「marusa balloon」は、60年以上の歴史を持つ、日本で唯一の“手作り” ゴム風船工場から生まれた、子どもから大人まで楽しめる新しいゴム風船ブランドです。通常のゴム風船は、丸く膨らますことしかできませんが、“手作り”ということを活かして、今までに無いカタチ、遊び方ができる商品を実現しました。2014年には雑誌「Discover Japan」にて「目利きが選ぶ日用品」として掲載され、蔦屋書店でも販売。2016、2017年にはミラノサローネに出展され、現在は、ギフト市場でも注目されているんだとか。
美田:マルサバルーンは、蔵前にあるショップで、偶然見かけたんです。その時、風船の風合いを活かした、キュートなデザインに、心を射抜かれました。読者の中には、マルサバルーンやマルサ斉藤ゴムを知らない方もいらっしゃると思うので、まず、会社の成り立ちを教えていただけますか?
斉藤:マルサ斉藤ゴムは、1950年に私の祖父が設立した会社で、今年で68年になります。元々、ゴム風船は大量に作って卸を通じてまとめて売るのが一般的でした。私の祖父が創業したのは、ちょうど子どもが増えて来た時代でした。そこで、子どもがお小遣いを握りしめてゴム風船を1つ買えるような仕組みを作ろうと、駄菓子屋に個売り販売する仕組みを考えたのが始まりだと聞いています。
私の父の時代は、日本は高度経済成長期でしたが、国内のゴム風船メーカーがどんどん潰れていた時代でした。ですので、タイで生産やパッキングする仕組みを作り、スーパーやホームセンター、コンビニなどに卸すようになりました。
そして、僕の代は、市場自体がシュリンクしていく時代。父が生みだしてくれた仕組みで収益は出しつつ、大量生産と差別化するための新しいゴム風船づくりにチャレンジしています。
美田:時代の変化に大変な思いをされながらも、親子3代で新しいことにチャレンジし続けて、バトンを繋がれてきたのですね。
ここは、日本で唯一の“手作りゴム風船工場”であるとおっしゃっていましたが、日本にゴム風船を作れる工場はどのくらいあるのですか?
斉藤:今ではうちと機械で作っているところと。もう2軒だけですね。1ドルが360円だった時代は、ゴム風船産業も輸出で財をなしていましたが、円安になって以降は、海外の大量生産にやられてしまいました。ゴム風船工場も僕が入社した頃には、ここ以外に数件ありましたが、みんなやめてしまいましたね。今ではほとんどのゴム風船が輸入になってしまったけれど、「手作りだからこそできる今までにないゴム風船」ができるのは、うちの工場だけです。だからこそ、“量産ではない軸”で、世界一をとることにチャレンジしたいと思っているんです。
美田:斉藤さんがお父様から会社を継ぐことになったきっかけを教えてください。
斉藤:2009年に、突然親父が脳梗塞で倒れました。会社を手伝ってはいましたが、経営のことは分からなかったし、突然の交代で先行きが全然見えなかったです。あはは。
美田:あははって(笑)、今はそんな笑顔でおっしゃっていますが、当時は、継ぐ事に恐怖心などなかったのですか。
斉藤:突然のことだったから、税理士に「お前、継がなきゃダメ」って言われて、「はい。」って言って、銀行の方がたくさん来て、「ここにハンコ押しなさい」って言われて、「はい。」って押して。気付いたら継いでいました。継いでみたら、ゴム風船業界はお先真っ暗、みたいな(笑)。でも、やらないと分からない事の方が、世の中多いじゃないですか。しかも、やってみたら案外楽しいことの方が多かったです。
美田:ポジティブ!
