太田 今日は亜紀ママとご一緒出来て、とてもうれしいです。亜紀ママのクラブ「稲葉」は何年やられてるんですか。
白坂 「稲葉」が23年。それがメインで、最近はあと料理屋、バー、カラオケのラウンジです。
太田 今日は亜紀ママと麻衣子ママの「ふたりママ」ということで(笑)。会社でそう呼ばれたりもしてて、会社のお母さん役っていうのも掛け合わせてお願いいたします。亜紀ママは大学生時代にママになられたってお聞きしました。
白坂 そうですね。で、そのまま卒業してもうプロのホステスになって、この道であれば勿論女性が活躍できますし、経営者であれば結婚と仕事と両立できるかなと思いまして。
太田 クラブのママになるっていうのはどのようになるんですか。
白坂 まずはアルバイトホステスから、でもすぐに、ナンバーワンになり、チイママになり、卒業して雇われママという形で1人で切り盛りしてました。まあ銀座全般なんですけど、年を取ればママじゃなくて、売上高の高い人がママという役職を貰うわけですよ。他の業界もそういうところあるかもしれないですけど。だからほぼ私のお客様なわけです。その自分のお客様を相手に、ヘルプの女の子を回していく、切り盛りするのも当然、そのリーダーの役割は自然とそのままやっていったという感じです。
太田 最初から銀座で経営者をされたんですか?
白坂 最初日本橋にいたんです。で、阪神淡路大震災とサリン事件と野茂さんのメジャーリーグが同じ年で、あれを機にメジャーリーグの銀座に行こうと。日本橋は雇われママで、銀座に来て1年だけ老舗のクラブで働いてみて。それから、そこでもまあナンバーワンにはなったんですけど、ナンバーワンになるとやっぱり2通りの大きな道があって、そのまま大きなお店のナンバーワンで渡り歩く人と、自分で店を開く人と。私は経営者の方を選んで、当初の目標通りです。麻衣子ママの場合はどのように経営者になられたんでしょうか。
太田 私は入社からずっとクリエイティブの仕事で、自分のチームの上司がクリエイティブに自由と責任があるほうがいいって言って、プレイヤーだけの会社を博報堂の中で立ち上げたんです。それが20年前で、そこに参加して、次の社長さんが10年ぐらいしてその人が「僕もう、年だからクリヴォのママやってよ」って言ってやることになりました。クリエイティブの現場でずっと同じことやってこれたっていうのはラッキーだったんですけどね。
白坂 ずっと続けているってことはラッキーだけじゃなくて、実力を重ねていかれたんだと思いますけど。
太田 亜紀ママに比べたら、私は親会社があるのでただの雇われママなんですけどね(笑)。この会社がすごくいい会社だったので、この会社を無くしたくないなと思ったんです。100パーセント子会社は親会社の一存で、もう要らないねって思ったら無くせるし、調子悪いねって思ったら潰すこともできるんだけど、潰されたくないな、この会社にいる人達がもっと輝いていったほうがいいなって思ったので、じゃあやりますっていうか、誰かがやらないと潰れてしまうし、逆に潰したくないって思わせようと思って(笑)。
白坂 継続させたいなと。
太田 そうです。広告の状況がどんどん変わっていく中で、このオーソドックスなクリエイティブブティックこそ、今も魅力的であり続けられるんじゃないかと思っていまして。だからこそ、一緒に働いているクリエイティブのメンバーたちにとっては、新しいもの作りたいな、とか、誰も思いつかないようなアイデアを出しましょうよっていう動機付けはとても重要なんです。アイデアの出しやすい環境のためにやれることはやろうと思って、この銀座つぼやきいもの出店もその1つなんです。この出店自体が1つのクリエイティブ発信にもなるだろうと思って。
太田 クリエイティブの仕事自体は、出来栄えの評価がお金につながるっていう、実はわかりやすいですから。まあみんながんばれって(笑)。それでいうと亜紀ママは後輩の独立を応援されるでしょう。そのモチベーションについて教えてもらえますか。
白坂 ホステスさんってみんな個人事業主なので、基本的には元々独立はしているんです。最初は箱(そのクラブの中)を借りて、自分の売り上げを上げていくんですけれども、ある程度年数経ってきたら、やっぱり独立したいぐらいの気持ちがある子ではないと伸びてこないし、そういう子はやっぱり快く出してあげようと。
太田 続いているいい子は手元に置いておきたいっていう、そこのせめぎ合いというのはどうなんでしょうか?
