*「博報堂マーケティングディレクター」とは
市場の成熟化と技術革新が交錯する複雑な環境を生き抜くために、これまで以上にマーケティングへの期待が高まっています。
一方で、教科書的なマーケティングの概念では語り尽くせないテーマも増えています。
変化の激しい経営・事業環境と向かい合いながら、マーケティングを進化させて、その新しい可能性、拡張性をリードしていく。
そんな活動をしているのが「博報堂マーケティングディレクター」です。
博報堂MDr. ここまでお話ししてきて、素朴な疑問として感じるのが「STPマーケティング」と「エフェクチュエーション」の本質的な違いです。エフェクチュエーションは「事前調査をせず行動を優先させる」と言っても、何の仮説も想定も無しに行動するのはあり得ないはずです。またSTPマーケティングにおいても行動を軽視しているわけではなく、結果を振り返り、計画の見直しをするのが普通です。いわば程度の問題にも見えます。
栗木 理屈の上ではそうですが、現実のSTPマーケティングは事後の振り返りや計画の見直しを本当に重視しているでしょうか。あくまで計画の実行精度を高めるための振り返りにすぎないのではないですか。
博報堂MDr. しかし、エフェクチュエーションだって仮説は立てますよね。
吉田 もし自分の行動の影響が環境や対象に及ばないとすれば、予測と仮説はイコールになります。しかし、エフェクチュエーションでは、行動を先行させ、パートナーとの関係をつくっていくなどして、環境に働きかけて変えていく、というプロセスが生じることを重要視します。予測された通りになる、という思考ではありません。その意味で予測と仮説は異なります。
博報堂MDr. エフェクチュエーションは、前提に縛られずリフレーミングをおこなう、と。そこが通常の「高速PDCA」とは違うわけですね。
栗木 STPマーケティングにおける効果検証では、当初の計画がうまくいっているかを確認し、如何にそこに近づけるかを重視しがちです。なぜなら、調査を積み重ね緻密に構築した計画であればあるほど、その骨格を見直すことはすなわち「失敗」であるからです。できれば避けたいはず。
エフェクチュエーションの原則で動く起業家には、計画に縛られない自由さがあります。STPマーケティングは実行に踏み切った後の失敗を避けようとし、エフェクチュエーションは失敗に学ぼうとする。ここにSTPマーケティングとは異なる可能性があります。
博報堂MDr. なるほど。我々マーケターも本来、市場は不確実であることを前提とし、計画自体を大胆に見直すべきケースがあるはずです。にもかかわらず、それができていないとすれば、できるかどうかの分かれ目は「目標設定の高さ」にあるかもしれません。
先ほどの例も、計画の実行精度を高めようと努力するだけでは絶対にたどり着けない。「従来市場の縮小を大きく補うビジネスをつくる」という高い目標設定があったからこそ、本質的な計画のリフレーミングできたのかもしれないと思います。逆に言えば、我々マーケターもそのような高い目標設定を掲げることができれば、リフレーミングを組み込んだダイナミックなマーケティング活動ができるはずですね。
栗木 テストマーケティングや高速PDCAから導けることとは、次元や質が違うのではないかと思います。事業会社は一般に、固定的な計画の枠組みから抜け出すことが難しい。ただ博報堂のみなさんはおそらく自然にそのような本質的なジャンプのお手伝いをされているのかもしれないですね。
博報堂MDr. 目標設定の高さだけでなく、自社の事業を固定的に考えないことも重要だと思います。さきほどの例も、既存のコーヒー事業の枠内でヒットを生み出すのではなく、事業モデル自体を抜本的に変えたところがポイントだと思います。自社のビジネスを「家庭用粉末コーヒー事業」「教育サービス紹介事業」などと定義した瞬間に、イノベーティブな発想は生まれにくくなる。
これは我々が普段、直面しているブランディングの問題とも関係します。我々もクライアント企業も、一度ブランドが確立するとその価値を維持することを大事にしすぎて、思考停止に陥りがちになる。それではエフェクチュエーションの論理や原則を反映できない。イノベーションが求められる局面でのマーケティングには、ブランドとは違った方法で、その企業の価値を規定していくことが欠かせないと考えています。
吉田 エフェクチュエーションがすべてのマーケティングの事象を説明できるわけではありません。ただ、いままで説明がつかなかった、あらかじめ消費者群がいるわけではない状態での新市場の創造というフェーズで有効な理論だと考えています。
栗木 エフェクチュエーションの考え方には、できあがったフレームを超える意味合いを明確に見出せます。ビジネスの現場では、失敗や思い違い、予想外のことが飛び込んでくることもある。アクションを起こすことで市場やルールが変わってしまうこともある。そこをうまくハンドリングしていくのがエフェクチュエーションです。
その企業のケイパビリティをどう使ったら今とは違うジャンルで役に立つのかを、行動の中で実効化していくことができれば、既存事業以外での発展がうながされるでしょう。マーケティング活動において、そういう次元の議論がもっとあっていいはずですね。そこがマーケティングとエフェクチュエーションが融合できる部分かもしれません。
