宮澤 今、日本では多くの企業がイノベーションを起こしたいと考えています。成功させることは簡単ではないと思いますが、教授はイノベーション成功のためには、何が最も重要だとお考えですか?
ウォルコット いろいろあるのでひと言では説明できませんが、まずは「目的を明確にする」ことを挙げたいと思います。何のためにイノベーションを起こしたいのか。効率を上げたいのか、既存の事業を成長させたいのか、この点を明らかにしておかなくてはいけません。
世の中では、新しく見えるものは何でもイノベーションと呼ばれます。しかし実際には、効率を上げるためのイノベーションと、成長のためのイノベーションは別物です。にもかかわらず、多くの企業は目的を明確にしないまま、同じツール・同じアプローチ・同じチームを使って、あらゆるイノベーションを起こそうとしています。
結果として、インクリメンタル(漸進的)な効率、既存事業の効率性は徐々に上がっていくかもしれません。それは日米の企業が得意とすることですが、ラディカル(抜本的)に効率を高めるためには、別の方法でアプローチする必要があります。別のテクノロジー、別のプロセス、そして場合によっては新しいルールが必要なのです。
成長のためのイノベーションについても同様のことが言えます。既存の事業や商品の成長を後押しするためにイノベーションを生み出そうとする場合と、まったく新しい事業を構築するためのイノベーションとでは、アプローチの方法は異なります。
宮澤 企業の規模が大きくなればなるほど、既存事業の効率化の方が重要だと考えがちで、成長のためのイノベーションが必要だということは、頭では理解していても、実行できにくいという現実があるように思います。アプローチが違うのであれば、成長のためのイノベーションは、よりいっそう強い意志を持って臨まないと成功はままならないということでしょうか?
ウォルコット その通りです。ただし、イノベーションというものは、短期的に見ると無駄が多いし、コストがかかるものだということも、同時にしっかりと認識しておく必要があります。イノベーションの成功事例を見ると、多くの人が一発でうまくいったと誤解しがちですが、その成功にたどり着くまで何百もの失敗が繰り返されているものなのです。
宮澤 日本企業の風土として、失敗に対してどちらかというと不寛容なところがあるのですが、そのことがイノベーションのための思い切ったアクションや、そもそも数多くの挑戦を取りづらくさせているようにも思います。失敗については、どのように捉えるのがいいのでしょうか?
ウォルコット イノベーションを実現するには、失敗を損失として捉えるのではなく、「学習」のコストだと受け止めることが重要です。そして、失敗を学習として生かすためには、合理的なプロセスを通じて、成功の確度を上げるようマネジメントすることが大切です。具体的には、「アイデアを探索する→低コストで実験する→アイデアを試す→応用する→パイロットプログラムを実践する」というプロセスを踏みます。
初期段階では、多様なアイデアを大量に探索することが必要です。次に、アイデアの一部について、不確実性を排除するために低コストで実験を行い、その結果、うまくいかないものや機能しないものは却下して、別のアイデアを試すことになります。これは失敗ではなく、仮説の検証です。大変素晴らしいことなのです。こうしてトライ&エラーを何度も繰り返すことによって、だんだんと成功に近づくことができるのです。
宮澤 私も、宝くじを1枚だけ買って1億円の当選を期待するのは現実的ではないというのと同じように、イノベーションを成功に導くためには、数多くの失敗を経験する必要が何よりも大切だと思っています。その失敗の経験を積み、教授もおっしゃっていたようなマネジメントを実施すれば、成功の確度が徐々に上がり、企業もイノベーション体質に変わっていくように思います。
