突然ですが、こちらの写真に写る壁、どんな素材でできていると思いますか?
コンクリートやレンガにペンキで色を塗った壁に見えないでしょうか。
実はこれ、コンクリートやレンガの模様を印刷した「壁紙」なんです。冒頭の写真の、一見木製に見えるテーブルも、実は、スウェーデン製の「Re-board(リボード)」という段ボールのような素材のうえに、木の風合いを印刷した壁紙を貼ったもの。
実際に現場で見せていただいても、触ってみるまで本物のコンクリートやレンガ、木と見分けがつきません。
これが今回とりあげる『Arms』の壁紙。1969年に創業して以来、大判シルクスクリーン印刷の職人技を培ってきたという印刷会社が、クラフトマンシップを持つ世界のアーティストとタッグを組み、手描きにこだわった「壁紙」や「空間を創造する素材」を提供するというコンセプトで創り出したブランドです。今回はこの『Arms』のチャレンジについてうかがいます。
岡田:今日はよろしくお願いします。まずは、御社グランド印刷さんについて、また、小泊さんのご経歴をお聞きしてもいいでしょうか。
小泊:グランド印刷は、私の父が北九州の門司(もじ)で創業したシルクスクリーン印刷の会社です。私は、最初は別の印刷会社に勤めたあとでインターネットのベンチャー企業に転職し、それを経て、17年ほど前にグランド印刷に入社しました。主に、他の印刷会社さんや看板屋さんの下請の仕事をしていました。
そうしていくうちに、経営の変化というか、大きく舵取りを変えたことがあって。それは、東日本大震災がきっかけなんです。
その前のリーマンショックのときに、イベントが軒並みキャンセルになり、広告物が一気になくなりました。営業に行っても、全然相手にしてもらえない。自社事業についていろいろ考えました。いちばん先にカットされるじゃないですか、広告物は。
リーマンショックを乗り越えてやっと軌道に戻り始めていたけれど、このままだと不安定で「これはちょっと何か考えなきゃいけないな」と思っていたときに、東日本大震災が起きて。
震災で問題となったのは、まず住むところがないこと、着るものがないこと、食べるものがないこと。結局、衣食住なんですね。そこに広告物は、まず関係ないです。
衣食住のどれかに関係するビジネスをしないといけないのでは、とそのときに強烈に思いました。ただ、印刷業が衣食住をするわけにはいかないんですよ。失敗するじゃないですか。いきなり飲食を始めましたとか、いきなりアパレル始めましたといっても。
そこで考えたのが、印刷業って、もともとクライアント企業の販促の支援をしたり看板をつくったり、企業と顧客を結ぶための縁結びの役割があるということ。こういう立場である以上、その衣食住のどれかの業界の縁結びの支援をする会社にしようと決めたんです。
岡田:自分たちが衣食住をつくるのではなくて、衣食住をしている会社に欠かせない会社になれば、いい事業になっていくと。
小泊:そうなんです。そこで衣食住のどこで行うかを考えたときに、印刷物とか看板とかが強みの会社としては明らかに「住」だったんです。まず、土地が更地の状態のときは、売地の看板が付く。建物を建て始めると、今度は養生幕をつくって、養生幕の印刷をつくる、現場見学会をするとなると、販促チラシをまく、建物が建ったら、入居者募集中の看板をつける。いろいろ関わりがあるなと思って。
岡田:そこから『Arms』の事業にはどうつながっていったのでしょうか。壁紙の世界に入っていこうと思ったきっかけは何だったんですか。
小泊:インクジェットを扱っている業界だと、デジタルプリント壁紙自体は当然のビジネスというか、各社取り組んでいるテーマなんです。この市場は伸びるだろうとも言われていますし。
けれど、壁紙って、要はインテリアじゃないですか。インテリアだから、印刷会社が考えるやり方だと失敗すると感じていたんです。そもそも「インテリアのセンス」がないから。
だから、壁紙事業に関してはコレというものが見つかるまではやるつもりなかった。進出するのはずっと遅かったですね。
時代としては、おしゃれな輸入壁紙がネット購入できるようになり、一般の生活者の方でも直接購入するようになっています。けれども、住宅販売会社や工務店など住宅業界の企業のほとんどが、これまでと変わらず日本の大手メーカーの一般的な量産クロスしか取り扱っていない。本来であれば企業の側から、輸入壁紙の活用について、施主さんに対して提案してもいいことだと思うんですが、そうではなくて、逆に施主さん、つまり生活者の側がネットで輸入壁紙を購入してきて「これを使って」というふうに企業に支給して貼ってもらうという流れが出てきている。そういうことが、住宅業界のクライアントとの関わりが増える中でわかってきたんですね。
