「tet.」は、国内の手袋生産90%のシェアを誇る日本一の手袋の産地、香川県の東かがわ市で生まれた、“手にまつわる商品”ブランド。手袋を中心に、ハンドケアアイテムなども展開しています。
手袋づくりは、裁縫の中では最も難しいもののひとつと言われている手仕事。「tet.」というブランド名は、そんな様々なものを生み出す「手」に着目し、「手と、」その先に広がる様々な物語を伝えていく、という想いが込められているそうです。現在手袋の種類は、なんと150種類以上!
竹本:東かがわ市は、国内手袋の90パーセントをつくっているとのこと、取材でお声掛けするまで知りませんでした!香川は暖かいイメージで、あまり手袋と結び付かないのですが、なぜ手袋産業が盛んになったのでしょうか?
松下:東かがわ市が産地になったきっかけは、この街に住んでいた、住職さんの駆け落ちからはじまっているんです。
竹本:駆け落ち!なんだかロマンチックですね。
松下:1888年、明治時代だったので、まだ自由に結婚したい人を選べない時代。住職は街の娘と恋に落ちて、大阪へ駆け落ちしたそうです。その頃、大阪ではドイツから手袋づくりが伝わっていて、托鉢だけでは生きていけなくなったため、はじめたのが手袋製造だったんです。その後従兄弟も加わり、事業を拡大していきました。
竹本:手袋づくりは、初めから香川にあった産業だったわけではなく、駆け落ち先の大阪で、営んでいたものだったんですね。そこからどの様に香川に伝わったのですか?
松下:東かがわ市は塩づくりが産業だったのですが、海外の輸入品に押されてしまい、困窮していました。すでに住職は亡くなっており、従兄弟の方に街から手袋づくりの技術を持って帰って来ないか、と声がかかり、手袋づくりが東かがわに伝わったと言われています。
おっしゃる通り、暖かい香川でなぜ?と思われる方も多いのですが、街を存続させるための選択だったんです。
竹本:街を存続させるための選択、ですか。手袋は、この街の存続を繋いだ、大切な産業だったのですね。現在の産業状況はどうなっているのでしょうか?
松下:昔は200社程度あったと聞いていますが、現在は、100社程度なので、約半分に減ってしまっています。
竹本:そうなのですね。松下さんは、大学を出られてから、大手家電メーカーに勤められたあと、こちら地元に戻ってきて、手袋の事業を始められたとお聞きしていますが、何がきっかけだったのでしょうか?
松下:実家がこの街で商売をしているので、「周りがみんなお客さんであり、その人達に支えられて成り立っている」という意識で育てられたんです。いつか帰って街に恩返しができるといいな、とぼんやりと思っていました。
このブランドの始まりは、株式会社エイトワンという、地域の産業を活かしたオリジナルブランドを立ち上げている会社の代表が、東かがわが手袋の産地だと知り、ブランドをつくれないかということで、私に声がかったことでした。
竹本:Uターンは考えていたことだったのですね。どうして、松下さんに声がかかったのでしょうか?
松下:想いを持った、地場の人が立ちあげるのがいいのでは、と思っていたみたいです。
私も、会社員をやりながらも、いつか地元に何か恩返しがしたいという想いは周りに伝えていたので、人づてに繋がりました。
竹本:自分の想いを周りにも共有していたからこそ、この機会を引き寄せられたんですね。一方で、手袋産業自体にも想い入れがないと踏み切れなかったのではないか、と思うのですが。
松下:東かがわの代表産業といえば、手袋だと思って育ってきたのですが、大学で県外へ出てみると、全く知られていなかったんですよね。ヨーロッパでは、革手袋の街と呼ばれるところはあるけれど、たった3万人の東かがわで、ニットや革等の普段使いのものから、スポーツ、林業、工業、医療、農業等の見たことのないような産業用の手袋まで、多様な手袋をつくっているんです。これって面白くないですか?日本で、ここでしかできないことをやっているのに、知られていないのは、もったいないことだと思いました。
そして、職人さんたちに話を聞いているうちに産業が消えて行ってしまうかもしれないことを知ってしまったうえで、関わらない自分を考えたときにやらなかった場合、後悔するんじゃないかなって。飛び込んでみようかな、死ぬわけじゃないし。と思って挑戦することにしました。
竹本:そうだったんですね。「tet.」は手袋ブランドではなく、“手にまつわる商品”ブランドとしていますが、それはどんな想いからなのでしょうか?
