大高
まずは竹内さん、新たに誕生した生活者発想技術研究所の初代所長就任、おめでとうございます。どんな研究所にしていきたいか意気込みを教えてください。
竹内
生活者発想を「技術」ととらえ、研究し開発していくという、その考え方自体がとても面白いと感じています。すでに40年以上活動を続けている博報堂生活総合研究所(生活総研)のように、社内外に愛される組織にできたらうれしいです。
大高
博報堂で約半世紀続くフィロソフィーである「生活者発想」を、あえて今技術ととらえ研究するということで、とても特徴的な存在だと感じます。設立に至った経緯、社会背景などについて聞かせていただけますか。
宮澤
1点目は、テクノロジーによるビジネスの変化です。ここ10年で、AIやIoT、ビッグデータ、メタバースやWEB3.0など、テクノロジーの導入が進むにつれて、ビジネスそのものの根本がガラリと変わり始めているという背景があります。デジタル化が進むことに比例して、人間らしさがより求められるようになってきたからです。
2点目は、SDGsやESG、エシカル消費など、ビジネスでも社会に良いことをすべきだというように、世の中全体の意識が変わりつつあることも大きな要因です。企業経営においても、これまでならお金儲けさえうまくいっていれば認められていたようなところがありましたが、これからはより社会全体や生活者のことを考えることが求められています。
3つ目は、働き方の変化です。コロナ禍のリモートワークに代表されるように、働き方を改革しいかに人生と仕事のバランスをとるかという点が大事になってきています。言い換えれば、企業に勤める人も、企業視点だけでなく、生活者としての視点が重要になってきた、といえます。
このように、より社会や生活者を意識したビジネスが求められるようになった背景の中で、いかにビジネスを刷新すべきかという点については、まだ十分議論がされていません。そこを改めて考えようという試みとして、この研究所を発足させました。
竹内
まさにその通りですよね。企業のパーパスを考える際には、経済価値と社会活動の両立という視点が不可欠です。社会価値とはとりもなおさず、現在および未来の生活者にとっての価値と言えるので、生活者発想が必要になる。また、デジタル化によって生活者と企業の常時接続状態がもたらされたので、生活者側の変化がサービスの進化や事業成長に繋がることが不可欠になり、ここにも生活発想が必要になりました。マーケティング・コミュニケーションにおいても、生活者を、情報を受け取り消費するだけの存在ではなく、主体的な発信者ととらえることが重要です。組織・人材の領域でも、「企業人」の仮面をかぶった途端にひとりの生活者としての発想がむずかしくなってしまうという課題があり、解決が求められていました。
つまり、企業活動のあらゆる領域に生活者発想の重要性が増している。それは決して抽象的概念にとどまるものではなく、幅広い企業にも使っていただける技術であるはずだという想いが、当研究所設立の背景にあります。
大高
豊富な顧客データを既に持ち、あえて博報堂の生活者発想を使う必要はないと考える企業もいるかもしれません。そうした顧客理解と、博報堂の生活者発想はどう違うんでしょうか。
竹内
企業が保有している顧客データやアクチュアルデータと、生活者をホリスティック(全体的)に捉えようとするアプローチ、また、デジタル化や地球規模の社会課題が顕在化している現在にふさわしい「新たな生活者観」とを組み合わせていくことに、大きな意味があると考えています。
宮澤
一般的には「生活者」「消費者」「顧客」がほぼ同じ意味で使われていますよね。確かに「生活者」に明確な定義があるわけではありませんが、僕自身は「社会という関係性の中で幸せを希求する動的な存在」と定義しています。社会のなかでの人と人の関係までとらえられているか、過去から現在までのデータの蓄積だけでなく未来志向になっているか、そして、企業活動や商品・サービスが人々の幸福に寄与するものとなっているか、という視点を入れることが、生活者発想には重要です。
大高
では、その生活者発想を技術研究所という形で追求するにあたり、具体的にどういうことをやっていく予定ですか。
宮澤
大きく3つのレイヤーを想定しています。1つは、社会の大きな目的である、世の中が良くなるための幸せやウェルビーイングの研究です。次に、マーケティングやビジネスの実践につなげるかという、ビジネス現場で直接求められている技術や手法の研究です。そして3つめは個人としての発想技術の研究。企業人として個人としてどうすればより生活者発想ができるかという、パーソナルスキルの話です。