住宅業界といえども、おしゃれな輸入クロスはネットで、一般価格で購入するしかなく、また、これまでの仕入れ業者では取り扱っていないという状況。生活者のほうが、先行して動いている。そこで、住宅業界の支援を行うことをミッションとしている弊社としては、そうした消費者の動きに応えられるようなクオリティがあり、かつ、住宅業界の企業が活用しやすい機能性を持った壁紙を自社開発しよう、と決意したんです。
そんな思いをもって、私が昔からお世話になっていた空間デザイナーの方に相談したところ、「壁面に塗装をするペインターで、COATという職人さんのユニットがいる。その手で実際にペイントされたものを、デジタルプリント壁紙にしたら面白いのでは?」というお話をいただいたんです。「それ、いいかも!」という話になり、うちの会社のオフィスでちょうど改装を予定しているから、ちょっと実験してみよう、と。モルタル柄やレンガの柄を描いていただいて、製品化をスタートしました。
そうすると、これもまたもともと私の知り合いだった方が、「テイヤ・ブルーン(Teija Bruhn)さんというテキスタイル・デザイナーが壁紙をつくりたいとおっしゃっている」という情報を知らせてくれました。カーテンやテーブルクロス、クッションの柄をつくられているデザイナーで、世界的にも有名な方なんです。
それが2016年のことです。そこからですね。ワーッと。異なる業界がつながった瞬間というか。
小泊:Arms のロゴの上には、クラフトマンシップという言葉を置いているんです。これは何かというと、手描きにすごくこだわっているということなんですね。印刷会社がよくやるのは、コンピュータ・ソフトで柄をパーッとつくって、それをそのまま組み合わせて…。簡単にできてしまうのだけれども、そうすると何のストーリー性もなく、周りに埋もれてしまって、何万点とある壁紙の中から突出してこない。
岡田:なるほど、だからArmsの壁紙は、こんなに本物感があるんですね。1点ものの塗装と大量生産のデジタルプリント壁紙という、実は相反するところが組み合わさっているのが、Armsブランドのユニークな所なんですね。
小泊:そうなんです。職人の感性とか手描きの雰囲気はやっぱりデジタルではつくれない部分で、これを掛け合わせる。クラフトマンシップとデジタルのマシーンが組み合わされることで商品ができるというのが、Armsのブランド・コンセプトなんです。
岡田:このブランドには3つのラインがあり、それぞれにクラフトマンの方の名前がドーンと出ています(COAT、MAHOTIM、テイヤ・ブルーン)。普通だったら、アートチョーク・シリーズとか北欧なんとかシリーズみたいなふうにして、あまり個人名まで出さないような気がするのです。個人の名前まであえて出すのはなぜですか。
小泊:ただの「チョーク・シリーズ」とかにしてしまうと、人が消えて薄くなってしまうと思ったからです。例えば、テイヤさんはスウェーデンに住んでいて、自宅の周りはこういうところなんですよ、スウェーデンにはこういう葉っぱがあってここからインスピレーションが生まれてくるんですよ、とか。ストーリーがあることがすごく大事なところで。ただ単に柄を並べて「どれにしますか」というものではないというか。
岡田:なるほど。ちょっと変な例えですけど、美術館にたまに行くと、絵の横に説明があるじゃないですか。あれを読んだ後に絵を見ると、へぇ~、と思う。そんなに詳しくないので絵だけ見てもわからないんですけど、説明を読んで見たら、絵のイメージがグーッと広がるというか。デザインの底にやっぱり人がいて、人の中にストーリーがあって生まれているという、それがArmsのブランドなんですね。
小泊:そうなんです。そもそも、デジタルプリント壁紙というのは、インクジェットでやっているので、普通の量産の壁紙に比べてコストが高いんです。インテリア・デザイナーさんや内装のデザイナーさんに、量産クロスではなくArmsを選んでもらうためにも、本物感だけでなくストーリー性も出さないといけないと思っています。
岡田:2017年にArmsが立ち上がって、そこからの反応はいかがですか。
小泊:反応はすごくいいですね。デジタルプリント壁紙全体の売上ベースでいうと初年度は400万円程度、昨年度は約2,000万円ぐらいだったので、今期は4,000万円超えを目標にしています。
B to B と B to C を同時進行していますが、B to B では、大手の商業施設の内装に決まりはじめたものもあります。B to C は、ショッピングサイトが完成したので、今後はインターネット広告を打っていって、売上を上げていこうかなと思っています。
岡田:これまでの印刷会社の仕事としてはB to B ビジネスが中心だったかと思いますが、B to C のビジネスを行う理由はどんなものですか?
