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【日本タイダン。】第5回ゲスト アレックス・カーさん(東洋文化研究者)
地方創生は“量”より“質”“地力”の段階へ
市場原理を超える市民意識が健全な観光のまちを育てる

2019.08.23
#ブランディング#地域創生
日本の地域を訪れ、体験や発見をつづる連載コラム「日本トコトコッ」の執筆や地域のまちづくりに関わる、スマート×都市デザイン研究所長・深谷信介が、日本の地域活性について、さまざまな分野のオピニオンリーダーと対談する連載コラムです。

深谷 アレックスさんのご著書『観光亡国論』を拝読しました。日本の観光地が直面している課題について、私が感じていたことを「観光投機」「文化の稚拙化」「大型観光より小型観光」といった言葉で見事に解説されていて、大変感銘を受けました。
しかも、秋田県羽後町のことに触れられていたのが個人的にめちゃめちゃ嬉しくて。国の指定重要文化財「鈴木家住宅」をはじめ、茅葺きの民家が多数残っている美しい土地ですよね。地元出身の友人に勧められて訪れたことがあって、とても感動的な風景でした。
(日本トコトコッ#12かまいたち https://www.hakuhodo.co.jp/archives/column/40940

アレックス ご存知でしたか。素晴らしいところですよね。ああいう地域が日本にはたくさん眠っているから、できるだけ良いかたちで多くの人々に訪れてほしいですね。

深谷 本当にそう思います。
アレックスさんは現在、各地の古民家を再生して地域振興につなげる活動をされながら、東洋文化研究家として日本の観光の課題について積極的に発言されています。ぜひお会いしてお話をお聞きしたかったのです。まず、アレックスさんが日本で活動されるに至った経緯を簡単に教えていただけますか?

アレックス 私が初めて日本に来たのは東京オリンピックが開催された1964年、今から55年前のことです。父の仕事の関係で、家族で横浜に暮らすことになったのです。約2年ほどでしたが忘れられない体験で、日本の文化が大好きになりました。その後アメリカに戻り、イェール大学で日本学を専攻。さらにアジアの中に日本を深く知るために、オックスフォード大学で中国学を学びました。1977年に改めて来日して京都・亀岡に住まいを構え、それ以来ずっと日本で暮らしています。

深谷 重要な活動拠点の1つ、「篪庵(ちいおり)」がある徳島県祖谷(いや)に行かれたのはいつごろですか?

アレックス イェール大在籍中の1973年です。当時、慶應義塾大学に留学したのですが、講義はほとんどサボって、ヒッチハイクで日本全国を旅してばかりの不真面目な留学生でした(笑)。その旅の途中、偶然出会った人に勧められたのが祖谷を訪れたきっかけでした。当時からあまり知られていない秘境のような場所で、自然が取り巻く幻想的な風景をとても気に入り、古い茅葺き屋根の農家を購入することを決めました。これが篪庵です。

深谷 当時から古民家再生の仕事をするつもりだったのですか?

アレックス いえ、そんな構想はまったく無くて、来日当初は京都・亀岡に拠点を置く宗教法人の文化スタッフとして通訳などをしていました。その後、東洋美術のコレクターだった米国の実業家に頼まれて、日本の古い美術品を扱う美術商の仕事も始めました。
本格的に古民家再生を手がけたのは2004年のことです。パリやフィレンツェなどでは古い邸宅を一棟貸しする文化が昔からあるのに、京都では逆に古民家がどんどん壊されていた。何とかできないものかと考えたのです。今のように町家ステイがブームになるずっと前の話です。それで日本の知人と会社を興して、京町家を再生しようと思い立ったのが始まりです。京都で10棟ほどを手がけましたが、今は徳島県祖谷のほか、長崎県小値賀町(おぢかちょう)や奈良県十津川村(とつかわむら)など、京都以外の地方を中心に古民家再生プロジェクトを続けています。

世界各国の観光地が抱える観光の稚拙化

深谷 アレックスさんの日本の観光業に対するご発言にはどのような社会背景があるのでしょうか?

