岡本
いま、観光では「高付加価値化」という概念が注目されていますが、単価を上げて富裕層を取り込むということだけではなくて、本質的には、やはりその地域の価値自体を上げていくことこそが必要だと考えています。さらに言えばそれは、その地域の基幹産業を強くすることにつながります。そうすると、もはや観光という枠にとどまらない議論が必要になる。かつてのニューツーリズムが盛り上がった時代も、観光業以外の産業の方々が、観光を使って地域を盛り上げようとさまざまな動きを展開された。これから高付加価値化が進む中で、新しい世代がまた新しい形で、それに挑戦していくということなのかなと思います。
山下
特に、若い生活者の時間に対する考え方はまったく変わっていますから、また違うアプローチが求められていますよね。
岡本
タイムパフォーマンスを重視しますよね。
山下
好きな時に好きな番組を観たいし、買い物も自由にしたい。とにかく無駄な時間を過ごしたくないというニーズが強い世代です。旅の目的としても、「自分にとって有意義で最高の時間にする」というのが、高付加価値化の大前提になると思います。たとえば金沢に3000円ほどで泊まれるゲストハウスがありますが、ある宿泊予約サイトでも一泊数十万する高級ホテルと並ぶくらいの高評価を得ています。そこでは、ほかの宿泊客と一緒に花火をしたり銭湯に行ったり、時には政治経済について皆で語り合ったりしている。お金を払えば一流ホテルで最高のホスピタリティを体験できるとわかっている外国人観光客が、日本語が話せなくても、生活感のある空間で本当の日本人と触れ合い、心を通わせる方にも価値を見出しているわけです。同じように、由布院温泉の高級温泉旅館の方も、「安心院(あじむ)の農家民泊には勝てないよ」とおっしゃっていたことがあります。ラグジュアリーの意味を考えざるを得ませんよね。旅行に限らずどんなビジネスでも、いま本当に大切なテーマは、時間をどう過ごすかだと思います。
岡本
まさにラグジュアリーにおいてこそ、体験の価値や時間の過ごし方は重要なテーマですよね。たとえば、バリのウブドゥにあるラグジュアリーホテルなどでは、ローカルのガイドの方と一緒に渓谷を歩いたり村を訪ねながら話を聞くといったツアーがプログラムに組み込まれていて、多くの観光客に広く支持されていますよね。
山下
私も「ホテルはとてもよかったが、電気もガスも通っていない村にエクスカーションに行った体験が一番良かった」と聞いたことがあります。そういうオーセンティックな体験が求められるとわかっていて、きちんとプランに組み込まれているんですよね。
岡本
ホテルのスペックをどれだけ上げても満足度や差別化の限界はありますからね。最終的にはお客様にスタッフの方が何人張り付いて対応できるか、という話になってしまう。旅の目的になるデスティネーションあるいは、デスティネーションホテルというのは、スペックだけではない体験や滞在の価値が強いということだと思います。
山下
そうですね。いまはラグジュアリーマーケットでも、「サファリ&アドベンチャー」が特に注目を集めています。アドベンチャーという言葉は、日本語にすると「冒険」になりますが、本来の意味は新しいものとの出会いや発見、新しい自分と向き合うといったことも含まれると考えています。これは、特にモノに満たされている富裕層の人たちが旅に求めるものでもあります。
岡本
実は今日、アドベンチャーを日本語でどう言い換えるべきか、一番近い概念は何かということを伺いたいと思っていました。というのも、僕らは広告会社で企画やクリエイティブを考える際、カタカナに頼りすぎずにまずは日本語で表現してみるというトレーニングを行うからです。
いまお話いただいたとおり、「アドベンチャーとは、新しいものと出会うこと、新しい自分と向き合うこと」というのが、そのまま答えになっている気がしました。
山下
それから自然ガイドの方々はつねに自然と向き合っているので、都会の人たちよりも五感が研ぎ澄まされていると感じることがありますよね。そういうガイドから生態系などの話を聞きながら森を歩き、経営や組織運営、事業継承などのヒントを得る経営者の方も多いです。
岡本
