平成以降に雑誌『広告』の編集長を歴任した人物に、新編集長の小野直紀がインタビューをする連載企画。第4回は、平成21年3月~平成24年1月に編集長を務めた永井一史に話を聞きました。「新しい発想のエンジン」を編集コンセプトに、次なるコミュニケーションや社会のあり方を提示した永井『広告』。その背景には、編集長就任直後に起こったリーマンショックの影響がありました。
小野:永井さんはどういったいきさつで編集長になったんですか?
永井:雑誌「広告」に関わったきっかけで言うと、最初は「アートディレクターとして参加してくれないか」って声をかけられたんだよね。でも、その時は「編集委員としてなら」ってことで参加した。色んな有識者と対談させてらう企画や毎回の編集会議での企画出しとか、表紙のクリエイティブディレクションを2年間ぐらいやったかな。そんな経緯があって、編集長の土井徳秋さんが退任するタイミングで編集長を引き受けたんだよね。
小野:なるほど。ということは編集経験もあるし、新編集長として誌面イメージもすでにできあがってたんですね。
永井:いや、「やります」とは言ったもののイメージはまったくできてなくて、正直に言うと「どうしよう」って感じだった。でも色んなことを考えているうちに、「これは普段の仕事といっしょだな」と気がついて。仕事もそうだけど、世の中においての立ち位置を捉えられていないと考えられない。だから、最初は「みんなにとって“いい雑誌”ってなんだろう」ってところから始めたんだよね。
小野:根本から雑誌をとらえなおしたんですね。
永井:そうだね。まず、新しい編集委員を決めて、みんなで「雑誌のおもしろさとはなにか」とか、「『THE BIG ISSUE』っていいよね」なんて具体的な雑誌名を出し合って話をして。そういう意見を集めるところからスタートしたくらい、雑誌っていうものを最初はつかめていなかった。
小野:そこから、みんなにとっての“いい『広告』”を模索していった。
永井:本当は、『広告』という雑誌のタイトルに違和感があったんだけど、まぁ変えられないから。じゃあいっそのこと、広告という言葉の意味をアップデートしていこうと思った。それがこの雑誌のひとつの役割かなと。広告本来の役割が、企業や商品を通じて新しい視点や暮らしの提案を社会に投げかけることだとすると、ちょっと先の社会のかたちを、誌面を通じて指し示していく。『広告』がみんなにとって“いい雑誌”になるには、それが大切じゃないか。そんな風に考えた。
小野:雑誌の方針が決まり、いよいよ永井編集長の『広告』が始動したわけですが、意外だったのは永井さんがアートディレクターじゃなかったことです。
永井:そうだね。本当なら、デザイナーは自分でやりたいと思うはずなんだけどね。これは編集メンバーになる前にアートディレクターを断った気持ちに近くて、いつもの自分じゃなく違うことをやってみたいっていう気持ちが強かった。それに、この時期は信じられないぐらいに忙しくてさ、編集長とアートディレクターの両立はちょっと無理だなと思って。中途半端になっちゃうのも嫌だし、役割分担していいんじゃないかなって思った。
小野:編集長に徹したわけですよね。そんな永井編集長が掲げたのは、「新しい発想のエンジン」というコンセプトでした。この言葉にはどんな思いが込められていたんですか?
永井:広告会社の強みって、クリエイティビティにある。つまり新しい発想を生み出すことにあると思うから、その発想の原動力になるようなことを世の中に提供できれば価値になると考えたんだよね。当時は新書がとても流行っていたんだけど、新書3冊分の情報というのを目標にした。
小野:新書3冊ってすごい情報量ですよね。編集体制はどうつくっていったんですか?