博報堂MDr. マーケティングとエフェクチュエーションの融合には、現実的な課題もあります。事前調査や計画をせず行動を優先するような提案を、現場を知らない経営上層部に伝えるのは非常に難しい。エフェクチュエーションの発想を通すための体制が、会社の中にあるかということです。組織が大きくなればなるほど、緻密な計画とその遂行を重視する傾向が強い。その方が判断しやすいからです。
起業家のような発想の柔軟性や自由度を、企業組織にどれだけ持ち込めるのかが問われるのでしょう。
吉田 その課題についてサラスバシーは、起業家と同じような環境を企業内に構築するというアイディアを提案しています。組織に縛られず、社員が誰でも起業家のように新事業を始めることができ、他の社員もそのパートナーや投資家に自由になれるような社内制度のイメージです。人事・組織の大幅な見直しが必要になりますが、可能性は十分あると思います。
博報堂MDr. 社内のイノベーションアワードのようなものはそのイメージに近いですね。新事業の社内公募がうまくいっている事例は日本ではまだ少ないですが、工夫次第でエフェクチュエーションの仕組みを社内に取り入れる契機にできるかもしれません。
テクノロジーが貢献する部分もあると思います。現場での議論のベースになっているマーケティングデータが経営陣にリアルタイムで届き、現場に近い感覚で判断できる仕組みを構築できれば、エフェクチュエーション的な発想を取り込みやすくなるのではないでしょうか。ただ、業界ごとの構造や企業風土などの問題も考える必要はありますね。業界によって歴史や産業構造が違う。
栗木 確かにそうです。例えば自動車メーカーのように、他社を巻き込んだバリューチェーンが構築され、業務フローが確立しているプロダクトメーカーがエフェクチュエーションを取り込めるようになるのか、という問題ですね。
その場合、モノを開発して売ることを前提にした今のモデルのままでは可能性は低いかもしれない。しかし、まさに自動車業界は今「モビリティ業界」へと変わろうとしており、今までとは違うバリューチェーンを構築しようとしている。従来とまったく異なるバリューチェーンを新たに構築しようとすれば、緻密な計画よりも、実験的な行動を数多く繰り返すエフェクチュエーションの方が有効なはずです。
博報堂MDr. 今回の議論を通じて、マーケティングの世界においてエフェクチュエーションの理論を活かすこの重要性が増しているという印象を強く持ちました。国内市場の閉塞感が強まる中で、既存事業の可能性をどこまで拡げられるか、新たな事業をどれだけ柔軟に発想できるかが、まさに問われているからです。
ただし、試行錯誤の末に本業とは別のところで小さなイノベーションを生み出すだけでは、その企業の閉塞感を打破する力にはならないのではないか。エフェクチュエーションが起業家の行動理論であるならば、その企業の本業を抜本的に変えるほどのインパクトを持つのではないか。
エフェクチュエーションが有効な企業としてはまず、デジタルビジネスを展開している企業が思い浮かびます。ルールを自分たちで作り、チェンジするので、予測が成り立たないしあまり意味がない。ただ、特に国内市場の閉塞感があるなかで、あらゆる企業のマーケティングにはこの「ルールを自ら変えようとする」という動きが重要になっているとも思います。
我々は起業家ではありませんが、クライアントにとって外部のマーケターの立場だからこそ、その企業の新たな価値に気づくことができます。その意味で、パートナー企業と組む機会を創出して、外部の力によって新たな価値に気づかせるようなコーディネーションは、我々の今後の重要な役割になると考えています。その際、自社のブランドや事業の可能性を固定的に考えないことが重要ですね。
栗木 既存のブランド論は「籠城戦」のような側面が強かったと思います。城にこもって守り続ける。でも日本の経済がシュリンクしていく中で、もはや守るだけでは仕方がない。
博報堂MDr. 「ブランドのその先」「次のブランド論」が重要になる。一度ブランド価値を規定するとそれがルールになり、その価値を維持することがブランディングだ、と思考停止してしまう。従来の「ブランド」ではない方法で、事業のレベルで価値を規定していく方法論が今後は重要ではないか、そこに挑戦していきたいと思います。
栗木 クルマのメーカーがサービス会社にかわった方がいいかもしれないと転換していくような局面で、どうアプローチすべきか、ということですね。
博報堂MDr. もう一つ、我々が力を発揮できるのが、エフェクチュエーションの重要な概念である「直感」のサポートです。イノベーションにつながるような価値は、いくら市場調査を積み重ねても気づくことができません。新しい価値への感度の高さは、我々の大きな強みです。当社内の打ち合わせの場などでも「これは面白い!」と全員が感じる瞬間が日常的に起きます。クライアントとの間でもこのような場をより多く持つことで、我々は外部の立場から直感をサポートすることができるはずです。
