■三浦からの推薦文
東京にいるかと思いきや大阪にいる、大阪にいたと思ったらイギリスやアメリカにいる、そしていつの間にか東京にいる(笑)
フリースタイルバスケのパフォーマー、アーティスト、テックエンターテインメントレーベル株式会社HYTEK経営者と複数の顔を併せ持ち、国境や言語を超えて、グローバルで活躍している仲間の1人が、満永隆哉(またの名を、mic)です。
micは、2015年入社の同期で、入社当時から「声を上げて自ら手を動かし、仕掛けていく、そして実現していく姿」には、とにかく目を見張る魅力がありました。
こんなこと言える立場でも無いのですが(笑)、本当にすごいなと思うところが、ストリートで大事にされている文脈をマスにつなげ、時には先端テクノロジーを活用した表現技術を掛け合わせることで、真新しいコンテンツを生み出す、その編集力!
企んでる時は、ものすごくニヤニヤしててとにかく楽しそう。
根っからの仕掛け人だなと思います。
そして、自らがパフォーマーの顔もあってストリートでも一生懸命やってきたからこそ、数々の企みに厚みが生まれるんだろうなと思います。
500文字程度では、到底紹介しきれないです(笑)
——今回は、前回登場した三浦さんより「次はぜひこの人に」と推薦をいただき、博報堂グループのコンテンツクリエイティブレーベル、株式会社HYTEK代表の満永隆哉さんへのインタビューをお届けします。これまで世羅さん、三浦さんとバトンが繋がれてきましたが、満永さんもお二人と同期なんだとか。
満永隆哉(以下、満永):僕が博報堂に入社した2015年は、数学的センスを問われる「Bコース採用」が始まったり、自らアートをやったりするメンバーもいたり、面白い人が集まった年だったと思います。
三浦とはコロナ禍に突入した2020年のHYTEKを設立する前に、一緒にアート作品を作ったことがありました。当時、僕がプライベートで主催していたイベントがコロナで全てキャンセルになってしまい、空っぽの会場を何かに使えないかと考えていて。そこで、飛沫感染が懸念されるコロナというウイルスを、口から奏でるヒューマンビートボックスで打ち消していく、という作品「UNMASKED」を彼をはじめとした仲間と作りました。あの時、三浦から感じた瞬発力、アウトプットを生み出せる、いい意味での“変態性”はすごくかっこいいし、「こんな人が同じ会社にいたんだ」っていう驚きがありましたね。
——三浦さんからの紹介文にもありましたが、満永さんのDNAはストリートカルチャーにあるとのこと。どのような原体験があったのでしょうか。
満永:中高の学生時代は千葉の幕張で過ごしたんですが、バスケ部の部活時間以外は全て、ストリートバスケットボールに費やしていました。当時、海浜幕張駅前はレジェンダリーなコートがあったり、東京のストリートボールシーンの創世記を築いた方々がいたり、僕もファッションから音楽まで多くの影響を受けた場所でした。
そこで部活では絶対教えてもらえないかっこいい技や反則スレスレの技を教わって、バスケのパフォーマンスカルチャーにとてつもない衝撃を受けたんです。ボールという制限がある中で、自分を表現して、新しい技を作って、外国の人に「君、ヤバいね!」なんて褒めてもらうことが、楽しくて仕方ありませんでした。
——今でもフリースタイルバスケのプレイヤーでもあるという満永さん。大学時代には休学中にニューヨークで活動していたんだとか。
満永:ニューヨークでの生活は、この業界やエンタメにどっぷり浸かる大きな転換点だったと思います。
現地でも、ボールとスピーカーを持ってタイムズスクエアに繰り出せば食い繋げてはいて、「このままいけば、有名になって世界獲れるかも」と、正直思い上がってたところもありました。ただ、その時に気づいたのが、それは“自分”がすごいというより、ニューヨークという“環境”がすごかったんだ、ということです。
——と言いますと。
満永:ニューヨークって、アーティストを許してくれる環境があって、その街を行き交う人もアーティストにチップを払う文化がある。あの街は、社会とパフォーマー、社会とエンターテイメントの距離感がとても美しい場所だったんです。
加えて、仲良くなったアーティストから、ニューヨークのメトロが街の治安維持を目的にパフォーマーを支援しようと、オーディションのパスを発行しているという話も聞いて、当時すごく驚かされました。
——日本では想像がつかない話ですね!
満永:そうなんです。日本の鉄道や地下鉄も、駅の治安を良くするために、どんどん駅前でパフォーマンスをしようと呼びかける——そんな未来があったらいいのに、と本気で思いました。それから、自分がそんな未来を叶えたい、社会とエンターテイメントを繋げていきたいと、マインドが変わっていったんです。
——「そのためのスキルセットを身に付けたい」と新卒で博報堂に入社されて、当時は会社にどんな印象を持ちましたか?
