体で、読み書き障害のある子でも視認しやすいデザインです。


ICT化を先取りしてデジタルデバイスでの見やすさを検証し、開発され、話題を呼びましたね。

田村
話題になったことで多くの自治体などでも活用されるようになりましたが、やはり先述の通りフォントはレイアウトと一心同体です。読みやすいはずのUDフォントを使っているのに、レイアウトのせいでかえって読みにくくなってしまっているケースを見ると残念に思います。書体によって最適なレイアウトがあるということの、理解も促進していけたらと思っています。


すばらしい技術を導入しただけではだめということですね。いま隆盛のDXもそうですが、使う側が、使い方、運用の仕方を間違えると、その技術の本来の効果は発揮されない。普遍性のあるお話だと思います。

オープンイノベーションに欠かせない、真のパートナー主義による信頼関係


10年ほど前から、博報堂もさまざまな領域における事業開発企画などにかかわっていくことが増えてきました。さらにコロナを受け、緊急性が高く、かつ異なる領域の方とチームで取り組まなければならない事業や、自社だけでは完結できないビジネスが増えてきたと感じます。

田村
確かにそうした時代の潮流を感じますし、弊社も事業の転換期に入っているといえます。かつてフォントは当然のように紙に印刷するものでしたが、いまやデジタルデバイスへとメディアがシフトしていき、さまざまなサービスの中でさまざまな形でフォントが表示されている。フォントメーカーとしても、多様なテクノロジーやサービスにフォントを絡めた事業が求められる時代になってきました。同じことは他業種にも言えて、一社で完結するプロダクト、プロジェクトは厳しく、他のプレイヤーとのコラボレーションの重要性がますます高まっているのではないでしょうか。


「つたわるフォント」はまさにその潮流を先取りし、異業種のコラボレーションによって生まれたものですが、振り返れば、深いところでの十分な相互理解ができていなかったがゆえの紆余曲折もありました。異なる企業文化を背景とする知らない人同士が組む以上、信頼関係を築くことが何より求められるにもかかわらず、タイプバンクさんやモリサワさんのことを十分に理解しないまま自分に都合のいい解釈をしてしまっていたことが、その後も自分の大きな反省点として心に残っていました。オープンイノベーションでは企業同士のマッチングが要点になりますが、せっかく出会った人たちと長くお付き合いしていくには、相互理解を深める努力を重ねることがまずは重要であると改めて思います。また、ときには想定していた方法を考え直すといった柔軟性も大切。そうした大きな教訓をいただいたプロジェクトでもありました。

田村
「つたわるフォント」のプロジェクトには私個人は途中から参加しましたが、いまおっしゃったようなことを私も当時感じていました。企業同士のコラボレーションで大切なのは、自社の都合だけで物事を進めようとしないこと。M&Aにおいても同じことが言えるかもしれません。共に力を合わせて何かを進めようというときには、まずは互いのことをよく理解し、対等な信頼関係を築くことから始めるべきだと思います。綺麗ごとかもしれませんが、「共に成長するんだ」という気持ちがないとうまくいかないような気がしますね。


本当にそうですね。私も経験を積み、失敗も重ねてきて、博報堂が掲げる「パートナー主義」というのはやはり重要で、いまは「利他の精神」と置き換えて、どんな案件でも、相手にとって何がいいのかをまずは考えるようになりました。
もうひとつ、「つたわるフォント」は長寿商品となり、初回導入からいまに至るまでにクライアント企業の担当者もめまぐるしく変わっていますが、それでも変わらず事業が継続できているというのは、担当が変わっても変わらずクライアントに向き合える博報堂ならではの組織力があるのかなと思います。

また、何よりもこの事業を特別なものにしている要素に、文字の持つ力があります。葛西薫さんも「書体は文字であると同時に言葉なんです」※と言っていますが、書体というのは多くの人がこだわりを持つ分野。誰もが字に何か特別な力を感じていると思います。
※引用:Webマガジン「AXIS」 アートディレクター 葛西 薫さん「書体は、文字であると同時に言葉なんです」(https://www.axismag.jp/posts/2018/03/90031.html

田村
確かにそうですね。ずっと同じ文字を読み続けていて突然変わると、ものすごく違和感がありますよね。世界的なハイファッションブランドも、企業イメージそのものとして、一度使った文字は非常に大事にします。少し前なら、ウェブで表示できるフォントが限られていたので、紙媒体とウェブでのイメージ統一が難しかった。ですが技術が進歩し、ウェブでもさまざまなフォントを表示できるようになると、ブランドを大切にする会社もこぞってウェブメディアを活用するようになりました。文字にはそういう力があります。フォントメーカーとしてもそうした文字の力を再認識し、これからさまざまな企業のブランド戦略にもかかわっていくような仕事ができると面白いのではないかと考えています。これからもぜひ、ご一緒させていただきたいですね。


こちらこそ!今後ともよろしくお願いします。

つたわるフォントの購入方法・お問い合わせ先
ブランド・イノベーションデザイン 森
info@h-bid.jp
(つたわるフォントは、弊社お得意先への有償提供を行っており、登録のないお客様・個人のお客様へのご提供は行っておりませんのでご了承ください)

田村 猛
株式会社モリサワ 営業部門 シニアディレクター 兼 東京本社統括

1985年株式会社モリサワに入社。首都圏の営業部を担当したのち、東京本社フォント企画営業部にてフォントのライセンスサービス「MORISAWA PASSPORT」の立ち上げや拡販を担う。執行役員として経営企画部、エンタプライズ事業部、直販営業部門を歴任し、現在は東京本社営業部門のシニアディレクターおよびグループ会社である台湾のフォントベンダー Arphic Types董事。

森 泰規
株式会社博報堂 ブランド・イノベーションデザイン ビジネスプランニングディレクター

1977年茨城県生まれ。2000年に東京大学文学部(社会学)卒業後、4月株式会社 博報堂に入社。PR戦略、公共催事・展示会業務を通じて、現在のブランディング業務に至る。
専門分野は、B2Bのブランドマネジメント業務、エグゼクティブ・コーチ、組織開発。日本社会学会員・日本マーケティング学会員として講演・論文刊行も多数。データサイエンスブティックメンバーとして、長年取り組んできた多変量解析手法を業務活用している。

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博報堂、より多くの人に伝わるユニバーサルデザイン仕様の書体「つたわるフォント」を開発。2009 年9 月より、「つたわる広告」と同時サービス開始
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