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【前編】ヨーロッパとアジアの「AI倫理観」の違いとは?
~アーティスト・専門家・市民の間で生まれた新しい対話の形~

2025.03.19
未来のAIと社会のあり方、考えたことはありますか?AIがどのように私たちの生活に影響を与え、どのような倫理的な課題をもたらすのか――その考え方は地域や文化によって大きく異なるかもしれません。そんな問いについて議論を深める場として、2024年9月、オーストリア・リンツのアルスエレクトロニカ・フェスティバルのアートシンキングラウンジで「Re-Writing the Script of AI SPEC」が実施されました。三菱電機、アルスエレクトロニカ、そして博報堂研究デザインセンター生活者発想技術研究所が共同で手掛けたこの取り組みは、AI倫理をテーマに多様な立場の人々をつなぎ、新たな対話の場を創出しました。
「AI倫理」に関する対話の様子 Photo: Hokuto Sajiki

AI SPECとは?マンガを通じてAI倫理の議論を促進

AIが日常に溶け込みつつある現代、私たちはその利便性を享受する一方で、透明性や責任の所在に関する新たな課題に直面しています。そんな中で、三菱電機 統合デザイン研究所 が手掛ける「AI SPEC」プロジェクトは、AIと社会の関係性を社会全体の問題として考え、倫理的な対話を促進することを目的にスタートしました。

このプロジェクトではマンガ形式を採用し、親しみやすいアプローチでAI倫理についての議論を喚起しています。皮肉や驚きを織り交ぜた未来社会の描写が、現実と重なる一面を持ちながらも、不思議な未来像を提示することで、誰もが気軽にAI倫理を考えるきっかけを作っています。

“リライト”の手法を通じた未来像の共創――アルスエレクトロニカ・フェスティバルでの挑戦

今年のフェスティバルでは、「AI SPEC」のマンガ展示に加え、Ars Electronica Futurelabが独自に開発した“Re-Writing the Script”の手法を導入しました。複数の未来像がマンガ形式で提示され、来場者がその物語を自由に書き換えることで、常識や固定観念に挑み、新たな視点で未来を再考するプロジェクト「Re-Writing the Script of AI SPEC」が実施されました。

会場となったのは、フェスティバルのメイン会場であるPOSTCITY。この場所に設けられた「アートシンキングラウンジ」は、アルスエレクトロニカと博報堂が共同で制作した対話と創造の場です。アートシンキングラウンジの取り組みに関しては、前回の記事で詳しくご紹介されています。記事リンク
今回展示した「Re-Writing the Script of AI SPEC」プロジェクトは、「AI SPEC」から3つのマンガ作品が展示され、それぞれが独自の視点でAIと社会の関係性を問いかけました。特に注目を集めたのは、紙に印刷されて展示スペースに貼り出された『1:nの蕩揺(とうよう)』です。この作品は、来場者が自由に意見を書き込める仕掛けとして、サステナブルなマグネット付箋を使用しました。これにより、展示そのものが「対話の場」として機能し、多様な意見を通じて議論が深まる場を提供しました。

―『1:nの蕩揺』――AIに依存する社会を描く物語―

『1:nの蕩揺』は、AIが日常生活の意思決定を支配する社会を舞台にしています。AIは「最適なレコメンデーション」を提示しますが、その判断の理由は説明されず、人々はその指示に従わざるを得ない状況に置かれています。レストランの選択や移動ルートなど、日常の行動がAIに管理される中で、主人公は次第に疑問を抱き始めます。「これが本当に最善の選択肢なのか」「自分自身の意思や選択肢はどこにあるのか」という葛藤を通じて、AIに依存するリスクや人間らしさの意義がテーマとして浮かび上がります。

この社会ではAIの判断に貢献するデータを提供した人はポイントで評価される「ポイント制」が導入されています。一方で、AIが誤った判断を下した際には、その原因となるデータを提供した人が責任を問われる描写があります。AIが下す判断の責任をデータ提供者まで追跡できる未来が社会や個人の行動にどのような影響を与えるのかが、物語の重要な鍵となっています。

「Re-Writing the Script of AI SPEC」は、単に物語を提供するだけでなく、来場者が物語を書き換えられる仕組みを導入しています。このような参加型アプローチは、専門知識の有無にかかわらず、AI倫理を来場者一人ひとりが「自分ごと」として考えるきっかけを提供しています。

『1:nの蕩揺』 
ストーリーの中で登場した「AIに与える影響を金銭的価値に変換するアプリ」

―一般来場者に好評の参加型展示――問いかけが生むAI倫理の対話―

展示では、来場者が主体的にAI倫理を考えられるよう、さまざまな工夫を凝らしました。特に、まだ答えのない問いを提示することで、対話や議論が自然に生まれる場をデザインしました。その中心的な役割を果たしたのが、サステナブルなマグネット型の付箋です。この付箋は、来場者がマンガの特定シーンに自由に意見を書き込み、展示ポスターに貼ることで他者と意見を共有できる仕組みを提供しました。

