群馬県高崎市が昨年9月に公開した「失うには惜しく、絶やしてはならない絶品グルメ」=「絶メシ」を紹介するローカルグルメサイト「絶メシリスト」は大きな注目を集め、広告業界最大級のコンテスト「ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS 2018」でグランプリ受賞の栄誉に輝きました。
プロデューサーとして本プロモーションをてがけた、博報堂ケトルの日野昌暢に開発秘話などについて聞きました。
<絶メシリストとは>
https://zetsumeshi-takasaki.jp/
Q.もともと地域活性化の領域に興味はあったのですか?
大学時代に建築やランドスケープやまちづくりを専攻していたこともあり、地域活性への興味はずっとありました。自分の地元で力を試したくて、2005年に九州支社(福岡)に転勤した時は、沢山のローカルのプレイヤーと仕事する機会を得ました。でも、東京で学んだコミュニケーション手法をそのままローカルでやろうとしても、全然上手くいかなかったんです。振り返ってみれば、自分の力も、視野の広さも足りなかったし、広告業界の周りだけで過ごしていて、街のことを全然みれてなかったなとも思います。
福岡市は、今でも人口が増え続けているし、最近では地方最強都市なんて言われていたりもします。その勢いの源の一つに「コミュニティ文化」があると感じています。会社や立場が違っても力を合わせて街を盛り上げていこうっていう気質というか。コミュニティは東京にももちろんあるのですが、街が大きすぎてコミュニティ同士の絡みも限られますし、コミュニティが街に影響するのも難しい。でも福岡はコミュニティが街に影響を与えている感じがかなりある。大企業や巨大資本が少ないから新しいことをやるのに力を合わせないといけないからかもしれないし、博多祇園山笠という祭りのある街だから、様々な人たちが集まって一緒に何かをやるコミュニティ的感覚が昔から街に根付いているのかも。屋台で隣に座ったら、もう友達ですよ(笑)。そこは東京には無い魅力ですし、地域を本質的に活性化しようと思ったら、まずは街の魅力や活力を作っている構造は把握することはとても大切です。
僕が九州支社に転勤した時に驚いたエピソードが一つあって。電通九州の人たちが自然に大歓迎会を開いてくれたんです。競合ですから仕事でお互いにしのぎは削るけど、共に地元企業のお手伝いをし、「なんとか地域の幸せにつなげたい」「地元のお役に立ちたい」と願う気持ちは、電通九州でも博報堂でもメディアでも、みんな思っている訳で。当時、僕はまだ6年目で、博報堂九州支社の中でダントツに若かったこともあって、「お、若いヤツがやってきたな」という感じで歓迎会をしてくれました。そんなこと東京では聞いたことがない。
Q.博報堂ケトルに移って最初の仕事は?
2000年に入社し、ずっと営業畑でしたが、2014年博報堂ケトルがプロデューサーを社内公募していて、それに応募しました。
この年「地方創生」という言葉が使われ始めた頃です。最初の仕事は福岡市からIT人材を首都圏から移住・定住させたいというお題。そこで、「#(ハッシュ)FUKUOKA」というウェブメディアの提案が採用されて、サイトを立ち上げました。福岡市はその当時から勢いのある街のイメージがありましたが、東京でその本質的な理由を明快に語れる人はあまりいなかったんです。一つの大きな要因があるわけではなくて「ちょっとしたいいこと」がたくさんあるっていうのが真実だったので、それを域外に伝えられるメディアを作るという提案でした。福岡市の街の勢いの理由を知りたい人はたくさんいたので、それをちゃんと取材してアーカイブしておけば、見られるんじゃないかなと考えたんですね。
福岡で起こっている事象や人物が、東京から見ても面白い!ってことはたくさんあって、そういったことを丁寧に取材し、1つ1つきちんと記事にしていったところ、これまで個人のSNSで発信してきたけど、こういった「外から目線で編集されること」で、客観視点で言語化されるし、刺激にもなるからありがたいというような声をたくさんいただきました。また、福岡のことが東京のテレビ番組や雑誌に取り上げられたり、書籍で語られたりするときに#FUKUOKAの記事を見て内容を組んでいるなとわかることも結構ありました。これが元々狙っていたことだったんです。面白いことがわかれば人はそれを求めてやってくる。メディアをやること自体が目的ではなかったのですけれども、街で頑張っている人から反響があったり、街に埋もれていた情報をまとめることでメディアや人に語られる材料になったという確かな手応えが、僕の一つの原体験となり、それが「絶メシリスト」にも活かされました。
Q.「絶メシリスト」誕生の経緯をおしえてください
