広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60㎞の道路「瀬戸内しまなみ海道」。複数の島を通る橋と一般道路でできており、自動車だけでなく自転車でも通ることが出来ます。「シクロの家」は、そんなしまなみ海道の四国側玄関口・愛媛県今治市にあるゲストハウス(簡易宿泊施設)です。地元で自転車旅行ガイドも手がける自転車旅大好きなスタッフで運営され、しまなみ海道サイクリングの拠点として、注目を集めています。手作りのまち歩きマップ、食事処・お土産処ガイドを配布するなどホスピタリティ溢れる接客も人気の秘密で、日本国内のみならず、海外からも多数の来客があります。
阿部:「シクロの家」に昨夜宿泊したのですが、スタッフさんも親切で、本当に楽しい時間を過ごしました。今朝はしまなみ海道の入り口まで、サイクリングにも挑戦したんです。自転車から見る景色は美しく、感動しました。まずはこんな素敵なゲストハウスをオープンされた経緯からお教えいただけますか。
宇都宮:いい質問ですね(笑)。実は、背景を語ると長くなるのですが、順を追ってご説明します。ちなみに阿部さん、しまなみ海道って、開通してどのくらい経つと思われますか?
阿部:…どれくらいでしょうか。かなり前に出来た印象です。
宇都宮:実は、しまなみ海道は今年で18歳なんです。もっと古い気がしますでしょう?
開通当時、しまなみは開通ブームにおおいに沸きました。でもその後、一気に冬の時代に入ります。というのも、橋が出来ると便利になり過ぎて、みんな島にちょっと立ち寄って、すぐに出て行くようになったんです。もしくは素通りされるようになった。
以前は不便だったので、船で来ないといけないでしょう。観光したら、もう帰る船がない、じゃあ泊まろうか、なんてことになったわけです。想定外でした。
それに輪をかけて「平成の大合併」が始まります。今まで自分たちの島、自分たちのまちだったのが、今治市に合併されることになったんです。
阿部:ますます島民のみなさんは不安を感じますね。
宇都宮:そう。だから、島の人たちが集まって、これからどうやって島の元気を維持していったらいいだろうか、と考えるプロジェクトがスタートしたんです。ちょうど10年ほど前でした。
そのころ僕は、世界一周の自転車旅から帰ってきたころでした。自転車旅で記録を作る日本人ってたくさんいるんですけれど、その経験を活かして食べていける人って本当にいないんです。だから僕は旅に行く前も、旅をしているときも、旅が終わった直後も、自転車とは全然関係のない別の仕事をするだろうなと思っていました。僕は愛媛生まれなんですが、地元で福祉の仕事をしようと思い、ホームヘルパーの勉強をしていたんですよ。そんなときに、このしまなみプロジェクトのメンバーに同級生がいて、「ちょっと手伝いに来たら」と言われて関わり始めたんです。
阿部:そうだったのですか。ご著書(『88ヶ国ふたり乗り自転車旅』)も読ませていただきましたが、たくさんの貴重な経験をされていますし、それらを活かして自転車で仕事をしたい、という思いがおありだったのかと思っていました。
宇都宮:たまたまなんですよ。そこからメンバーとして関わり始めたんですね。ただ、地域おこしって、日本中どこでもやっているじゃないですか。同じことをしてもしょうがない。ここにしかないもの、ここでしかできないものって何だろうと、島の人たちと一緒に考えました。集まった島の人々は、いずれも交流意欲の高い人や、何か自分にもできることはないかと思っている人たちだから、アイデアもいろいろ出してくれる。そんな中で、利用の台数は多くないけれど、自転車で渡れる橋って日本にここだけだよね、という話になったんです。
実はこれだけのスケールで、島と海を渡ることが出来る場所ってないんですね。当時も、今ほどではないけれど、シーズンにはサイクリストたちが行き来をしていた。じゃあ自転車で訪れる人たちをターゲットにして交流人口を増やしていこう、ということになったんです。ちょうどその時に、国交省のモデル事業の指定区域にしまなみが選ばれたこともあり、活動に弾みがつきました。しまなみ海道での「自転車モデルコースづくり事業」の始まりでした。
阿部:それはグッドタイミングですね。その具体策として、「シクロの家」が出来たのですか?