永井:一般的な出版社って、編集長の下に編集部員がいて、とてもコンパクトな体制で雑誌をつくってるよね。フレキシブルに動けて判断できるところが強みだと思うんだ。だけど博報堂にはさ、いろんな専門性を持った人間が集まって共同でなにかを生みだすっていう文化があるじゃない。それを強みにできないかと思って、「3千人の編集部」というキーワードを掲げた。直接的に編集に関わってもらうわけじゃないんだけど、生活総研とかメディア研究所とか、社内で世の中を先端的にウォッチしている人に集まってもらって、アドバイザリーボードをつくって話を聞く。そこから編集会議に入るっていう感じの進め方にしていたんだよね。
小野:博報堂らしさを生かそうとしたことが、ある意味雑誌のよさをとことん引き出す体制につながっていますよね。最先端の“雑多な情報”を集める、という意味で。
永井:そうだね。ただ、僕の中にも迷いがあってさ。普段つくるものって、自分でいかに隅々までコントロールするかが大事、っていう価値観があるじゃない。
小野:永井さんはデザイナーだから、特にそう思いますよね。
永井:でも、雑誌はページ数も多いし、そこまでコントロールし切れない。自分がそこまで納得できない内容を受け入れることも大事なんだよね。当時、2〜3人のプロの雑誌編集者に話を聞いたんだけど、みんな「“雑”が大事なんですよ」って言うわけ。たとえば書籍って、著者がひとりで論旨が一貫してるからさ、破綻がなくてそこに気持ちよさもあるんだけど、雑誌は読んでいくと「ん?」みたいな部分が出てくる。そこは抗えないというか、それが雑誌のよさというか。どこにフックするかは人それぞれだし、そこは普段僕がやっている仕事とは違うと思った。
小野:迷いを受け入れて、そこからは順調だったんですか?
永井:それが、大筋が決まって、本格的に誌面の企画を進めようっていう時にちょうどリーマンショックが起こって。
小野:そうだ、ちょうどその時期ですよね。
永井:そう。リーマンショックは世の中にものすごい転換を起こした。幸せに対する価値観も変わったと思うし、「資本主義はこのままでいいのか?」っていうことまで問い直された。そんな、先が見えない世の中をどう捉えればいいのか。そこをしっかり見つめることが全体のテーマだと考えた。
小野:全号でそういうことを?
永井:特集テーマに関してはもちろん、例えば連載でNPOやNGOの活動に協力したりもしたね。「発想コンペティション」っていうボランティア企画だったんだけど、コミュニケーションに困っているNPOの人たちに声をかけて、その考えを我々にオリエンしてもらって、社内のデザイナーやコピーライターがそれを形にする。コンペ形式にして、そこから選ばれたベストなクリエイティブを、表紙をめくった見開きに広告として掲載したりとか。
小野:その企画、僕の同期も参加していてよく覚えています。NPO活動にはもともと興味があったんですか?
永井:今は休刊しちゃったけど、昔、『広告批評』っていう雑誌があったでしょ。その中のある企画がきっかけかな。僕を含め、10人くらいの人たちがそれぞれ2ページ与えられて、エコに関する企画を考えてというお題だったんだけど、そこでただビジュアル表現をつくってもエコになんにも寄与しないって感じたんだよね。そこで、クリエイティブ・ボランティアやりますという宣言をして、そこから様々なNPOとの付き合いが始まった。 NPOの人たちの考えていることや願いを形にするっていうことは僕にとっても貴重な経験になったし、深く感じるものがあった。それが雑誌の企画にもつながったんだよね。
小野:永井さんにとって特に思い入れのある、渾身の一冊はどの号ですか?
永井:編集長として最後につくった号(『広告』vol.388 特集「やさしい革命」)かな。ずっと「新しい発想のエンジン」っていうテーマを続けてきた中で、情報を投げっぱなしにするだけではなく、読んだ人が実際に行動に移してくれるようなものにしたかった。これは自分がデザイナーだからかもしれない。問いを投げかけるだけじゃなくて、じゃあどう変わっていけばいいかのアクションを最後に提案したかった。
小野:どんな内容だったんですか?
