岡本
2030年頃の旅をテーマにさまざまなジャンルの方に話をうかがってきたこのシリーズも、今回で10回目となります。池上先生は昨年『インバウンド・ルネッサンス 日本再生』(日本経済新聞出版)を上梓されましたが、経済経営、コンサルティングと多岐にわたる研究や仕事を展開されるなか、なぜ観光と地域に関心を持たれたのか、その理由から教えていただけますか。
池上
まず、僕は拙著『インバウンド・ルネッサンス』で、日本はもっとインバウンドビジネスを活用し、それを都市部だけではなく地方圏に展開し、かつ観光と非観光事業者を連携させるべきだと説いています。さらに、モノにしろ情報にしろ、海外から入ってくるものと海外へ送り出すもの、つまりインバウンドとアウトバウンドをループさせることが非常に重要になる。この4つに加えて、現状の価格と価値に関するパラダイム変革によって日本は持続的に発展が可能になると思います。これまでの日本は、いいサービスや製品をより安く提供することが良しとされてきましたが、そうではなく「いいものをより高く」というパラダイムに変えるんです。近隣エリア同士、複数企業が連携し、いわゆる体験価値のような、モノとサービスとプロセスが一体化した形での価値を共創していくべきだと考えています。
岡本
そうした考えに至った背景は何だったんでしょうか。
池上
あいにく、とても消極的な理由があるんですよね。僕はこれまで数多くの企業に向けて国際ビジネスや経営戦略をレクチャーしたり、教育やコンサル事業を行い、近年は企業と連携した地域活性化プロジェクトにも関わってきましたが、そもそも日本には、本気で海外に乗り込んでビジネス成果を出したいと考える人が実は極めて少ないと気が付いたんです。たとえそれがグローバル企業であってもです。たとえばある東アジアのグローバル企業では、国際ビジネスを展開するうえで、現地の人と交流をさせどっぷりと現地に浸る形で海外に人員を送り、貪欲にローカライズを進めていっており、それを受け入れる人材は相当数いるようです。日系企業がローカルの人材を使ってレバレッジするのは、そもそも現地に行きたい日本人が少ないからという理由もあるようです。地域は地域で、海外展開で実際に海外現地に行くのは意思決定のない担当レベルの人である場合が多い。一時的な視察や観光はしても、パワーのある意思決定レベルの人が海外展開にどっぷりとコミットする例はあまり見ません。そうこうするうちに日本はどんどん縮小していく。
そうした全体像を考えると、今後の日本が取るべき戦略としては、海外から来てもらい、またこちらからも海外に行くというループを生み出し、そこから刺激を受けて活性化するしかないだろうと考えた。もともとはそうした非常にネガティブな理由でインバウンド・ビジネスの必要性を訴え始めました。
岡本
そういうことなんですね。
池上
一方で、日本のインバウンド・ビジネスにはポジティブな要素ももちろんあります。5月に世界経済フォーラムが出した観光における競争力調査、TTDI(Travel & Tourism Development Index)では、もっとも潜在競争力のある旅行先として1位に選ばれました。世界的な指標であり、極めて客観的で定評のある組織の調査によって、日本がいま世界で最大の競争力を持つのが観光だと判明したんです。だったらそこで勝負をすべきでしょう。世界経済フォーラムの調査では現状だけでなくポテンシャルも評価されますが、そのポテンシャルとは、日本に数多くある産業資産、非観光資産のこと。いまだ活用されていないそれらを、パラダイムを変えて存分に活用することができたら、単純に輸出をするよりもビジネスが回るのではないかと思います。
岡本
確かにそうですね。
池上
