20年弱にわたりカンヌライオンズに通う博報堂クリエイティブディレクターの石井裕子が、今年のカンヌで感じたクリエイティビティーの「今」をとらえるキーワードをご紹介します。
Advertising、つまり「広告」とは “To turn towards(振り返って向き合う)”という意味をもつラテン語から生まれたそうです。
今年63年目を迎えた「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル」は、ご存知の通り世界最大級の広告・コミュニケーション関連のイベントですが、ここで選ばれ、評価されるアイデアは、人を振り返らせるためのクリエイティビティの飛距離が尋常ではありません。
しかも、今年は過去最大の24部門にまでカテゴリーが増え、技術革新の先端をいく新しい手口からアナログ感満載の表現まであまりにも幅が広く、どこから手をつけていいのか、めまいすら覚えるほどでした。
でもどのアウトプットも相手を振り向かせる力は絶大。
今年の印象に残ったセミナーや作品などを中心に、特徴的だったポイントについてお伝えしましょう。
人はどうしても新しいことに目がいきがちです。そのせいか、ここ最近新しさばかりを競うために、テクノロジーのためのテクノロジーが前面に出たアウトプットが目立っていましたが、今年はテクノロジーが人間性を大事にしはじめた、と感じました。
ここ数年話題になっていたVR(バーチャル・リアリティー = 仮想現実)を例にとってみてみましょう。これまでは、技術的に実現可能なことを見せるためのデモンストレーションにとどまっていた感のあるVRですが、今年はアメリカの航空機・宇宙船の開発製造会社であるLockheed Martin社の “The Field trip to Mars(火星への遠足)”のように、企業やブランドの想いを伝えるストーリーが、織物の縦糸と横糸のようにテクノロジーとうまく重なり、心地良いなじみ具合を醸し出していました。
具体的には、一人ひとりがヘッドセットを装着することで隔離されてしまうのではなく、大勢が同時にVR体験を共有できるようにスクールバスの窓ガラスをVRスクリーンに変化させたのです。テクノロジーが装備された「火星」行きの地上バスは、実際に火星に向け旅立つかもしれない子どもたちに、宇宙のすばらしさとそのために科学がいかに重要かということを伝えたい、という企業の溢れる想いをのせて走ります。
これはGoogle社によるセミナーで登場した言葉です。
VRとこれまでの映像の制作手法は当然別物ですが、「これまでの映像はひとつの「フレーム」(モニターの意味)を正面から見るが、VRの場合は「フレーム」という概念が消え、その分「世界」の中に入るようになり、その結果これまでViewer(視聴者)と呼ばれてきた人は、VRの世界においてはVisitor(訪問者)になる」のだそうです。
そこで大事になるのは、我々はテクノロジーの中身を覗き見ようとする部外者なのではなく、テクノロジーとストーリーが具合よくなじんだ「世界」の中に飛び込んで旅する訪問者になる、というわけです。
今のVRだと、まだなんとなくその世界にお邪魔している感じがしますが、今後その世界の中で一人称で行動し、動き回り「みんな私についてこい!」なんてやりはじめるのかもしれません。テクノロジーだけだと振り落とされるかもしれませんが、ストーリーとテクノロジーが織りなす魔法のじゅうたんなら乗りこなせそうで、ちょっと楽しみです。
更に今年は、これまで飛び越えることが難しかったとされる領域を自由に、軽やかに飛び越えるような作品が心に残りました。
例えば、オランダ美術界をサポートする「ING」というオランダの銀行が企業イメージ向上のために実施した “The Next Rembrandt(次のレンブラント作品)” というキャンペーンです。サイバー部門とクリエイティブデータ部門のグランプリに輝いています。
「光の画家」と呼ばれた17世紀オランダの巨匠、レンブラントの「最新作」を、アルゴリズムとハイテク顔認識機能を駆使し、AI(人口知能)が描き上げたのです。実際、レンブラントの346の全作品から16万の断片を3Dスキャナーで読み取り、詳細にデジタル解析をし、「レンブラントが新しい作品を描いたらこうなる」と考えられる絵が3Dプリンターで出力され、美術館に展示されました。
正に、リアルな絵画からデータを取り出し、次に新たに生成しなおしたデータを絵画としてリアルに戻すことで、従来は不可侵だったファインアートの領域にも踏み込んでいて、「美しき領海侵犯」と呼べると思います。
AIが何を実現できたかというテクノロジー主体の文脈ではなく、あくまでも実際のキャンペーンでは「次なるレンブラント作品が生まれた」というストーリーが前面に押し出されています。ここが鍵です。誰もが「レンブラントが次に描くとしたら、こういった作品になるんだ」と言われたら、絶対見てみたくなるでしょう。そういった人の心理をうまくついています。
この言葉はP&G社のマーク・プリチャード氏の言葉です。ここで彼が言っている「クリエイティブ・キャンバス」とは、ブランディングの土台になるような、アイデアの真髄のようなものを指すのだと考えられます。 P&Gのブランドの一つである男性用制汗剤、Old Spiceの場合は、これが「男らしさをある意味ばかばかしく描く」ということになるそうです。
勝手に発想して申し訳ありませんが、彼の言葉をあるインスピレーションと考えてみましょう。自分が広告コミュニケーションに携わる中で、誰もが自分のための「クリエイティブ・キャンバス」を持っていいのではないでしょうか。これはクリエイティブ職に限ったことではありません。誰もが持っているべき「ビジョン」だと思います。
ものごとのあり方や流れを本質から変える人やブランドなどを「ゲームチェンジャー」と呼びますが、今回ウエルネスや製薬領域に特化したLions Healthの一部門のグランプリに選ばれた、Pearson社という教育にたずさわる世界的企業の"Project Literacy (識字率アッププロジェクト)" というキャンペーンをその例に挙げたいと思います。
これは識字率の低さを「健康」で解決しようとしたキャンペーンです。つまり文字が読めないと薬や医療機関からの資料などが読めず、結局病院に行かなくなります。そして、その結果短命に終わる可能性が高くなる、という分析から、健康にからめてABCを学ぼうと呼びかけたのです。
Aはエイズ(AIDS)のA、Bは流血の惨事(Bloodshed)のB、あるいはZはゼロチョイス (Zero Options)のZという具合に、いわゆる「あいうえお歌」を中心に様々なツールをつくり展開しました。大きな注目を集めたこのキャンペーンは、これからも継続実施されます。
識字率を健康で解決する、という発想はゲームチェンジャー的発想です。実際、Internet of Everythingをもじって、“Healthification of Everything”という言葉が審査の過程や発表時に使われました。様々な課題が「健康」という軸で解決できるのではないか、という視点です。
日本は高齢化という意味では、“Healthification of Everything”が重要になってきます。
自分のクリエイティブ・キャンバスに、例えば“Healthification of Everything”と書いて、発想してみたらどうなるでしょう? クルマ x Healthification、飲料 x Healthification、地方創生 x Healthification ・・・新たな視点でみることで、今自分が抱えている課題や潜在的な課題の輪郭が浮上してくるかもしれません。
発想はどこまでも自由です。
東京生まれ。幼少期の数年間を南アフリカで、10代の数年間をアメリカで過ごす。早稲田大学文学部卒後、博報堂入社。現在まで主に海外広告クリエイティブの仕事に携わる。ニューヨーク広告フェスティバルで金賞受賞、ロンドン国際広告賞で金賞等を受賞。カンヌライオンズは1997年以来取材している。
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