高崎市から、何か面白い「シティプロモーション」をやりたいという依頼をいただいたことがそもそもの始まりでした。オリエンは「食をテーマにしたウェブサイト」。でも、ただグルメサイトをつくるだけでは絶対に人は見てくれない。
高崎市はコンベンションが多く、東京からも出席者が時に何千人単位で訪れるのですが、その時にオススメしたい地元のお店がインターネットで出てこないって、市長や市役所の方々がおっしゃっていて。高崎市は東京の会社の営業マンが北関東を回る時の拠点でもあるんですね。土地のうまいものが食べたいと思っているビジネスマン達の気持ちを満たすところってどんなところだろう?とメンバーで話す中で、とにかく自分たちでも探して食べに行こうということに。
新幹線で高崎市に行って、地元で色々な人に「お勧めできる良いお店はありませんか」と聞いて回ったんです。そうしたら、「以前はあったけどね、もう全部なくなった」って、答える高崎市の人たちが多かったこと!!そして、残っている“名店”がぽつぽつと絞りだされてきました。「あそこぐらいかな」みたいな具合に。食べてみると、普通の街の食堂なんですけど、すごく美味しくて。そういえば、こういうお料理の食べられる場所が減ったなと気づきました。
地元で誰でも知っていたラーメン屋さんやトンカツ屋さんが突然お店を閉めることが高崎でも続いていて、地元の方々はけっこうショックをうけていましたし、地元の新聞でも大きなニュースになっていたりもしていました。
博報堂ケトルの畑中翔太を中心としたクリエイティブチームが、さまざまな案を出し、紆余曲折するうちにたどり着いたのが、存亡の危機をはらんだ “地元で長年営業しているいいお店”をピックアップし、「絶やしたくない絶品グルメ」として紹介して、みんなに“行ってみたい”と思わせる企画でした。
僕はこの企画を決めた時のミーティングに参加できなかったので、会社に戻って畑中に、打ち合わせどうだった?って聞いたら「いいこと思いつきました。『絶メシリスト』です。」って言うんです。満面の笑みで。そのインパクトあるネーミングにおお!と思う反面、大丈夫かなとも思いました、正直(笑)
「は?うちって絶メシなの?」とお店のご主人に気分を害される?とか、自治体側にも「絶」ってワードが受けとめられるだろうか、とか。それは頭をよぎりましたが、このネーミングが大事だというのは確信しました。
いざ提案してみたら、得意先の中でもやはり「この名前で大丈夫?」という反応はありましたが、丁寧にご説明をして結果的にはご英断をいただき、ネーミングにもGOサインがでました。やっぱり「絶メシ」だからこそ社会の記号になれたんです。極端に言えば「高崎オススメ!名店グルメサイト」とかだったら、残らないですよね。このネーミングにできたのは大きいターニングポイントだったと思います。
Q.進める上で障壁はありましたか?
最初の障壁はネーミング。二つ目の壁は、高崎市は行政の立場として「特定のお店を宣伝するようなプロモーションを実施して良いのか」という意見が来てしまう懸念をどうするか。これに関しては「博報堂ケトルに編集権を持たせてください」とお願いしました。リストを作成するのは高崎市ではなく東京のメディアで多くの取材記事の実績をもつライターさんで編成された「絶メシ調査隊」が第三者の目、外からの目で「絶メシ」と選定したものを掲載していきます、という建てつけです。こういった、行政としては難しい判断をしていただいた結果が今回の成功に大きく影響しています。高崎市役所さんだったからできたと本当に思っています。
それでも、特定のお店をとりあげるなんてけしからん、とか「絶メシ」とはけしからん、というクレームが市役所に来るかもしれないという想定はありました。が、結局全くなかったんです。それは、このキャンペーンがとらえている社会課題がみんなの共感を得たということだと思います。
Q.ローンチ後の効果を教えてください
今まで経験したことのないぐらいの量とスピードでどんどんメディアから問合せがありました。特に全国ネットのテレビ番組に次々と取り上げられ、その度にサイトのPVもどんどん上がりました。テレビに出た翌日にお客さんが殺到するお店も出てきました。特に金儲けをしたいとか、目立ちたいというわけでもないお店に、高崎市を盛り上げるために、と頼みこんでご協力いただいたお店もあったので、迷惑はかけられないという想いもあって心配もしました。みなさん高齢ですから、テレビの取材対応までは難しいお店もあって、協力を断られるケースも少なくないのですが、それはしょうがないですよね。取材を受けていただいたお店も行列ができたりして実際に大変だったとも聞こえてきたので、後日にお店を回って話を聞いてみると「直後は大変だったけど、それ以降も、これまでに来たことのないお客さんが増えたよ」「おいしかったですって声をかけられることが増えたよ」って、嬉しそうに教えてくれたりする店もあって。その時は「ああ、良かった」って思いました。
