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FOR2035来るソロ社会の展望を語る – vol.5前編 / ゲスト:大阪学院大学経済学部 森田健司教授「江戸時代もソロ男社会だった?」

2017.10.13

第5回のゲストは、大阪学院大学経済学部の森田健司教授です。森田先生は江戸時代の経済・社会思想史を専門に研究するかたわら、瓦版や錦絵から江戸時代の庶民思想を紐解かれています。単身世帯が多かったとされる江戸時代を生きた人々と、現代の私たちとの間にはどんな共通点があるのでしょうか。これからのソロ社会を生きていくにあたり、江戸時代から学べるヒントとは――。

女性人口が少なく、たくさんの独身男性が暮らしていた江戸の町

荒川和久(以下、荒川):2035年、独身が大半になるような世界になれば社会構造も当然変わっていくわけですが、少子高齢化をはじめ、想定される未来図はほとんどの場合において悲観的です。でも、せっかくそういう変化が想定できているならば、そんな時代を生きていくうえで有効な、何らかの前向きな指針があればと僕は思っているんです。実は江戸時代について書かれたさまざまな資料に目を通すうちに、現代の日本との類似性――たとえば商業的・文化的な特徴、あるいは男女の関係性など――に気づき、「そうか、日本人はすでにいまに似た時代を経験してるんじゃないか」、と思いました。そこで江戸時代の庶民文化や思想に造詣の深い森田先生に何かヒントとなるようなお話をうかがえればと思った次第です。

森田健司教授(以下、森田):そうでしたか。大学では一応経済学部の教授をしていますので、1年生、2年生に向けて少子高齢化や社会保障の抱える問題について話をすることもあるんですが、確かに、“これからの日本は大変だよ”という悲観的な話に終始してしまう。一方で荒川さんの『超ソロ社会 「独身大国・日本」の衝撃』では、不可避な未来についてはとりあえず置いておいて、その中でどういった前向きな生き方ができるだろうか、あるいは経済面でも文化面でも、日本をより良くしていく方法はあるはずだ、といった提言をなされていて、非常に面白く拝読しました。

荒川:ありがとうございます。
まず、江戸の町は女性に比べて圧倒的に男性の人口が多かったんですよね。その男女比から、必然的に“あぶれてしまった”男がたくさん暮らしていた。意外と知られていないですが、人口統計的な記録から、そういう事実はしっかりとわかるんですよね。

森田:そうです。人別帳(にんべつちょう)という、いまの戸籍に当たる記録をつけていて、名前や出身地から、それまでどういう暮らしをしてきたかまで確認できるようになっていました。男女比について言うと、江戸時代は初期と末期を除くと本当に女性が少なかったようです。そして離婚する人も多かった。

荒川:離婚率が高かったのも、意外と知られてないですよね。たとえば「三行半(みくだりはん)を突きつける」という言葉を聞くと、夫が妻に一方的に離縁を迫り、追い出してしまうというイメージで解釈されがちですが、本当は妻のほうが、「あんたとなんか暮らしていけないからさっさと三行半をよこせ」と言うみたいなエピソードが多い(笑)。江戸時代、もしかしていまより男女平等だったのかなと。

森田:我々はどうしても、江戸時代の男は封建的で威張り散らしていて、男女差別も激しかったのだろうと思いがちですが、実はそのイメージも、明治以降につくられたものだったりします。実際は、男性に比べ女性の数が圧倒的に少なかったせいか、江戸時代は男性よりも女性のほうが強かったのではないかと考えられています。

荒川:そういうのも、僕も自分で調べるまでは知らなかったですからね。間違ったイメージの刷り込みがある。おかしいですよね。

森田:ご著書でも書かれていましたが、“誰もが結婚すべき”という考え方も刷り込みなわけですよね。みんなが結婚する「皆婚(かいこん)」状態というのは、日本の長い歴史の中で見るとある意味異常な時代なわけで、それを自然なこととして思い込んでしまっている状態はちょっと怖いですね。