松下:このブランドを立ち上げる前に、職人さんたちに手袋産業について教えてもらいにまわっていたのですが、手袋づくりは縫製商品の中で最も難しいもののひとつだってことを知って。
竹本:え!そうなんですか。
松下:手は動作が細かいので、動かしたときに縫い目がパンクしないようにしたり、かつ感覚が優れている手だからこそ、着用した時に違和感がないようにフィットするように気を配ったりと、かなり緻密な手仕事でつくられているんです。でも職人さん自身はなかなか普段から意識していないですよね。その手仕事を、いとも簡単にこなしていて、取り分けすごいことだ!とはされていなくて、私たちも、手は毎日使っているけれど、なかなか普段から意識して大切にしてはいないですよね。
一方で、チャンスを掴む、とか、手相に人生が表れるとか、“手”って実は大切なシンボルになっている。そんな手を守ってくれる手袋が、ただの防寒具ではなくて、「尊い手仕事でつくられた、大切な手に寄り添うアイテム」だと思ってもらえるものになったらいいな。そう思って“手”にフォーカスしたんです。
竹本:そんな素敵な想いが込められていたんですね。ものづくりの点では、なにかこだわっていることはありますか?
松下:現在「tet.」では開発中のものも含めて地元のメーカーさん8社とタッグを組んで商品を開発・販売しているのですが、各メーカーさんの得意なものをお聞きしたうえでそれを活かしながらアレンジさせてもらうことですね。自分たちの技術を、自信を持って届けてもらいたいですから。
竹本:自分たちのデザインを押し付けるのではなく、自信を持てるものを届けてほしいという考え方は、やはり、産業を知ってほしいという想いが根っこにあるからなんでしょうね。売り方も工夫されていますよね?
松下:売り場では、箱に入れて売ってもらうようにしています。それは、しっかりした手仕事で、膨大な手間がかかってつくられた、大切にすべき商品であることを伝えるためです。また、店頭ではイチゴ等の売り方を模して、「パレット」に並べて売っています。いろんな種類があることを一度に見せられますし、産地直送感がでたらいいなと。
竹本:産地直送感、ですか。パッケージや、売り方にまで、ブランドの想いが反映されているのですね。
松下:そうですね。このブランドの思想によって、売り場が広がってきたりもしています。現在は100店舗弱のお店に置かせていただいていますが、展示会でも、今まで手袋が置かれなかったような、雑貨屋さんからもお声がけいただけるようになりました。
竹本:今までお話を伺っていて、松下さんの言葉の端々から「作り手へのリスペクト」を感じるのですが、ご自身で心がけてらっしゃるのでしょうか。
松下:言われてみれば、そうですね。作り手だけでなく、商品ができるまでに関わった全ての人に対してかもしれないです。
竹本:何かきっかけがあったのですか。
松下:大手の家電メーカーに勤めていたとき、営業職だったんです。そのとき、先輩に言われた言葉が心に残っていて。
「営業は、ものだけを売っていると思っているけれど、1つの商品には膨大な数の人の努力がつまっている。でも最終的にそれを売るのはあなた一人。その人たちの想いを背負っていると思ったら、おろそかにできないよね。商品ができるまでにいろんな人が関わっていることを、忘れずに売りなさい。」そう教わりました。
竹本:素敵な先輩ですね。頭が下がります。
松下:考えたことが無かったけれど、確かにその経験がきっかけですね。
私自身も、色んな人に助けられて今があります。今まで力を貸してくださった職人さんや、以前の職場の先輩方から学んだことを、大切にしていきたいですね。
手袋も、職人さんがいて、その前には革をつくる人や、羊を育てる人がいる。そういうつくるまでの全ての人に想いを馳せられたら、愛着がわくし、手袋も大切なものに思えると思うんです。
竹本:本当にそうですね。松下さんは、「様々な人に助けられた」とおっしゃいますが、
関わる人へのリスペクトを根底に持っている松下さんだからこそ、色んな人が力になりたいと思ったり、商品への愛着を感じられるストーリーが生み出されていくのではないかなと思いました。本日は、ありがとうございました!
~ブラたま工場見学~
実際にtet.の手袋づくりに協力されている、株式会社トモクニの工場を見学させていただきました。
ここ東かがわでは、多くの手袋メーカーが特化した分野だけの生産体制を国内に残し、その他を海外へ移行してきた中、株式会社トモクニは、『革手袋』・『ニット手袋』・『縫い手袋』の全てを素材の状態から製品まで、国内で完成できる体制を今も保有している総合メーカーです。
取締役の友國泰典さんは、松下さんの幼馴染とのこと。
■ご参考■
tet.
http://te-t.jp/
【撮影協力】桑原雷太
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