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雑誌『広告』リニューアル企画 平成の歴代編集長インタビュー
【第9回 杉本 進】

2019.07.04

「今、これが面白い」を捕まえる

雑誌『広告』歴代編集長インタビュー|第9回 杉本 進

平成以降、雑誌『広告』編集長を歴任した人物に、新編集長の小野直紀がインタビューする連載企画。第9回は、平成4年1月~平成9年12月に編集長を務めた杉本進さんです。12年の休刊を経て復刊した雑誌『広告』編集部に異動し、編集部員、そして編集長として長年雑誌づくりに携わってきた杉本さん。世の中の何を見据え、何を誌面に落とし込んで来たのか。当時を振り返っていただきつつ、お話をお聞きしました。

『広告』12年ぶりの復刊。編集部への異動。

小野:編集長としても博報堂の社員としても、杉本さんは僕にとって大先輩ですが、入社されたのはいつ頃ですか?

杉本:僕は昭和39(1964)年に入社しまして、ちょうど東京オリンピックの年ですね。PR局に配属されて、最初の仕事はクライアントのPR誌の編集でした。だけれども、そもそも僕が博報堂に入社したのは広告の制作がやりたかったからなんです。気持ちとしては、「なんで雑誌の編集をしなければならないんだ」と(笑)。

小野:いつの時代も配属は思い通りにいきませんよね(笑)。でも、後のことを考えると編集者としてのご経験を最初に積まれたわけですよね。その後はどうされたんですか?

杉本:制作の仕事ができないことにいろいろ悩んで、夜になると社外で広告の勉強をしてね。それで会社にお願いをして、広告制作に移ったんです。制作では7年ほどコピーライターをやりました。『広告』編集部に異動したのはその後です。「ぜひ、キミも手伝ってくれ」ということでね。

小野:そのタイミングでの異動には何か理由があったんですか?

杉本:古い話になるけれど、雑誌『広告』は昭和41(1966)年に一度休刊しているんですね。それから12年の時を経た昭和53(1978)年に復刊したんですが、そのタイミングで編集部へ異動になったんです。当時の編集長は伊藤酒造雄さんという方でした。

小野:杉本さんの編集力が必要とされた異動だったんですね。それから編集部員として雑誌に携わり、編集長に就任されたのが平成4(1992)年ですから、14年にわたって『広告』を支えられてきたわけですね。

杉本:伊藤さんの後に、今は俳壇で活躍されている黒田杏子さんが編集長になりました。本当はこの辺りで、「また制作に戻りたいな」と思っていたんです。ところが、黒田さんが俳句の賞を取っちゃって、会社から「杉本、お前が手伝ってやれ!」って言われちゃってね(笑)。その次の編集長が久保道夫さんで、その次に僕。長い間編集部にいましたから、その流れのままに編集長になったと言うべきでしょうか。

広告を上手に取り上げつつ、 世の中の今の流れを特集に。

小野:編集長になられて、それまでのご経験を踏まえつつ、どういった編集方針を打ち出されたんですか?

杉本:僕はそんなにね、「この雑誌はこうあるべきだ」っていうことを強く言わなかったんです。というのも、まず広告会社が出す雑誌で、一般的な広告を扱うということが難しい。どこかの会社の広告について褒めることはできても、あまり批判してはいけないわけです。だから誌面で広告に触れる時は、「褒めたいものを取り上げておけばいいんだ」と(笑)。

小野:そこは……難しい問題ですよね(笑)。

杉本:っていうのはね、休刊前に編集長をやっていた天野祐吉さんに教わったことです。その後、天野さんは『広告批評』という雑誌を立ち上げて批評をやりましたけれども。

小野:当時の広告業界はどんな雰囲気だったんですか?