アレックス もともとは観光活性化の推進派でした。過疎化の進む地方にとって、観光は素晴らしいものであり、日本経済にとっても欠かせないと私は言い続けていました。しかし、わずか5〜10年ほどの間に訪日客が急激に増えて、観光がもたらす負の側面が一気に噴出してきました。

深谷 政府が訪日客数の目標値を1000万人、2000万人と掲げていた頃は、「実際はそんなに来ないだろう」という雰囲気すらありましたよね。

アレックス そう。あまりに急激だったので、制度の整備どころか人々の心の準備もできていない。京都をはじめ有数の観光地が一種のカオス状態に陥っていますよ。
それでここ数年、少しずつ研究しているうちに、日本だけでなく、世界各国が抱える共通の課題であることがわかりました。バルセロナでは「NO MORE TOURISTS」を掲げた大規模デモが起きたぐらいです。フィレンツェ、ベニス、アムステルダム、東南アジアではフィリピンのボラカイ島やタイのピピ・レイ島。それぞれが真剣に課題に向き合っている。日本は、世界のこうした先行事例から学ぶべきだとわかったのです。

深谷 私は金沢生まれなんですが、2015年に長野・金沢間の北陸新幹線開業をきっかけに地元の観光やまちなみ、佇まいまでが様変わりしてきました。単に人が増えただけじゃなく、市場に並ぶ商品が変わり、メイン通りがホテル建設ラッシュになり、風情あるお店が観光客でいっぱいになり予約が取れなくなる、公園などの進入禁止の柵の中にどんどん入る、桜など花を咲かせた木々の枝を引っ張ってまで自撮りするなどなど。ここ数年の間に、様変わりしてしまったんです。

アレックス その通りです。最大の問題は、町の性質そのものがまったく変わってしまうことです。
著書にも書きましたが、「京都の台所」として地元の人々に昔から親しまれてきた錦市場は、今では観光客向けのお土産やソフトクリームを扱うお店ばかりになり、結果的に京都人が食材を買いに行かなくなってしまった。地価が上がっているので、京都旧市街の住まいを売って郊外に移り住む人も増えています。日本人の観光客もずいぶん減っている。自国の人が京都に行きたくないというのは、とても残念な結果ですね。

深谷 京都からイメージされる日本的な文化体験を提供することが一番大切なはずなのに、目の前の人に売りやすいものを売る発想になってしまっている。アレックスさんのおっしゃる「稚拙化」ですね。

アレックス それは市場原理の当然の帰結ですから、放っておけば必ずそうなります。京都だけで起こっているのではなく、世界共通の課題です。早い段階で、市場原理に任せないルールづくりが必要です。
ヨーロッパでは早い段階で条例で規制したところが多い。アムステルダムでは、旧市街の中でのソフトクリームやピザ、ファンシーチーズの販売を全面的に禁止しました。

深谷 日本でも2004年にようやく景観法施行されたものの、行政的な対応は全般に遅れ気味ですね。事業者の活動に制限を課すことは「民業圧迫」に当たるという考えが根強く、こうした規制が後手に回ってしまう傾向があります。しかし規制しないことが、結果的にその地域を衰退させてしまうことになる。アレックスさんが「観光公害」と表現されているのもその意味でしょう。中長期的な視点に立ったルールづくりの議論が必要ですね。

アレックス 地域住民の強い意志さえあれば、行政も必ず動くはずで、その地域に相応しいルールづくりは絶対に実現できます。しかし残念ながら、日本ではみんなで集まって自分たちの街の未来を考える伝統が乏しいように感じます。自分が生まれ育った町には愛着があるはずが、それも薄い。むしろ昔の街並みが残っていることを恥だと思っていたりする。

深谷 それはありますね。これも地の利をもとに集落形成されてきたという視点を強めていきますね、いい場所に住む、場所を維持する・育てるという強い継承性が見えにくい、もしくは途切れてきている。私自身は、日本に魅力のない集落なんてないと思っているのですが。
地域に対する意識が大きく変わったのが高度経済成長時代ではないかと考えています。東京一極集中によって経済は発展して利便性も高まって、そんな東京を批判しつつも、どこかで「地方も東京みたいに発展するのがいいよね」という価値観が生まれていった。地元の良さを残すことよりも、東京のように開発が進むことを望んでいて、地方都市の均質化が進みました。でも、今では東京一極集中のビジネスモデル自体が行き詰まっているのですよね。