吉田 エフェクチュエーションの研究基盤となっている起業家のように思考・行動するのは、もちろん簡単ではありません。実験心理学の研究によれば、先行きが見通せない危機的状況ほど、人は自分が慣れ親しんだ予測的アプローチに頼る傾向があります。そんな局面でも、他人が「脅威」と感じていることを「チャンス」だと捉えられるのが優れた起業家なのでしょう。
博報堂MDr. たとえば、若い独身男性を自社の顧客として確保していたとして、あるときそれが高齢者に変わる兆しがあったとする。その瞬間に、高齢者になったのは異常値や脅威ではなく、新しいビジネスを開拓するためのチャンスなんだ、と。そこが判断できるか。計画とはちがったことが起こった時にそれをビジネスチャンスととらえ直すことが我々の役割ではないかと思うのです。
吉田 そうですね。ごく普通の企業がそうしたエフェクチュエーション的な発想を取り込むにはどうすればよいのか。研究者として最も大きなテーマでした。
博報堂MDr. 戦略計画は「失敗をしない」、戦略直感は「失敗に学ぶ」というのが印象的でした。我々も失敗を構造的に考えていくことが大事ではないでしょうか。局面ごとの失敗の内訳、全然違う領域で可能性につながる失敗なのか否か。気づかなかった成長の可能性に機会を広げるきっかけにしていかないといけない。
当事者が気づきにくいということがあるならば、そこを広げる役割を外部の立場にある我々がやるべきではないかと。そこを突き詰めて考えていきたいと思います。
吉田 博報堂マーケティングディレクターズのみなさんは、マーケティングのスペシャリストであると同時に、エフェクチュエーションの発想をすでに取り込んでいる面があることがわかりました。本業のリフレーミングを伴うようなエフェクチュエーションのスキルを組織的として持っていない企業も、みなさんのような方たちが外部から貢献することで、それができるようになるのではないか。今日の議論を通じて、そう感じました。
参考資料:
『デジタル・ワークシフト~マーケティングを変えるキーワード30~』(発行:産学社、編著:栗木契、横田浩一)
日本には100年以上続く企業が3万社近くもあると言われ、
長期的、持続的な成長を得意としている。
一方で、GAFAに代表される企業のように自らイノベーションを起こし、
短期間でダイナミックに事業変革をする力に欠けていることはしばしば指摘されている。
いわゆるSTPマーケティングを実践している多くの日本企業にとって、
起業家の行動原理であるエフェクチュエーションを受け入れ、融合することが、
イノベーションを起こすための1つの可能性になることを今回の討議を通して強く感じた。
そして同時に、組織内部からのエフェクチュアルな発動が難しい時、
外部のマーケターである我々博報堂マーケティングディレクターズのような存在が
果たす役割はきっと大きなものになることを感じることができた。
例えば1つの想定外のデータに出会った時、
当初の戦略計画に回帰させるマネージメントをするのではなく、
そこに新しいビジネスの可能性を”直感的に”見出だすことが、
我々の強みであり果たすべき役割なのではないだろうか。
エージェンシーサイドのマーケターだからこそ誘発できるイノベーションとは何か?
そんなことを考えさせてくれる刺激に満ちた今回の闘区でした。
栗木先生、吉田先生のお二人に感謝の意を表したいと思います。
Profile
栗木 契(くりき けい)
神戸大学大学院経営学研究科 教授
1997年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了後、岡山大学経済学部助教授、神戸大学大学院経営学研究科助教授などを経て、2012年より現職。専攻はマーケティング戦略。役に立つだけではなく面白い研究をと心がけてきた。現在、日本マーケティング学会理事、日本消費者行動研究学会理事。テレコム社会科学賞、日本商業学会優秀論文賞などを受賞。『日本経済新聞』『プレジデント』などの紙誌で連載を担当してきた。代表的な著書・共編著に、『デジタル・ワークシフト』(産学社)、『デジタルで変わるマーケティング基礎』(宣伝会議)、『1からのグローバル・マーケティング』『明日は、ビジョンで拓かれる』『ビジョナリー・マーケティング』(碩学舎)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』『マーケティング・リフレーミング』(有斐閣)、『ゼミナール・マーケティング入門』(日本経済新聞出版)『リフレクティブ・フロー』(白桃書房)などがある。
吉田 満梨(よしだ まり)
立命館大学経営学部 准教授
2009年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了後、首都大学東京社会科学研究科経営学系助教を経て、2010年より現職。専攻はマーケティング論。
特に、新市場の形成プロセスに関心を持つ。
代表的な著書・共編著に、『デジタル・ワークシフト』(産学社)、『ケースで学ぶケーススタディ』(同文館出版)、『マーケティング・リフレーミング』(有斐閣)、『ビジネス三國志―マーケティングに活かす複合競争分析』(プレジデント社)など、訳書に、『エフェクチュエーション―市場創造の実効理論』(サラス・サラスバシー著、碩学舎)など。
博報堂マーケティングディレクターズ