我々は山形の出羽三山や鳥取の三徳山など、修験道の聖地の皆さんにもいつもお世話になっています。1日の体験でも数日間の体験でも、山伏修行をされた方は皆さん、「自然と向き合うことで自分と向き合うことができた」とか「山を歩くことが人生を変えるんだ」といったことを言われます。僕自身も修行を経験すると、同じような感覚を覚えます。
山下
古来からあるそうした日本人の知恵には驚かされることが多いですよね。大分県の豊後大野という地域では、阿蘇山の噴火によってできた特徴的な地形に棚田が並んでいます。昔から谷にも棚田にも均等に水を運ぶための水路や水道橋が張り巡らされているのを知り、その技術に驚かされました。長野県の上高地も、あの美しい景観を守るために、土砂の管理など裏でものすごい努力がなされている。いま美しいと思える風景は、日本人がそうやって上手に自然をコントロールし守ってきたから存在しているということが分かると、感動すら覚えます。自然と密接した旅で、そうしたことに気づくことも大事だと思います。
岡本
そもそも山下さんは、何がきっかけでアドベンチャーツーリズム自体に関わることになったんですか。
山下
アドベンチャーツーリズムという考え方は、2018年頃から日本でも一部で注目が集まっていましたが、観光庁やJNTOではまったく取り上げられていませんでした。私はJTB総研に合流した際にはこの分野の研究が始まっていましたが、もう少しこのフィールドについて研究すべきだと考え、ATTA(Adventure Travel Trade Association)からインストラクターを招聘し、北海道の阿寒湖でガイド育成研修を始めたり、市場分析などを進めていきました。
ATTAという国際団体は世界中に会員がいて、アドベンチャートラベルに関連するネットワークやソリューションの提供を行っていますが、ある意味シンクタンクの役割も担っていて、「観光の価値を上げていくにはどうすべきか?」といったことを研究し、言語化し、表明している。たとえばアドベンチャートラベラーが求める5つの体験価値も、「The Novel and Unique 他の場所で味わえない、その場所ならではの体験であると感じることができるか?/Transformation 自己が成長・変化していくと感じることができるか?/Challenge 身体的・心理的にさまざまな意味合いでの挑戦ができるか?/Wellness 旅行前より心身ともに健康になったと感じられるか?/Impact文化や自然に対する悪影響を最低限に抑えられていると感じられるか?」と明確に整理しています。日本の場合は旅行商品をつくるにも感覚的なところがあって、その結果価格競争に陥り、薄利多売になって、どんどん没落しています。一方でATTAが追求しているのは、コミュニティツーリズムでもガストロノミーツーリズムでも、互いに競争することなく、それぞれのお客さんが豊かな時間を過ごせる、経験価値の高い旅の形です。それを知った時に、僕が考えていたのはこれだと思ったし、日本の旅行業界もここから学ぶべきだと強く思ったんです。
ただ先ほども言ったように、アドベンチャーツーリズムをそのまま日本語の「冒険」と訳してしまうと、どうしても危険な探検に行くようなニュアンスになってしまいます。いろんな言葉を模索しましたが、ぴったり合う日本語がないんですよね。なので、無理に日本語にするのではなく、あくまでも新しい発見、出会いといったニュアンスも含まれた“アドベンチャーツーリズム”という概念そのものを広めるしかないと思いました。そうして、
2019年に一般社団法人日本アドベンチャーツーリズム協議会を設立するに至ったのです。
岡本
なるほど、そうだったんですね。確かにアドベンチャーという言葉は、自然も文化もさまざまな体験も、旅のすべてを内包できるような概念になっていますね。日本の観光業界や政策、現場が、そうした外国の概念を借りなければ現状を整理できなくなっているのは、ある意味悔しい気持ちもあります。
日本の場合、旅に関するそうした論理を構築し、言語化するような役割を社会学や経済学などアカデミックに押し付けてしまっている気がしますが、アカデミックに分類しすぎると、今度は現場からかけ離れたものになってしまいます。観光業もそうだし、地域側にも、研究機関やマーケティング機能が不足しているのも気になります。
山下
