岡本
毎回多彩なゲストの方をお迎えし、少し先の未来の旅について語り合う本連載。12回目となる今回は、観光を通してさまざまな学びを提供する「観光教育学」の普及に長年尽力されている、寺本潔先生にお越しいただきました。
子どもたちが観光を通して自分が住む街の魅力を改めて学んだり、さまざまな産業のつながりから社会の仕組みや経済について学んだりと、観光をハブにした教育には非常に可能性があるなと感じます。先生は教育学を専門に研究されてきたと思いますが、観光に着目されたのはなぜですか。
寺本
岡本さんも小中学校時代に使っていたと思いますが、帝国書院の地図帳ってありますよね。
私はあの著者でもあるんです。
岡本
そうでしたか!
寺本
長らく地理学、地理教育を専門に研究し、地図を通した学びなどに関わってきて、自然と旅や観光の幅広い可能性を実感するようになりました。観光はその土地のあらゆる産業に関係し、文化、自然に到るまで幅広いジャンルに裾野が広がっています。それこそ観光という視点の大きな魅力です。また、たとえば明治時代に東北を旅したイギリス人のイザベラ・バードさんも、日本までやってきた理由は健康回復のためでした。そんな、リフレッシュできたりウェルビーングにつながったりと、お互いが幸せになる「感幸」の力に強く関心を持つようになりました。
岡本
なるほど、幸せを感じる観光ですね。
寺本先生が観光教育の普及に取り組まれる以前は、観光と教育は結びついていなかったんですよね。
寺本
はい。観光教育というと、ホテルマンや旅行代理店の社員といった実務者向けの教育に閉じられていました。しかし観光人材の水準を上げるためにも、もっと若年層、特に職業に対して具体的にイメージできるようになる小学校高学年くらいから、教育の中に観光題材を取り入れていくべきじゃないかと考えています。
岡本
なるほど。
観光と教育というと、訪問先での体験や現地の人との出会いや交流から学んでいくという、いわば“旅人の視点”を皆さんイメージすると思うんです。でも先生が提唱されている観光教育の視点は、現地の産業が基点となっているのが非常にユニークだなと思いました。
寺本
民芸品や農産物、工業製品など、目に見える産業から見えにくい産業まであらゆる産業がありますが、その現場を見たり体験したりして新たな気づきや感動が味わえれば、子どもたちも興味を持つでしょうし、職業選択のきっかけにもなるような気がしています。旅人視点から産業視点に切り替わるポイントには、やはり主体者の驚きや喜びがあります。その感動が明確で強ければ強いほど、“他では得難い体験ができた”と腑に落ちて、またそこを訪れたくなる。最初は観光客として訪れた場所で、その大きな気づきを得てリピーターになり、やがて移住して現地の産業の担い手になるというケースもあります。移住まではしなくとも、旅人視点で体験した人がやがて産業視点を持つようになり、その産業から生まれる製品や商品を買い続けるファンになるということは大いにあると思います。
岡本
確かにそうですね。
僕らワンダートランクは、主にインバウンドの富裕層をメインターゲットとし、あまり知られていない日本の地域の魅力を体験できる旅を提供したり、地域のマーケティングのサポートを行っています。その仕事の一環で、観光庁が主導する、富裕層の旅行客向けに地域の環境を整備する取り組みにも参画しています。
先日島根で行ったワークショップでは30ほどの現地の事業者に参加していただきましたが、半分はホテルやタクシーなど昔からある観光事業者で、残りの半分は出雲大社の神事に関わる方や博物館職員、漁師、シェフなど、実に多彩な方が集まっていました。富裕層のお客様はわかりやすく観光化されたものよりも、地元の暮らしに根差したもの、正統性のある文化などに価値を見出すため、必然的に観光業に関係のない人たちがキーマンになってきます。ですからさまざまな産業の担い手と連携していくことが大前提になるし、観光と絡めることで地域経済が活性化するということも当然期待できると思うんです。あらゆる産業が観光と掛け合わせることができ、それによって世界的な競争力を持つ可能性も出てくる。観光教育が普及すれば、その可能性に早い段階から気づく人もどんどん増えるのではないかと思います。
寺本
本当にそうだと思いますよ。現状では、いまおっしゃったようなことをマネジメントしたり、気づいたり、掘り起こす人材がとにかく不足しているんです。だから学校教育のなかで、少なくとも興味関心を持ってもらうきっかけづくりができたらと考えています。そういう話をすると、関係者の皆さんは「人材育成が大事だよね」「やらないといけないですね」と言ってはくれるのですが、目の前の課題ではないだけにどうしても後回しにされているというのが実状です。
