アイルランドの首都ダブリンのトリニティ・カレッジ(ダブリン大学)でスタートした「サイエンスギャラリー」は、現在、ロンドン、メルボルン、ヴェネチア、バンガロール、デトロイトなど、各地の都市戦略とも連携しながら世界6都市の大学を拠点とする国際的ネットワークとして成長している。都市に開かれた「ソーシャルスペース(社会的空間)」として、次世代の育成を目指すその取り組みを通して、創造性を育む都市空間の可能性を考えます。
鷲尾(以下、W):
トリニティ・カレッジ(Trinity College, University of Dublin)は、400年以上もの歴史を有するとても伝統のある大学ですね。さきほど大学の図書館を見学させていただいたんですが、あの有名な「ケルズの書」をはじめ、非常に貴重な書物や歴史的文献が所蔵されていて感動しました。そして、その反対側に、アート&サイエンスをテーマとするこのような現代的な空間が組み込まれていること、その対比がとても面白いと思いました。
アンドレア・バンデリ博士(以下、A):
「サイエンスギャラリー・ダブリン」は、トリニティ・カレッジにとっての新しいチャレンジとしてスタートしました。最先端の科学的探求を大学の中に閉じずに、社会にもっと開くための新しい空間(Space)をつくる、それが設立の狙いでした。今年で10年目を迎えます。その後、私たちの取り組みとそのフレームは世界各都市へと広がっていきました。今後、南米、アフリカ、そして東南アジアにも拠点が広がる予定です。
W:
ここは、本当にダブリンの街の中心部に立地していますよね。
A:
もともとはナノテクノロジーなどの物理学に関する研究施設があった場所で、いま私たちがいるこの1階部分は駐車場でした。この場所を新しく改装する計画が生まれたタイミングで、サイエンスギャラリー・ダブリンはつくられたのですが、それは同時にダブリン市にとっての再開発プロジェクトの一環という側面もありました。
W:
ここに来て感じた印象は、いわゆるギャラリーというよりも、もっと都市の中で開かれた空間、いわば「ソーシャルスペース(社会的空間)」ともいえるような感覚です。ギャラリーも外からガラス越しに見えるし、閉じていませんね。1階部分にはカフェがあって、学生たちも、街の人も、あるいは観光客も、いろんな人たちが入れ替わり立ち替わり入ってきているようです。
A:
全くその通りです。私たちも、大学の一施設ではなく、都市に向かって開かれた空間として運営しています。今では、年間50万人が訪れてくるようになっていますので、すっかりこの街に定着しました。学生、研究者だけではなく、街の人たちも観光客も訪れるので、これほどまでの数字になるわけです。
W:
先におっしゃられた大学にとっての新しいチャレンジについてもう少し詳しく聞かせてください。
A:
大学という教育機関の大きな目的は、もちろん「研究」そして「教育」にあるわけですが、今日においては決してそれだけではありません。研究成果だけでなく、ここで学んだ学生たちの存在も含めて、果たしてその何を、どのように社会に還元していくことができるか。それが今とても重要だと思います。いわば「社会的な存在」としての三つ目の役割が大学に求められているのです。大学が、社会の中で、都市の中で、どのような機能や役割を果たしていくことができるか。この三つ目の役割を果たす場所として、サイエンスギャラリーが計画されたのです。
W:
ここでは具体的にどのような活動が行われているのでしょうか。
A:
まずサイエンスギャラリーでは、今様々な領域で取り組まれている科学的探求を「展示(エキジビション)」という方法で公開しています。それが、我々がこの場所を「ギャラリー」と名付けている所以でもあるわけです。通常は年間3〜4つの企画展をギャラリースペースで展開します。現在開催されているのは『LIFE AT THE EDGES』というもので、これは宇宙を含め、極限的な生活環境の中で人間がどのように生存していけるのかということを様々な観点から問いかけていくプロジェクトです。