白坂 何となく濁ってくるんですよ、水が。長くいると。不思議と1人出すと次の子が育つので。出してすぐ後は大変ですけど、あえて出せば下の子が「あ、次は私か」みたいな感じで頑張ってくれるので、22年間で12人独立しました。
太田 一緒にお客さんもついていきますよね。売り上げとかは。
白坂 一瞬それは勿論減ります。でも回遊魚なので、銀座のお客様。あっち行ったらこっちにって、泳ぎ方が変わってきますよね。
太田 へえー。そうしたら逆に、外に出してあげることで、もっと泳ぐ範囲が広くなったりとか、お魚さん達が帰ってきたりとか。銀座全体の活性化もできるし。
白坂 そうそうそう。何軒かあると、お客様も「稲葉1軒!」よりも、5軒ぐらいあったほうが、「じゃあ、とりあえず銀座に行こうか」になるっていうね。あとやっぱり新陳代謝しないと、女の子もどんどん年取ってくるので。今やっているママは30歳ですから、私と22歳違うんです。私のお客様は、今大体もう還暦、団塊世代で、もう引退してますけど、彼女のお客様は40代が中心ですから。そう、そういう意味でお客様も常に常に若くなっていくんです。
太田 なるほど。常に若返りを意識するんですね。若返っていくお店の人たちとの関係はどんな感じですか。
白坂 お客様をお見送りに行く時、必ず私、外に出るんですよ。さようならってお見送りして帰る時、女の子だけじゃないですか。その時に気になっている女の子には「どうしたの?」みたいに声をかけると、あ、気にしてもらってるんだっていうことで元気になる子がほとんどですね。「今度話聞いてください」っていう時もあるし。子どもの顔色を見て、あ、おかしいんじゃないかなっていうのと一緒で、お店の女の子達も常に顔色を見て、ああ元気ないかなあとか、悩みあるかなあとか、それは常に気にかけます。
太田 うちはみんなね、申告してくるんですよ。面倒臭いぐらい(笑)。うちは中にテラスがあるんです、会社の真ん中に。そこで、暇だったら誰か飲んでるし、煙草吸ってたりとか、なんかダラダラしてたりとか、何人か喋ってるとだんだんみんな集まってきて、すっごいくだらない話してるんですよ。でも私は‘ムダ話力’って信じてて、この人達ちょっと何か溜まっているんだなと思うと、ワインついだりとか、ビール持ってきたりとか。喋りやすいように、ワインセラーが会議室に置いてあって、自由に飲めるんです。疲れたらそれをやりながらちょっと話したりとかが当たり前になってるので、ストレスは自分で発散してねって、その場所だけは作ってある感じです。
白坂 女性はどれくらいいらっしゃるんですか?
太田 女性のほうが6割で、男性のほうが少なくて、子どもを持っている人が5割ぐらいいて、子育て中のお母さんお父さんがいます。だから5時半ぐらいに帰らなきゃいけない時は帰って、夜遅くまでやらなきゃいけない時はみんなで何とか助け合ってやってます。
白坂 このところ景気は悪くないと思いますけど、ただ臆病になっちゃっていて、バブル崩壊はそうでもなかった、まあでもバブル崩壊もあったし、やっぱりリーマンショックですよね。あと数々の災害。もういつ何が起きるかわからないので、守りに入っている気がします。
太田 確かに、石橋を叩いて渡るためのマーケティング戦略が増えてるのかもしれない。答えは失敗をしないためにあるのであって、急にはねたりとか、新しい冒険とか、面白いアイデアに乗ったりとかはできないっていうか。うまくいくだろうって確信が持てるまで調査するとか、そういうのが増えている。調査ばっかりしていると考えが止まってしまいがちになる。本当は意外なジャンプ力で新しい世界が見えたほうがいいのに、世の中というのは既知なるものに安心を感じてしまいますよね。
白坂 昔みたいにえいって思い切って、はしごをかけないで飛んで渡るみたいな、そういうタイプは少ないですよね。思い切ってバーンとやることはしないですよ。やっぱりこう、会議で話し合って。
太田 たまにはすごいクレバーで素敵で、そういうちょっとジャンプ力のある人はいないですか?(笑)
白坂 実は、面白い若者はちらほらと今、頭角をみせ始めている感じがします。今38歳の男性ですが、32歳の時に、将来の社長候補とまでいわれていた大手商社を、突然辞められた。そして苦しい時代が続いたんですが、今は宇宙産業に特化した商社を立ち上げ大成功している方がいます。私はその方と一緒に、志塾というスタイルで塾を立ち上げたりするのをお手伝いして、応援していました。そういう成功のモデルケースによって、また次に頑張る人も出てきてくれるのかなという風に思っています。
太田 確かに今、若い人の中に優秀な人が出てきてますね。35、6歳から40歳前後のトップランナーが次々と出てきたなという感じもあります。そういう人たちは共通して、もうゆるぎない自分への信頼感みたいなものを持っていますね。目を見たらわかります。あ、この人一流だなって(笑)。そういう人と一緒にいると、とてもワクワクします。