たとえばいまは工場で大量生産した安価な眼鏡が流通していますが、福井県鯖江市では眼鏡をひとつつくるのに確か240ほどの行程があり、それを愚直に維持しています。大量生産の1万円以下の眼鏡が非常に売れているなか、もし鯖江の眼鏡づくりのプロセスを体感してもらえれば、数十万円以上でも買ってもらえるかもしれません。パラダイムを変えればそうした価値づけも可能ですが、いまはまったく手を付けられていないのは非常にもったいないことです。ある世界的な眼鏡メーカーが鯖江の会社を買収した事例もでています。日本人が自分たちで気づけない価値を、外の人たちはわかっているので、こうした事例は別の場所で今後続々と出てくるでしょう。だからこそ、外から来た人たちが自分たちの何を評価しているかということを素直に聞いて、観察していれば、自分たち自身がまだ評価できていない価値がたくさん出てくるはずだと思います。インバウンドは、自分たちの価値を発見する手段になり、パラダイムを変えるきっかけにもなるんです。
岡本
面白いですね。多くの日本人が本気で海外に乗り込んでいきたいとは思っていないという話は、僕自身も非常に実感するところです。海外から日本に戻ってきたときに活躍できる場が少ないというのもあるかもしれませんね。
池上
会社でも「君は海外派だね」といった、色分けがされて、ずっと海外担当が続く人もいますね。いずれにしても多くの日本人が外に出たがらないのは、おそらく日本があまりにも快適だからでしょう。そしてそれは、海外の人が日本に感じる魅力でもある。これを使わない手はありません。世界の人から愛される癒しの国として、幸せに発展することが可能じゃないかと思っています。
岡本
「ワンダートランク」では主に富裕層向けに日本のさまざまな地域を紹介しているので、特に地域についてのお話は興味深いです。僕はかつて博報堂で10年くらい海外に日本をPRする仕事をしていたのですが、海外からの観光客の7~8割がやはり東京や京都を目的地に選ぶ。そこから地域に行ってもらうにはPRや広告だけじゃだめだと思い、自分たちで旅行会社をつくろうと思ったのが、「ワンダートランク」創業のきっかけでもあります。
池上
インバウンドの人たちに地方に行ってもらうのが難しい理由は、ニーズがないからではなく、サプライサイドが対応していないことも理由です。都内よりも地方で長期滞在したい、数千万単位の予算で家族で休暇を過ごしたいという海外の富裕層は確実に存在しますから、ニセコに限らずそういう環境、インフラを整えていくべきです。ひとつネックなのは、彼らが望む最小限のリクエストに対して、日本側が構えすぎることです。フルスペックで富裕層の望みをかなえようとしなくても、ある程度ポイントをおさえることで富裕層を呼び込むことは可能です。逆に「我々ローカルのコンテキストはこうですから、こんなふうに楽しんでください」と提案して、それにフィットする人に来てもらえれば、過剰な投資も避けられます。ただ、そうは言っても、そもそもそういう発想を、持つ人は少ない、できるとも思っていないし、周囲の賛同も得られないとうのは多くの地域の課題です。岡本さんたちがこれから数十年かけ実現してくれるといいんですが。
岡本
そうですね。本当に、受け皿から一緒に準備していかないと難しいというのはわかります。
池上
方法論としては、民間でも商工会でも、できれば若手で、地域で中核となる人と、外部から盛り上げようとして来てくれた人が5~6名集まり、いいマリアージュが起これば取り組みはスタートさせられるはずです。たとえば福井市では、ある料亭の方が中心となって外から人を呼び込み、一帯がガストロノミーエリアとして活性化しつつあります。地域内部だけ、外部だけだとやはり難しい。内部のやる気のある人と外部の協力者が一緒になって、少しずつ始めることだと思います。そしてなるべく初期の段階で、ローカルコアの、旗振り役をする若手人材が必要だと思いますね。
岡本
ニセコの場合、お客様を連れてくるのが現地在住の外国人ということもあって、開発は進むし発展しているけど、必ずしもローカルの人に適切にお金が落ちているわけでもなさそうです。そうした事例もあり、野沢や白馬も、海外からの資本と地域との調整が難しそうです。
池上
ニセコの事例から新たに学んで動く人が出てくることには期待していいと思います。「ワンダートランク」のように、地場の資源を活用してひとつのストーリーにし、プライスを挙げて提示し続けるというのは、一度できてしまえば皆が「そんなことできるんだ」と納得すると思う。それまでの道のりは長いでしょうが。
