堂上:博報堂の新規事業開発組織「ミライの事業室」の堂上です。今回はウェルビーイングの連載が最後回ということで、お二人にお越しいただきました。
僕自身は、博報堂でマーケティングやクリエイティブを追いかけているうちに、イノベーション、ウェルビーイング、そしてそこからリベラルアーツにたどり着いたという経緯があります。もはやマーケティングからリベラルアーツまでが同義語なのではないかというくらいに思っておりまして、このテーマを設定しました。自己紹介を兼ねて、お二人のリベラルアーツとの関わり方についてお聞かせください。
宮澤:私は博報堂に入社して以来、ブランドやイノベーションのコンサルティングに携わってきました。今、堂上さんが言ったとおり、私もブランドを追いかけていく仕事は結局のところ、企業にとってのウェルビーイングに近づくことだという印象を持っています。一方で、東京大学教養学部に籍を置き、2023年には「LIVe(Liberal arts Innovation Village)」という、リベラルアーツをベースにしたビジネスイノベーションを起こすことを目的とするコミュニティを立ち上げるという取り組みもしています。ウェルビーイングとリベラルアーツは私の仕事の中で、真ん中に位置しているという状況です。
岩﨑:宮澤さんと同じく、私も長くストラテジックプラナー職(以下 ストプラ)としてブランディングを手がけてきました。また「ブランドデザイン」や「博報堂買物研究所」(https://www.hakuhodo.co.jp/kaimonoken/about/)を立ち上げるなど、比較的会社の中で新しいテーマにも取り組んでいます。もう20~30年も前の話ですが……ストプラの先輩が引退講演の際に「これからの広告会社、博報堂で大事なのは、リベラルアーツだ」と話していたのを聞いたのが印象に残っています。その時からアンテナを張りはじめて学んでいく中で、これは博報堂が唱えている「生活者発想」そのものではないかという思いに至りました。
その一方で、経済学者で一橋大学名誉教授の中谷巌さんが主宰されているリベラルアーツを基軸とした幹部育成講座「不識塾」の講師を務めています。そこには博報堂からは年間に一人しか派遣出来ないので、博報堂DYグループ全体にリベラルアーツの重要性を浸透させるべく、2021年から社内で「リベラルアーツ活用力道場」という研修もはじめ、現在20〜30人のメンバーを抱えて運営しています。実はその中で一番目立っていた生徒が堂上さんでした。
堂上:ありがとうございます(笑)。まずお二人に伺いたいのは、リベラルアーツ、ウェルビーイングといった観点で見た場合、我々広告会社は今まで何をやってきたのかということです。僕が入社した頃にひとりの役員が、こう言ったんです。「広告の仕事は生活者と企業、社会と生活者の間に“新しい価値”をクリエイティブで作っていくことだ」と。その言葉が今も印象に残っていまして、まさにリベラルアーツに繋がっていると思うんです。
宮澤:私は価値の再構成をするのが広告会社だと考えているので、リベラルアーツとは近いところにあると思います。リベラルアーツの定義はさまざまですが、もとは古代ローマ時代の奴隷が自由になるために身につけた技芸が語源とされています(平凡社「大学事典」より)。というと今の時代には当てはまらないようですが、やはり現代においても人はそれぞれ目に見えないものに縛られて生活をしていますよね。そこから自由になって人間らしく生きるのが、リベラルアーツの本来の姿だと私なりに定義しています。
広告会社はそこに新しい要素を融合させることで、こんな新しいものがあるよ、もっと自由になれるよ、と提案するのが役目だろうと思っていて、これはまさしくリベラルアーツであり、それを私たちは「リベラルアーツ的態度」と呼んでいます。
堂上:「態度」というと能動的な意味合いを感じますね。イノベーションにも繋がってくるように感じます。
宮澤:そのとおりです。リベラルアーツは一般的に教養と翻訳されることが多いので、知識のことだと思われている場合が多いのですが、知識だけでは「教養のある状態」にはなりません。大事なのは知識を組み合わせることです。