ウォルコット 失敗に関連して、もう一つ付け加えておきたいことは、探索して発見したアイデアのうちどれが優れており、どれがダメなのか、実験する前はわからないということです。本当に予測がつきません。
新しいアイデアにはあらゆる失敗の原因が揃っているので、実践に二の足を踏んでしまう人がほとんどです。誰もが好んで失敗したいとは思わないからです。難しいのは、新しいアイデアが革新的であるほど、大化けするチャンスも大きいということです。最初の時点でまったく成功しそうにないアイデアほど、そうです。つまり、失敗を恐れすぎると、今後大きなヒットになり得るものもすべて除外し、大化けする可能性のあるアイデアもつぶしてしまいかねないのです。
何がうまくいくかわからないという意味では、いろいろなタイプのイノベーションを手掛けることも重要です。投資と同じです。退職後に備えて投資する場合、ファイナンシャルアドバイザーは投資先を分散させるべきだと言うでしょう。なぜなら、全額を日本株だけとか不動産だけなどに偏って投資すると、暴落したときのリスクが大きいからです。それを避けるためにいろいろな投資先に分散するのと同様、イノベーションもポートフォリオのように、様々なタイプを組み合わせて実施すべきです。
宮澤 日本では、イノベーションという言葉が最初に「技術革新」と訳されてしまったことや、破壊的イノベーションという言葉だけが一人歩きした結果、イノベーションというと「革新的な新しい技術によってもたらされる、画期的な大きな変化」と捉える風潮が未だに残っています。そうではなくて、もっと小規模なイノベーションや、技術だけではない、たとえば対象とする顧客を変えたり、販路を変えたりするマーケットサイドのイノベーションも同時に行うことこそが重要というのは、全く同感です。
ウォルコット イノベーションを成功させるために重要なことをもう一つ挙げておくと、「過去に誰も考えたことがない、まったく新しいアイデアを考案しなければならない」という考え方を捨てるべきです。過去に誰も考えたことがないアイデアを考案するのは、おそらく不可能です。考え得るアイデアはすべて、すでに何らかの形で誰かが思いついているはずです。できることはアイデアを転用したり、更新したり、組み合わせたりすることにすぎません。
企業の本来の使命は、顧客が望むものを販売して収益を得ることです。アイデアがまったく新しいか否か考える必要はありません。
宮澤 既存のモノの新しい組み合わせを考える「新結合」が、イノベーションの原理なので、私も教授と同意見です。そこで一つ質問なのですが、組み合わせのパーツを見つけるのにいい方法があったら教えていただけますか。
ウォルコット パーツを発見するための方法として私が気に入っているのは、他の業界を観察し、うまくいっている企業のポイントを探索することです。たとえば、軍隊が任務を遂行する方法や、芸術家が問題を解決する方法を研究し、別の分野に導入したり応用したりします。その取り組みは一体どういうものなのか、なぜ成功しているのかを探り、自社に転用できないか検討してください。通常、こうした取り組みをそのまま導入してもうまくいきません。もともと、自社のために生み出されたものではないからです。しかし、取り組みの本質や核となるものを見つけ出すことができれば、自社にも応用することができます。
宮澤 日本企業でも、自社の業界のニュースは自然と情報が入ってくると思いますが、他業界の面白いニュースまで戦略的に情報収集している会社はそう多くはないと思います。こういう他業界の情報が定期的に入ってくる体制をつくるだけでも、イノベーション体質に変わりそうですね。
宮澤 日本では多くの企業がイノベーションを起こすことに四苦八苦しているのですが、その一方で、世界的な調査では、日本は最もイノベーティブな国の上位に挙がります。どうも海外から見る日本の印象と、当の日本人の感じ方には、大きな違いがあるようなのですが、イノベーションの起こしやすさという点で、日本という国は教授の目にはどのように映っていますか?
