SYPはストーリーテリングをルーツとして立ち上げられた会社です。創設者のキース・ヤマシタは、ストラテジストであり、クリエイターでもありますが、何よりもまずストーリーテラーです。彼はパワフルでビビッドなナラティブ(物語)を作り上げるという独自の能力に基づき、この会社を設立しましたが、この精神は25年を経た今でも、私たちの仕事の中核を成しています。キースと同様、私も駆け出しの頃はライターをしていましたが、キャリアを積むにつれて、ストーリーテリングが受け手だけでなく、むしろ語り手にとって有用であることに気が付きました。一貫したストーリーを作り上げるという作業によって、自分のアイデアをより鋭く、クリアにできるからです。
SYPは、シニアエグゼクティブが自社の変革に向けた針路を決めるためのお手伝いをしています。自分の会社がどこに向かっていて、何をすべきかがはっきりとわかっていて、あとはそれを世の中に発信するだけの話であれば、私たちは必要ないでしょう。私たちの価値が最も発揮されるのは、企業に志があり、それを具体的な方向へと導くための支援を必要としている場合です。ストーリーが役割を果たせるのも、そのようなケースです。
ストーリーテリングとは、アイデア発信の技法のことです。但し、ストーリーは単にアイデアを説明するのではなく、プロット(あらすじ)や構造、主役、そこにある関係性を使って、聞き手がそのアイデアをより深く理解できるようにします。
例えば、クライアント向けに自社戦略をまとめたパワーポイントの資料があるとします。パワーポイントの問題点は、スライドを次々とつなげていけば、仮に論理の飛躍があったとしても、一貫性とまとまりがあるように見えてしまうという点です。その点、ストーリーテリングを用いて説明する場合は、論理の中にある漏れや不足部分、戦略の中にあるギャップが露呈されるのです。そこで私たちは、リーダーがそのナラティブ(物語)の戦略的な意味合いに沿って、ストーリーを語るためのお手伝いをしています。
会社は確立されたシステムのように見えるかもしれませんが、顕微鏡で覗くことができるとしたら、そこに見えるのは人間です。多くの企業が、戦略どおりに事が運ばないと嘆いていますが、それは理屈に焦点を当て過ぎ、人間の存在を見ていないからです。結局のところ、企業の変化とは人の変化なのです。
企業がその志を実現できていないと感じる大きな理由の一つとして、マネジメント層とチームの足並みが揃っていないという点があります。表面的には足並みが揃い、戦術レベルでは合意ができているかもしれません。しかし根本的なこと、つまり、自社のビジネスがどこに向かっているのか、5年後にマーケットはどうなるのか、顧客にとって何が大事なのかなど、決まりきったデータ報告を越えるレベルにおいて、その信条がバラバラなことが少なからずあるのです。ストーリーテリングは、こうした信条を露出させ、マネジメント層とチームに共通認識を持たせるという意味で、効果的なやり方なのです。
私たちの活動の重要な部分は、わずか3人のリーダーから3万人の従業員まで、さまざまな規模の集いを開いて、一同に会するところにあります。コンテクスト(文脈)や志、主役、敵対勢力など、ストーリーテリングの枠組みを使って、アイデアや思考を解明し、意味を引き出し、意識のズレを明らかにします。私たちは、こうした集いからの学びを活用し、言葉やデザインの力を借りながら、ナラティブ(物語)に磨きをかけてゆきます。
私たちは通常そこから組織に深く切り込んでいって、当初は幾分、夢の要素を含んでいるストーリーを現実的なものにしていきます。この作業では、組織全体の関与が重要になります。新しい一連の大胆な動きを軸にビジネス戦略をシフトさせたり、新たな文化を活性化させるには、全員の関与が必要だからです。私たちは社員に対して、ペンを取り、自社の未来のストーリー作成を手伝うようお願いしています。それこそが私たちの働き方の核心なのです。
どんな偉大なストーリーにも主役がいます。多くの企業は自分たちを主役としてストーリーを語りたがりますが、大体においてストーリーの主役は顧客とすべきです。その場合、顧客像を明らかにしてカスタマー体験を具体化する形でストーリーを語ることが必要です。
あらゆるストーリーには悪役、または主役と対立する勢力がいます。偉大な企業は業界やマーケット、顧客の生活の中で、これに相当する要素が何かを見定めてストーリーに取り入れ、意味を成すようにしています。