アレックス なるほど。その意味でも地域住民の意識改革は本当に重要ですね。

量より質への転換に向けて、新たなルール・モラルづくりが必要

深谷 私は、観光発展の指標として日本政府が「訪日客数」という数値目標をメインに掲げるのをそろそろ控えたほうがいいのではと考えています。

アレックス まったくその通り。量より質ということですね。地方も、とにかく観光客が増えることを喜んでしまっている。年間100万人を超える観光客が来るような有名な観光地はありますが、ちゃんと経済効果をもたらしているかはかなり疑問です。地元で使うお金は駐車場代と自動販売機の飲み物代ぐらい。その収益も地元企業に残るかどうか。あとはInstagram用の写真を撮って、公衆トイレを使って、ゴミを残して去っていく。ちょっと乱暴ないい方ですけど、実際そんな例は珍しくないでしょう。
一方で、祖谷を訪れる人たちは年間3000人です。でもちゃんと長期滞在してくれるから、宿泊と食事、地元交通機関を使った観光での支出を合計すると、1人当たりの支出額は大型観光地の20〜30倍ぐらいです。数で見ると祖谷の3000人は少ないかもしれないけど、観光市場規模は大型観光バスが来る観光地の約6万人に相当します。しかも使われたお金はすべて地元に残ります。

深谷 そのような流れを全国で生み出すためにも、まずは政府は「3000万人の訪日客を受け入れられる国になりました。ありがとうございました」と宣言して、今後は観光政策を「量」から「質」にシフトチェンジすると決めるべきだと思っています。そして目先の収益ではなく、長い目で見て地方の発展につながるような、しかも地元にちゃんとお金が残るようなルールづくりを目指していく。

アレックス ルールづくりの一つとして、入村料を取るのもいい。すでに中国にはそういう例があって、明の時代から残っている村が数十箇所もある安徽(あんき)省では、村の入り口で入村券を発行しています。そこで得た収益は地元の整備に使うことができます。それによってお客が半減したとしてもそれでいい。本当に行きたい人だけが行く場所になるからです。訪れる観光客の意識も変わっていくはずです。

深谷 入村制限の方法はバラエティがあってもいいですね。「1日300人だけ」などと人数制限する手もある。その場所ならでは・希少性という価値化ですよね。

アレックス アメリカの国立公園などが取り入れている方法ですね。ペルーの世界遺産マチュピチュも始めるなど、世界の潮流の一つになりつつあります。

深谷 長野県の上高地でも、古くから似たようなことをやっているんですね。夏の観光シーズンになると、自家用車での乗り入れを禁止して、途中からバスでのピストン輸送で現地まで行く。バスで移動できる人数しか上高地内には行けません。地元の活発な住民運動の結果、環境負荷の低減を目的に取り入れた具体的な共助・公助的活動です。
日本にもこういう小粒だけどピリッとする成功事例は各地にあるので、ちゃんと見える化して他の地域にも伝えていけたらと。こういう意味での情報発信やコミュニケーションは、広告会社が取り組むべき仕事だと考えています。

広告会社の可能性と「DINING OUT」プロジェクト

深谷 広告会社が地方創生に取り組むというと、どうしても大々的なキャンペーンを企画して集客することがイメージされがちですが、地方のキャパシティを超えるような集客は地元を疲弊させるだけだと思っています。しかし一方で、地元でも忘れられているような地方の資産を魅力化・見える化していくのは重要な役割です。アレックスさんはどうお考えですか。

アレックス 目先の利益を追うのではなく、日本で健全な観光を育てるために広告会社の力をぜひ発揮してほしいと思っています。例えば、いわゆるゴールデンルート以外の地域に訪日客を呼ぶのは大変で、広告会社の持つPR力は欠かせません。

深谷 もともと博報堂は、クライアントのことをしっかりと考えてソリューションを提案できている会社だと思っています。それとまったく同じことを地方創生でも実践すべきではないかと。ただ地方の場合、ビジネスの相手は1つではなくて、さまざまな想いと利害を持った複数の主体が相手なので、ソリューションを出すのは簡単ではありません。かつ変化への耐性が少なく時間軸を長く保つ必要がある。腰を据えた取組になるということですね。しかし、そこに踏み込めれば大きなポテンシャルのある分野だと思うのです。
アレックスさんのおっしゃる「健全な観光」が育つためには、地元独自の文化体験をしっかりとお客様に提供して、心地よくお金を落としてもらうような仕組みが必要です。実は広告会社は、その仕組みづくりを担いやすいと思っています。その仕事柄、第1次産業から第3次産業まですべてと関係性を持ち、横断的な連携を図ったり、すべてを巻き込んだソリューションを提案できるからです。
日本の地方で、数日だけオープンする野外レストランプロジェクト「DINING OUT(ダイニングアウト)」もその一例だと思っています。

アレックス あれはなかなか良い仕事をされていますね。訪れる人々がみな高級志向のグルメばかりでそこがクローズアップされがちですが、本質はそこじゃない。重要なのは、地元の意識改革に貢献していることです。「観光の稚拙化」に歯止めをかけ、健全で前向きなホスピタリティや料理の水準を高めることにつながっています。

