長嶋彩加 Medicha CEO
松山大耕 妙心寺退蔵院 副住職
モデレーター:宮島 達則 博報堂 ストラテジックプラナー
宮島:今回、モデレーターを務めさせていただきます博報堂の宮島と申します。私は実家が寺院でして、博報堂の社員でありながら住職としての活動もしております。博報堂では現在、グループ会社であるSIGNINGとともに「HAKUHODO HUMANOMICS STUDIO」を立ち上げ、その活動第一弾として「SBNRプロジェクト」を始動し、生活者のライフスタイルやビジネスの視点でSBNRを読み解き、経営やビジネスに役立てるお手伝いをしています。今回は長嶋さん、松山さんを迎えて、SBNRの潮流が今後どのように広がっていくのか、日本人の生活やビジネスをどう変えるのかということについて、お話を伺っていきたいと思います。まずは自己紹介からお願いします。
長嶋:Medicha(メディーチャ)の長嶋彩加と申します。Medichaは、三菱地所社内の新事業提案制度で始まった事業で、メディテーション(注:心を静めて無心になること、瞑想)にアートとお煎茶文化を融合した体験を構築しています。南青山のメディテーションスタジオをはじめ、2023年丸の内に開業予定のクリニックのなかにメディテーションを体験できるブースを設ける計画に携わるなど、さまざまな取り組みをしております。
松山:私は京都にある妙心寺の塔頭、退蔵院で副住職を務めております松山大耕と申します。いま日本だけでなく世界中で宗教離れが起こっているなか、逆にスピリチュアルでありたいという人たちはすごく増えているということです。こういったテーマでお話しできることを非常に楽しみに参りました。よろしくお願いします。
宮島:ありがとうございます。最初のテーマは「SBNRとはなにか?」ということで、まだSBNRという言葉に聞き馴染みのない方も多いのではないかと思います。SBNRとは「Spritual But Not Religious」。直訳すると「無宗教型スピリチュアル」という言葉になります。特定の宗教を信仰しているわけではないけれど、目に見えない精神的な価値を大切にしたり、精神的に豊かな暮らしを送りたいと思われる方たちのことをSBNRと呼んでいるわけですね。一口にスピリチュアルといっても、いろいろなイメージを持たれると思いますが、まずこの言葉に関してどんな印象をお持ちですか?
長嶋:日本でスピリチュアルという言葉を使うのは少し難しい部分を感じますが、「Spiritual But Not Religious」の場合のスピリチュアルは、社会との関わりの中であたたかい時間を増やしていくとか、こころの豊かさを指す言葉なのかなと思っています。宗教に関心がないというより、何かに所属するとか教義にコミットするのとは違うということ。信仰心の強い方とそうでない方との間でもSBNRの捉え方が異なると思うので、丁寧に扱っていく必要がある言葉だなと感じています。
松山:「こころ」という言葉を英語で考えてみると、「mind」「heart」「soul」「spirit」とそれぞれ分かれるんですね。でも、日本では細かく分けずに全体の概念として「こころ」を捉えている。なので「Spritual But Not Religious」とスピリットだけ取り出していること自体、日本人の感覚に少しそぐわないのかもしれません。先ほど長嶋さんが「こころの豊かさ」とおっしゃいましたが、そういった訳の方が日本人には合うのではないでしょうか。
宮島:こころと身体を一つのものとして捉えたり、自然と人間の関係も二項対立ではなく統合的に捉えていくというのが、まさしく日本的な価値観のように思うのですが、松山さんからみていかがでしょう?
松山:日本人の精神性は、例えば神社があったら頭を下げるとか、自然に対する敬意であるとか、深掘った信仰というより、敬意をもって物事に接するという気持ちに近いんじゃないでしょうか。belief(信仰)よりもリスペクトに近いのかもしれません。
宮島:いまbelief(信仰)よりもリスペクトというキーワードが出ましたが、Medichaに来るお客さまからなにか感じることはありますか?