というのも教養は2階層に分かれていて、1つ目が「静的教養」。これはイメージ通り、基礎知識を知っている状態ですね。2つ目に「動的教養」というのがあります。これは知識を組み合わせて新しいものを作る行為によって、世の中に影響を与える、何かの行動をとる、といったアクションに繋がるものを意味します。
つまり教養とは行為に近い概念なんです。ちなみにイノベーションの語源は「新結合」。違うものを組み合わせるという意味で、リベラルアーツもイノベーションも概念としてはイコールです。
堂上:ウェルビーイングの観点から見ても、知らない人同士の出会いが重要といわれますが、そういう出会いを求めることもリベラルアーツ的態度なのでしょうか。
宮澤:まさしくそうだと思います。リベラルアーツに通じることで、新しい人と会ってみよう、新しい領域を勉強してみよう、興味のなかったことにも手を出してみよう、違う国にいってみよう……というふうに、色々な組み合わせが生まれるきっかけになります。そして、組み合わせることこそがリベラルアーツの基本的な姿勢なのです。
堂上:岩﨑さんは「広告会社とは?」という問いについてどのようにお考えですか。
岩﨑:広告会社は色々な規定の仕方がありますが、もとはメディアと生活者、企業と生活者との間に入って、さまざまな代理の仕事を生業としていました。そして今はメディアと生活者と企業の関係が直線的ではなく、円形になっていて、その真ん中に広告会社が置かれているという状態だと考えています。
ですから広告会社のやることはさまざまなアクターの関係をつないだ「意味」や「価値」の創造であって、僕はそれを「創発業」と定義しています。宮澤さんが話したように、既存の価値に意外な組み合わせを行うことによって、予測不能なものが生まれてくる。広告会社とはそのきっかけを作る業態になってきたように思います。
堂上:今後「社会創発業」と呼ぶべき業態になっていくということですね。
岩﨑:おそらくそうなっていくでしょうし、生活者発想を掲げている以上、博報堂はそこを目指すことになると思います。そして意味と価値を生み出すには、リベラルアーツがとても重要です。
ただし意味と価値とは私にとって区別すべきもので、意味とは最終的に「生きる意味」に繋がっていくと思いますが、生物学的な観点で突きつめていくと、生物が生きる意味はないという結論になるんです。個体は滅んでも、遺伝情報が継承されるのが自然の摂理ですから。それでも人間はそこに意味を持たせようとしてきました。「意味」は人それぞれが主観的に感じるものだと思います。しかし個々の感じ方に過ぎないものが積み重なっていって、「これがいいよね」というものに集約されていくと「価値」になるわけです。それが塊になると、共有できたり交換できたりするようになります。
そのため、生活者発想における広告業とは、個々人が考えている意味を価値に集約して、その価値をみんなが手に入れられるものにし、できればビジネスにもしていくという機能だと考えています。だからこそ宮澤さんが話していた、まったく別のものを組み合わせることが求められるし、そうしなければ新しい意味も価値も生まれてこないのです。
堂上:「生活者発想」は博報堂のフィロソフィーとして我々には浸透していますが、生活者にとっても、その意識を持つことでウェルビーイングに繋げていける気がします。
岩﨑:生活者発想に関していうと、SDGsやサステナビリティが重視される時代の流れから考えて生活者とは人間だけでいいのかという疑問になるわけです。たとえば生活をともにしているペット、あるいは自然環境の観点でいえば、生活の中にある植物やふだん使っている道具でさえも、ともに生きている生活者というふうに、概念が拡張していくだろうと思います。そして我々博報堂が、社会に先んじて意味を拡張していくことで見えてくるウェルビーイングもあるのではないかという広がり方もあるように思っています。
堂上:ウェルビーイングな生活を送るために、生活者や社会はどのように変化していくとお考えですか。
岩﨑:新しい社会をつくる時、リベラルアーツには2つの考え方があります。1つは「設計主義」です。まずゴールを決めて、そこに向けてやっていこうというものですね。