宇都宮:いえ、それはずっと後のことなんです。
事業は3年、内容はモデルコースを作るというものだったので、愛媛県にある3つの島それぞれでコースを作るための資源の洗い出しをしました。
島の人たちは、自分の島のことをよく知っているんですよ。「この路地に昔から枯れたことない井戸があるんよ」とか「ここから見る夕陽がめちゃくちゃきれいなんよ」と様々なスポットを教えてくれるわけ。
でも、彼らはサイクリストじゃないから自転車のことはわからない。じゃあ自転車旅行者の志向性や行動について知りたいよね、ということで、自転車文化研究室の白鳥先生という方に来ていただき、自転車旅行について学び、モデルコースの検証をしました。
阿部:専門家の視点も入れて、ということですね。
宇都宮:そうなんです。サイクリストが求めているニーズについて、先生と島の人と一緒に走って、勉強したんです。
そんな積み重ねの中で、自転車の人って、今まで車やバスで観光に来ていた人たちと指向性が違うなということに気づき始めました。路地裏を楽しんだり、地域の人たちと対話したり、全身でその土地を体感してくれるんです。島の人々にとって、その学びは大きかったですね。
あとは、定量的な市場調査も行いました。WEBで3,000人のモニターに「しまなみ海道に期待するサービス」を調べたんです。
阿部:しっかりとマーケットリサーチもされたのですね。
宇都宮:(当時の調査結果を見せながら)一番ポイントが高かったのが「マップ」。そのほかに「看板」や「安宿」、「ガイドツアー」、「トラブル対応」なんかもあった。これらのニーズを一つ一つかなえて、基盤を整えていかなければ、という結論になりました。
それが、ちょうど3年の事業を終えたタイミング。地元の人がやりたいもの、伝えたいものが見えてきた。期待するサービスも見えた。これらをカタチにするために、思いきって2009年に私たちはNPO法人を立ち上げました。
阿部:とってもドラマチック!
宇都宮:そうでしょう(笑)。法人を立ち上げたら、まずは一番ニーズの高かった「しまなみ海道サイクリングマップ」作りから始めました。ちなみに当時のしまなみのレンタサイクル貸出台数は、今の半分以下です。周囲に「自転車」といっても全然理解してもらえませんでした。「そんなことして食べていけるの?」という感じだったんですよ。
宇都宮:先ほどの調査結果にもあったように、「安宿」というのはサイクリストに根強いニーズがあったんですね。
実は自分も、いちサイクリストとして、旅人の交流拠点の必要性を感じていました。旅の途中に立ち寄った中で印象的なものに、「阿蘇ライダーハウス」という宿があるんです。ここのオーナーがまたおもしろい人でね。吉澤さんというんですけれど、彼が作り出す雰囲気が良くて、旅人が入れかわり立ちかわりしながら、仲良くされていた。ああ、こんなものをつくりたいなと思っていたんです。
とはいえ宿となると、物件も見つけなきゃいけないし、運営する人も必要。なかなか着手できなかったところに、3年前、その吉澤さんから「ゲストハウスは作らないのか?」って言われたんです。
どうやら当時、吉澤さんは今治にゲストハウスをつくりたかったらしいんですね。でも、「自分じゃなくて君らがやらないか?」って。これはチャンスかもしれないと思って「やります」と動き出したんです。
阿部:宇都宮さんの憧れる方が後押ししてくださったんですね。
マップ制作等に比べて、宿を始めるというのは、ご苦労が多かったのではないですか。
宇都宮:動くお金の桁も違いますよね。でも、ありがたいことに、人と人とのつながりで、あれよと言う間に形になっていったんです。
物件も、不動産会社の社長がまちづくりに関心のある方で、主旨に賛同してくれて、リノベーション物件を紹介してくれました。また、移住してスタッフをしてくれている仲間も見つかりました。
ちなみに、この宿には食事処も大浴場もありません。だって、まちにお勧めがたくさんあるから。「まちを一つの宿」だと見なしていますね。
阿部:私も教えてもらったお店で食事しました!「まちが宿」、とても素敵ですね。「シクロの家」はデザインも魅力ですが、形にされる際に工夫されたことはありますか。
宇都宮:自転車好きの仲間にデザイナーがいて、彼女に全てお願いしています。自分たちの思いを理解してくれているので、安心して任せられるんです。
このゲストハウスのスタッフ、そしてNPOの仲間はみんなが自転車の持つチカラを信じて活動しています。自分一人でやれることは小さいけれど、それぞれがアイデアを出し合うと強いですよね。
阿部:すごく共感します。業務でブランディングのお手伝いをする時によくお話するのですが、良いブランドには、それを支えてくれるファンや仲間が欠かせないんです。それぞれが得意分野を持って、でも共通の「自転車が好き」という思いがある。素敵なチームですね。
阿部:この宿を始められてから、どのような変化がありましたか?
