■中川からの推薦文
波多野くんは、企画はぶっ飛んでるのに、とても戦略的な思考を持つ、なんとも稀有な存在です。クリエイティブのことだけでなく、マーケティング(ちゃんとその商品が売れるのか?)のこともしっかり考えているトリックスター的な人。一緒に仕事をするたびに新たな発見があって、僕自身とても勉強になります。
見た目はラッパーみたいなのに発言はめちゃめちゃ地に足が付いている。そして、なんとも人間性がいい。話に嘘がない。この人の半生は一体どんな感じだったんだろう?と。詮索してみたら、福岡出身で地元の大学卒業後、何を思ったか山に籠って田畑を耕しながら暮らして(記憶があいまいですがそんな話だった気が…笑)、その後山に別れを告げて、契約社員として博報堂九州支社に入社。やがて正社員となり、東京本社にやってきたそうな。見た目通りラップが好きで、自ら歌っていた過去も! それでいて歴史小説が好きで幕末の志士に想いを馳せるなど、掘れば掘るほど魅力あふれる人なのです。
なるほど、枠を越えた挑戦とそれが故の苦労を経験してきたからこそ、波多野順という人格が完成したんだなと、なんとも無難に生きてきた自分の半生と比べて強く嫉妬を覚えるわけです。
波多野くんも僕も同じ40代。気づけばベテランの域に達してしまいましたが、波多野くんとなら、もっともっと枠を越えた新たな挑戦ができる気がします。これからも僕のことを見捨てることなく、末永くよろしくお願いします。
——今回は、前回の中川さんから推薦いただいた波多野順さんです。波多野さんと中川さんは同世代でもあるとのこと。どういったきっかけがあっての繋がりなのでしょう?
波多野順(以下、波多野):僕は元々、“ダブルCD”といって2人でCD(クリエイティブディレクター)をやるっていう、ツーマンセルスタイルが好きで。ひょんなことから中川さんとタッグを組むことになったんです。最初は初対面でしたし、気も遣っていたんですけれど、飲みに行くとお互い落語好きで、見聞きしてきたものも近くて、すぐに打ち解けられました。それに、僕は中川さんの「文化をつくりたい」っていう考え方がすごくいいなと思っていて。根っこに善意があるからこそ、そういうことを考えられるんだろうなと感じます。
——戦略から攻める中川さんとのタッグは、クリエイティブから攻める波多野さんとまた違った視点があるからこそ、いい仕事ができそうですね。
波多野:まさにそうですね。中川さんって「戦略でこうやったら、世の中にこういう見え方をするんじゃないかな」と話を持ってきてくれますし、逆に僕は「アウトプットをこうすれば、こういう印象を持ってもらえるはず」というアプローチを取りますから、互いにそうした意見を出し合いながら、コアの部分を探す作業ができる。これって結構難しいんですが、中川さんはめちゃくちゃ話が早い。さすがです!
——そんな中川さんからは、波多野さんの発想の角度だけでなく、「バックグラウンドも面白いんです!」とコメントをいただいています。まずはその気になる入社までの背景から伺えますか。
波多野:僕、高校までは北九州にいたんですが、「とにかく早くここを出たい!」の一心で、18歳から福岡市内の大学に進学しました。それからはスキーに明け暮れた学生時代でしたね。長野に行って、冬はペンションで働きつつ、スキー漬けの日々。夏もレタス農家で働いて。そんな生活を卒業してからも続けたくて、結局一番に卒論を出して、早々に長野に飛んだんです。
——ということは卒業後も就職せず長野へ…?
波多野:そうです。ただ、やっぱりそう人生上手くは行かなくて。ケガをしたっていう理由もありますが、その暮らしは長くは続きませんでした。とはいえ、次に行くあてもない。それに、地元には絶対帰りたくなかった。そこで結局、また福岡市内に戻ったんです。その時、大学時代の友人に近況を報告して将来の行く末への不安を吐露したところ、その友人が偶然広告会社に勤めていて。「波多野くんはコピーライターが向いてると思うから、自分の作品を持って博報堂に持っていけ」って言われたんです。
——なんと! それまで広告の仕事にご興味があったわけでもなかったんですよね。
波多野:もちろんです。今でも、なぜ彼が僕に「コピーライターが向いてる」と言ったのか、その真意は分からないんですけど。今思えば、彼こそ僕の恩人です。結局彼に言われた通り、見様見真似で作品を持っていってクリエイティブのトップの人に会わせてもらい、あれよあれよという間に採用が決まって。これもどうして採用されたのか、今でも謎です(笑)。
——驚きの入社ストーリーですね。それからは当時の博報堂の九州支社にいらっしゃったんですよね。
波多野:そうですね。ただいきなり正社員になれるわけもなく、とりあえず契約社員からのスタートでした。CMの企画を考えたり、コピーを考えたり、なんでもやりました。でも、個人的にはこの仕事に驚きを感じていたんですよ。僕、バイトってそれまでちゃんと続いたことがなくて。それなのに、この仕事を続けたいと思えた。なぜなら、とにかく“自由”があったから。スーツも着なくていいし、裁量労働制度もあって出社時間も決まってない。もちろん全力で働いていましたけど、全ては自分次第。その感じが自分にすごく合っていて。
あと、やってみて「自分のアイデアで、こんなに喜ばれることを実感できる仕事って他にないんじゃないか?」って思えたんです。クライアントはもちろん、僕をチームに呼んでくれたCDや、広告を見た人の嬉しそうな反応が、“貢献する喜び”への実感に繋がっていて。その感覚がとにかく心地よかったんです。
——なるほど。30歳までは福岡で働かれていたとのことでしたが、当時のモチベーションは何でしたか?