もう1つは、哲学者のフリードリヒ・ハイエクがいった「自主的秩序」。これは設計通りではなく、障壁や意図せざる結果が生まれた時に、そこから前向きに新しいものを作っていく発想のことです。私はこの2つのバランスで考えるべきだと思います。理想はあっていいのですが、現実の問題にぶつかったらそこを起点に再考する。絵を描いて終わりではなく、互いに並走していく関係で変遷していくように思います。
宮澤:マーケティングも同じことが言えそうです。私の専門のブランド作りは、もとは設計主義でした。ブランドの価値やアイデンティティを先に規定して、市場でのズレを見つけて解消していくのがセオリーでしたが、今の流れは、固定的な規定に縛られすぎず「自生的」な状態をつくる方がよいとなっていきています。
ブランドは会社や社会のものではなく、みんなのものとして自生的に動いていくものと捉えるわけです。企業はそれをサポートする役割になっていく。だから、はじめに修正する余地を残す方向で考えられるようになっています。これまでのように、これを守らなければいけないとか、こういう人にだけ売ると決めつけていては、長続きしなくなっているのです。
岩﨑:まったく同感です。今やお客様を標的に見立てて「買わせる」といった姿勢は通用しなくなってきています。ではどうなっていくかというと、「共に創るマーケティング」と表現されるものになるでしょう。
堂上:僕はウェルビーイングをテーマにさまざまな方とお話しているのですが、皆さんのお話の中に「共感」という言葉がよく出てきます。マーケティングもそちらの方向に変わっていくのではないかと思っています。
岩﨑:「共感マーケティング」は昔からある言葉で、マーケティングのひとつの考え方ですが、ゴリラの研究で知られる元京都大学総長の山極壽一先生が「共感」には3つあるというお話をされています。それが「エンパシー」「シンパシー」「コンパッション」なんですね。
「エンパシー」や「シンパシー」に対して「コンパッション」という言葉は慈愛という意味に近くて、深い思いやりを持って助けてあげる、といった意味合いになります。これまでマーケティングにおける共感は、好感を持ってもらって買ってもらうという程度の範囲に留まっていましたが、「コンパッション」のレベルでの共感を追求していくと、ウェルビーイングに繋がっていくのではないでしょうか。
しかし一方で、今はデータマーケティングが主流になっています。これはすごくパワフルでビジネス的にも有効ですが、こちら側に極端に触れていくと、コモディディ化していく恐れもある。バランスをとる意味でも共感の度合いを深めていくというのは、特に博報堂にとって重要だと考えています。
宮澤:共感って「共」ですよね。ということは企業側とともに生活者の側にも「感」がないと成立しません。生活者の側に「感」があるからこそ、企業はそれに呼応して商品やサービスを提供するわけです。ところが生活者の側に、自分はこの状態がウェルビーイングだとか、私はこれ好きだとか、何がしたいというものがないと、共感が成立しないわけです。だから堂上さんみたいに内発的動機付けメインで動いている人は、幸せを感じやすいわけです。内発的動機づけを社会全体でどう上げていくかというのが、ウェルビーイングな社会にするうえでポイントだと僕は思っています。
堂上:「好き」という感情は大事ですね。僕は何でも好きになっちゃうんですよ。何を始めても楽しいですから。
宮澤:実際のところ多趣味な人の方が、幸福度が高いというデータもあります。ただ日本ではひとつのことを極めることをよしとしますよね。もちろんそれも大事なのですが、幸せという観点から考えると、好きなものが多いことは大切なことだと思います。
岩﨑:ウェルビーイングと博報堂の関連でいうと、実は1990年代に博報堂は「ニュー・ビーイング」という言葉を作っているんです。バブルが崩壊する前に、経済成長だけでなく新しい「ビーイング」を打ち出しているんですね。ビーイングという言葉に目をつけていた。それを考えると、博報堂のカルチャーの根っこにそういう文化があったように思います。