地域ごとの商品開発やマーケティングはそれぞれ頑張っていると思いますが、新しい旅のスタイルなり考え方を研究して発信するような機能はありませんね。そういうトレンドを発信するのはもしかしたらメディアの役割かもしれませんが…。幸いコロナを機に、アウトドア志向や自然志向、自由な働き方も増えてきたと思うので、今度はそれにうまく合ったプロダクトを提供することで、国内のアドベンチャートラベラーが増えていくといいなと思います。
岡本
山下さんの専門性とご経験があれば、どんなムーブメントでも仕掛けられるような気がします(笑)。今後、特にやりたいことは何ですか。
山下
もっと多くの人に、日本の国立公園というフィールドの価値を再認識してもらうことですね。自分の根っこには日本が好きな気持ちや、日本をもっと良くしたい、その価値を世界に伝えたいという気持ちがあるんですが、特に日本の自然の素晴らしさ、価値を世界に伝えるという点では、やれることはたくさんあると思います。バードウォッチングもホエールウォッチングも季節ごとに場所を変えてできるし、世界でそこにしか住んでいないヤンバルクイナなどの希少な鳥もいる。シンプルにそういうことを国内外に伝えていきたいですね。
それから、アカデミックは過去の事象を語ることはできますが、未来をつくることができません。それができるのは事業者さんです。両者の間にいる立場として、少し違う方向性から、道を示すような役割が果たせたらいいなと思います。
岡本
ありがとうございます。
それでは最後に。お話しさせていただいた皆さんにお聞きしていることなのですが、2030年くらいにご自身やご家族、ご友人と行きたい旅はありますか。
山下
いまも北海道の道東によく行くのですが、そのたびに新しい発見があります。一方で、京都にも何度も行きますが、毎回大いに刺激を受けます。大自然の素晴らしさと、人間が生み出すイマジネーションやクリエイティビティ、そのどちらも必要な気がするんです。両方を行き来する、そのバランスを保てたらいいですね。
岡本
確かにどちらも、違う部分を大いに刺激されますよね。
山下
また、かつて白馬の五竜岳のスキー場で、夏シーズンに高山植物を植えて植物園をつくり、車いすで行けるようにしていたそうですが、ある時、かつて登山が趣味だったという高齢女性が車いすでそこを訪れ、大いに感動したそうです。若い頃に山で見た植物を、車いすに乗るようになってもまた見られるとは思わなかったと。新しいテクノロジーの進化で、3000メートル級の山に高齢者が登れることだって可能かもしれません。AR・VRで仮想現実を体験するのもいいですが、やはりその場の景色、空気、匂いには勝てないと思うし、そこに旅の醍醐味がある。科学や技術、そうした産業に携わる人たちには、先端技術をそういう方向に活用してほしいと思います。未来の旅の形は、我々旅行業界の人間だけで考えるのではなく、そういう技術を持つ人たちとぜひ議論していきたいですね。
岡本
確かに、異業種の議論から新しいコラボレーションが生まれたり、観光のすそ野が広がって経済効果が広がるということにもつながりそうです。
山下
旅行業界、観光業界はこれまで「コーディネーション」しかしてきませんでしたが、いま必要なのは、価値を新しく創り出すための「インテグレーション」であると考えます。そこに、私のような存在が何かお役に立てるといいなと思います。技術に限らず、議会や住民などさまざまなステークホルダーとの間に立ってインテグレートしていくことが、これまで私がやってきたことだし、これからもやっていきたいことですね。
岡本
今日は旅と地域、旅の価値についてとても深いお話を伺うことができて、大変勉強になりました。どうもありがとうございました!
観光による地域活性化のための計画・戦略の策定、人材育成、旅行商品開発を専門とする。近年はスポーツツーリズム、アドベンチャーツーリズム分野の調査研究も手掛ける。内閣府地域活性化伝道師として全国の観光振興政策を支援。
2005年博報堂入社。統合キャンペーンの企画・制作に従事。世界17カ国の市場で、観光庁・日本政府観光局(JNTO)のビジットジャパンキャンペーンを担当。沖縄観光映像「一人行」でTudou Film Festivalグランプリ受賞、ビジットジャパンキャンペーン韓国で大韓民国広告大賞受賞など。国際観光学会会員。