波多野:27歳頃にローカルCMでACCなどを受賞したんですが、「賞を取る=認められる」っていう風潮はそんなに好きではなくて。もちろん評価されることは嬉しいですけれど、僕もまだ当時契約社員で、きっと反骨精神みたいなものもあったんだと思います。どんな契約形態であっても、誰よりも働いて、クライアントに「波多野にお願いしたい」って思われたかった。それに、ちゃんと僕のことを実力で評価してくださる先輩がいたことも大きかったと思います。
——その後、30歳の正社員になられたタイミングで東京転勤となりましたが、環境も大きく変化したのではないでしょうか。
波多野:それはもうガラリと変わりましたよ。なにしろ全国規模のクライアントが多く、予算もステークホルダーの数も桁違いになりました。九州時代のように、社長に直接プレゼンできて、その場できまるようなことも少ない。そんな環境に適応できるまで5年くらいは時間がかかりました。
——やりたいことが思うようにできなかった、ということでしょうか。
波多野:そういうわけでもないんです。僕は、会社から「これを担当して」って言われればもちろんやりますし、その期待に1.5倍で応えたいと思う。でも、初めの頃は環境の違いからか、何か面白いことをやろうと思っても、「僕が考えてるこの企画って、本当に面白いのか?」と自問自答することも多かったです。そんなくすぶり期間が最初の5年くらいでしたね。
——そんな状況から殻を破れたきっかけが何かあったのでしょうか。
波多野:まず、分かりやすく自分が求められていることを達成できやすい部署に移ったというのはあります。それと同時に、それまでの福岡時代からの反骨精神——いわゆる、面白CMだけで真っ向勝負するみたいな、そういうスタイルは決して“正”ではないんだって気づいたタイミングでもありました。
その頃、ある企画で父と子、それと自分も好きなラップをテーマにした作品を作ったんです。当時はそういうのってなんか恥ずかしくて、自分には合わないと思っていたんですが、自分が本当に興味があるものと向き合いながら、クライアントの課題の本質を捉え、それをクリエイティブという形にする。それが一番広告づくりにおいてスムーズだし、表現としても“強さ”が出るんだと気づけたんです。自分に正直になることが、クライアントにとっても価値になるんだと分かったことは、自分の中ですごく大きな気づきになったと思います。
——これまでたくさんのお仕事をしてこられた波多野さんですが、特にどのような仕事に思い入れを感じますか。
波多野:どんな仕事でも全力で取り組んではいますが、やはりクライアントの本気度は僕のモチベーションにも大きく関わると感じます。「とにかく困ってるんだ」「この広告に賭けてるんだ」。そんな思いをオリエンでしていただいたり、お一人でもそういう方がいらっしゃると、「絶対になんとかしてあげたい」という気持ちが湧きます。それは先述の「貢献したい」という部分が根っこにあるからだと思います。その本気の課題を解決するために、一番効果的な作戦を考えるのが僕の仕事なんだと思っています。
——そのために、とことんクライアントの課題と向き合う、と。
波多野:そうですね。手法のやり取りに終始するのは、なんだか目的からズレている気がして、釈然としないんです。ただ、手法の話をすると、僕はとにかく分かりやすいものが好きで。広告は広告然としてていいと思うんです。「こんないいところがあるんです!買ってください!」っていうのも、決して悪いことじゃない。
だから、なるべく正直なものを作り続けたいとは思っています。「爽快さ」を出したいなら、誰が見ても「爽快だ!」と思えるものを作りたい。笑えるもの、感動できるもの、擬似体験できるもの、表現はなんでもいい。誰にでも分かりやすい広告を、いかにエンタメにして世に出すかが僕のやるべきことだと思っています。豪速球で投げるストレートの球のようで、チャームがあるようなアイデアを、常に目指しています。
——最後に、波多野さんの「これから」についても伺いたいと思います。
波多野:僕、あんまり先のこととか考えるタイプの人間じゃないんです。3年後、5年後どうしていたいって聞かれても、答えられない。だから逆に、今を大事にしたいっていう思いはあります。一つ一つの仕事にはかなりシビアに向き合っているつもりです。それも定性的にではなく、定量的にどう評価されたのかは、ちゃんと見るようにしています。一番分かりやすいのが売り上げ。それに加えるなら、世の中の反応とかでしょうか。そういうものにちゃんと向き合って、次の仕事をしていきたいですね。あとは、日々の販促がブランドに寄与するっていうことを体現できる広告も作り続けたいです。
それと、リアルな市井の人間の感覚は絶対忘れちゃいけないと思っています。この業界って、職業柄どうしても新しいものを「使ってください!」「食べてみてください!」ってアピールする仕事が多いから、ついその感覚が薄れちゃうことがあります。でも、今生きてる人全員が、その“新しいもの”に手を出せるわけではないし、興味を持てるわけではない。だからこそ、自分は絶対に“普通”でいようって思いますね。日々飲み歩いて、お金はありませんが、その状態が今の僕にリアルな仕事をさせてくれていると感じます。
取材・執筆=田代くるみ(Qurumu)、撮影=杉能信介