岡本
長いです、本当に。
池上
日本はストーリーにできる産業資産がすごくあるのに、当事者があまり乗ってきてくれないという問題もありますよね。燕三条の「工場(こうば)の祭典」の場合、ローカルの非観光産業の人たちが心をオープンにして、自分たちのアセットを外に開くんだ、エリアで連携してそれを実現するんだというマインドを持っている。実はそのマインドになること自体が、ステップとしては一番重要だと思います。非観光事業者がまずは国内観光客を相手に筋トレをして、そのうえでインバウンドというプレイヤーが入ってきたら練習試合をする。そういう順序の方がスムーズにいくのかもしれません。仮説ではありますが。
岡本
すごく納得します。僕らは基本的に非観光事業の方にお世話になっていますが、観光としては、その方たちの貴重な時間を割いていただくことが価値になる。これは僕らくらいの小規模なら成立しますが、規模を拡大しようと思った瞬間に経済の理論がかみ合わなくなる感じがあります。
池上
それでいうと『インバウンド・ルネッサンス』では、筋トレができている事例を紹介していきました。そこでカギとなるのはエリア内連携と、隣接したエリア同士の連携、ときにはちょっと離れたエリア同士の連携です。燕三条の場合は燕市と三条市という隣接連携の例。瀬戸内は、愛媛、広島の間の島々がつながっている。たいてい近隣の地域というのは、奪い合う競争相手でもありますから多くの場合特に仲がいいわけではありません(苦笑)。でももう少し大きな視野で見て、一緒になって地方創生に取り組むという体制が重要です。さらに必要なのが、地域愛、素直さ、そして経営能力の3つです。地域をよくしていくんだというこだわりと、さまざまなものに対して心を開き、取り入れる素直さ、そしてサステナブルに自走していける経営知見がその地域になければ、難しいのかなと思います。
岡本
素直さというのは、ある種の寛容性ともとれますよね。一方でこだわりも必要。なぜならそれが競争力の源泉ですもんね。
池上
そうです。いろんな地域を見てきてわかったのは、皆さん地域への愛はあるけど、外からの意見を受け入れる素直さがあまりない。世界一星がきれいに見える場所として知られるニュージーランドのテカポ湖は、もともとローカルの人は何もない街だと思っていて、活性化のためにモールを中心とした開発を計画しました。ところがある日本人観光客が星空のあまりの美しさに感激し、その魅力を地道に伝え続けたことがきっかけとなり、モールの開発をやめて星空を観光資産として活用することになったんです。こだわりも大切だけど、素直さとのバランスがないと発展性がないと思います。
岡本
そんなケースもあるんですね。確かに、地域の人の地域愛と外から来た人の熱意のマリアージュがうまく起きると、素直になる気風が生まれるのかもしれませんね。
早稲田大学商学部卒業。英ケンブリッジ大学経営大学院経営学修士、BCG、GE ヨーロッパ、ソフトバンク、ニッセイ・キャピタルなどを経て、現職。Academy of 早稲田大学商学部卒業。英ケンブリッジ大学経営大学院経営学修士、BCG、GE ヨーロッパ、ソフトバンク、ニッセイ・キャピタルなどを経て、現職。Academy of International Business, Japan chair。国際ビジネス研究学会理事。早稲田ブルー・オーシャン・シフト研究所所⻑等。著書に、『インバウンド・ビジネス戦略』(日本経済新聞)『シチュエーショナル・ストラテジー』(中央経済社) 『インバウンド・ルネッサンス 日本再生』(日本経済新聞出版)ほか。
2005年博報堂入社。統合キャンペーンの企画・制作に従事。世界17カ国の市場で、観光庁・日本政府観光局(JNTO)のビジットジャパンキャンペーンを担当。沖縄観光映像「一人行」でTudou Film Festivalグランプリ受賞、ビジットジャパンキャンペーン韓国で大韓民国広告大賞受賞など。国際観光学会会員。