ウォルコット 日本には現段階でも複数の分野で成長機会があると思います。たとえば、日本は依然、ロボティクスの分野で優位に立っています。ロボティクス関連のテクノロジーでは、世界をリードする2、3カ国のうちの一つです。AIの一部についても同じことが言えます。日本はこの分野でももっと成長できるはずです。
さらに、日本は高齢化社会の最前線にあるため、ロボティクスやテクノロジーと人間のインタラクションを追求するプレッシャーやモチベーションが非常に強く、外部の人間からすると少し異様なものを感じるほどです。日本人は独特な物の見方を持っていますね。私は日本人のそういう点が好きです。非常に面白いと思います。
ほかにも、世界中の消費財パッケージ業界の人間が、日本の素晴らしいパッケージを見るためだけに、年に一度は日本を訪れています。日本のようなパッケージングをしている国は他にありません。エレクトロニクスやオンラインといった分野での行動やアプローチの方法も独特です。
このような分野で、日本は世界をリードできるユニークな「シーズ」を持っています。しかし、これらを活かすためには、こうした分野に集中し、自信を持って、ビジョンを構築・推進する人材が必要です。
宮澤 ユニークという点では、日本企業には他国にない特徴が多々あります。たとえば、終身雇用や新卒一括採用のほか、「就社」という概念が残っていて、会計の部署から営業、マーケティングと同じ会社内で異動するなど、他の国とは違うシステムがあります。こういう他にはないユニークさは、必ずしもマイナス面だけではなく、イノベーションを生むうえではプラスに捉えることもできるはずなのですが、残念ながらうまく活用できていない気がします。先ほど教授が「自信」という言葉をお使いになりましたが、日本人には、足りないものを補おうとする姿勢は強いですが、自分たちが既にもっているユニークさをあえて肯定するという姿勢に欠けてしまっているところがありますね。日本の学校では、アメリカでは当たり前のSelf-confidence(自信)を持つための教育がされていないことも影響しているかもしれません。
宮澤 最後に、イノベーションについてマーケティングが果たすべき役割について、考えをお聞かせください。
ウォルコット イノベーションというと、とかく技術主導と思われがちですが、それは正しくありません。たとえば、スターバックスは、アメリカ人に「コーヒー1杯につき4ドルを支払わせること」に成功しました。これも立派なイノベーションの一つと捉えることができます。しかし、このケースでは何のテクノロジーも発明していません。つまり、イノベーションのために、新しい技術は必ずしも必要ではないのです。
技術者の役割は、「可能なこと」に精通することです。すなわち、技術的に何が可能なのか、私たちにとって可能なことは何なのかを問うことです。しかし、可能だからといって、そのことに価値があるとは限りません。
一方、マーケティングの役割は、受け手の側にとっての「価値あること」を見出すことです。技術者は「可能なこと」に精通しており、マーケターは「価値あること」に精通しています。この両者を組み合わせることで、イノベーションを成功させる力を生むことができます。
宮澤 これまでのマーケティングの役割は、技術や製品がまずあって、それを顧客にどう見せていくかということに限定されている傾向がありました。しかし、このやり方だと、できることは限られてしまいます。教授がおっしゃったように、ビジネスプロセスのできるだけ初期段階でマーケティングの力をいれこみ、顧客が求めているものや、それによってどれだけ生活が豊かに楽しくなるかということを技術者と共有できるようになれば、イノベーションの起きる確率も変わっていくのではないかと思います。
ウォルコット 素晴らしいお考えです。先ほど、マーケティングの役割は「価値あること」を見出すことだとお話ししましたが、それはまずビジョンを生み出し、技術より前に人々が夢中になるような物語を語ることであるとも言えますね。
宮澤 はい、そう思います。その意味では、マーケティングとイノベーションをまったく異なるものと捉えずに、今後はより融合させていくことが必要なのだとあらためて思いました。最近、両者の距離はますます近づいてきていると感じますので。
貴重なお話をありがとうございました。
目的を考えずに、イノベーションを画一的に捉えすぎていないか。
