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FOR2035来るソロ社会の展望を語る–vol.7前編/ゲスト:歴史人口学者・静岡県立大学学長 鬼頭宏先生 「1970年代の日本が目指した社会とは?」

2018.03.23
#ソロもんLABO

第7回のゲストは、経済学者で静岡県立大学学長の鬼頭宏先生です。『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)や『2100年、人口3分の1の日本』(メディアファクトリー新書)など、経済学を基点に、歴史学、歴史人口学の分野に造詣の深い鬼頭先生と、かつての日本における未婚者の実態やライフサイクルの変遷、人口減少という課題を抱える日本がこれから目指すべきことなどについて、語り合いました。

忘れ去られてしまった、1970年代の日本が目指した社会とは?

荒川和久(以下、荒川):僕は博報堂「ソロもんLABO(ソロ生活者研究ラボ)」においてここ数年独身者のデータやライフスタイルを研究し続けているのですが、未婚者や高齢の単身生活者が増加すると、消費行動や社会の経済構造もこれまでと大きく変わるはずなんですね。事実、かつて当たり前と思っていた「夫婦と子」から成る標準家族をベースにしていても、モノが売れない時代になってきています。拙著『超ソロ社会』でも、これから日本は独身大国になるだろうと述べているんですが、いろんな方から「その前に人口減少という国難を何とかしないといけないだろう」と怒られることが多いですね(笑)。

鬼頭宏先生(以下、鬼頭):私が2014年から静岡県立大学にやってきたのも、故郷である静岡県の人口減少に歯止めをかけるために何かできないだろうかと考えたのがきっかけです。ただ私自身、「何としても人口減少を避けるべき」と考えているわけではなくて、起きてしまったことはある意味仕方のないことで、それを認めながら、どこかで数を安定させていくべきだろうとは思っているんです。

荒川:そうなんですね。

鬼頭:実は1974年、人口問題審議会が当時の厚生大臣に対して出した人口白書において、日本は出生率をとにかく低くすべきだという内容を報告したんですね。それを受けて、これは国策と言ってもいいと思いますが、日本は人口が増えもしなければ減りもしない静止人口国を目指すべきだという構想を当時の政府が打ち出したんです。

荒川:はい。私もそれは読みました。「子どもは2人まで」といった話ですよね。

鬼頭:そうです、そうです。子どもを2人までに抑えれば、昭和85年までは人口は増加するが、昭和86年から徐々に減少していくだろうという予測を政府が出した。昭和85年がいつのことかというと、2010年です。そして実際に、国勢調査上でも2010年は人口のピークに当たっていて、まさに当時の政府の予測通りになっている。これはすごい成果です。

荒川:そうなんですよね!でもその事実を知っている人が本当に少ない。新聞記者ですら知らなかったりします。

鬼頭:4、50年前に日本が目指そうとしていたのは何だったのか。それをきちんと知ったうえで、今政府や地方がやろうとしていることについても捉え直すべきなのかもしれません。つまり、“経済も成長させよう”“地方に若い人を引き戻そう”といった言説には、当時を知っている世代としては違和感を持つべきで、そのうえで別の新しい考え方、戦略を提示していかなくてはいけないのではないかと思います。特に経済成長期は、経済学者も人口増加を当たり前のこととして捉えていましたが、そもそも人口が長期にわたって増え続けるということ自体、もしかしたら異常なのかもしれない。1974年の白書には、未来を見据えて新しい安定的な社会をつくろうとした当時の人たちの思いが詰まっている。それを忘れてはいけないと思います。彼らが目指したのは資源面でも環境面でも、人間社会の面でも、安定して均衡した世界だったはず。でもなぜか、日本人の頭からその思想がすっかり抜けてしまった。

荒川:バブル経済によってでしょうか。

鬼頭:まずは円高ですね、そしてバブルのうちに、すっかり忘れてしまったんでしょう。
たとえば1962年にはアメリカ人作家レイチェル・カーソンによる著書『沈黙の春』が話題となった。農業生産力を高めた農薬によって環境汚染が引き起こされ、春になっても鳥の声が聞こえなくなってしまうというものです。公害は局所的ではなく、生態系全体に関わる大きな問題であると意識され始めた時期でした。そして1972年には、世界的シンクタンクであるローマクラブによる報告書『成長の限界』が発表され注目を集めます。そんな風に当時は、経済成長とはいったい何なのか?我々が求めるべき生活とはどんなものか?といった議論が盛んにおこなわれていた。そこから本来の目標をとらえ直していった結果の、現在ということになる。ですから当時を知る我々の世代からすると、現在の人口減少が異常事態とは全く思えないんです。