永井:この号をつくる前に、経済学者の見田宗介さんに未来の社会についてインタビューしたんだけど、その時につくった「マルチプル社会」っていうキーワードが特集のベースになっているんだよね。マルチプルは“多様な”とか“複雑な”っていう意味だけど、「これからの社会はたくさんの中規模なコミュニティが複雑にリンクしていく」という世界観。
小野:「トライブ(価値観を共有する集団)」という言葉が、まさに最近よく使われていますよね。
永井:「トライブ」もそうだね。ただ、そのコミュニティなり集団がどうつながっていくかが重要で。そういう社会を想定した時に、僕らはどう生きるべきかを具体的に5つのアクションで提示した。
小野:具体的なアクションを示すことで、明確な問いをつくろうとしたってことですか?
永井:そうだね。「やさしい革命」に込めたのは、「我々は大きく変わっていかなければならない。でもそれは、ひとりひとりの身の回りの小さな変化から」というメッセージ。今や当たり前だけど、“シェア”に注目したのも早かったと思う。この時期の特集での問題意識みたいなものは、今の時代も続いている気がするね。
小野:この号からオススメの記事をひとつ選んでもらうのは……、やっぱり集大成だから難しいですか?
永井:全部です(笑)。でもしいて言うなら、特集のパート1からパート5の部分じゃないかな。
小野:最後の質問です。もしもう一度『広告』の編集長になったら、どういう雑誌をつくりたいですか?
永井:うーん。雑誌という形式はどうなの? っていうところから入るかな。なにかもう、僕たちの暮らしが雑誌を手に取るスタイルになってないというか。中身も難しいなぁ。これだけあらゆる情報が生活の中に流れ込んでくる時代に、新たな情報を届ける難しさはすごくある気がする……。例えば文字のないメディアとか?
小野:なるほど、逆に(笑)。
永井:ビジュアルだけを見て理解できるとかであれば、面白いけど。デジタルを踏まえて、紙である意味を再定義する必要があるのかもね。あと、『広告』のいいところは、ビジネスを考えてつくらなくてもいいところ。当たり前だけど、普通の出版社って売れないとダメだし、『広告』みたいに好き勝手につくれないじゃない。実験できる雑誌である可能性っていうのをちゃんと生かして、紙媒体というフォーマットが時代的に持つ意味を考えながらプランニングしていくだろうね。
撮影:三部正博
フォトグラファー。永井元編集長がもっとも思い入れのある特集「やさしい革命」の撮影を担当。泊昭雄氏のアシスタントを経て、平成18年に独立。雑誌や企業広告、ポートレートの撮影などを幅広く手がけている。 http://3be.in
インタビュー:小野直紀 文:編集部
アートディレクター/クリエイティブディレクター。多摩美術大学教授。博報堂入社後、平成15年、HAKUHODO DESIGN設立。企業商品や行政施策のブランディング、VIデザイン、プロジェクトデザインを手がけるほか、医療やヘルスケア、地方創生などソーシャルな領域でも幅広く活動。平成21年3月に『広告』編集長に就任。平成24年1月まで11冊の『広告』を世に送り出した。平成27年〜平成29年にはグッドデザイン賞審査委員長を務める。著書・共著書に『幸せに向かうデザイン』(日経BP社)、『エネルギー問題に効くデザイン』(誠文堂新光社)、『博報堂デザインのブランディング』(誠文堂新光社)などがある。
1981年生まれ。2008年博報堂入社。2015年に博報堂社内でプロダクト・イノベーション・チーム「monom(モノム)」を設立。手がけたプロダクトが3年連続でグッドデザイン・ベスト100を受賞。社外ではデザインスタジオ「YOY(ヨイ)」を主宰。その作品はMoMAをはじめ世界中で販売され、国際的なアワードを多数受賞している。2015年より武蔵野美術大学非常勤講師、2018年にはカンヌライオンズのプロダクトデザイン部門審査員を務める。2019年より雑誌『広告』の編集長に就任。
雑誌『広告』HP http://kohkoku.jp
雑誌『広告』note https://note.kohkoku.jp
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インタビュー中でもご紹介していますが、永井元編集長 渾身の一冊をオンラインにて無料公開しています。特集vol.388 特集は「やさしい革命」
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