「ここ5年ほどで、デジタル化の概念が大きく変化しました。スマートフォンとPCを中心にした“情報のデジタル化”から、ウェアラブル機器が登場し、店舗や自動車までも巻き込んだ“生活のデジタル化”へと進化しています。モノと生活者の間に情報のやり取りが生まれると、その関係は単なる「接点」ではなく、相互にやり取りをするインターフェースに進化します。 この“インターフェース化”こそが、現代の大きな潮流だと捉えています」(青木氏)
DXが進行し、生活者との接点がインターフェース化することで、生活者の趣味や嗜好、あるいは健康状態など生活者の反応を事細かに把握できるようになった。企業には膨大なデータが蓄積されることになり、それを解析し、最適化することで新商品やサービスに反映し生活者に還元することが可能になっている。
「従来は情報を媒介するものをメディアと呼んでいたのですが、今は双方向で情報が行き来する『インターフェース』が世の中に溢れる時代になりました。具体例を挙げると、例えば教育の分野では、オンライン学習時に表情解析のツールを使えば『この時に集中力が途切れているな』という分析が可能です。そんな背景から『生活者インターフェースの大きな市場が生まれている』と我々は分析し、数年前に『生活者インターフェース市場』という新たな言葉をつくりました」
さらにメタバースやサイバーフィジカルが出現することにより、生活者を取り巻く空間自体がインターフェース化されつつあると、青木氏は指摘する。
「メタバースでいったい何が変わるのか、その問いに対しては、『生活者との接点が無限に広がっていくことである』と捉えるのが理解しやすいと思います。そう考えると、企業にとってはメタバース時代のビジネスチャンスが見えてくるはず。メタバースによって生活者インターフェース市場が確実に広がっていくからです。それを踏まえて、企業側も大きな変革を迫られていることになります。我々広告業界も当然ですが、多くの企業も変革が必要です。
あらゆるものがインターフェース化した現在では、マーケティングの在り方が一変しました。メディアを介さずとも店舗自体がインターフェース化して生活者とリアルにつながるし、ECも当たり前になっています。オンライン商談やチャットツールでの商談が行われているケースも増えました。従来の広告や宣伝、販促を中心とした一方通行型のコミュニケーション設計から、幅広い生活者とのインターフェースを活用した、統合的なインタラクションの設計が必要になってきています。
企業のバリューチェーンは、市場調査から商品開発、販売からアフターサービスなど、これまでは直線的なつながりで捉えられてきたと思いますが、これからは円形につながるバリューチェーンが構成されていくと考えています。それぞれのバリューチェーン毎のインターフェースから生活者のデータを入手し、それを統合されたデータ基盤の中に格納していく。そして、そのデータを活用して、生活者とのインタラクションを設計していくようになるでしょう。中核に大きな生活者データの基盤があって、あらゆる場面で生活者のニーズに応えていく円形のバリューチェーンが形成されるのです。
円形のバリューチェーンにおいては、あらゆるインターフェースから集積されたデータをどう統合していくのか、そして得られたデータを活用してバリューチェーン全体の最適化、マーケティング投資全体の最適化を図っていくことが重要なテーマになっています。また、組織横断、バリューチェーン横断で上記の意思決定を図る、チーフ・デジタル・オフィサーやチーフ・マーケティング・オフィサーの役割が重要になってくると考えています」
生活者インターフェース化が加速した現状から、さらにメタバースが普及すると、リアル空間での莫大なデータが集積される上に、メタバースによる仮想空間のデータが加わるはずだ。リアル空間だけでも大きな変化が起きていることに加え、サイバー空間、リアル空間、サイバーフィジカル空間という三層構造でデータが収集できる時代が到来しつつある。当然、企業は組織体系自体の大きな変容が迫られているのである。
また、生活者サイドにとっては、メタバースによっていったいどんな恩恵が得られるのだろうか。青木氏に聞いてみた。
「生活者の能力がメタバースによって拡張されるチャンスが生まれると思います。我々は『生活者エンパワーメント』と呼んでいますが、まず生活空間が時空を超えて広がっていくメリットがあります。例えば旅行に行かなくても紅葉をVRで体験できるとか、シニア層の方が、なかなか会いに行けない遠隔地に住む孫と一緒にメタバース空間で一緒に遊ぶことなども可能になる。時空間から解放されることで、生活者の能力が拡張されるのです。
