博報堂富裕層マーケティングラボ
三宅 大介(博報堂 ストラテジックプラニング局 グローバルストラテジックプラニングディレクター)
近藤 秀之(博報堂DYメディアパートナーズ メディアビジネス統轄センター メディアビジネスデザインディレクター)
伊尾木 文佳(博報堂 ストラテジックプラニング局 ストラテジックプラニングディレクター)
須藤 三貴(博報堂 ストラテジックプラニング局 ストラテジックプラナー)
奥村 耕成(博報堂 ストラテジックプラニング局 マーケティングプラナー)
西村 友里(博報堂 グロースプラニング局 マーケティングプラナー)
―今年「博報堂富裕層マーケティングラボ」が新たに発足しました。発足の背景や狙いについて教えてください。
三宅
大きく2つの背景があります。
一つは、富裕層の属性や意識・価値観が近年急速に変化していることです。かつては“一億総中流”と言われていた日本ですが、近年は所得格差の拡大が課題となってきています。こうした中で、これまでの富裕層とは異なる、新しい富裕層も生まれてきました。マーケティングターゲットとして、富裕層の変化、特に新しい富裕層の属性や意識・価値観を捉えていく必要があると考えました。
もう一つは、人口減少による国内市場の縮小、原材料や人件費の高騰などの課題により、高付加価値型のマーケティングへのシフトが必要になっていることです。
近藤
世界不平等研究所によると、日本では給与所得者の上位10%が全所得額の57.8%を占めており、社会の階層化が顕著に進んでいます。しかし、このような大きな社会環境の変化に自覚的な企業は、必ずしも多くなかったかもしれません。我々は、この経済的に大きな影響を持つ層を例外的なニッチな存在ではなく、性別や年齢を超えた新たなマスとして捉え、理解することの重要性がますます高まっていると考えています。そうしたターゲット層の生活者研究を通じて、コミュニケーションデザインとビジネス開発を同時に実現していきたいと考えています。
―ラボはどのような体制で活動しているのですか。
三宅
ストラテジックプラナー、メディアビジネスデザイン、クリエイティブ、ビジネス推進局のメンバー合わせて10人ほどで構成しています。これまで富裕層に対する主なタッチポイントは、ラグジュアリーなファッションメディアなどへの広告出稿が中心でしたが、「モノ消費」だけでなく「体験型消費」を重視する新しい富裕層をターゲットとしていく上では、コミュニケーションデザインのアップデートも重要です。マーケティング、メディア、クリエイティブの視点から、幅広いクライアントのコミュニケーションデザイン、ビジネス開発をサポートしていきたいと考えています。
―ラグジュアリーブランドに限らず、富裕層向け商品やサービスをつくりたいという企業も含めて、想定しているターゲット業種は幅広いということですね。
三宅
はい。すでにお問い合わせいただいている業種・業界も幅広いですし、ターゲットに関しても超富裕層からアッパーミドル層、若年層からファミリー、ミドル・シニアまで様々です。国内マーケットの縮小は、少ない人口の中でいかにビジネスを維持・拡大していくかということです。業種・業界を問わず多くのクライアント企業で、富裕層マーケティングやインバウンドマーケティングが重要なビジネスイシューになっていることを感じます。
―先般「新富裕層“インカムリッチ”生活者調査」の結果を発表しました。「インカムリッチ」の定義についてあらためて教えてください。
伊尾木
資産の継承などを通して、純金融資産1億円以上ある従来の富裕層世帯のことを“ウェルスリッチ”と呼ぶのに対し、資産ではなく、世帯年収が1500万円以上の層を「インカムリッチ」と名付けました。
純金融資産1億円以上の層は年齢層が高めの方が多く、2021年時点で149万世帯存在しています。一方インカムリッチは、世代としてはもう少し若く、208万世帯存在する。日頃いろいろな物事にアンテナを張っており、消費行動自体を見ても非常にアクティブな層であることがわかっています。
近藤
資産家と高所得者は一見似た階層に見えますが、実際には異なります。特に高所得者層で注目すべきは、女性の富裕層が顕著に増加している点です。高所得層の増加と、法改正や労働環境の変化によって「パワーカップル」の一般化や女性の自立が進んでいることには、非常に強い因果関係があります。