長嶋:リスペクトの話につながるかもしれませんが、誰かをケアする立場になって、その人と寄り添うことができるようになるから、という理由でお越しになる方がとても多いです。例えばお母さんになりたての方や、経営者でチームをまとめていく立場になった方などですね。みなさん、自分がマインドフルになることで、相手の感情に寄り添いやすくなるという体験をされているようです。
宮島:今回、SBNRプロジェクトでは、日本を含めた4カ国の方々を調査しているのですが、SBNRな人たちは、「お金」よりも「人との縁」、「学歴」よりも「運命」、「AI」よりも「直感」を信じているといった調査結果が出ています。ある種合理性と逆行するような部分もある調査結果ですが、長嶋さんはこのデータをどのようにご覧になりますか?
長嶋:Medichaにお越しになっている方を思い浮かべてみると、もちろん学ぶことも大事にされていますし、AIを活用しながら世界をよくする方法を真剣に考えられている方もたくさんいらっしゃいます。でも、それだけではなくて、人との縁や運命、直感といったものを大事にする時間を増やしたいと思う方が来てくださっている。普段頭をフル回転させて仕事をされている方が五感を研ぎ澄ます体験をすることで、「Medichaは感性が豊かになる場所だよね」とコメントをいただくことは多いです。凝り固まった考えがふわっと広がっていく感覚に価値を感じていただいていますし、より感性豊かに過ごしたいと思っている方は多い印象があります。
宮島:ありがとうございます。ほかにも日本には他国にくらべてSBNRな人たちが非常に多いというデータが出ていますが、これにはどんな理由があると思いますか?
松山:先ほどbeliefよりもリスペクトとお話ししたように、日本人の信仰の形はもともとSBNR的。いまにはじまったことではなく、昔からなのでしょう。ただ、ナポレオンは「宗教のない社会は、コンパスのない船のようなものだ」という言葉を残していますね。いま世界的にSBNR的な発想をしている人が増えているというのは、すごく納得できるんです。昔だったら飢饉やパンデミックなど、人生において生死に関わるイベントがたくさんあったはず。でもいまはパンデミックが起きても一年足らずでワクチンができたり、平成の米騒動のときも輸入ができたり。色々なリスクヘッジができて、別にコンパスがなくても生きていけるんじゃないの?と思う人が増えている。しかし、突然大きな病気になったり、愛する方が亡くなったり、人生というのは非常に大きな出来事が起こるわけです。そういうときにSBNRのスタンスだと心のお守りというかガイダンスがないと思うんですね。これだけ忙しく複雑な社会に生きているわけですから、リラクゼーションとかマインドフルな時間は非常に重要ですが、それプラスもう一つ、心のガイダンスというか、それが宗教の役割なんじゃないかなと思っています。
宮島:さきほど、日本の文化の中にはもともとSBNR的な価値観が息づいているというお話がありましたが、続いてのテーマは「SBNRと文化」ということで、SBNRが今後どのようなカルチャーを生み出していくかを伺いたいと思います。メディテーションを提供するMedichaが、この先の文化にどう結びついていくとお考えでしょうか。
長嶋:これまでは、こころを整えたいと思っても、なかなか周囲には言いにくいことでしたよね。でもサウナブームもあって「整いたい」といったこころの話をカジュアルにしやすくなった。それにともなってか、会社などでもチームで整う体験を一緒にしたいという動きが生まれています。Medichaはもともと、自然豊かなところに出かけて、気持ちが軽やかになる感覚を都心でも体験できるようにと思ってつくった場。そういった体験ができる場所が増えていくことは、日本の企業にとってもプラスになると思います。
宮島:日本の「道」の文化も多くがSBNR的な側面を持っていると思いますがいかがでしょうか?
松山:茶道でも書道でも弓道でも、極めて精神的でありながらNot Religious。さまざまなアクティビティの中で、自分の精神状態を極限まで持っていくというのが日本の文化の中心にあるように思います。もちろんどの道も極めていったら宗教的なところに辿り着くと思いますが、それをあえて薄めていって文化にするというのが、日本の得意なところなのではないでしょうか。「道」と付くものはSBNRの極みだと思いますので、そういったものに触れることでSBNRを実践することにつながるのではないかと思います。
長嶋:私も〇〇道というのにすごく関心があるのですが、普段効率化を求めて暮らすことに慣れてしまうと、型を守りながらプロセスを楽しむということに心理的にハードルを感じてしまうこともあって…。チャレンジするにあたってなにかアドバイスはありますか?