二次的効果は、高崎市はおもしろいことをやっている自治体だと思われたことです。“イメージ”が存在しなかったところに、高崎市に「絶メシ」あり、と新たなフックが出てきて、これまでだったら近くを通り過ぎていた人たちが、テレビで見たから、ネットで見たからと、高崎市に立ち寄ってみるケースもあるようです。きっと、当初狙っていた出張サラリーマンの方々も利用してくれているはず。ご協力いただいたお店では、3割ぐらいお客さんが増えていると言われていますが、それ以上に、街の人たちに話しかけると、この「絶メシ」というワードを想像以上にみんな知っているのですよね。それはうれしかったです。高崎市役所さんがJR高崎駅と交渉して、本来ポスターを貼らない場所にも貼ってくれていたり、観光協会さんが大きな看板のスペースを提供してくれたり、地元の映画館さんが本編の前に動画を流してくれたり。地元のラジオ局さんが特集を組んでくれたり。そういった街の方々から応援をしていただけたことも大きかったと感じています。
仮にWEB動画がバズってたくさん再生されても、地元の人に知られて応援されていなければ僕としてはダメかなと思っちゃう。「絶メシ」の一番の成功は企画の想いが地元の人たちにも根づき始めているし、他のエリアでも共感を得ているところだと思います。
高崎は車社会なので、地元の人でもロードサイドにあるチェーン店は人気です。でも、その無意識にしていた選択が、長年地元で静かに育まれて来たローカル店へとシフトする。その味が尊いと感じる。そんな行動変化が生まれているなら、僕はそれが一番のすごい成果だと思うんですよね。
Q.「ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」でのグランプリ受賞の影響はありましたか?
めちゃくちゃ大きかったですね。まず、博報堂社内から引き合いがいっぱい来ました。「高崎市と同じようなことをやりたい、どうやったらできる?」 というもの。自治体をクライアントさんに持つ博報堂、博報堂の地域事業会社だったり。
Q.「絶メシ」はもともとは高崎市への提案であったわけですが、他の自治体に展開することをお許しいただいたのですよね?
実は高崎市長が、この案を採用いただいた際に、「ここ高崎だけじゃない。地方自治体が抱える課題は、みんな同じなんだよ」。そして、「うちでうまくいったら、別の街でやったらいいよ」と言ってくださったんです。
あと、「絶メシ」という商標をすぐにでもおさえる必要がありました。このネーミングこそ、成功を左右する鍵だし、流行ったとたんに誰かに取られてしまう可能性が考えられたので、博報堂で権利取得したということもありました。
Q.地域経済活性化プロモーションを企画する際、大切にしていることは何ですか?
「継続性」です。広告会社で働く者として言う立場じゃないかもしれませんが、我々はとかく打ち上げ花火的に一瞬目立つキャンペーンをつくってしまいがちです。できた!テレビにでた!良かった!面白い!じゃあまた…みたいな感じになっていないだろうか、といつも気をつけています。
あと、ウェットになりすぎないことも大事かな。「絶メシリスト」は、全体的なトーンが結構あっけらかんとしているのですよね(笑)。愛はもちろんあるのですけど。こういった企画は地元愛があふれすぎたりしてやたらウェットになることがあるんです。畑中の冷静な視点だからこそ出た「絶メシ」というネーミングアイデアも大事だったし、伊集院隆仁(博報堂ケトルstove:博報堂ケトルの編集部門)が絶妙なトーンで編集してくれているのがまた大きく、この取材記事を元にした、絶メシ店主たちのとぼけたコメントを駿河亮(博報堂)がコピーにしたポスターも話題になりました。伊藤裕平(TBWA\HAKUHODO)のアートディレクションもとっても効いている。CDの畑中が色々とちょうどいい按配にしたんですよね。
今までなかった概念が生まれ、地域社会と合意が形成され、それが「社会記号」になって流通し始め、その社会記号から新たな行動が起こる。これは自分が目指しているものだし、博報堂ケトルの得意とするPR領域です。この新しい概念を使った事業化への期待も高まっていますが、利益創出に走り過ぎると、最初に守りたいと思った大切なものや、目指すもの、原点を忘れてしまいがちです。そこがブレないように大切に展開していけたらなと思います。
1975年福岡市生まれ。九州芸術工科大学 大学院芸術工学府修了後、博報堂に入社。14年間の営業職を経て2014年に博報堂ケトルに加入。受賞歴に、ACC TOKYO CREATIVE AWARDS グランプリ、カンヌライオンズ ブロンズ、ADFEST金賞、クリオ賞 ブロンズ、イノベーティブアプローチ電通賞、消費者のためになった広告コンクール金賞など。