荒川:なるほど。

鬼頭:今は希望出生率だとか、物価をこれだけの水準にしろとか……まるでKPIのように数字をはっきり出すようになりましたが、どう考えても無理なことを目指し、あがいている状況に思えます。出生率を上げて人口を安定させることは社会にとって必要なことでありますが、静止人口が実現するには数十年から100年はかかります。それまでの間、人口は減少し続ける。その現実を正視したうえでの、「適応戦略」が求められていると思うんです。
ですから荒川さんのご著書を拝読したときも、初婚年齢が上がり、生涯未婚率も上がっているという社会の変化をまずは素直に受け入れて、そのうえでどうしたらいいか、どんなことが自分たちにできるのかを考えようじゃないかという姿勢が、とてもポジティブで賢明だと思ったんですよ。

荒川:ありがとうございます。でも世間的には、「人口減少不可避」というネガティブなイメージで受け取られるというか、人口減少を食い止めないといけないのにそれに真っ向から反対しているように見えるみたいで。

鬼頭:確かに、「打つ手はないから受け入れよう」というのは、立場によってはあまりに無策と捉えられてしまいますからね(笑)。
でも言ってしまえば、国として出生率を上げるという施策があったところで、一人一人にとってはある意味どうでもいい話ですよね。政府が号令をかければうまくいくというものではないだろうと思います。それよりも、たとえ人口が減り続けたとしても、ある程度の生活ができて、誰もがそこそこ満足できる生活が実現できることの方が大事なんじゃないでしょうか。非常に逆説的な話ですが、もし人口が減りつつあってもそれなりに生活できることがわかれば、安心して子どもをつくる人も増えるかもしれない。

荒川:そうですよね。今問題なのは、人々の心の中に「多くのぼんやりとした不安」が棲みついていることだと思うんです。その不安があるから子どもは産まないし、消費するより貯金するようになる。解決すべき課題は、その不安の解消にあるはずだと思うんです。ところが、そっちは無視して、やれ生産性をあげ、GDPをあげ、子どもに対する手当を充実化させれば出生率は上がるだろうと、状況を整えさえすれば幸せになれるはずなんだという考え方は、何か筋が違うように思うんです。

鬼頭:おっしゃる通りだと思います。そうした不安がどこから来ているのかをもっとよく考えないといけない。70年代半ばは、経済においても環境においても、社会が大きく成長した結果の矛盾が出てきた時期でした。オイルショックなどもあって経済成長しにくい体制にもなっていた。そんな状況下で、成長よりも質の向上を図る社会になるべきだと訴える学者もいて、漠然とはしていましたが、「成長主義一本やりでは、もう通用しないだろう」というのが多くの人たちの一致した考えだったと思います。そこから時間がかかってしまいましたが、実際に低成長になり、人口も減少しつつある今こそ本気になって考えないといけないことです。お金をつぎこんで株を買い支えて見たり、物価を上げようとしたりと、経済成長を前提にした策は時代に逆らっているとしか思えないし、本当に無駄な努力という気がしますね。

荒川:本当にそうですね。

意外に多かった、江戸時代の農村の未婚者たち

鬼頭:『超ソロ社会』でもう一つ印象的だったことがあります。ソロという言葉から、私たちはどうしても未婚の青年をイメージしてしまいますが、実際は老後のソロもある。彼らを別々にとらえていましたが、考えてみたらどちらも独身者です。そうすると、人口の半分以上になるんですよね。そう考えてみると、もう少し統一的な政策が必要だったり、あるいは個人の生き方として、ソロの生活を楽しく送る道が注目されてもいいはずだと思いました。
そしてもう一つ、なるほどと思ったのは、ソロの人たち=孤独主義者ではないということ。彼らにはコミュニティがきちんとあるということも発見でした。

荒川:そうですね。40~50歳で未婚というと、なんとなくニートとか引きこもりのような人をイメージされがちなんですが、決してそうではない。確かに、ニートなどの人は親がいないと生きていけないからどうしても親だけに依存してしまう。でもソロの人たちというのは、ちゃんと働いて、仕事以外のコミュニティなどでいくつか依存できる先を複数持って、経済的にも精神的にしっかり自立できている人たちであるともとらえられるんです。