白坂 銀座でも優秀な人は、ホステスを1つのステップとして捉えていて、次に何かやろうと考えている。この銀座で得た人脈と学び、そして稼いだお金を元手に、別の世界を目指している人も多くなりました。かつての昭和の根性論は通じないです。俺の背中を見て育てとか、俺について来いとか、そういうのはもう絶対に駄目。
太田 そういうピラミッド型で自分達が生きていきたいと思っていない。みんなと一緒にいる人の中で、技術があったりちゃんとしたことを言う人を尊敬する。きちんと真摯にフラットな立場からワンテーブルで話し合っていかないと伝わらないというか、受け入れてもらえない時代になっていると思います。企業という組織自体は、まだまだピラミッド型かもしれません。多分その方が効率がいいんだと思います。でもリアルな仕事の現場では、加速度的に変わっていくと思います。
白坂 今経営者になっている方々が若かった時代はわりと結果が出やすくて、私もちょっと頑張れば結果が出る時代で、目標も立てやすかったんです。今はそこが大きく違うんですよね。すぐには結果が出ない時代、なのでもっと広い視野を持って、長い目で見て可能性を伸ばしてあげてもらいたいですね。1年の目標、2年の目標じゃなくて、それも大事ですけど、10年後の会社っていう描き方、50年後、100年後の会社の描き方を、今トップにいる方がすればいいんですよ。夢を描くことを。
太田 私の仕事で言うと、5年とか7年とか同じブランドを担当することがあるんです。同じ女優さんや俳優さんにCMに出てもらって、その人たちが年齢を重ねてもそのブランドを代表していることも多くあって、そういうのを見るとそのブランド自体が年月を大事にしているように思えて、本当に素敵なことだなと思います。自分の仕事が長く続けていく価値と本質的に結びつくことができたら、それは大きな喜びですね。それと同じように、会社の存続価値も同じところがあるんじゃないかと。一緒に働いている人たちが幸福な価値を見いだしていたらいいなと思ってます。お金も勿論大事なんだけど、それと同時に、ちゃんと大事なものが見つかっているほうが、長続きするんじゃないかと思うんです。
白坂 私の一番の夢は、クラブを100年企業にすることなんです。やっぱりこう、今すぐの数字じゃなくて、その100年つなげるためにはお店として、企業としてどうあるべきかとか、どういう人材育成をするかとか、どういうお客様との付き合いをするかとかっていうことを、長い目で考えていけるし、本質的な部分でやっていけると思うんです。私たち「今月の目標」で追われる仕事なんですよ、ホステスって。あれこれ考えずにひと月の売り上げを上げてほっとするみたいな生き方をずっと私はさせられているので、やっぱり長い目で人を育てる、お客様とお付き合いする、1つの店のカラーを作っていくっていうことをやっていきたいです。あとは、銀座のいろんなことを伝えるのが仕事だと思っているので。銀座には粋な男がいるとか、そういうことを私は伝える役目だなと思っているんですよ。意外と銀座って派手とかきらびやかとか高いとかいうイメージですけど、実は日本人の心ってすごく受け継いでいる街なので、その部分も一緒に伝えていければいいなと。
太田 銀座でやきいも屋をやってみたら驚くことがあって、それは銀座って人のつながりがすごく強くて、助け合いの色合いのとても濃い、それでいて粋な計らいをする、ちゃんと顔の見える付き合いの場所なんですよね。すごくちゃんとしてるの。ありがとうございますってお礼を言いに行くと、こちらこそって必ず返ってくる。だからお返し続ける文化なんですね。終わらないんです。
白坂 どんどんつながっていきますよね。
太田 うちのお店の裏口からつながってます、クラブ「稲葉」には。
白坂 歩いて15歩ぐらい?
太田 いや、もう地下でつながってます(笑)。
Profile
白坂亜紀
大分県生まれ。早稲田大学第一文学部入学後、日本橋の老舗クラブに勤務。その後女子大生ママとして注目を集める。銀座に進出してクラブ2店舗のオーナーママを軸にして、京都造形芸術大学東京学舎にて教鞭をとる。また中央公論社から「銀座の秘密—なぜこのクラブのママたちは、超一流であり続けるのか」を出版。現在は志の高い女性たちによる「銀座なでしこ会」を発足して、銀座から日本のよき文化を発信する活動を始める。他に銀座料理飲食組合連合会理事、銀座ハチミツプロジェクト理事、大分県竹田市東京事務所長など精力的に取り組んでいる。
太田麻衣子
ウェスタンミシガン州立大学Arts&Science卒、立教大学仏文科、慶應大学大学院経営管理研究科卒。1987年博報堂に入社後クリエイティブディレクターとしてCMを中心に多くのクリエイティブ作品を世に送り出すほか、TVドラマ脚本で2012年度ギャラクシー賞を受賞。対談場所となった「銀座つぼやきいも」は、そんな彼女を見込んだオーナーのために個人的にクリエイティブから店舗設計までを担った作品のひとつ。連日多くのファンで賑わう人気店に育て上げる。現在は(株)博報堂クリエイティブ・ヴォックスの代表取締役として、現役クリエイターと並行しながら後進の育成にもつとめる。