それが、イノベーション界の権威ウォルコット教授から、わたしたちに投げかけられた問いだ。イノベーションというと、技術進化によって過去に考えたことない新アイデアを創出し、結果市場を一変させて大きなリターンをもたらすためのもの、といった認識が一般的だ。しかし、インタビューではこうした固定概念を、教授はことごとく壊していった。必ずしも技術始動である必要はないし、本質的には今までに全くなかったアイデアなどは存在しない。市場を根本から変革することだけがイノベーションの目的ではないし、そもそもリターンではなくまずは学習コストと捉えるべき、といった具合に。
特に教授から繰り返し言及があったのは、イノベーションのポートフォリオについてだ。イノベーションとは後から振り返って、イノベーションだったと認識されるものであって、アイデア段階や市場に出した初期段階では、どれがイノベーションになるかの予測は不可能。思わぬものが市場を大きく変えることもあるし、満を持して投入した事業が鳴かず飛ばずの結果になることも少なくない。そもそも一つの成功の背景にはわたしたちには見えなかった失敗事例が山のように積み重なっている。だからこそ、何が当たるかを拙速に判断せずに、目的に合わせて異なる種類のイノベーションを多彩に準備し、ポートフォリオを組むことが企業にとっては最も重要という指摘を、この対談の中ではとりわけ熱く語っているように私は思えた。
そんな話を聞きながら、私の頭の中にはイチローの事が思い浮かんだ。彼の業績はここで述べるまでもないが、見方を変えると日本を代表するイノベーターと捉えることもできる。ホームランが最重視だった野球に、彼のヒット量産スタイルが、野球の楽しみ方そのものを変えたと指摘する人は少なくない。イチローが打撃練習で柵越えを連発することは有名だそうだが、それでもあえてホームランではなくヒットにこだわり続ける姿勢は、イノベーションを考える上で重要な視点をわたしたちに投げかけてくれる。イノベーションには一発逆転ホームランを打つ行為というイメージがどうしても付随するが、野球を楽しくするという目的から考えると、ホームランだけが必ずしもイノベーションではない、ということを教えてくれるからだ。日本企業のイノベーション担当者をみても、経営層から非常に高いリターンだけを目的として掲げられ、ホームランを打たなくてはという圧力の中、数少ない打席で大ぶりし結果出塁できないというケースがまったくないといえるだろうか。
教授との対話を終えて、改めて私が感じたことは、イノベーションとは目的に応じてもっと自由なものであるべきだ、ということかもしれない。イノベーションには様々な理論や考え方、方法論が存在する。いずれも大切ではあるものの、どれか一つの思想や原則に固執し過ぎてイノベーション原理主義に陥るとうまく機能しないと思う。それはイノベーションが既存の概念を変えて新しい価値創造を行う行為だとしたときに、フレームや方法論を固定し過ぎることがイノベーションの本質行為に反するからでもある。
最後に、日本企業の潜在的なイノベーション力はわたしたちが自覚している以上に高い、と教授は指摘してくれた。このことを頭の片隅におきながら、目的と照らし合わせながら、もっと自由かつ柔軟な発想で、ホームランでないイノベーションの在り方も今一度考えてみることが大切なのかもしれない。
Profile
ロバート・ウォルコット
起業家精神とイノベーション分野の権威。ケロッグ・イノベーション・ネットワーク(KIN)の共同創設者兼事務局長も務める。慶應義塾大学ビジネススクールで客員教授を務めたほか、世界各地のビジネススクールで講演。戦略コンサルタントを行うベンチャー企業、クラレオ・パートナーズ社の共同創設者でもある。2013年から3年連続でケロッグ経営大学院EMBAプログラムのTeacher of the Yearに輝いた。
宮澤 正憲
東京大学文学部心理学科卒業。株式会社博報堂に入社後、多様な業種の企画立案業務に従事。2001年に米国ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院(MBA)卒業後、ブランド及びイノベーションの企画・コンサルティングを行う次世代型専門組織「博報堂ブランド・イノベーションデザイン」を立ち上げ、経営戦略、新規事業開発、商品開発、空間開発、組織人材開発、地域活性、社会課題解決など多彩なビジネス領域において実務コンサルテーションを行っている。イノベーション支援サービスを提供する株式会社SEEDATA非常勤取締役。主な著書に『東大教養学部「考える力」の教室』『「応援したくなる企業」の時代』など多数。東京大学教養学部教養教育高度化機構 特任教授。