竹内
私たちは生活者発想という言葉を、「生活」と「生活者」と「生活者発想」という3つに分けて考えています。ウェルビーイングや幸福は社会も含む「生活」というレイヤー。真ん中の「生活者」は、クライアント企業と共に生活者の価値をどう作っていくか。そして「生活者発想」がそのための1人1人の発想ということになります。生活総研で生活者に関する基礎的な研究を広く深く行っているのに対し、私たちは若者世代やシニア、大高さんも取り組まれている「100年生活」時代の生活者のウェルビーイングなど、フォーカス型の生活者研究やそのためのリサーチ手法、発想法の研究を通し、生活者概念や生活者発想そのもののアップデートを図りたいという意図があります。
よりビジネスに近いところでは、「幸せに近づく買い物行動とは」「社会課題解決のため、どのように一人ひとりの意欲に訴え行動を促すか」など、生活者行動や生活者心理の研究、また、創造性やテクノロジーに関する研究、産官学連携や未来シナリオ洞察などウェルビーイング社会の共創についての研究、そして我々が「with生活者、withソサエティのブランド」と呼んでいる、生活者との共創物としての新しいブランド論。こうしたテーマについて研究を進めていきます。
大高
すごく幅広いですよね。
大高
どういうビジネスに、この生活者発想技術が生きてくるでしょうか。
竹内
生活者発想技術が生きるであろう企業経営の領域は、幅広いと考えています。冒頭お話したこととも重なりますが、広告ビジネスのみならず、企業の社会的存在意義やパーパス、商品・サービス、マーケティング・コミュニケーション、そして組織・人材。これらすべての領域に、生活者発想の技術が活きるはずです。
宮澤
生活者発想は、いわゆる近江商人の“三方よし”に近い意味を持つビジネス哲学です。簡単にいうと、消費者発想とは“売り手よし”もしくは、“売り手よし”&“買い手よし”に過ぎませんが、生活者発想は売り手にとってはもちろん、買い手、そして社会にとっての影響も考えるということに近い考えです。明治維新以降に入ってきた近代的で欧米的な、効率重視のビジネスの考え方というよりも、明治維新以前の伝統的な日本のビジネスのあり方に近いわけです。社会環境が変わる中で、昔からある日本型商売の概念が実は相性がよくなってきている。ただ、デジタル化で売り手と買い手、買い手と社会の境界が曖昧になってきている点では昔とは環境が明確に変わっています。今の時代の新しい“三方よし”のありかたを考えることが求められているのだと思います。
大高
企業活動のさまざまな領域に生活者発想を入れることで、さらなるブレークスルーやイノベーションが期待できるんじゃないかなということですね。
竹内
イノベーションやブレークスルーには、既存の要素の新しい組み合わせや、固定観念から視点をリフレームすることが必要です。ビジネスの視点と生活者の視点を掛け合わせること、あるいは多面的に生活者を洞察することになる生活者発想は、イノベーションの苗床としても有効に機能します。また、企業を生活者の集合体ととらえる組織観、企業内の人材を生活者ととらえるマネジメントは、組織活性化や従業員満足度、結果的に創造性や生産性の向上にもつながるのではないかと考えています。
大高
なるほど。
ではこれまで生活者発想で取り組んだ仕事で、特に印象深い経験はありますか。
竹内
グループインタビューなどを通じて生活者インサイトの洞察を一生懸命やっていた頃のことです。生活者インサイトと同等以上に重要なのは、企業の開発者が本当は何をつくりたくてそこにいるのかという「開発者インサイト」なのではないかと思い至り、臨床心理のカウンセラーの先生と一緒に開発者インサイトを深掘りし、商品アイデアを考えるというプログラムを実施したことがありました。それが僕にとっては、企業の人と生活者の境目がなくなってきている状況の中で、生活者発想は企業・組織の中にこそ必要であると考える原体験になりました。
宮澤
私自身は、企業向けの活動だけでなく、ブランドデザインコンテストという学生向けのコンテンツを通して、教育に生活者発想を取り入れることも継続して行っています。生活者発想で、学生の発想がすごく豊かになるし、アウトプットの視座がかなり上がり、社会人になっても仕事に活かせているという話はよく耳にします。
竹内