他者の意見をその場で読み取ることで、自分では気づけなかった新たな視点を発見し、思考を深めるきっかけを得ることができます。また、異なる価値観との出会いによって、単なる意見交換を超えた深い対話が促進されました。さらに、来場者が「介入者」として物語に関わり、自らの意見を反映できる体験を意識して設計しました。この工夫により、展示は単なる「見る場」を超え、活発な議論が生まれる「対話の場」へと進化しました。

来場者が自分の意見をマグネット型の付箋で書き込んでいる様子
来場者が自分の意見をマグネット型の付箋で書き込んでいる様子

提示された問いの一例をご紹介します:

・新しい技術やAIアプリケーションを物語に組み込むとしたら、どのようなものが考えられますか?それがストーリーにどう影響しますか?
・文化的背景によって不適切と感じたシーンはありましたか?それをどうリライトしますか?

生活者の声を取り入れやすくするために、博報堂研究デザインセンター生活者発想技術研究所 のメンバーが行った工夫

これらの仕掛けを通じて、来場者は物語を通じて未来の課題を発見し、AI倫理に関する議論が自然に深まる場が生まれました。フェスティバルには世界中から多様な来場者が集まり、それぞれの文化的背景に基づくAIへの価値観や考え方の違いが鮮明になりました。
例えば、ある来場者は次のように述べています:
「ヨーロッパではキリスト教的な影響で魂は一つと信じられるため、人間中心主義の立場からAIに批判的になることが多い。一方、日本では仏教や神道の影響で物にも魂が宿ると考えられ、AIに対しても寛容な背景があるのかもしれない。」

こうした異文化間の違いは、AI倫理に対する多様なアプローチを生み出し、議論をさらに豊かなものにしました。

Photo: tom mesic
Photo: tom mesic

カジュアルな場で生む深い対話――「ダイアログブレークファスト」

参加型展示に加え、アーティスト、科学者、活動家を招いたカジュアルな朝食会形式のネットワーキング・イベントも開催しました。この場では、AI SPECの『1:nの蕩揺』を題材に、参加者同士が自由に意見を交換しました。特に、文化圏ごとのAIに対する受容度や倫理観の違いが議論の中心となり、新たな視点やインスピレーションが生まれる場となりました。カジュアルな雰囲気の中で交わされる意見交換は、専門家間の交流を超え、未来のAI倫理について新しいアイデアが次々と芽生える時間となりました。

ヨーロッパの視点:AIと人間の境界線

参加者の一人は、AIとの関係性についてこう語ります:

この発言は、ヨーロッパでよく見られるAI倫理に関する議論の一端を示しています。ヨーロッパでは、人間中心主義的な視点が強く、人とAIの役割を慎重に分けるべきだという考えが根付いています。

アジアの視点:AIのポジティブな可能性

一方、他の参加者は、感情的なAIの可能性について次のような見解を示しました:

このように、文化圏ごとの視点や思想の違いが議論を深め、AI倫理に関する多様な可能性を探るきっかけとなりました。カジュアルな場でありながら、専門性の高い議論が展開され、新たな学びと気づきをもたらす場となりました。

Photo: Ars Electronica / Martin Hieslmair

次回の後編では、アルスエレクトロニカ・フェスティバルで得られたAI倫理のリサーチ結果やそこから見えてきた示唆、私たちの考察について詳しくご紹介します。

今回の取り組みについて以下のリンクからご覧いただけます:

・ Re-Writing the Script of AI SPEC について
https://ars.electronica.art/hope/en/re-writing-the-script-of-ai-spec/

・AI SPEC公式サイト
https://www.mitsubishielectric.co.jp/ai-spec/

・Re-Writing the Script手法について
https://www.foundationbad.nl/re-writing-the-script/

・博報堂研究デザインセンター生活者発想技術研究所 公式サイト
https://hakuhodo-rdc.com/

劉 思妤(りゅう しよ)
株式会社博報堂 研究デザインセンター 生活者発想技術研究所
上席研究員/イノベーションプラニングディレクター

2016年(株)博報堂入社。初任配属では日系企業のグローバル進出や外国企業が日本におけるビジネス展開に伴う、戦略立案やPR発信を担当。2019年より博報堂ブランド・イノベーションデザインに所属し、企業のインナー&アウターブランディングを強化するとともに、未来洞察を取り入れた事業開発プロジェクトを推進。2024年4月から研究デザインセンターに加入し、アルスエレクトロニカとの協働によるアートシンキングプロジェクトや、女性ウェルネスをテーマとした取り組みに従事している。

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