毎回の展示を構成するプロジェクトは、トリニティ・カレッジの中の様々な専門領域で探求されてきた研究成果も含まれていますが、他の大学やあるいはインディペンデントな研究者たち、アーティストたちのプロジェクトも含まれています。展示テーマが決定されると、私たちは「オープンコール」(公募)という仕組みを使って、広く展示するプロジェクトや作品を公募しています。半年間位の公募期間で、大学生、大学以外の研究者、アーティストなどから約200点程度の応募が集まってきます。その上で、テーマに相応しいと思われるプロジェクトを外部の専門家チームと共同しながら選んでいくわけです。
W:
展示のテーマ、つまりは「問い」を設定して、そのもとで様々な科学的探求を展示作品として一般に公開していくわけですね。それは非常に面白い仕組みですね。
A:
その通りです。展示のテーマ自体は、科学的な探求をベースにしていますが、私たちの日常の暮らしと非常にリンクした「問い」を設定していくことが重要です。またそのテーマや問いを明確にした上で、それをみんなで対話をしたり考えたりするための素材として意欲的かつ挑発的なチャレンジを行っているプロジェクトを選ぶわけです。
W:
トリニティ・カレッジ内に限らず、校外からも広く公募を行っていることには驚きました。
A:
大学内だけに閉じるのではなく、もっと広く若い人たちが自由に興味のあるテーマを探求できる機会を提供していきたいと考えています。「ギャラリー」という形態での展示を通して、若者たちがある種孤独に探求してきた成果やその価値を、ひろく社会に還元していく機会にしていきたいのです。応募条件は、必ずしも大学生や研究者である必要もありません。
W:
大学の研究リサーチのあり方にも影響してくるように思います。
A:
これまでの大学の研究のあり方は、極めて個別的であり、いわゆる「サイロ」的なものでした。
また一般の生活者にとっても、大学でどんな研究がされているかってそんなに関心があるわけでもない。それがどんなすごい研究でも、積極的に知る必要もありませんでした。しかし、科学的な探求とは、そうではなくて生活者の日常と繋がった中で価値が生まれるものです。そして多様な研究領域が重なっていく中でこそ新しい可能性が見えてくる。だから、社会的な関心があるテーマのもとで、できる限り多様な視点を投げかけていくことが重要です。私たちが広く「オープンコール」という形式をとるのはそのためです。それは大学にとっても新しい可能性を取り込むことにもつながります。
W:
「ギャラリー」であるということは、ただ情報を得るだけでなく、新しい驚きや感動を得られることが大切だと思います。やっぱり心を動かしてくれる何かに出会いたいと思うものです。
A:
その通りです。私たちが展示しているものは、確かに科学的探求がベースにあるのですが、重要なのは、それがどのような視点で、どのような問いを持ってなされているかを伝えていくことです。広く街の人たちにとって関心や興味をかき立て、その人の学術的なバックグラウンドに関わらず、どこか自分とのつながりを感じるような発見を提供したいと思っています。
だからこそ、そこには「アート」という視点、つまりその問いかけが、何か自分に非常に近いものなのだと直感的に訴えかける力が必要になってきます。科学的探求と芸術の持つ創造性との相互交流はとても重要です。
W:
深いエンゲージメントや問いを「私たちごと」にする、そんな「アート」の力が、ここでは信じられているわけですね。
W:
大学に属しながらも、都市空間として、地域社会の担い手たちを育てようとする。その自由な運営はどのような体制によってなされているのでしょうか?