もう一点は『自分からの解放』で、自己のパーソナリティや人格を拡張できるという意味合いです。近年、『プロテウス効果』という心理効果が学術論文にもなっているのですが、仮想空間上のアバターがユーザーの行動特性・パーソナリティ変容にも影響を与えることが研究で明らかにされているのです。例えばスーパーマンのアバターになり、サイバー空間で人助けをしていると、リアル空間でも人を助けるようになるという研究結果があるそうです。ほかにも空飛ぶドラゴンのアバターを使った人が高所恐怖症を克服できた事例だとか。つまり、リアルな空間で自己定義して自分の限界を認めていた人が、アバターでの体験を介して行動特性やパーソナリティを変えられることもあるのです。『私は〇〇だから××できない』という決めつけから解放されて、人格や能力が拡張されるとなれば、これは相当すごいことだなと思えます」
時空間やパーソナリティを超えて、なりたい自分を創出できることが、まさにメタバースの強みであり、最新の技術をただ体感できるだけには留まらないところがポイントだ。
「仮想空間で新しいテクノロジーやコンテンツを体験するだけでは、単発的なフロー型の消費にしかならないと思うのです。1回経験して、『へえ、これがヴァーチャル空間か、面白いね』で終わってしまうことも考えられる。でも、時空や人格を拡張できるとなれば、もう手放せないものになる可能性が高い。今はフードデリバリーやタクシーアプリなしではいられないという人も多いはず。それらが自分の生活能力を高めるアイテムだったからです。メタバース空間では、その可能性が無限に広がっている。生活者の能力を拡張するポテンシャルを秘めていると言えるでしょう。そこで企業が求められているのは、生活者インターフェースをどうデザインし、バリューチェーンを変革させてどんなサービスを提供できるのか、しかも生活者の能力を拡張するという視点です。
あとは膨大なデータを有効に活用する方法も必要になりますね。テクノロジーやデータを扱う企業は多いけど、取得したデータを意味のあるデータに変換できる会社は少ない。今後は、データ、テクノロジーを生活者とのインタラクションの設計に生かしていく技術『生活者インターフェース・テクノロジー』というものが重要になってくるでしょう」
従来の広告業界が行っていたのは、生活者に憧れを提供して、行動を喚起させることだった。しかし、メタバース時代を迎えて博報堂DYグループは「生活者エンパワーメント」という概念を重視している。生活者の能力を拡張できる新しいサービスやコミュニケーションツールがこれからは続々と誕生することになる。
「一例を挙げると、博報堂DYグループでは試着アプリの進化版ともいうべき“じぶんランウェイ”というサービスの実用化を進めています。まず全身の3Dアバターを生成し、自分が着たい洋服を選択すると、その服をまとったアバターたちがショーモデルのようにランウェイを続々と歩いてくるというものです。アバターは360度回転させられるので後ろ姿も確認できるし、歩く姿を見れば、今まで気づかなかった自分らしさを発見できるものです。
社内でこの体験会を行ったときに、最も多かった声は『リアルな試着室と異なり、自分が本当に着たい服を選べる』というものでした。どういうことかというと、『試着室には、自分が似合いそうな服しか持ち込めない』という現実があり、じつは極めて保守的な空間だったということなのです。じぶんランウェイでは、自分には似合いそうもないけど、素敵だなと思える服を着られる。しかも、『普段は選ばないような服がアバターに着せたら意外によかった』という声も多かった。図らずも、パーソナリティの解放が実際に起こることが証明されたのです」
リアルな試着室ではわからない自分の可能性を見出せるという、まったく新しいこのサービスが実用化されれば、多くの生活者に自信や喜びを与えてくれそうだ。生活者インターフェース・テクノロジーの部分だけでなく、プライバシー保護との兼ね合いなど、課題は少なくないものの、メタバースによって時空やパーソナリティから解放され、より豊かな生活がもたらされる…そんな時代がすぐそこに迫っていることは確信してよさそうだ。
1989年株式会社博報堂入社。博報堂DYホールディングス マーケティング・テクノロジー・センター室長、博報堂研究開発局長を経て、2021年4月より現職。 マーケティングDXとメディアDXを統合した価値創造型のDXを推進する戦略組織HAKUHODO DX_UNITEDを担当。
「日経ビジネス電子版 Special」2022年12月5日に公開
掲載された広告から抜粋したものです。禁無断転載©日経BP