―「新富裕層“インカムリッチ”生活者調査」からは、どんな発見がありましたか。
奥村
まず、インカムリッチは生活の充実のための消費を惜しまない層、ということがわかりました。そもそもインカムリッチのボリュームゾーンは30~40代で、子育て世帯の含有率が高い。調査からは、忙しい共働き世帯がフードデリバリーや家事代行サービスを積極的に活用した生活を送っている、若い世代が今を充実させるために娯楽や体験消費を重視しているといった姿が見え、お金を使って時間を買うといった意識が全体的に高いように感じました。また、未来に対する意識も高く、資産形成や自己成長のために投資をするといった姿があったほか、子育て世帯の場合は自分よりも子どもの教育に積極的に投資をする方が多くいました。
近藤
かつての富裕層は主にシニアの男性でしたが、新しい富裕層は30~40代の男女が中心となっています。さらに前述の通り、人口減少の中で唯一増加しているのは有職者の女性人口であり、こうした有職女性人口の増加が新しい富裕層の出現に繋がっていると考えています。
一方で、その収入階層の固定化が進行しているとも言われていて、特に若年世代の収入格差は上の世代よりも大きく、同じ若い世代でもそのインサイトは収入階層によって大きく異なることがわかりました。同時に、富裕層の若年世代とシニアが似た価値観を持つという調査結果もあり、収入階層は年齢デモグラフィックを超えた新たなクラスターともいえるかもしれません。
―なるほど、興味深いですね。ほかに印象的な発見はありましたか。
須藤
高所得者の中でも女性の購買力が増しているという発見もありました。特に若年女性は「ご自愛消費」や「ご褒美消費」といった消費行動をとる傾向が強いので、今後消費を促すにあたって、そういった高所得者女性というセグメントを丁寧にとらえることが重要だと感じました。
伊尾木
シングルの20~30代が1か月に自由に使えるお金の平均が39万円ほどとわかり、額の大きさに正直驚きました。また美容については、一般的には若い女性が最もお金を使うイメージがあるかと思いますが、20~30代の男性の年間の化粧品消費額がウエイト平均で49万円と、同年代の女性の35万円より高かったことも発見でした。若い男性の高所得者層は、おそらく仕事上の理由もあって、身だしなみにかなり気を付けているのかもしれません。
西村
百貨店の外商利用が20~30代で高かったのも興味深かったですね。もともとオンラインショッピングなども使いこなしている層ですから、個人の嗜好に合わせてワンストップで細やかに対応してくれるサービスを好むのでしょう。若年層は特にユニークで希少な商品や体験を重視する傾向があるため、この点が大きな魅力になっているのではないでしょうか。また、普段の生活が忙しく、時間をお金で買うといった意識が高いのだと思います。コミュニティを重視するという傾向もありましたが、それも結局は「時間がない中でも良質な情報を知りたい」ということの表れなのではないでしょうか。
三宅
移動時間の短縮や移動の快適性にお金をかける傾向も見られます。たとえばタクシー配車アプリは、配車までの時間を有効に使えるし、あらかじめ会社や車種クラスを指定できるので安心だし、運がよければ追加コストなしでプレミアム車両が来ることもあります。また、ドライバーに出発地や目的地を伝えたり、運賃のやり取りをする煩わしさも減らせるので、よりパーソナルな移動時間を過ごすことができます。効率や利便性だけでない付加価値要素も重要なポイントです。
伊尾木
共働きの子育て世帯は、家事のアウトソースやフードデリバリーを利用するなど、確かに時間をお金で買うという傾向があるようです。教育面でも、教育のための移住や留学などへの関心も高いですね。従来は専業主婦家庭が多かった幼稚園・小学校の受験率が共働き層でも増えていて、そのためにはお金をかけてもいいというような意識も見られます。
三宅
特に、住まいや子どもの教育に関することはエッセンシャルな要素として、多少無理をしてでもお金をかける傾向が見られます。一方で、時計や宝飾品を買ったり、海外旅行を楽しんだりといったラグジュアリー消費に関しては、インカムリッチの中でも所得や世帯属性によって差が見られます。
―今後そうしたインカムリッチは増えていくのでしょうか。
三宅