博報堂はパートナー主義という思想も掲げていますが、クライアントの役に立ちたいだけじゃなくて、驚かせたい、面白がってほしいという想いもありますよね。お題をいただいてそのまま返すのではなく、自分なりの答えを乗せて「オリエン返し」することも多い。そういう「別解」やオルタナティブを出し、「面白かった」と思える仕事には、知らず知らず生活者発想が通底しているんじゃないかと思います。
大高
生活者発想というものは、「新しい本質を見つける」のに活きるのでしょうね。確かにユニークなアイデア、企画には生活発想が隠されているなと思います。
大高
では今後予定している取り組みについても教えてください。
宮澤
私たち研究デザインセンター(RDC)では、生活者を真ん中に据えながら、さまざまなビジネスに生活者発想を活用していくことに挑戦していきます。40年以上の歴史がある生活総研では、新しい生活の見立てや大きな生活の流れについて、今まで以上に積極的に研究や情報発信していきます。一方、よりビジネスに近いところで研究を進めようというのが、今回の生活者発想技術研究所ということになります。今期はその両輪を回しながら、生活者の生活にもビジネスにも、個人の育成にも、幅広く役立つような生活者発想を追求していきたいと考えています。
竹内
生活発想技術研究所の中には、若者研究所、新しい大人文化研究所、大高さんが所長を務める100年生活者研究所、行動デザイン研究所など、研究所内研究所が多数あります。またお隣のユニットには買物研究所、博報堂DYメディアパートナーズにはメディア環境研究所など、さまざまな切り口の多様な研究機関が集まっています。RDCはある種そのファシリテーターとなり、博報堂グループ内の研究開発機能を束ねつつ、世の中にどのように役立つかをこれからご紹介していこうと考えています。
この連載もその第1弾で、この後大高所長がさまざまな研究所をご案内していきます。
究極的には博報堂社員1人1人が自分なりの関心領域を持ち、生活者研究員になるべきだとも考えています。というのも、生活者研究を深めた1人1人の“生活者発想人”たる博報堂パーソンがフロントに立ち、クライアント企業と向き合うことがこれからますます重要になるからです。そのためRDCは人材開発部門とも連携し、研修教育の形で社員に生活者発想技術を浸透させていく試みも始めています。
大高
技研には、さまざまな研究領域がありますが、どのような人が集まっているのでしょうか?
宮澤
メンバーの職種もバラバラで多様な視点を持つ人が集まっています。加えて、開かれた研究所を意識していて、広くさまざまな研究の情報を集めたり、仲間を増やしていく活動のハブになればいいと思っています。大きなオープンイノベーションの施設と捉えていただければ。例えば、東京大学をはじめとして大学との連携も深めています。社内外のさまざまなリソースを使って生活者の研究を進めていく想定です。
竹内
ちなみに、こちらが生活者発想技術研究所のロゴです。左側のシンボルマークは、多彩なバックグラウンドと専門性をもつ一人ひとりの研究員の活動の軌跡が、よりよい未来の社会・生活への道・トレイルになるようにとの思いを込めたデザインになっています。組織名のロゴタイプ(文字部分)は、研究開発組織としての専門性や信頼感と、共創を大切にするオープンな組織であることを表現したく、文字を選びデザインしています。
大高
生活総研と生活者発想技研の違い、役割分担を改めて教えてください。
宮澤
比較的研究に重きを置くのが生活総研で、開発の方に重きを置くのが生活者発想技研と言えます。両方を行き来しながら、RDCとして研究開発を進めていきます。もう少し詳しくお話すると、生活総研はどちらかというと生活そのものとか、世の中の大きな動きを見ていく。生活者発想技研は生活者発想をいかにビジネスに応用できるかという視点になります。オーバーラップしているところもありますが力点が違うので、相互に補完しながら進めることが大事だと思います。
大高
生活者発想は経営や事業にどのように効くのでしょうか。
宮澤
生活者発想は、企業としての方針を立てるときにも、新規事業にも、商品開発やコミュニケーションにも、組織人材や採用にも活用していけるものです。
たとえばパーパスとして生活者の将来性を捉えてもいいし、生活者体験をどう豊かにできるかという視点からサービス、事業を考えてもいいし、社員が企業マインドで硬直化しているならば、その人たちのマイテーマを軸に生活者発想をインストールしていくこともできる。企業のウィークポイントでも、伸ばしたい強みの部分にでも、色々なやり方で活用できます。ベーシックな方法としては、調査やリサーチ、ヒアリング、生活者からどう見られているかなどをベースに、弱みと強みを探ることから始めます。そこから具体的な事業開発だとか、事業プロセスの変換だとかを通して、少しずつ小さな成功体験を作っていきます。