しかし、最も大切なのは、どんな主役にも目指すべき目標がある、ということです。主役が何も求めていないようなストーリーを想像してみてください。そんな本を読み続けることはできないはずです。それなのに、明確な目標を定めていない企業は驚くほど多いのです。物差しはあっても、真の志を持っていません。自社のビジネスやその方向性に感動できるものがなければ、顧客が特定の取引の範囲を越えて関心を持ってくれることなど期待できません。つまり、ダメなストーリーテリングに共通するのは、明確な志がないということなのです。
企業が、対外的なブランド・ストーリーにフォーカスしすぎることがあります。私自身、ブランド畑の出身なので、どうしてそうなってしまうのか分かりますが、ブランド・ストーリーはしばしば不完全で、時には顧客に何かを説得したり、約束したりするためのポジショニング行動と化しています。それでは感動的なマーケティング・ストーリーは出来上がっても、さらに大きく全体的なストーリーを作ることはできません。ストーリーでは自社の戦略的優先課題を定めなければなりません。さらに、自社が行うことになる選択に影響を及ぼすものとすべきです。
また、企業がつながりのないストーリーを語るケースも見受けられます。もしTVドラマシリーズをたまたま1話見逃したら、次のエピソードを見ているときにそれに気が付くはずです。「ここはそもそも混乱するところなのか、それとも1話見忘れたのか?」と。企業が戦略を説明するプレゼンを作る時にも、同じことはよく起こります。すべてを完璧につなげなければなりません。人間の心はストーリーの矛盾に敏感だからです。
ストーリーテリングは誰にでも必要だと言えます。例えば、子どもたちに何かを説明したり教えたりしようとする時に、話を聞いてくれないことがあります。でも、物語を語りだした途端に、注意を向けてくれるのです。子どもがもっと小さく、幼児や赤ちゃんであっても同じです。人間はそもそも、ストーリーテリングの機械です。私たちはストーリーの形で、世界を読み解くようにできているのです。理解を助けたり、考えていることを共有するために、誰かの注意を引こうとする時、ストーリーはその効果を高める手段となるのです。
ですから、企業にもストーリーを語れるリーダーが必要です。本当のところ、組織で働く人なら、誰でも必要だと言えます。就職を考えている場合でも、プライベートで抱えている問題を予測する場合でも、ストーリーはその助けとなるのです。
ストーリーは、社会変革を推進しようとしている組織にとって、特に深い意味を持つことがあります。先日、カナダの首相(ジャスティン・トルドー)が、ストーリーテリングについて話し合う会を開いたという記事を目にしました。作家や俳優、映画監督などを呼んで、カナダという国のビジョンについて議論することが目的でした。首相は、ストーリーテリングが人々を結び付けるツールであるということを理解しているのです。たとえ政治的には異なる意見を持っていたとしても、同じ映画を見て楽しむことはできます。同じ本を読んで楽しんだり、そこから同じ意味を見出すこともできます。今日の社会では、それこそが一番必要なことです。だから、政府やリーダー、慈善家などが、今の社会でできる最高のことは、おそらくストーリーテリングのパワーを使って人々をまとめることではないでしょうか。
センスメイキング理論は、30~40年前に大学で教えられていた組織論です。最近はあまり話題に上らなくなっているようですが、有効性を失ったわけではありません。ストーリーテリングはセンスメイキングの1つのツールです。人間が前進するためには、ますます複雑化する私たちの世界の意味づけをする必要がありますが、ストーリーはその助けとなります。
ストーリーテリングとセンスメイキングの実質的な違いは、ストーリーを書くことと、伝えることの違いです。ストーリーを書く機会があるということは、選択肢があるということです。すでに存在する現実を叙述するのではなく、新しい現実を描くことができるからです。一方、センスメイキングは事実の究明と報道に近いものだと言えます。「何が起きているのか。何が真実なのか。それを人々が理解できる形で伝えられるのか。」これらには調査報道と同じような価値がありますが、私たちが実践しているストーリーテリングとは別物です。
ストーリーテリングには、ビジョンや想像力、志や共感が必要です。SYPは、未来のストーリーを書くためのお手伝いをする企業なのです。