企業の賃上げトレンドや女性の活躍、共働き世帯の子育てを後押しする社会環境の整備によって、インカムリッチは増加していくと考えられます。ただ、インカムリッチは東京などの大都市でのみ増加している新しい富裕層とも捉えられます。このあたりは日本社会の将来像にも大きく影響してくるのではないでしょうか。
近藤
収入の階層化や富の都市圏への集中は日本に限ったことではありません。多くの先進国で同様な傾向が見られます。
三宅
こうした世界的なトレンドの中で、新しい富裕層の属性や意識・価値観、ライフスタイルを考慮した新しいマーケティングの機会・兆しに着目していくことが重要になっているのだと思います。
―インカムリッチに対するマーケティング攻略のポイントは何でしょうか。
近藤
限られたターゲット人口に対して、高単価の商品を高頻度で購入してもらうことを重視したCRMとコミュニケーションの統合が、今後ますます重要になると考えます。同時に、単なるコモディティ商品の提供から、より文化的・情緒的価値の高い体験サービスやコンシェルジュサービスに転換、強化していく重要性も拡大するかもしれません。
三宅
ラグジュアリーブランドにおいては、普遍性と今日性を両立するブランド、たとえば伝統や卓越したクラフトマンシップを持ちながら、アートや文化などのトレンドとも融合する柔軟性とセンスの良さを併せ持つブランドが支持される傾向にあります。また、サービスや体験の領域でいえば、時間や健康、ウェルビーイングといった、インカムリッチがお金をかけてでも充足したいニーズに対し、いかに付加価値の高い提案ができるがポイントになってくると思います。特に日本企業は、付加価値を高めることと同時に、それを正当な価格へと反映していくことも重要になってくるでしょう。
近藤
日本企業はコモディティ価値の提供に強みを持つ企業が多い一方で、日本発の高級ブランドが極めて少ないことからもわかるように、文化的・知的な価値や情緒的な価値を創造し、統合的なブランド価値として提供する富裕層向けのブランドビジネスやサービスはあまり得意ではないかもしれません。
一方で、日本の富裕層は、欧米や中国の富裕層とは異なる、独特で繊細かつ複雑な価値観を持つといわれています。このような高度な感性価値を求める厳しい母国市場を持つ日本企業だからこそ、発見できるサービスや価値があると考えています。
―最後に、ラボの今後の展望を教えてください。
三宅
今回取り上げたインカムリッチは、東京を中心に拡大している、新たな「マス富裕層」と捉えることもできます。ラボの活動が新しいビジネスやマーケティングの起点となり、多忙な彼らの生活を豊かにすること、ひいては日本社会や日本経済を元気にすることに少しでも貢献できればと思っています。同時に、20代の若年富裕層や、数十億~数百億もの資産を持つ超富裕層など、少し尖った富裕層についても知見を深めていきたいですね。
西村
データを活用して富裕層をターゲットとしたマーケティングを行っている企業は多くあると思いますが、資産や年齢といったデモグラフィックなデータはあっても、彼らが本当はどんな人たちなのか、好きなものや買い物の仕方、価値観など、実像は割とあいまいなのではないでしょうか。当ラボでの研究を通して富裕層の解像度を上げていき、その知見を体験設計やサービス開発に活かしていけたらと思っています。
奥村
このラボに参加して以来、社内外の多くの方々から相談を受けるようになり、生活者としての富裕層像がうまくつかめずに困っている方が多いことに気づきました。ラボでの研究の成果を活かして、皆さんの漠然とした悩みを解決できるような存在になりたいと思います。
須藤
博報堂DYグループにも多様な研究所や研究プロジェクトがありますので、そういった組織とも連携し、グループの国内外のネットワークの中で幅広く活動を展開できたらおもしろそうですね。
伊尾木
今回の調査・研究を通して、社会の変化や海外と日本の違いなど多くの発見がありました。データ上では収入や属性が似ていても、購入の動機などは人によってさまざまだと思いますので、今後は個別にインタビューなども行っていき、富裕層に対する理解をもっと深めていけたらと思います。
近藤
富裕層の増加は、単に収入階層の拡大という側面にとどまらず、女性の社会進出や文化的な成熟、多様化など、より多面的な社会の構造変化を内包していると思います。また、この現象は日本に限らず、グローバルでも強い相関性が見られることが特徴です。今後もこうした本質的な社会の構造変化に関する知見を、この調査・研究を通じて提供していきたいと考えています。