小泊:一般の方にも広めたいという思いがやっぱりありますね。壁紙に対する感覚を今までとはちょっと違うふうにとらえていただきたい。ヨーロッパなどはすごく先を行っていて、ホームセンターで壁紙を買ってきて、自分たちで貼っている。そういうことが簡単にできると知らない人が、日本だとまだ多いと思うんです。壁紙は建築物の一つ、建築資材としてとらえられているというか。
岡田:日本でいうインテリアって、ソファや机は入るけれど、そこに壁紙が入ってない印象ですね。
小泊:入っていない。だから、一番お金をかけない。安い量産クロスを、内装の最後の最後に、もう、流れ作業のように選んでしまう。
岡田:でも、実は、壁紙の影響って大きいんですよね。
小泊:自分の会社で実験したのでよくわかりますが、壁紙一つで雰囲気がすごく変わってくるので、それをお知らせしていきたいですね。そのためにワークショップとか、いろいろなイベントを繰り返しながら、少しずつ広げていくという活動をしています。
岡田:そういう意味では、売上というよりは、そもそも「壁紙って、すごく生活を変えるものなんだよ」というメッセージを広めていく。その先にビジネスがつながってくるという感じですかね。
小泊:住宅もそうですし、店舗もそうですし、工場やオフィスでも、やっぱり環境、雰囲気が変わるということは大切だと思うので、「壁があるところはどこでも需要がある」というふうに考えています。
岡田:「壁の数だけ需要がある」(笑)。そう考えると、すごいビジネスです。
小泊:日本の壁紙って、国内向け年間出荷量が7億平米あって、ほんとうにものすごい市場なんですよ。
ドイツでは、8億平米の市場の中で、近年は10%近くがデジタルプリントになっています。もう10年前からすごい伸び率なんです。でも、日本には「自分で壁紙をはがして、買ってきて、貼って、…」という文化がなかったから、まだ、0.1%なんですね。もしも、日本の壁紙におけるデジタルプリントのシェアが1%になったら、700万平米の市場になってくる。うちの年間出力平米数って、10万平米ぐらいしかないんですよ。印刷業として、伸びる市場がそこにはある。すごく大きな成長市場ですね。
岡田:Armsというブランドを立ち上げてから、会社に変化はありますか?
小泊:今までは実は自分たち自身の生活に直接は関係のないものばかりつくっていたんですね。工事現場の垂れ幕とか。でも、壁紙ブランドを始めたら、関わってくるじゃないですか。自分の家にも壁があるから。そうして変わってきたなというのはありますね。
今、社員主導で、『Arms』をお客さまに体験してもらうワークショップを2カ月に1回ぐらいやってくれていて。私はタッチせずに、社員で企画して、集客も社員でやって、と進めてくれています。
岡田:御社自体に、何かDIY文化というか、みんなでつくってみよう、みんなで楽しもうという雰囲気があるように感じますが、それは、Armsを始める前からあったものだったんですか。
小泊:まあ、そういうノリはありましたね(笑)。 ただ、Armsの立ち上げ以降、DIY文化が強くなってきましたね。壁紙を自分たちでまず貼るところからスタートしたら、今度は手すりを塗ってみようとか、傘立てをつくってみようとか。
ちょっと空いた時間で必要なものをつくっていく、楽しみながら自分たちの環境をつくっていくということが、なにか自然と身についている気はしますね。机も自分たちで組み立てているんです。事務員さんや新入社員が入ってきたら、まず机をつくるというところからはじめてもらっています(笑)。
Arms チームのみなさん。つなぎのユニフォームも自分たちで考え、制作。取材の前日に、オフィスに傘立てが必要だということで、DIYで傘立てを制作していたとのこと。就業時間中にそうした取り組みを行うことが許されている。
岡田:印刷会社に入ったのに、なぜか机をつくっています、と(笑)。
小泊:ものづくりの会社ですからね。お客さんから、いろいろな注文を受けてくる。「こういったものはできないか」と。それが難しいものもあるんですよ。でも、それをどんどんこなせるような形にしていきたい。
岡田:いい意味で「自分たちは印刷屋だから…」というふうに閉じ込めずに、お客さんの期待に応えようという。
小泊:はい。お客さんのほうも「じゃあ、そういう仕事はグランド印刷に」という相談も来る形になっていますね。
社員のみなさんには、面白いことを何かやってもらいたいですよね、ほんとに。ただ仕事をやって一日を終わるよりも。そういう部分でも、事務所や会社の雰囲気はすごく大事だと思いますね。
岡田:ある意味、Armsのクラフトマンシップというブランド・コンセプトが、御社の社員の皆さんのクラフトマンシップを刺激しているということですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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今回は「形」の視点で、「Arms」から読み取れるこれからのブランド作りのヒントを考えてみたいと思います。
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