杉本:僕が編集長になる少し前から、広告の“表現”っていうものが世の中で話題になるようになりました。広告を見て、「面白いじゃないか」とみんなが口にする時代になってきたんですね。僕もその流れは面白いと思っていたんですけれども、すべての広告を博報堂がつくっているわけじゃないからね(笑)。
じゃあ何をやろうかっていう時に、広告表現だけじゃなくて、これからの世の中の流れを見て、「今、これが面白い」というモノを捕まえられれば、『広告』はいい雑誌になるんじゃないか。そう考えたんです。ただ、それが何であるかっていうのがなかなか難しいんだけれど(笑)。

小野:たしかに、杉本さんの『広告』は業界の話題だけじゃなく、バラエティに富んだ特集が組まれています。特集「フリーダイヤル0120活用術」(『広告』vol.297)ですとか、特集「イマを斬れ! 時代劇」(『広告』vol.319)ですとか。広告をテーマにしつつ、時代の「今、面白いこと」を切り取っていたということですね。

杉本:たとえば特集「天気予報パワー」(『広告』vol.302)ではね、お天気ニュースで活躍されている森田正光さんに話をうかがったんです。ちょうどその頃は、天気予報が単なる予報を超えて、トークを交えた“番組”になってきた時代でした。「なんだか最近、面白い天気予報が出てきたぞ」と。そうした時代背景があって、「今、面白いこと」を特集にしていたんですね。

渾身の一冊、イチオシの企画。 日本中が沸いたJリーグ発足特集。

小野:杉本さんにとって、一番思い入れのある号を教えていただけますか。

杉本:すべての記事に自分が関わったわけじゃないから、改めて各号を眺めてみるとほとんど忘れているんですよね。ところが、この特集「Jリーグ開幕へ、あと1年」(『広告』vol.290)だけはすごく鮮明に覚えている。なぜ覚えているかといったら、自分がサッカーをやっていたからなんですが(笑)。

杉本元編集長が選んだ“渾身の一冊”は、平成4(1992)年1月に発行された『広告』vol.290 特集「Jリーグ開幕へ、あと1年」
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小野:思い入れもひとしお、ということですね(笑)。それにJリーグ発足といえば、その頃は避けて通れない「今、面白いこと」だったと思います。

杉本:当時は韓国のほうが先にプロリーグをつくって、ワールドカップにも先に行かれちゃってね。サッカーファンとしては悔しい時代だったんです。オリンピックとは違って、ワールドカップというのは日本にとってものすごく遠い存在なんだと思っていました。でも、日本にもようやくプロリーグができる。Jリーグができたなら違う動きになると。これは面白いということで、絶対取り上げようと思ったんですね。

小野:新しいプロリーグができて、日本のスポーツシーンそのものが変わっていくという時代ですよね。では、この特集からイチオシを選んでいただくとしたらどの企画でしょうか。

杉本:Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さんにインタビューした企画ですかね。川淵さんは、会って話してみたらすごく明快な方でね、非常に面白かったです。プロリーグ発足にあたって、日本サッカーはどのような方向へ進むべきなのか、そして日本のスポーツ文化はいかに変わっていくべきなのかを聞きました。動き出した大きなプロジェクト関係者の熱意に直接触れることができたのは、大きな経験でしたね。

「面白い」を探して、 読者を訪ね全国行脚。

小野:杉本さんは編集長として36冊の『広告』を世に送り出されました。平成の歴代編集長の中でもいちばん長く在任されていたわけですが、当時の編集部はどのような体制だったんですか?

杉本:当時は編集部員が6人くらいいましたが、そこに集まった人間が気持ちよく働ければいいなと思っていました。編集会議を1週間に1回やっていましたけど、そこで出た企画をみんなでやる。この人は先輩だからとか、この人は若手だからということはなく、全員同じ立場に立ってやりたいことをやろうと。

小野:杉本さんご自身も企画を担当されていたんですか?

杉本:いや僕はね、編集部員に彼らがやりたい企画を任せて、残った連載とか小さな企画を担当するようにしていたんです。これが面白くてね。誌面の後ろのほうに出てきますけれども、定期購読者を訪ねる企画をやっていました。クライアントとかクリエイターであるとか、そういう人ではなくて一般購読の方ですね。「いったい、この人たちはなぜ『広告』を買ってくれているんだろう?」と。その方々のプロフィールがわからないから非常に興味があって、連絡を取って訪ねて行ったわけです。

小野:その企画面白いです。どんな方がいらっしゃったんですか?