斉藤:そう、僕スーパーポジティブなんです。まあ、そんな僕も継いだ直後は悩みましたよ。でも、ちょうど継いだ年に、墨田区が運営する後継者を育成する塾に入って、同じような志を持った経営者たちと繋がれたことが転機でしたね。
その仲間がある日、ゴム風船を使って、バレーボールをしている施設があると教えてくれたんです。そこには、お年寄りや障害者や子どもが入り混じってゴム風船で遊んでいる姿がありました。ゴム風船って子どものモノだと思っていたけれど、こんなに幅広い人が楽しめるんだなと思えたのが、真っ暗闇から脱したきっかけでした。
美田:ふうせんバレーボールが、ゴム風船の可能性を信じられるきっかけになったんですね。確かに、マルサバルーンは、子どもだけでなく、大人もそばに置きたくなりますよね。このブランドが生まれた経緯を教えてください。
斉藤:この工場は、40年程、職人さんご夫婦でやられていましたが、せっかく手作りなのに、輸入品と変わらない、いわゆる普通のゴム風船を作っていました。確かに品質はいいんです、でもそんなのお客さんは分からないですよね。もったいないと思いました。工場の後継者はいないけど、手作りだからこそ、新しいことはここでしかできない。譲り受けるときも、職人さんは「やっていけないよ」って。でも、「僕、なんとかする」って言いました。具体的にどうするかは決まってなかったけど、それが新ブランドを立ち上げるきっかけになりましたね。
美田:なんとかするって言い切るところが、斉藤さんらしいですね。
斉藤:だって、なんとかするしかないじゃないですか(笑)。そんな中、墨田区の取り組みで、デザイナーさんとのマッチングの場があったんです。そこで出会ったのが、アッシュコンセプト代表の名児耶秀美(なごや・ひでよし)さんです。
斉藤:名児耶さんは、輪ゴムを動物の形にした商品、「アニマルラバーバンド」を作った方です。輪ゴムを動物の形にしたことで、見事に付加価値を付けた。その辺に売られていた輪ゴムが、いきなり世界にいったんですよ。「ニューヨーク近代美術館(MoMA)に売っています」って言われて、「僕も風船でMoMAにいけるかもしれない!」って思いました。まだいけてないですけどね(笑)。
美田:他にも様々なデザイナーさんがいらっしゃったと思うのですが、どうして名児耶さんにお願いしたいと思ったのですか?
斉藤:もう僕は、彼が自己紹介した瞬間、惚れちゃったんです。彼が自己紹介で、何て言ったと思います?「自分が作った動物たちが、世界中に4000万匹います」って言ったんですよ。その言い方って素敵じゃないですか?「本当に商品を愛してるんだな。ものづくりに真摯なんだな」って感じたし、自分が作ったゴム風船が世界にいけたらすごいなって、夢も持てました。
いまだに僕、名刺に書いたラブレターの写真を持ってるんです。
美田:ラブレターを書いたんですか?
斉藤:そう。名児耶さんが話している間に、「絶対このチャンス逃さない!」って必死に書いたんですよ。
美田:素敵ですね!瞬時に「この人だ!」と確信を持って、すぐ行動に移すのは、中々できることじゃないと思います。こんな沸き立ての熱い気持ちを伝えられたら、自然と仲間になりたくなりますよね。そんな名児耶さんと一緒に、マルサバルーンを生み出したわけですが、開発はスムーズに進んだのでしょうか。
特に、指にはめるだけで遊べる指人形の「マンマルパペット」や、中に小麦粉を入れて遊ぶ「マンマルU」など、“膨らまさない風船”は、最初から斉藤さんの構想にあったんですか?
斉藤:膨らまさないゴム風船なんて、僕はまったく思ってもいなかったです。最初、名児耶さんが提案してくれたのは、丸、三角、四角形のゴム風船でした。膨らませたら丸くなってしまうのはわかっていたけれど、「とりあえずつくってみましょうか」と言ってみたんです。
そしたら案の定丸くなって。「やっぱり、だめでしたね」って僕が言ったら、「膨らまさなきゃよくないですか」って名児耶さんが言ったんです。“膨らまさない”なんて考えたこともなかったので、目から鱗でした。
美田:“膨らませない”新しいゴム風船は、「とりあえずやってみる」から生まれたんですね!