宇都宮:泊まっていただいてわかるように、シクロの家にはたった14ベッドしかないので、せいぜい受け入れても年間3,000人、小さなキャパシティです。でも、僕たちが何かを変えられたとすると、「人の流れ」なんです。
今までは、今治って素通りされる場所だったんですね。ところが、この宿をつくったことで、ここを拠点にして走り回って、泊まる人が出てきた。小さいけれど確実に人の流れを変えることができたんです。拠点になるものをつくれば、人は行動変容を起こすんだなというのが目に見えてワクワクします。
阿部:自転車の持っている力って、すごいですね。
宇都宮:そうなんです。あとね、自転車はお客さんだけじゃなくて、「まちの人の意識や仕組み」も変えたんですよ。
まず、今治中のシティホテルでは、可能な限り客室に自転車をそのまま持ち込めるようになりました。カーペットがひいてあるような高級ホテルでも、ですよ。
加えて、「しまなみサイクルオアシス」という、今治と尾道が共同で行う仕組みも整備されました。これは地域の人たちが、自分の庭先を貸してサイクリストのひと休み場所を提供するというもの。もともと今治で始めたこの取り組みに尾道市も呼応して、今では同じマークで同じ仕組みで、県境を越えて運用されているんですよ。
阿部:すごいですね。自治体の連携はハードルが高い印象ですが、サイクリストは回遊するからこそ、実現したのかもしれませんね。
宇都宮:そうですね。あと、やはり大きいのは、「ここに暮らす人々」の変化だと思います。この地域を自転車で元気にしていきたいという時に、地元の人たちがどう変化していくか、地元の人たちにどう還元されるのかというのが一番重要だと思うんですね。島の人に「旅人との交流が生きがいだし、楽しみになっている」という声をもらうと嬉しいです。中には「私も自転車を買っちゃった」というお母さんもいるんですよ。あと、自動車のドライバーも、自転車にとにかく優しくなった。「自転車」というキーワードがまちをいい方向に変えていってくれていますね。
阿部:長年まちづくりに取り組まれて、サイクリストも増えてきた今、ご自身の役割や思いについて、変化はありますか。
宇都宮:関わってもいいよという地域の人たちを掘り起こすことができたので、今は僕が外に出て行くというフェーズというより、人と人との交差点を提供している感じですね。
でも、なんども言うように、僕の持っている力なんて、本当に少ないんです。もともとまちづくりの活動を始めたのも、巻き込んでくれた仲間がいたし、このゲストハウスをやるときにも背中を押してくれた人がいる。様々な人に支えられて僕たちの活動は一歩一歩前に進んでいるんだと思います。
いま、自分は旅人を受け入れる立場だけれども、ここにいると不思議と毎日旅している気分なんです。6年前に他界した母親にも言われましたよ。この仕事を通じて「あんた、また旅をしてるつもりなんやろ」って(笑)。
自身が本を書いたときもそうだったのですが、旅のエピソードの中で思いだすのって、人に親切にしてもらったことや、コミュニケーションしたことなんですよね。旅の財産って、やっぱり人と人とのつながりなんです。
「シクロの家」も「マップ」も「サイクルオアシス」も、提供しているのは人と人との交流拠点。今後も仲間とともに、これらの拠点を育てていきたいですね。
阿部:「自転車」という強い軸があるからこそ、それぞれの活動が魅力的につながって、大きな輪を作っていらっしゃる。今日は本当に素敵なお話が聞けました。ありがとうございました。
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今回は「属」の視点で、「しまなみゲストハウス「シクロの家」」から読み取れるこれからのブランド作りのヒントを考えてみたいと思います。
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