水無田気流さん(以下、水無田):荒川さんのご著書、思い切りの良い見解やポジティブな提案もあって、面白く読ませていただきました。
荒川和久さん(以下、荒川):ありがとうございます。「2035年に、(15歳以上の)日本の人口の5割は独身者になる」という未来の日本のソロ社会化について、水無田さんはどうお考えですか?
水無田:日本の“超ソロ化”については、たとえば家族社会学の分野では、1980年代後半から〝家族の個人化”が議論されています。現在でも20代後半でも女性の6割、男性の7割が未婚という事実に加えて、子どもを持たないご夫婦や、距離的に地縁や血縁に頼りにくい場合は一人っ子を選択するご夫婦が多いことなどに鑑みれば、「超ソロ社会」という潮流は、もはや押しとどめられないですよね。
荒川:すでにソロがこれだけ増えているのに、未だにガラパゴスな昭和脳の人たちは、頑なに「結婚できないのは本人の努力が足りない」と、未婚の原因を個人の責任論にしがちなんです。
水無田:そもそも、結婚と出産の話は分けて考えるべきです。全国の地方自治体で、「結婚、妊娠、出産、育児の切れ目ない支援」に対する自治体の取組みで、少子化対策に次いで実施率が高いのは婚活事業なんですが、直接的にはあまり意味がない(笑)。今は、結婚相手に対する理想像は男女とも高止まりしていますから、出会ったからと言って結婚まで至るかは分からないですし、たとえ結婚しても理想の子ども数を持てないカップルも多い。その場合、子どもを持てない最大の理由は「お金がない」ですから……。
水無田:意思決定の場にいる中高年層の、いわば「昭和脳」の方々って、人生をベルトコンベアーに乗った工業製品のように考えているんですね。1970年代は生涯未婚率から逆算した婚姻率が男性で98%、女性で97%という、先進国ではあり得ないほど高い数値でした。誰もが結婚して当たり前の、「皆婚時代」ですね。
荒川:「結婚すれば子どもを産むはず。だから婚活促進だ!」という理屈はわからなくもないんですけどね。当時は、地域にお節介なお見合いおばちゃんもいましたし、職場での出会いもありました。お見合い結婚比率が下がったと言いますが、実質的にはあらゆる結婚が社会的お見合いシステムの中で動いていたんです。むしろほぼ100%が結婚していた「皆婚時代」こそ、長い歴史の中で見れば異常だったんです。若者の草食化と言われますが、それは大きな誤解で、今も昔も恋愛相手がいる率はほぼ3割で変わらないし、自分からアプローチできる男なんて25%しかいないんです。ただ、昔は、地域も職場も巨大なマッチング市場となっていたから、それが背中を押してくれていた。その違いはあると思います。
水無田:確かに、かつての職場結婚は、実質的には「お膳立て結婚」が多かったかもしれませんね。今はとにかく若年男性にとって結婚が遠い世の中だと思います。恋人同士の同棲もハードルが高く、まず法律婚開始と同居開始が同時ですよね。
荒川:今でも子どもを産む夫婦の多くは、だいたい結婚の一年後には第一子を産んでいますよね。(厚労省「人口動態統計」より)
水無田:ええ。しかも日本では、女性はいまだに第1子出産後に6割が離職しますし、正規雇用の女性に関しては、出産後も正規雇用でい続ける割合は2割強程度と決めて低い現状です。これに加えて、先進国の中で対GDP比で見た教育費の公的支出割合は最低レベルで、相対的に家計支出割合が高い。ということは、「親が高額な教育費を負担する」社会であるということです。ここから逆算して考えると、男性は、結婚1年後には出産して無職になる可能性のある女性を前にして、少なくとも子どもが一人産まれても余裕のある住居を準備し妻子を養う覚悟があってやっと、プロポーズができる。これは相当荷が重いですよ。ちなみに8割以上のカップルはいまだに「プロポーズは男性から」ですから、男性が決定責任を負う負担も大きいですね。
荒川:1970年代までの若い男女が結婚できていたのは、本人の能力や意識の問題だけではなく、社会的「お膳立て」によるところも大きかった。一方で今は、そうした社会環境が変化しているのに、多くの責任を個人に負わせる形になってしまっているように思います。「貧困だから結婚できない」なんて本当は逆で、「一人口は食えねど、二人口は食える」といわれたように、むしろ結婚とは二人寄り添う経済共同体だったはずなのに、おかしな方向にいってしまっていると思います。
水無田:ただこうして社会がソロ化に向かっているのに、たとえば配偶者控除廃止の見直しや、社会保障プログラム法や、通常国会に提出予定とされる家庭教育支援法案など、実際に国の政策で行われているのは家族役割や家庭責任の強化ばかりです。いつの間にか「自助」には家族による扶助も加えられ、三世代同居のための住宅リフォームは優遇措置として減税がなされるなど、核家族どころか三世代同居の拡大家族志向の政策がどんどん進められていますね。私は良き家族、良き夫、良き妻の規範が強すぎる日本のことを“家族教の国”と呼んでいるくらいなんですが、そのあたりはどうお考えですか?