斉藤:そうです。やっぱりとりあえず、相手を信じてやってみるのがいいですよね。親父が亡くなる前、「ゴム風船は、全てを包むものだ」と言ったんです。言われた当時はピンとこなかったけれど、ゴム風船は膨らまなきゃいけないとか、空気しか入れちゃいけないわけじゃない。全てを包み込むような、あたたかいモノになればいいんだと、このブランドができたときに、親父の言葉が腹落ちしました。
美田:斉藤さんは、マルサ斉藤ゴムの経営だけでなく、墨田区を軸に、地域の廃材を活用するプロジェクトや、地域イベントプロデューサー協議会の立ち上げ、イベントのプロデュースなど、数え切れないほどの活動をしていますよね。新しいことを次々とやってみるモチベーションはどこからきているのでしょうか?
斉藤:まずは、何も経営が分からない自分に、学ぶ機会や人脈を提供してくれた墨田区に恩返しをしたいという思いはあります。あとは、僕が新しいことをやっていないと、死んでしまう性格なのも影響しているかな。失敗してもいいから、好きな人たちと色んなことをやってみたいですね。失敗しても、死ななきゃどうにかなるし(笑)。
美田:社長の口から「失敗してもいいから」と聞けるのは、心強いですね。お話を伺っていると、「とにかくやってみて、どうにかする」という考えが、根底に強くあるのかなと思ったのですが。
斉藤:そうかもしれません。なんでだろう…。そういえば、僕が初めてお金を稼いだのは9歳の時なんです。
美田:え? 9歳ですか?
斉藤:我が家には、お小遣いがなかったんです。でも、欲しいものはある。9歳の時、「どうにかできないかな」と考えて、空き瓶を拾って酒屋に持って行き、お金に変えて欲しいものを買っていました。だんだん効率的な集め方を工夫したり、友達に手伝ってもらったりして、自分でお金を増やしていましたね。
美田:その幼少期の経験が、「とにかくやってみて、どうにかする」の原点だったんですね。
斉藤:僕も今、話しながら気づきました(笑)。例えば今、無一文で知らない国に飛ばされたとしても、生きていく自信はあります。でも、社長って、そのくらいじゃないと、きっとダメなんだと思います。社長は、新しい未来をつくるのが仕事だもの。一見、ゴム風船と関係なくても、色んな人と繋がって、新しいことをやってみるんです。そうした方が、結果的に本業に絶対繋がって来ますから。
美田:「社長は、新しい未来をつくるのが仕事」。確かにそうですね。最後に、マルサバルーンと斉藤さんの今後の展望を聞かせてください。
斉藤:僕が今興味があるのは「色」。世界中のいろいろな人と会っていますが、日本人って一番色彩感度が高いんです。タイの工場に青色を指定しても、全然違う青色を同じって言うんですよ。日本の歴史を紐解くと、日本には100種類くらいの赤があるでしょ。日本人は四季のおかげで識別できるんです。ゴム風船の世界で言えば、一番色が多いメーカーはアメリカのメーカーですが、それでも全部で80色程度です。例えば、僕が赤色だけで100種類のゴム風船を作ったら、すごくないですか? ハイブランドのコーポレートカラーのような絶妙な色がゴム風船で再現できれば、ハイブランドともコラボできるかもしれません。そんなことができるのは、手作り工場をもつマルサ斉藤ゴムならでは。やってみたいですね。
ゴム風船は子どものものだと思っている人が大半だと思いますが、実は大人もゴム風船が好きなんです。裏を返せば、これから僕たちが驚かせられる人が大勢いるということ。どんどん新しいことをやって、世の中に笑顔をたくさん増やせればいいと思っています。
美田:今日はありがとうございました!
■ご参考■
marusa balloon http://maru-sa.co.jp/item/marusa-balloon/
株式会社マルサ斉藤ゴム http://maru-sa.co.jp/
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今回は「志」の視点で、「marusa balloon(マルサバルーン)」から読み取れるこれからのブランド作りのヒントを考えてみたいと思います
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