第6回のゲストは、エッセイストの酒井順子さんです。2003年に上梓した『負け犬の遠吠え』(講談社)では、独身で子どもがいない30代女性を「負け犬」と自虐的に表現し、社会現象といえるほど大きな話題を呼びました。5月には新刊『男尊女子』(集英社)を発表。女性達自身の中に潜む“男尊”思想について鋭く切り込んでいます。多くの女性の中にある、女子マネ的心理とは?独身男女の出会いを阻む「両すくみ状態」とは?酒井さんの考える結婚観も交えながら、これからの男女関係論などについて語り合いました。前編はこちら。
酒井順子さん(以下、酒井):私は、自分の周りの独身者には、積極的に結婚相談サービスを勧めています。
荒川和久(以下、荒川):そうなんですか!
酒井:私自身は、たとえ婚姻関係を結んでいなくとも、お相手はいたほうがいいという主義で、自分もそうしています。健康な若い時代は一人でも楽しく生きていけると思えますが、やっぱり中高年以上になると、心身ともに弱ってきて、寂しさも募る。『負け犬の~』は、独身者に「そのままでいい」と言う本と誤読されがちでしたが、あの本を出した頃からずっと、「お相手はいた方がいい」主義。とはいえある程度年をとると、そう簡単には見つかりませんから、お見合いとか結婚相談サービスは有効ではないか、と。
荒川:そうなんですね。結婚という形にならなくても、そういう人生のパートナーが見つかるというのは確かに必要かもしれませんね。
酒井:婚活という言葉が使われるようになってから久しいですが、遊び半分だとうまくいかないケースが多いですよね。仕事と同じくらい真剣に取り組むことができるか、が大切。
女性の場合、どうしても「愛されたい」「求められたい」という受動的な欲求を抱きがちです。だから、その手のサービスに登録するのも、プライドが邪魔をしてしまう。一生独身でいるのか、そこでひと踏ん張りして結婚するかは、その後大きな分かれ道になっている気がするのですが‥‥。
荒川:女性のほうも能動的にアクションを起こした方がいいと。
酒井:年をとればとるほど、待っているだけでは難しいですよね。
荒川:確かにそうかもしれないですね。いまは男性のほうも待っている人が多いですからね。
酒井:そうなんですか?
荒川:そうなんです。受け身体質というと女性のことだと思いがちですが、実は日本人男性は非常に受け身なんです。自らアプローチしたり、告白ができる人は3割もいないんです。男女ともに受け身でいるから、両すくみ状態なんですね。
酒井:どちらかが何かアクションを起こせば、案外簡単にいくかもしれない。
荒川:そうですね。昔の職場の出会いとかって、女性のほうがお膳立てをしてくれていた部分はあったと思うんです。誘いやすいように、言わせるようにアクションをかけるというか。そういうのがないと、男性は傷つくのが怖いので最初のアクションすら起こせないんですよね。
酒井:女性の方は、男性が待っているということをきっとあまり知らないんじゃないでしょうか。いまは、「an・an」のsex特集なんかを見ても、女性向けに避妊具の広告が載っていたりと、男女関係の主導権を女性も持つようになってきている。それこそ両方から眺めているだけでは何も起こらないので、女性がしびれを切らしているような状態なのかもしれませんね。
荒川:なるほど。たぶん歴史的にも、ずっと表には出てこなかったものの、女性のほうがうまく水面下で動いていたからこそ結婚できていた気がするんですよね。女性が動いたほうがうまくいくんだと思うんです。
酒井:確かにそうかもしれません。
荒川:「俺は熱烈な恋愛の末、いまのかみさんをゲットしたんだ」なんて言ってる人たちだって、男がそう勝手に思い込んでいるだけで、実は奥さんのほうにうまく転がされていただけ、なんてことも多々あるのではないかと(笑)。そういう実感があります。
荒川:ソロ男に限らないと思いますが、「男はかくあるべし」といういわゆる「男らしさ」規範に、男自身が縛られすぎているという思いがありまして、昔からある「男は我慢するべきだ」とか「男は弱音を吐いてはいけない」というような「男らしさ」だったり、「父親は威厳があるべきだ」という古い「父親らしさ」だったりに加えて、いまは「家事や育児を行うべし」という「現代的な夫らしさ」とか、現代の男の人はあまりにも多くの「らしさ」規範にとり囲まれていて、がんじがらめになってしまっているような気がしているんですね。中にはそうした規範に押しつぶされてしまった男性も多く存在します。
一方で、女性からしてみても、いつまでも古い概念の「女らしさ」だったり、「母親らしさ」といった規範を押し付けられて拒絶反応を起こすといったこともあると思います。男女ともそうした規範に生きづらさみたいなものを感じているにも関わらず、互いに、本意ではない「らしさ」や「べき」を強要しあっているような状態なのかなと思います。