独身が多かったからこそ生まれていったさまざまなビジネス

荒川:江戸時代には離婚や再婚も非常に頻繁だったということと、独身の男性がたくさんいたからこそ、経済活動も活発になっていった面がありますよね。たとえば寿司やてんぷら、そばといった食べ物が、手軽なファストフードとして誕生し、人気を博した。いまや日本を代表する食文化にまで昇華していますが。町中で食べ物を売る棒手振り(ぼてふり)のような、デリバリーフードサービスも発達した。長屋に住む独身男性は、料理はしなくてもコメだけを炊いておけば、おかずを売りに棒手振りがやってくるので食事に困らなかったそうですね。まさにいま一人暮らしの男性が、コンビニで飯を買って自宅で食べているのと変わらないという。

森田:まったくもってそうですね。天ぷらの屋台なんかも当時から持ち帰りができたんですよ。ついでに言うと「四文屋」という今でいう100円ショップのような店もありました。そういった消費文化は江戸時代に庶民の間から生まれたもので、単身者にとっては便利に楽しく生きるための知恵だったんですね。

荒川:そうやっていろんなビジネスが生まれていったのは興味深いです。当然当たりはずれもあるでしょうが、一発当たればすごい。成功を夢見て挑戦する人も多かったでしょう。これはいまの若者に聞かせたいな(笑)。

森田:いや、本当にそうなんです。一発当てるというのがまさにぴったりの表現で、だいたい屋台でものを売っていたのは、言葉は悪いですが社会のあぶれ者のような人たちだった。代々家業を受け継いでいたり、奉公先に長いこと勤めているような人ではないんです。それで、たまたま隣り合った蕎麦屋と天ぷら屋が、ふとしたアイデアで天ぷらそばをつくってみたら大当たり、なんていう話もあります。単身者、独身者に向けての商売から、そういう文化が生まれていった。

荒川:また、江戸時代は上下水道などの都市整備も早かったし、リサイクル活動が徹底されていたとも聞きます。

森田:そうです。今でいう下水は実は非常にお金につながっていた。というのも大家さんが一番利益を得られるのが、長屋に住む下宿人たちの糞尿だったんです。農村から農民がそれを買い取りに来て、肥料として使っていた。ちょっと感動的ですよね。

荒川:究極のリサイクルですね。

森田:古紙を回収する商売もありましたし、髪の毛を売買する商売もあった。いずれもその後再利用されるわけです。結果的に紙屑ひとつ、髪の毛すらも落ちていない非常にきれいな通りになっていた。清潔なうえにリサイクルが確立している社会だったというのはすごいですよね。

荒川:そういう「なんでも商売にしてやろう」というたくましさもすごい。

森田:「灰買い」といって、家庭のかまどに残った灰を買い集める商売もありました。灰は買い取ったら農地や植木の肥料に使われるのですが、そこから豪商になった人もいる。灰は決して高く売れるものではないんですが、それでも成功を収めている。起業を考える人にも何かヒントになるかもしれないですね。

荒川:絶対なりますよ。誤解されがちですが、起業って別に”0から1”を生み出さないといけないわけではなくて、いますでにあるものの見方を変えたり、使い方や人への提供の仕方を変えるだけで商売につながると思うんですよね。その見本が、江戸時代にはたくさんありそうな気がしています。

災害時におけるSNSの機能も果たしていた当時の瓦版

荒川:損料屋(そんりょうや)という商売もあって、鍋から布団、衣類まであらゆる生活用品をレンタルしていたので、人々は何も所有せずとも生活ができたというのも興味深いです。まさにシェアリングエコノミーの原型のようなものだと思う。「宵越しの金は持たない」というのも、持たなくても安心できる明日があったという証明にもなる。「貯めなくても明日にはまたお金が入ってくるんだから大丈夫」という。