杉本:今、パッと思い出したのはね、山形県にある小さな町役場の男性。作家の井上ひさしさんの故郷・川西町に近い町ですよ。井上さんはご自分の蔵書7万冊を寄贈して、川西町に遅筆堂文庫というのをつくったんです。僕も行きましたけれど、すごくいい図書館でね。彼はその遅筆堂文庫で『広告』を読んだっていうんですよ。

小野:井上さんの蔵書に『広告』があったということですか?

杉本:そうなんです。なぜかというと、僕が井上さんに『広告』を送っていたからなんですね(笑)。井上さんは『広告』を読まれた後、ご自分のところに置かず遅筆堂文庫に寄贈されていたと。

小野:なるほど。まるで推理小説のようなお話です(笑)。何人くらいの方に会ったんですか?

杉本:青森とか高知にも行きましたね。10数人には会ったんじゃないかな。「好き勝手に行きたいところに行って遊んでる」って編集部員には思われていたかもしれないけども(笑)。でもね、読者がどんなところに住んでいて、『広告』の何を参考にしてどう思っているのかが聞けましたから、非常に参考になりましたね。

小野:今と違って当時はネットもないですし、読者の生の声を聞くためには自分の足を使わなければいけなかったわけですよね。それもまた、先ほどのお話にあった「面白いこと」を捕まえに、ということですよね。

もう一度、『広告』の編集長に就任したら。

小野:最後になりますが、平成が終わろうとしている今再び、雑誌『広告』の編集長に就任されたらどのような雑誌にしたいですか?

杉本:やはり、「今、面白いこと」に焦点を当てたいと思いますね。ただ、それは今の自分の身の周りでの面白さですけれども。

小野:というと、具体的に何かおありですか?

杉本:博報堂を定年退職した後にね、歌舞伎にまつわる仕事に就いて去年まで続けていたんです。結局、16年間やっていたんですが。

小野:第二の人生で16年はすごいですね。

杉本:これを話し始めるとまた長い話になってしまうんだけれど(笑)。とある歌舞伎役者さんが番頭を探していらっしゃって、僕が歌舞伎を含め芝居が好きだったものですから、「誰かいい人を紹介してくれないか」と相談を受けたんです。それだったら自分がやると(笑)。若い頃から観客として親しんでいた世界ですから、面白かったですよ。

小野:どんなテーマにするにせよ、やはりご自身の「今、面白いこと」を追求するということですね。

平成4年1月~平成9年12月編集長:杉本 進

昭和39年、博報堂入社。PR局にてクライアントのPR誌編集に携わった後、コピーライターとして広告の制作業務に就く。昭和53年、12年の休刊から復刊した『広告』編集部へ異動。編集部員として『広告』を支え、平成4年『広告』編集長に就任。平成9年までに平成の歴代編集長最多36冊の『広告』を世に送り出した。

雑誌『広告』新編集長 小野 直紀
博報堂monom代表/クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナー

1981年生まれ。2008年博報堂入社。2015年に博報堂社内でプロダクト・イノベーション・チーム「monom(モノム)」を設立。手がけたプロダクトが3年連続でグッドデザイン・ベスト100を受賞。社外ではデザインスタジオ「YOY(ヨイ)」を主宰。その作品はMoMAをはじめ世界中で販売され、国際的なアワードを多数受賞している。2015年より武蔵野美術大学非常勤講師、2018年にはカンヌライオンズのプロダクトデザイン部門審査員を務める。2019年より雑誌『広告』の編集長に就任。

撮影:戎 康友
写真家。写真館を営む祖父と父の影響を受け、日本大学芸術学部写真学科へ進学。卒業後、写真家として独立。アメリカやヨーロッパを旅しながら現地の人々を撮影したポートレイト作品を発端に、ファッション誌のエディトリアルや広告、アーティストまで、ポートレイトを中心に活躍している。

インタビュー:小野直紀 文:宮田 直

雑誌『広告』HP http://kohkoku.jp
雑誌『広告』note https://note.kohkoku.jp
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広告』1992年1|2月号 vol.290
特集「Jリーグ開幕へ、あと1年」▶ ︎こちらよりご覧ください

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さらに、その中の「杉本元編集長イチオシ記事」をnote用に再編集しましたので、こちらもご一読ください
♯杉本元編集長イチオシ記事:これで日本のサッカーが変わる
▶ ︎こちらよりご覧ください

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