酒井:その一方で、いまはその「らしさ」の縁取りもあいまいになってきていませんか?昔のように、お父さんはいつも威張っていて、おかずも一品多いのが当たり前、という時代だったら、他に選択肢がないから、ある意味楽だったとは思います。いまはそれぞれの夫婦が、自分たちなりの役割分担や夫婦像といったものをつくっていかないといけない。夫がごみを出すのが当たり前の夫婦もいれば、屈辱と感じる人もいまだにいるでしょう。料理はすべて夫、力仕事は妻、という夫婦もいるかもしれない。それぞれのカップルが、それぞれのやり方でカップル像を作り上げていかなくてはならないという面倒臭さを乗り越える必要がありますよね。
荒川:そうですね。ただかつての統一的な規範というのが、いま表面上は薄れているように見えて、個々の内面にはしっかり刷り込まれていて……。そこで互いに「べき論」を展開させるだけだから、なかなか歩み寄っていけない。
酒井:そういう議論は非常に面倒くさいものだと思うんですよね。かつての儒教的観点から見た男尊女卑は、黙っていてもシステムが回るという便利な上下関係だったわけですが、そこに一つ一つ議論が求められるようになっている。それを避けたままで関係性を続けようとすると、どこかでひずみが出てしまうんでしょうね。
荒川:最近では有名人の不倫とか不手際とか、そういうものに対してネットでの炎上案件が多いように思います。たたく内容も論点が人格否定の方向にいっていたり、激しくなっている気がします。
酒井:私たちの時代、反抗すべき相手は大人だったけど、いまの若者は大人からの管理もそれほど強くないですよね。自分の家族や友人、周りの視線など、さまざまな管理に対する反抗の仕方がわからなくて、かつ、私たちの時代よりずっと強い同調圧力もあって、みんなネットなど大人から見えないところでもがいているような気がします。校則を破ったり、盗んだバイクで走り回って発散する、なんていう歌詞のようなわかりやすい反抗の方法がない(笑)。全員が校則を守っていて、全員が息苦しそうにしている。そのガス抜きになっているんでしょうか。
荒川:それもあるかもしれませんね。多様性について言うと、「多様性を認めていきましょう」という掛け声がある一方で、多様性を拒絶するような、人々の不寛容な反応も目立つようになったなと感じているんです。時々遭遇する、既婚者による独身者叩きなどがその例です。結婚しない選択も多様性の一つとして認める社会になってほしいと心から思いますね。
酒井:昔なら思っていても言わなかったことを、いまは気軽にネットに書けるようになったので、目につくようになったのでしょうね。でも、特に差別が厳しくなったというわけではないと思うんです。反対に、特に東京など大都市は、どんどん独身者が暮らしやすくなっていますよね。一人で何をしようと、受け止めてもらえる。韓国の場合など、独身者が多い割には、最近まで一人旅も一人飯も「ありえない」という感覚だったようですが。
荒川:え、そうなんですか!知らなかった。
酒井:いまはポリティカルコレクトネス的な配慮も広がりつつあって、独身だからと言って面と向かって侮辱されたりというのはないでしょう。みんな結構のびのびと独身ライフを送っていると思いますが、どうでしょう。将来のリスクも引き受けつつ都会で悠々と暮らし、これ以上独身者は何を求めるんだ、と私は言いたい(笑)。
荒川:あははは(笑)。今日は酒井さんならではの視点から、刺激的な意見もうかがえて楽しかったです。
本日はありがとうございました!
1966年東京生まれ。学生時代よりエッセイを執筆し、立教大学観光学科卒業後、博報堂勤務。1992年に退職後、執筆に専念。2004年「負け犬の遠吠え」で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。「男尊女子」「地震と独身」「子の無い人生」「源氏姉妹」「ユーミンの罪」など著書多数。
博報堂「ソロもんLABO」リーダー
早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。キャラクター開発やアンテナショップ、レストラン運営も手掛ける。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBメディア多数出演。著書に『超ソロ社会-独身大国日本の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち-増え続ける未婚男性ソロ男のリアル』(ディスカヴァー携書)など。