森田:確かにそうですね。江戸時代はいまに比べると自然環境は当然厳しいですし、夏も5~10度くらい気温が低くてコメが不作の年も当然あった。それでも人々がある程度安心して生活できた背景には、互助の精神というか、困った人は助けようという考え方が、いまより相当強かったからだと思います。瓦版を見ていてわかるのは、たとえば震災などの災害があり、食糧難になった場合、この人たちがいくら寄付しましたというリストが刷られていた。「どんな人がどれくらい慈善事業をしているか」が人々の関心事としてあったわけですね。そして、「これからもあの店で買うようにしよう」とか「あの商家は支持しよう」というものもあったと思う。もちろん自分の景気がいいときは、自分もお金を出す。お上に頼り切るのではなく、互助の精神を持つ町民同士で何とか乗り切ろうという考えがベースにあったのだと思います。

荒川:それから、災害時にどこそこで炊き出しをやってるよ、といった情報も瓦版で配布されていたんですね?

森田:「お救い小屋」ですね。

荒川:東日本大震災のとき、テレビや新聞ではカバーできていなかった細かい情報がツイッター上ではたくさん上がっていて、SNSが威力を発揮したと思うんです。それに似ているなと思いました。

森田:そうですね。やはりお上が介在するのではなく、民間のネットワークで情報が広められていくという点も、いまのSNSと似たところがあるかもしれません。時代劇なんかでよく描かれる瓦版では、幕政批判とか、誰それがわいろを受け取ったなど週刊誌に似たような内容をイメージしがちですが、実際には先ほどの「お救い小屋」がどこそこに建ってるよ、といった、災害時に役立つ情報を知らせる内容のものも多いんです。
情報のスピードも非常に速かった。特に商業にかかわる情報は、商家がいくらお金を積んでも、最新の情報を飛脚を通して入手していました。ですから幕府が情報を得るよりもずっと早く、飛脚問屋という飛脚のあっせん業をしているところに情報が集まっていたんです。たとえば「大阪のどこそこで火事があったので、このお店は現在営業していません」とか、「災害でこの通りが寸断されているため、こうした物品は届くのが遅くなるかもしれません」といった情報です。そういった商売に直結する情報には最速の飛脚を使い、江戸大阪間で3、4日くらいで届いていました。幕府公認ではないので非合法な出版物なわけですが、「この内容で大丈夫ですか?」などと確認に時間を費やすこともないため、早ければ2日くらいで瓦版を通じて情報が広がっていた。

荒川:まさに今でいうネットですね。

森田:瓦版にはところどころ変な情報も混じっていたようですが、その点でもネットに似ていますね(笑)。

後編へ続く

森田健司(もりた けんじ)

1974年兵庫県神戸市生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)。現在、大阪学院大学経済学部教授。専門は社会思想史。特に、江戸時代の庶民文化・思想の研究に注力している。著書に『江戸の瓦版』、『明治維新という幻想』(いずれも洋泉社)、『石門心学と近代――思想史学からの近接』(八千代出版)、『石田梅岩』(かもがわ出版)、『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『外国人が見た幕末・明治の日本』(彩図社)など。近刊に、作家・原田伊織氏との対談『明治維新 司馬史観という過ち』(悟空出版)がある。

荒川 和久(あらかわ かずひさ)

博報堂「ソロもんLABO」リーダー
早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。キャラクター開発やアンテナショップ、レストラン運営も手掛ける。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBメディア多数出演。著書に『超ソロ社会-独身大国日本の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち-増え続ける未婚男性ソロ男のリアル』(ディスカヴァー携書)など。

※「ソロ男プロジェクト」は、これまで「ソロ活動系男子(通称:ソロ男)」の研究活動及び企業のマーケティング活動をしてまいりましたが、この度、研究対象を、独身男女や離別・死別に伴う高齢独身者も含めた独身生活者全般に拡大しました。それに伴い、2017年9月26日に名称も「ソロ男プロジェクト」から「ソロもん*LABO」(*ソロもん=独身生活者という意味)と変更いたしました。

★アーカイブ★
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/series/solo/

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