岡本
先生はさまざまな学校で出張授業をされていますが、どのようなことを教えてらっしゃるんですか。
寺本
観光地にある学校に赴き、「観光の花びら」という6枚の花びら(自然・歴史・食・イベント・生活文化・施設)を模したワークシートを使って、子どもたちにその土地の魅力を尋ねていきます。地元の人ほど地元のことを案外知らないもので、最初からうまく応えられる子は少ないですね。観光客が何を目的に自分たちの街を訪れているのかを考え、そこから地元の魅力を再確認したり、自分たちにもっと必要なことや改善点を考えたりします。いわば昔からある「ふるさと教育」ですが、さらに私はそこにグローバルな視点や、子どもたち自身が旅に出たときに発揮できる“旅行力”も身につけられるようにしないといけないと思います。
岡本
いまは本当に、海外に行く若い世代が減っていますからね。
寺本
地方では10人に1人しかパスポートを持っておらず、海外旅行にも留学にも後ろ向きで、内向き志向の人は多いですね。でも、別に海外である必要はなくて、日本全国、いろいろな地域にどんどん出かけていくのだっていい。旅人として出かけなければ、旅人の視点や感性はわかりませんから。そうして始めてわかる地元の魅力もあると思います。
岡本
“旅行力”というのは具体的にいうとどういうことですか。興味関心を持つこと、行動力といったことでしょうか。
寺本
それもありますが、それらを大きく後押しする地理学の素養も大事だと思います。我々のように地理学を学んだ者は、初めて訪れる場所でも臆することなく、地図を手に自由に周辺地域を歩き回ることができます。あるいは時刻表を見るとか、為替を勉強しておくとか、現地の治安や季節から類推して行動計画を立てたり、持ち物を整理したりする。旅行者に最低限必要なそういった素養をひっくるめて、旅行力と捉えています。
岡本
なるほど。
寺本
たとえばイギリスの小学校1年生の教科書に、「バーナビー・ベア、ダブリンへの旅」という単元があります。バーナビー・ベアというかわいらしいクマのぬいぐるみが、地図を手にタクシーで空港まで行き、飛行機に乗って、入国審査を受けてパスポートに判をもらう。現地アイルランドの交通を使いながら観光を楽しみ、お父さんお母さんにハガキを出すというストーリーです。
岡本
すごく面白いですね。子どものころから不確定要素を受け入れるというか、不安とか予期できないものに対する対応力の大事さを伝えようとしている。お国柄もあるのかもしれませんね。
寺本
これを日本の社会科などの教科書にも入れられたらと思っているんですが、なかなか難しい。「子どもが一人旅なんてできるわけないだろう」「保護者と一緒に旅をするという内容に変えてほしい」などと横やりが入ってしまうんです。日本は安心安全が最大の目標になっていますから。
岡本
そういう意味では日本にいるととにかく楽なんですよね。実は自分の末の娘も、海外旅行で起こり得るさまざまなリスクを取るよりも、安心安全な温泉でゆっくり過ごす方がいいと言っています(苦笑)。
寺本
そのリスクも含めて、海外旅行にはワクワク感もあり、成長を促される部分が確かにあるということを親は伝えてあげればいいと思うんです。確かにかつての日本のように、誰もが貪欲に海外進出を目指すような時代ではないのかもしれませんが、経済力の面で日本の国際的な地位が低下していくなか、“挑戦できる人材”をつくることを諦めてはいけないと思います。そのためにも旅行力を磨いたり、少なくとも、インバウンドで旅行に来て、どこに行こうか迷っているような観光客に、「Can I help you?」と話しかけ、「ここがお勧めですよ」とスマートにやり取りできるような街角の人になってほしいとは思います。
岡本
確かにそうですね。
1956年熊本県生まれ。熊本大学卒、筑波大学大学院修了。愛知教育大学・玉川大学を経て3月まで東京成徳大学に勤務。学習指導要領作成協力者、中央教育審議会専門委員なども歴任。主著に『観光教育への招待』ミネルヴァ書房や『地理認識の教育学』帝国書院、『観光市民のつくり方』日本橋出版などがある。
2005年博報堂入社。統合キャンペーンの企画・制作に従事。世界17カ国の市場で、観光庁・日本政府観光局(JNTO)のビジットジャパンキャンペーンを担当。沖縄観光映像「一人行」でTudou Film Festivalグランプリ受賞、ビジットジャパンキャンペーン韓国で大韓民国広告大賞受賞など。国際観光学会会員。