深谷 その通りです。私もほんの少し関わっているのですが、DINING OUTのチームは、まず現地に深く入り込んで地域の食材をデータベース化するんですね。名産品なのに地元の人が見落としているような食材もすべて。そのリストを超一流シェフに見せて、誰も見たことのないようなメニューを作り、地元の人たちとレシピの共有をしていく。しかも料理だけでなく、接客などホスピタリティも一通り学ぶことができます。たった数日間ですが、地元に残せるものはとても大きくて。

アレックス 地方の旅館などでは、いわゆる田舎懐石料理のようなものがご馳走だという考えが残っているので、DINING OUTが提案するメニューは地元の人々にはかなり刺激的です。それが地元の人たちが料理に対する気持ちを変えるし、結果的にお客様の層も良い意味で変わってくる。

若い世代のアントレプレナーシップが地方に新風を起こす

深谷 最後に、地域創生に取り組む若い世代にアドバイスをいただけますか。日本は海外に比べていろいろ出遅れ気味ですが、意欲のある優秀な若者が最近どんどん地方に向かい始めていて、彼らには大いに期待しているんです。

アレックス そうですね。彼らにはとても感心しています。かつては過疎地の代表のように思われていた徳島県祖谷にも、今は若者たちが来てくれています。
私も若い頃、日本の地方に残る美しい自然と、そこに何百年、何千年と息づいている文化や人々の心に憧れました。私の時代と違うのは、今はそうした地方の良さが急速に失われ、ますます貴重になっていることでしょう。数年後には消えてしまうかもしれないギリギリの段階になった今、地方に暮らすことはどんなに素晴らしい経験かと思います。しかも、まだ間に合う。危機的な時期だからこそ、逆に少しの努力でも地方に素晴らしい成果が生み出せるはず。
具体的なアドバイスをするなら、ぜひ地方でアントレプレナーになってほしいということですね。地元の営みを体験したりするだけでなく、お店や宿を開いたり、あるいは新しい農業を始めたり。小さくても、今までと違ったビジネスが生まれることで、地方に新しい風を吹き込むことができると思うのです。

対談を終えて|深谷信介

日本人より日本人らしい
誰よりも日本を長く愛し実践するひと

そういう異国のひとを前にした際
我々はどう手綱を絞め直せばよいのか

量から質へ
使い古されたフレーズ
なぜそれを追い、まだ突き進むのか

底地はいつの間にか外国化し
わかりやすさゆえの地域体験は、稚拙化・均質化へ
目抜き通りに、けたたましい音のホテル建設ラッシュ

西洋文化に明けた明治維新
151年目の新元号令和は
日本人の日本地力回帰元年になってほしい

アレックスさん
日本をよろしくお願いいたします
そして一緒に行きましょう、あの山合いへ海辺へ集落へ
まだ見ぬ美しき国日本へ
梅雨が明ければ、またいい季節です

アレックス・カー

1952年、米国生まれ。東洋文化研究者。64年、父の赴任に伴い初来日。74年、イェール大学日本学部卒業。72年から慶應義塾大学国際センターに留学。74年から英国オックスフォード大学で中国学専攻、学士号と修士号取得。73年に徳島県祖谷で300年前の茅葺き屋根の農家を購入し、篪庵(ちいおり)と名付ける。77年から京都府亀岡市に居を構え、86年から93年まで米トラメル・クロー社の日本代表。98年、徳島県の祖谷を拠点に「ちいおりプロジェクト」を発足。後にNPO法人「篪庵トラスト」に改組。近年、京都、祖谷、長崎県小値賀(おぢか)町、奈良県十津川村などで古民家を改修し、滞在型観光事業を営む。著書に『美しき日本の残像』『観光亡国論』など多数。

深谷 信介
スマート×都市デザイン研究所長 / 博報堂ブランドデザイン副代表 / 博報堂ソーシャルデザイン副代表

事業戦略・新商品開発・コミュニケーション戦略等のマーケティング・コンサルティング・クリエイティブ業務やソーシャルテーマ型ビジネス開発に携わり、 近年都市やまちのブランディング・イノベーションに関しても研究・実践を行う。主な公的活動に環境省/環境対応車普及方策検討会委員 総務省/地域人材ネット外部専門家メンバー、富山県富山市政策参与などのほか、茨城県桜川市・つくばみらい市・鳥取県日野町など内閣府/地域創生人材支援制度による派遣業務も請け負う。

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