A:
サイエンスギャラリーは確かにトリニティ・カレッジが設立したものですし、トリニティ・カレッジの一部なのですが、大学からの資金提供を受けながらも、外部からの資金提供も受けています。ここダブリンのポートフォリオとしては、大学、アイルランド政府からの支援、カフェやイベント等の運営からの資金、私企業からの支援などがざっくりと4分の1ずつです。そうしたこともあり、極めて自由な活動を行っています。
W:
ダブリンの街には個人的にはとても親しみやすい印象を抱きました。裏通りで観光客目当てのバスキングではなくて、自分たちの楽しみのために民族楽器を演奏するグループに出会った時に、文化的な営みがしっかりと根付いている街なんだと感じ、ちょっと気持ちが高揚しました。しかし同時に、ストリートに座っている若い青年たちもかなりいて、経済的な格差がはっきりと存在していることも見えてきます。こうした社会の状況、あるいは地域社会の文化性、そして都市の成り立ち、その文脈(コンテクスト)があった上で、この空間も存在しているのだと思うのです。都市との関係についてはどのようにお考えですか。また実際にこの場所はこの街のどのような人たちを主な対象としているのでしょうか。
A:
とても重要な視点だと思います。実際に私たちも都市との関わりについて強く意識しています。トリニティ・カレッジは、やはり周囲からは敷居が高いと思われています。実際に大学の進学率もダブリンのような都市部では決して高いわけではありません。この場所は大学の中では一番のエッジ(周縁)の部分であり、だからこそ都市との接続部であるわけです。この場所を生かして、広くこの街の若者たちの意識から、こうした高い敷居を取り払い、この大学に入学するかどうかに関わらず、若い人たちの才能を活かす機会を広げていくことも、私たちの重要なミッションなのです。
具体的には、15歳から25歳という年齢層を対象としていますが、これはつまり、自分の進路を考えなくてはならない年頃の若者たちを対象とするということです。決してこの大学の学生だけが対象ではありません。むしろ大学に進学できない環境にあっても自分の関心あるテーマを学べるきっかけになるような場所を目指しています。
私たちは若い世代の誰もがこれから立ち向かう様々な課題、例えば第4次産業革命における技術や経済の課題、社会の格差や自然災害など、様々な未知の課題を主体的に受け止め、取り組める機会をつくりたいと思っているのです。
すべての若者たちが、未知の課題に挑むための創造性を持っているのです。
W:
実際に、ここのスタッフの方々も若い人たちが多いですね。
A:
このギャラリーで働いている黒いロゴTシャツを着たスタッフたち、彼らも学生たちなんですよ。彼らは「メディエーター」と呼ばれていて、この場所を訪れた人たちに対して、展示されているプロジェクトがどのような問いかけを持っているかを、来場者との会話を通してともに考えることを促す存在です。単なる説明員ではありません。このサイエンスギャラリーで最も重要なのは彼らの存在です。科学的探求と来場者とをつなぐヒューマンインターフェイスであり、彼らがこの場所の鍵を握っています。
W:
彼らはボランティアですか?
A:
いいえ、そうではありません。ここには学生の「メディエーター」たちが20〜30名いますが、その多くは週に12〜20時間くらいのパートタイムとして働いています。物理学、医学、自然科学、音楽、アート、バックグランドは様々です。トリニティ・カレッジだけでなく、他の大学の学生もいます。彼らにとっては勉学や研究が主ですが、それと同時にここでパートタイムとして働くことで、自分の研究成果や関心を社会に自らつなぐ機会、社会とコミュニケートする機会を彼らは得ることができるわけです。しかもボランティアではなく、仕事として。
W:
若い世代が主体的にこの場を動かしているのですね。それはとてもいいですね。アートも、サイエンスも、一部の知識階層のためのものではないのですから。
A:
全くその通りです。サイエンスギャラリーの大切な役割は、研究成果を社会にオープンにしていくとともに、学生や研究者、アーティスト、来館者がともに学びあえる場所であること、つまりは、多様な主体にとっての「教育」にあると思います。メディエーターたちも、ここで働くことで全く異なるテーマを探求する同世代の仲間ができる。幅広いバックグラウンドを持った若者同士がとてもオーガニックな関係をつくり、互いに学び合うことができるのです。個別の研究を続けること以上に、現在はこうした多様な視点を学ぶことが重要になってきるのではないでしょうか。
(後編につづく)
※サイエンスギャラリー・インターナショナル
https://international.sciencegallery.com/
アムステルダム自由大学にて、「Scientific Citizenship」の博士号を取得。STEAM教育を通じて全世界の若者の創造性を育成するグローバルネットワークである、サイエンスギャラリー・インターナショナルのエグゼクティブ・ディレクターを務める。90年代初頭からNEMOサイエンスセンター(アムステルダム)やマイアミ科学博物館など、学校や美術館での教育プラットフォームの開発を手がける。NISE(Nanoscale Informal Science Education network)の元パートナー、ドイツ博物館(ミュンヘン)理事。世界中の有力な美術館と協力して、科学、芸術、民主主義、市民参加に関連した多数の国際プロジェクトの指導を行ってきている。
戦略プランニング、クリエイティブ・ディレクション、文化事業の領域で、数多くの企業や地方自治体や産業界とのプロジェクトに従事。プリ・アルスエレクトロニカ賞審査員(2014〜2015年)。主な著書に『共感ブランディング』(講談社)、『アルスエレクトロニカの挑戦~なぜオーストリアの地方都市で行われるアートフェスティバルに、世界中から人々が集まるのか』(学芸出版社)等。