荒川:家族教ですか…。確かに、今日あらゆることを家族にだけ責任を押し付ける方向ですし、そのため、自分の家族さえ良ければ他はどうでも良いという考えも強くなっていて不健全ですよね。また介護もその考えだから、老々介護や共倒れなど色々な問題になっていて良くないことだらけな気がします。
水無田:そうですね。欧米諸国では、高齢者がいざと言う時に頼る相手は家族だけではなく、近隣住民や友人であることが多い。でも日本はとにかく血縁者を呼び寄せる。これは家や家事、そしてケアワークなどについての考え方が根本的に違うからなんですよね。日本は食卓を家族皆で囲み、家事も教育も家で抱え込む考えですが、欧米諸国では家というのは普段からシッターやナニー、家政婦、それに近所のお友達などが入って来るのが当たり前という考えだからなんですよね。この違いは介護観の違いにも反映されていると思います。
荒川:でも日本もいずれはそうなると思いますよ。突拍子もないようなことを言うようですが、僕は、日本の未来の都市部のソロ生活者たちの家というのは寝室と浴室・トイレだけでいいと思っています。リビングやダイニングは、家の外が担ってくれるイメージです。
水無田:居住のための建物が、寝室以外すべて無くなるということですか?
荒川:いや、むしろ逆で、家の機能を閉じずにオープンに共有する考え方です。家の中での行動で一番大事なのは睡眠だと思うんです。だから夜だけは自分の部屋で寝て、他のことはどんどん外部化していく。ソーシャルリビング、ソーシャルダイニングですよ。結局、家の中に色々なものがあるから家事負担の議論になるし、住宅の維持費もかかる訳ですよね。だから最小限の寝室機能だけあれば、あとは外部に他の部屋の機能があれば良い。クローゼットなんかもう共有すればいいんです。
水無田:なるほど。それは面白いですね。
荒川:目的やニーズに合わせて、都度外部の機能を使っていく。たとえばスーパーマーケットやコンビニ店舗自体にシェアキッチンが併設されたサービスがあれば、複数人で食材を買って持ち寄り、一緒に作って食べたり、誰かが作った料理をそこで食べるために立ち寄るとか、内食と中食の中間のような新たな需要も創造できます。料理好きな人であれば、そこで定期的に自身の料理を有料で食べてもらう「1day○○さんキッチン」という展開も考えられるでしょう。そうした買い場とコミュニティの場が併設された展開もおもしろいと思います。
水無田:お話をうかがって、北欧のコレクティブハウジングを彷彿とさせられました、数世帯から数十世帯が「コモンプレイス」と呼ばれる施設を共有し、必ずしも1人や1世帯で持たなくてもよいものはシェアして、合理的に暮らす共同住居です。もちろん、個々の世帯は独立したプライベート空間も持っていますが、それも可変的なものが多い。たとえば子どもが学童期などには独立した間仕切りをして勉強部屋にしますが、子どもが巣立っていなくなったら間仕切りを外してフラットな空間にするなど、家族のコンディションに応じた暮らし方の変化に合わせ、建物の方を可変的に使って行く。その考え方に近いですね。
荒川:日本はまだまだ枠や箱の考え方から脱却できていないですよね。まず“箱である家”を用意して、その中に入っている人間を“家族”と呼ぶ。核家族化になって、それがどんどん最小単位になってしまった。地域や血縁だけの家族には限界がきていると思うんですよ。一つ一つの繋がりが緩くなっても一人一人の負担を減らせる社会にならないと。
水無田:そうですね。地縁血縁は安心で強固だけれどもとても閉塞的。これは後々にリスク化するので、選択縁で緩く暮らせたらベストなんですが、国の政策はその方向には変わっていないですね。
荒川:ただし、消費は、シェアリングエコノミーやクラウドファウンディングなど、その方向に進んでいます。例えは、外車に乗りたかったら、所有するのではなく使用をシェアするという考え方だし、一人が1000万円の資金を調達するのは大変でも、共感する1000人から一万円ずつ集めて事業を始めるという考え方、いずれも人とつながることで個人の負担が軽くなります。この流れは加速していくのではないでしょうか。
水無田:なるほど。消費がさらに動けば、政策も今後そちらに方向転換せざるを得なくなる可能性はありますよね。
1970年生まれ。詩人・社会学者。詩集に『音速平和』(中原中也賞)、『Z境』(晩翠賞)。評論に『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』(光文社新書)、『無頼化した女たち』(亜紀書房)、『シングルマザーの貧困』(光文社新書)、『「居場所」のない男、「時間」がない女』(日本経済新聞出版社)。本名・田中理恵子名義で『平成幸福論ノート』(光文社新書)など。
博報堂ソロ活動系男子研究プロジェクトリーダー
早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。キャラクター開発やアンテナショップ、レストラン運営も手掛ける。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBメディア多数出演。著書に『超ソロ社会-独身大国日本の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち-増え続ける未婚男性ソロ男のリアル』(ディスカヴァー携書)など。