松山:それはやはり感動だと思いますよ。『弓と禅』という非常に有名な本がありまして、それはオイゲン・ヘリゲルというドイツ人の哲学者が書いたものなんです。論理的思考を極めた哲学者が、日本に「禅」という論理を超えたものがあると聞きつけて、東北大学の先生をしながら弓道を通じて禅を学ぶドキュメンタリーなんですね。有名な弓道の先生に指導を受けるのですが、最初の半年間はどんなに通ってもひたすら呼吸法しか教えてもらえない。私は弓道を学びにきているのに、なぜ教えてもらえないのかとたてついたところ、夜真っ暗な弓道場に連れていかれて、的の下に線香1本だけを立てて先生が弓を射るわけです。真っ黒ななかで線香1本だから、ほぼ意味がないぐらいの光ですが、そのなかで先生が2本の矢を射る。的のところに行ってみると、1発目の弓が的のど真ん中を射抜いていて、その矢に重なってもう1本が刺さっていたというのです。それを見て、一言も文句を言わずに先生に従ったという話があるのですが、やはりそういったハッとするような感動体験が一番大事なんですよね。この人のもとで修行したいという感動とか、尊敬や畏敬の念が、自分を一歩踏み出させる大切なものだと思います。
宮島:いま、感動や体験の価値についてお話が出てきたところで、次のテーマ「SBNRとビジネス」に移りたいと思います。SBNRの価値をビジネスとしてどう生かしていくか、またいかにお客さまの感動に変えていくかというお話をお聞かせください。Medichaでは、目に見えないものの価値を体験化するというところで、何か気をつけていることはありますか?
長嶋:SBNR的な潮流は広がっていますが、まだまだ懐疑的な面も残っていますよね。心のケアをしたいけれど、既存の手段には心理的なハードルを感じている方に、気軽に来ていただけるようにするのがMedichaの狙いでもあります。髪が伸びたら美容院に行くのと同じように、心がささくれたらMedichaに行こう、ぐらいの感覚になっていただけるよう、表参道という立地を選んだり、アートを組み込んだり。あえて「瞑想」という漢字を使っていなかったり。そういった小さな工夫を重ねることで、雑誌でもファッションの文脈でご紹介いただけることが増えて、心理的なハードルを下げることができたのではないかと思います。我々だけでなく、SBNRの分野に取り組む他の企業さんとも一緒になって、ジャンルとしてコミュニケーションしていけるようになると、マーケット自体が成長できるのではないでしょうか。
宮島:Medichaは個人だけでなく法人利用も増えているということですが、法人で利用される方はどんなことを目的にいらっしゃるのでしょうか。
長嶋:一つはレクリエーションとしてチームビルディングの一環でお越しになるケースと、もう一つはOKR (Objectives and Key Resultsの略。企業やチームの目標管理指標手法の一つ) の振り返りでご利用になるケースがあります。都心でできるワーケーションのような感覚で、チームみんなでメディテーションをして、パソコンや携帯のない空間で振り返りや今後の企画のブレストをするわけですね。ご感想としてすごくよかったと言っていただけるのが、「ネガティブなことを言いにくくなる」ということ。メディテーションをして落ち着いているからなのか、普段なら「それできないんじゃない?」と言ってしまうことも、「こうしたらできるんじゃない?」という意見に変わりやすくなる。そういった体験をしていただけるようです。
宮島:禅についても、スティーブ・ジョブズをはじめとした世界の経営者が興味を持っている分野だと思います。ビジネスパーソンは、どんなことを求めていると思いますか?