満永:寛大な会社だと思いました。面接の時は「俺、ブロードウェイとマイケル・ジャクソンをつくります」としか言ってませんでしたから、よく入れてくれたなと(笑)。とはいえ、僕も元々広告そのものを作りたかったわけではなくて、この会社なら自分の身に付けたい力がつくと思って入社したので、そんな思考回路の僕を受容してくれた博報堂には感謝しています。
博報堂DYグループは海外でのM&Aする会社のセンスもすごくいいと思っていますし、HYTEKなど新会社なども所属している「ミライの事業室」という新規事業開発組織があるという点からも、博報堂の面白さは見て取れると思います。
——新卒で博報堂に入ったからこそ、身につけられたものがあればぜひ伺いたいです。
満永:今の時代、面白いものを作りたいだけなら正直会社に入る必要はないと思います。個人でアーティスト活動をすればいいし、一人でものを作ってSNSで発信すれば、食べていけるぐらいにはなる人も多いでしょう。でも、ブロードウェイやマイケル・ジャクソンをつくるには、人を巻き込んでいく必要がある。
アーティストもクライアントも、そして生活者も、一気通貫でみんなが幸せになれるストーリーラインが浮かんだら、そのアイデアを誰に持ち込めばいいかを考えねばなりません。そのための企画力や、足の動かし方を学べているのは大きな糧になっていると感じます。
——2015年に入社されてから、いつもどのようなマインドで仕事をされているのでしょうか。
満永:自分のスタンスはずっとアーティストでもあり、クリエイトする立場だと思っています。頼まれたから作るのではなくて、今本気で自分が世の中に産まなきゃいけないものがあるのであれば、自分の手で作らないといけないという強迫観念のようなものがあるので、自分のアイデアに手を挙げてくれるクライアントがいれば嬉しいし、いなくても自腹で出して作ればいいと思っています。数えきれないくらい様々なところにいって自主的にアイデアをプレゼンしてきましたしね。ピュアに「あったら絶対いいな」と思うものから考える、という軸はずっとブレていない気がしますね。
——HYTEKを立ち上げられてからも、検温をエンタメ化し思い出へと変えるオリジナルコンテンツ「Thermo Selfie(サーモセルフィー)」といったアイデアを世に送り出している満永さん。これも、まさにコロナ禍のエンタメを盛り上げる一つのエッセンスとなっています。
満永:HYTEKは、テクノロジーを駆使してエンターテインメントカルチャーを盛り上げる、という思いが根底にある会社です。テクノロジーと聞くと最新技術やAIというイメージが付き纏いがちですが、「Thermo Selfie」は赤外線という古くからある技術を活用したアイデアですし、技術自体が新しいか古いかは関係ないと思っています。
HYTEKにとってテクノロジーとは、人間を進化させるために必要な武器であり、手段でしかありません。僕の出自がエンジニアではないからこそ、そしてストリートバスケをきっかけに“フィジカル”な現場を生きてきた身だからこそ、そこは取り違えないようにしています。
——これまでお話を伺って、広告やテクノロジーはあくまで手段であって、「エンターテインメントカルチャーを盛り上げる」という目的が絶対にブレないことこそ満永さんの魅力だと感じます。
満永:それが自分と、そしてHYTEKのスペシャリティーだと思っています。その感覚をブラさないためにも、繰り返しになりますが自分もアーティストやクリエイターであり続ける必要があると思っているんです。
僕は普段から、表方と裏方、マスとストリートの4象限全てにいつも身を置いていようと考えていて。今まで自分が培ってきたストリート由来のボトムアップの精神…今風の言葉だとオープンイノベーションな感覚を大切にするためにも、表に立つ人、裏で支える人、王道であるマス、マイノリティであるストリート、これら4つの視点を欠かさないことが大事だと、常々思っています。
——直近では、2023年にエンターテインメント業界を沸かせた、芸人・とにかく明るい安村さんの海外進出にも携わっていらっしゃるとのこと。安村さんとの出会いが、また満永さんの心を熱くさせたのではないでしょうか。
満永:そうですね。安村さんの海外SNSコンテンツ企画や楽曲プロデュースを担当させて頂いています。2015年に流行語大賞も受賞した安村さんは、元々ストリートという当時は更にマイノリティーな場所で活動していた自分とは、最も対極にいるような人でした。でも、安村さんも世界にとってはまだマイノリティーで。そんな彼が、どんどん世界の人を虜にしていく様は感動的でしたね。「ブロードウェイとマイケル・ジャクソンをつくりたい」って言っていたのに、まさか自分がコメディアンとイギリスに行くことになるなんて思いもしませんでした。
英語も話せない安村さんですが、一瞬でその場のスタッフと仲良くなる人間力や、パフォーマーとしての心の強さにはシビれます。以前スコットランドのエディンバラにあるパフォーマーにとって有名な祭典に連れて行ったら「飛び込みでパフォーマンスしたい」と言い出して。僕もいまだに人前でパフォーマンスする時は緊張するものですが、安村さんはメンタルセットの時間も設けず、いきなり知っている英語だけで飛び出して行った。
そんな彼の一挙一動に、表方に出るために必要な筋力の最大値を肌で感じますし、ストリートの領域とは真逆の、また別の筋力を見せられた感覚です。
——安村さんとの出会いで生まれた、次なる目標をお聞かせください。
満永:今は、世界の人を虜にする安村さんのような人が生まれ続ける仕組みはなんだろうと考えています。それに、やっぱり彼みたいにパフォーマーではあり続けたいですね。手も足も頭も全部動かして、ペラペラな人間にならないようにしたい。そして、戦う相手はもちろん世界。5年後くらいには、HYTEKの支社もLAとニューヨークとベルリンとロンドにある、くらいには育てていきたいです。
取材・執筆=田代くるみ(Qurumu)、撮影=杉能信介