鬼頭:そういう見方は非常に新鮮でしたね。
そもそも全員が結婚するのが当たり前になったのは、おそらく17~18世紀あたりからなのではないかと思います。寛永10年(1633年)の、熊本の阿蘇山麓地域の「人畜改め帳」、今でいう住民台帳を読んだことがあるのですが、身分、階層によって結婚のパターンが全然違うんですね。本家だったり、使用人をたくさん雇うような家の者は、割と早く結婚して子どもをたくさん残している。だけど下人と呼ばれた人たちは全然結婚していないし、名子と呼ばれる人たちの中には結婚している人もいるけど、子どもがいないか、いても少ない。また、30人くらいで同じ家に住んでいても、世帯主を中心に傍系の親族になるほど結婚している人の割合は低くなる。つまり、少なくとも17世紀初めの熊本東部の農村地帯においては、生涯未婚で過ごしていた人が多数いたということが確実なんです。でも18世紀ごろから、できるだけ結婚して子どもを持つというパターンが農村に定着していき、それが明治になって“本来の家族像”として民法で定められ、戦後に引き継がれていった。要は、大きな歴史の流れで見ると、我々が当たり前と考えているライフコースは別に普遍的なものでも何でもないんですね。そして今、17~18世紀あたりに形成された皆婚社会の伝統が崩れつつある状況なのではないかと思います。

荒川:そういえば、江戸時代にも人口が停滞した時期があって、それは女性の社会進出や環境の変化によるものだと先生がおっしゃっていたのを読んで、なるほどと思いました。

鬼頭:女性の社会進出といっても、今とは状況が違うので簡単には比較できませんが、18世紀、農家が糸をつむいだり布を売るといった手仕事による副業として産業が発展するんですね。そうした副業は主に女性が担っていたので、親も労働力として手放したくなくて、結婚年齢が遅れたのではないかと。それから江戸時代は乳児の死亡率も改善したので、結婚年齢を遅らせても大丈夫となり、その分を貴重な働き手として労働時間に充てようというということもあったと思う。そういう意味での社会進出だった。

荒川:それって、今、「結婚はいずれはしたいけどいまはまだ働きたい」「好きなことをやりたい」と言っている女性とイメージが重なりますね。

鬼頭:今起きている現象には、かつてあったことの再来と見ることができるパターンもあるだろうし、あの時代とはまったく違うパターンもあるでしょう。でも肝心なのは、社会が変化することは異常事態でもなんでもないということ。変化に適応するなかから、また新しいスタイルをいうのを見つけていくべきなんだろうと思います。

荒川:おっしゃる通りだと思いますね。人間には適応力がある。そして新しい現象に適応することで何が生まれるかというと、文化なんですよね。それを忘れないほうがいいなと思います。

鬼頭:そうですね。お金や時間をつぎ込んで、伝統的なパターンを守ろうとするのも一つの考え方ですが、もしかしたら非常に大きな無駄になっていたり、別の悲劇を生む可能性もあるかもしれない。そこの見極めが必要ですね。今は古いものと新しいものが混在している、試行錯誤の時代です。変化を素直に受け止めて、新しい文化を創り出していこうという姿勢でいる方が、多くの人にとってハッピーなことなのかもしれない。
考えてみれば、結婚して次の世代を産み育て、代々子孫の血がつながっていくことが大事……という考え方も、おそらく明治時代以前の多くの人にとっては当たり前ではなかったわけですよね。

荒川:以前調べたことがあるんですが、大名家でずっと血がつながっているのは二家くらいしかなくて、あとは養子によってなんとか家系をつないできた。

鬼頭:そうですよね。そんなことをやってきた国で、結婚して子どもを持つということに今さらこだわる必要はないのではないかとも思います。友人の研究者によると、日本における養子縁組や里子の例は本当に少ないそうですね。アメリカなんて、肌の色が違う子も自分の子どもとして育てる家族がいる一方で、日本は血のつながりに対する意識がすごく強い。DNAまで引き合いに出してくるような時代になっている。

荒川:昔の日本なんて、自分の子どもじゃない人を結構育てていたはずですよね。
家族というのは、本来はコミュニティと同じような概念だったと思うんです。“同じ家の中に住んでいる人”くらいの意味だったのではないかと。今は血のつながっている家族だけが大事で、それ以外に対してすごく冷酷になりうる。そういう考え方の方が、むしろ悲しい世界を生んでしまう気がしています。

後編へ続く

鬼頭 宏(きとう ひろし)
静岡県立大学・同短期大学部学長

1947年、静岡県生れ。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。上智大学経済学部教授、同大学院地球環境学研究科教授を経て、2015年より現職。
主要研究テーマは、日本経済史、歴史人口学。著書に『2100年、人口3分の1の日本』(メディアファクトリー新書)、『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)、『愛と希望の「人口学講義」』(ウェッジ選書55)。

荒川 和久(あらかわ かずひさ)
博報堂「ソロもんLABO」リーダー

早稲田大学法学部卒業。博報堂入社後、自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。キャラクター開発やアンテナショップ、レストラン運営も手掛ける。独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBメディア多数出演。著書に『超ソロ社会-独身大国日本の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち-増え続ける未婚男性ソロ男のリアル』(ディスカヴァー携書)など。

★アーカイブ★
https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/series/solo/

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