大高
なるほど。
それから、企業で働いているとどうしても、自分自身も生活者であるということをついつい忘れてしまいがちです。視点の切り替え方にコツはありますか。
竹内
「論語と算盤」もそうですが、少なくとも自分の中に最低2つのものの見方を持っておくことが重要です。パーパスの社会価値と経済価値も、個人の主観と客観も、実は相似形で繋がっているような気もしていて。企業で働く以上、利益の追求や事業の成功にかける思いはとても大事ですが、一方でそれが本当に生活者にとってどんな意味があるのかを考えることも大事。そのときに、「これはちょっと事業発想だな。生活者発想で見直してみよう」など、生活者発想が、視点を切り替えるトリガーになりうると思います。
大高
なるほど、常に2つの以上の側面でものを考えることが、生活者発想にはあるということですね。
最後に、今後の展望についてお聞かせください。
宮澤
生活者発想をベースにした経営の刷新については、私たちだけでできるものではないし、やはりいろいろな企業の方や生活者が声を上げることが大事なのではないかと思います。企業人でも研究者でも学生でも、こういう思想に共感した方々がいれば、ぜひ一緒に考え、具体的な事例を作り、社会を少しでも動かすようなことができたらと思います。
竹内
テクノロジーの語源の「テクネ」という言葉には、技巧と芸術という意味があります。それは、ノウハウやスキルやナレッジみたいなことと、アートや感性、感覚的な領域も合わせた技芸ということになる。生活者発想がそうした技芸であるということを、まずはいろいろな企業の皆さんと共有できたらと思います。企業にいる1人1人の生活者が楽しく仕事ができ、そういう人たちの集合体である企業の活動と社会貢献が両立していくような…生活者発想技研のある研究者の言葉を借りれば、「人、組織、社会、環境すべてのつながりを考える『ビッグウェルビーイング』」を目指す際に生活者発想という技術がお役に立てるということを知っていただきたいです。
大高
究極はみんなの幸せのために、この生活者発想技術が生きてくるということですね。
この取り組みが世の中の大きな幸せにつながることを祈って、締めたいと思います。ありがとうございました。
東京大学文学部心理学科卒業。博報堂に入社後、マーケティング局にて食品、自動車、トイレタリー、流通など多様な業種の企画立案業務に従事。2001年に米国ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院(MBA)卒業後、ブランド及びイノベーションの企画・コンサルティングを行う次世代型専門組織「博報堂ブランド・イノベーションデザイン」を立上げ、多彩なビジネス領域において実務コンサルテーションを行うと共に、ビジネスにおける新手法やナレッジに関する研究も行っている。
同時に東京大学にて共創型授業「ブランドデザインスタジオ」や大学生を対象にした企画コンテストBranCo!を運営するなどブランド×高等教育をテーマに教育活動も推進。
『東大教養学部が教える考える力の鍛え方』『「応援したくなる企業」の時代』など著者多数。
立教大学大学院ビジネスデザイン研究科 客員教授。
2001年博報堂入社。マーケティング部門を経て、2004年よりブランドデザイン専門組織の立ち上げに参画。約20年にわたり多様なクライアント企業のブランドづくりとイノベーション支援の業務に従事し、2024年9月から現職。「リベラルアーツ×ビジネス」「アートシンキング×デザインシンキング」など、領域横断型のアプローチを推進する。オーストリアを拠点とする文化芸術機関アルスエレクトロニカとの協働プロジェクトでは、博報堂側のリーダーを務める。
主な著書に『ブランドらしさのつくり方』(共著、2006年、ダイヤモンド社)。
東京大学文学部行動文化学科(社会学専修課程)卒業。
立教大学大学院ビジネスデザイン研究科 客員准教授。
1990年博報堂入社。30年間にわたりマーケティングの戦略立案や、新商品開発、新規事業開発などを手掛ける。また、1,000回以上の様々なワークショップでファシリテーターとしての実績を持つ。2013年、「生活者共創マーケティング」を専業にした株式会社VoiceVisionを博報堂の子会社として起業し、代表取締役社長に就任。2023年より博報堂100年生活者研究所所長就任。2024年より現職。