堂上:そもそも人間って「ヒューマンビーイング(human-being)」ですからね。しかもその和訳は人と人の間です。あとは人と人との共生ということで、「コ・ビーイング(co-being)」という言葉もありますから、ビーイングって深い言葉ですよね。
岩﨑:東京大学の中島隆博先生は、人間がみんなで一緒に変わっていくことを「ヒューマン・コ・ビカミング(Human Co-becoming)」と言っています。これ、博報堂っぽくないですか。
堂上:まさに博報堂のカルチャーですね。この会社で働いてきて、毎日いろんな仕事の中で思うのは、やっぱり博報堂は人が面白い。好奇心旺盛な人が多いし、仕事を楽しんでいる人がとても多いと感じます。
岩﨑:今までは広告ビジネスモデルという盤石のモデルがありました。そこに楽しい働き方で、新しい価値を作るということがリンクしてきている。さらに堂上さんのミライの事業室では、これまでのモデルを活用して新しいモデルを作り、ビジネス変革を起こす取り組みをしていて面白そうですね。ぜひ生活者発想で楽しんでもらいたいと思います。
堂上:仕事を楽しんでいく先に成長があると思いつつ、このコミュニティも楽しめるよう自分に仕向けていきつつ……。そういう会社がほかにも増えるといいなと思います。
岩﨑:うちがそのモデルになる、という気持ちを持って取り組みたいですよね。
宮澤:広告会社のよいところは、人も多様だし、扱っている領域も多様です。意識せずとも、実はリベラルアーツ的態度な仕事を常にやっていると思います。だから仕事を楽しんでいるポジティブな人が多い。そこを大事にしていくことは、社会的にも意義があると思う。
岩﨑:ビジネスマンとしてよりも、生活者として仕事をしている感覚ですね。今後、経営はそちらに向かうのではないでしょうか。
堂上:新しい資本主義ということがいわれます。経済だけがトピックになる消費生活ではなく、生活者一人ひとりがよりよくなるための主義が生まれたらいいなと思っているんですよ。
宮澤:「生活者資本主義」ですよね。
堂上:生活者を資本と捉えて中心におく社会。いいですね。今日はウェルビーイング連載の最後を飾るにふさわしいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
Welluluではこの3人による、こちらの記事に納まりきらなかったこぼれ話を掲載しています。本連載と合わせてぜひご覧ください。
https://wellulu.com/lifelong-learning/14228/
株式会社博報堂に入社後、ブランディングを中心に多種多様なコンサルティング業務に従事。博報堂ブランドデザイン、買物研究所の設立にも携わる。経済学者で一橋大学名誉教授の中谷巌氏が主宰する幹部育成の講座「不識塾」の講師を務めるほか、2021年から社内において「リベラルアーツ活用力道場」を主宰。慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所非常勤講師。論文「金融機関のブランド戦略の今後」(金融財政事情誌)。著書「超図解新しいマーケティング入門」(共著)他。
株式会社博報堂に入社後、多様な業種のマーケティング・ブランディングの企画立案業務に従事。2001年に米国ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院(MBA)卒業後、ブランド及びイノベーションの企画・コンサルティングを行う次世代型専門組織「博報堂ブランド・イノベーションデザイン」を立ち上げ、経営戦略、新規事業開発、商品開発、空間開発、組織人材開発、地域活性、社会課題解決など多彩なビジネス領域において実務コンサルテーションを行う。東京大学教養学部 特任教授。主な著書に『東大教養学部「考える力」の教室』『「応援したくなる企業」の時代』など多数。
1999年博報堂入社。食品、飲料、保険、金融などのマーケティングプロデュースに従事後、ビジネスアーツ、ビジネス開発局で事業化クリエイティブをプロデュース。業界を超えてイノベーション活動を支援し、スタートアップや大企業とのアライアンス締結、オープンイノベーション業務を推進。現在、Better Co-Beingプロジェクトファウンダー、経団連DXタスクフォース委員。