松山:昔から禅というのはリーダーに嗜好されてきた宗派ですが、ジョブズにしても決して儲かるから禅を志したわけではないと思うんですよね。いまアメリカで流行しているマインドフルネスは、禅の教えとは少し違って、非常に功利主義的な文脈で捉えられているように感じます。儲かるからマインドフルネスをやる、パフォーマンスが上がるからやる。確かにそういった現世利益的なものもあるわけですが、そのためのテクニックのようにやってしまうと単に資本主義を強化することにしかならないのです。そういうことから一歩出たところに、目指すべき世界があるはず。マインドフルネスというのは仏教用語の「正念」を英訳したものです。仏教には八正道という教えがあり、正しい言葉を使いましょうとか、正しいものの見方をしましょうといった八つの正しい道の一つが「正念」。本来はこの八つのバランスが大事なのに、「正念」だけを取り上げることに若干の違和感を持っています。いずれにしても、そういった精神的なものを見出したり、自分自身と向き合う場所や時間を持ちたいという気持ちの表れとして、マインドフルネスが求められているのだと思います。
宮島:ありがとうございます。では最後に、「日本から世界へ:SBNR」というテーマで、日本が持つSBNR的な文化が拓く可能性についてお話ししたいと思います。Medichaでは海外からのお客さまもいらっしゃると思いますが、どうお考えですか?
長嶋:日本に来てメディテーション的な体験をしたいとか、禅について知りたいと思っている方が多くいらっしゃる一方で、SBNRに興味がある方の中に日本という選択肢が浮かんでこない方々もたくさんいらっしゃるように感じます。これだけ豊かな自然環境や神社仏閣といったものを、もっと分かりやすく世界に対して発信していく必要がありますよね。あと、高齢化が進んでいる日本だからこそ、医療や介護といった文脈にSBNRを掛け合わせることで、世界の先進事例になりうるのではないでしょうか?
松山:日本には「不二」という世界に誇るべき精神性がありますね。二つにあらず。「わけない」という思想です。いま医療でも学問でも、どの分野でも細分化が進んでいて、専門家はいるけれど、木を見て森を見ず。大局的に見る人がいないという世の中になっています。そのなかにあって、「一つのものとして見る」という精神文化は、いま最も世界に求められる日本の精神性ではないでしょうか。
宮島:そういった日本の精神文化を伝えていくとき、キーになるのは実際に体感してみることかなと思いますが、具体的なアイデアなどお持ちですか?
松山:先ほど申しましたように、やはり感動とか体感がすごく重要ですよね。私は7、8年前からムスリム国のイスラム神学校のリーダーをお呼びして対話をしています。数年前にインドネシアのイスラム神学校の先生を比叡山にお連れしたとき、比叡山の森を散歩したんです。霧が立ち込めて非常に神秘的な雰囲気だったのですが、先生方が「この場所には神様がたくさんいても不思議ではない空気が流れている」と言ったんですね。一神教のイスラム教の先生方ですよ。それはやはり、そこに行かないと体験できないこと。いまはバーチャルな世の中ではありますが、その場に行く、体験する、感動を味わうということが、時間がかかるようにみえて、実は一番効果的なやり方なんじゃないかなと思いますね。
長嶋:いま私たちは富山にいますが、山や空の風景を見ると、気持ちが変わってきますよね。空間が心に与える影響は非常に大きいと感じていまして、「空間処方」のような概念もあるのではないかと模索しています。緑が多い環境だと脳波がどう変わっていくのかを調査したり、例えばお寺の空間と普段のオフィスだとどう違うのかといったデータを明らかにしていけば、日本の持つ空間的なSBNRの魅力を国内外の人にアピールしやすくなるかもしれないですね。
宮島:興味深いアイデアをありがとうございます。今回はSBNRをテーマにお二人にお話を伺ってきました。SBNRプロジェクトでは、SBNRレポートを発行しました。4カ国調査のデータや、有識者の方にインタビューした内容をもとに、世界的に広まるSBNRが生活者に与える変化や、これからのビジネスのヒントを見出していこうと試みるものです。ご興味を持たれた方は、ぜひそちらのレポートもご覧になっていただけますと幸いです。本日はありがとうございました。