自分の言いたいことが、うまく口に出せない。
これには2つの理由があるようです。
ひとつは、頭の中がぼんやりしていて、
言いたいことが適切な言葉に置き換えられない
状態。
もうひとつは、言いたいことは
まとまっているのだけれど、口に出すことが
怖いし、面倒だし、結局、諦めてしまっている状態。
前者は、語彙を増やしたり、適切な言葉を
選び出す基礎的な訓練が必要です。
問題なのは、後者。
言いたいことがあるのに、人の目が怖くて
言えない。
私が教えている大学生にもこのような人が
たくさんいます。
一見、気が弱そうな人が多いように思えますが、
然にあらず。
割と、おこりんぼの人が多いのに驚きます。
彼らの口癖は、「もう、いいです」
「いくら言ってもしょうがない。
もう自分が主張することは諦めました」
ということなのでしょう。
よくよく見ていると、彼らは「短気」なのです。
そうだとわかって、世の中を見回すと、
「短気」な人がいかに多いことか。
言いたいことがあるのに、うまく
まとまらない。
「もう、いいや!」と叫んで、降りたり、
辞めたり、ひきこもったりする。
成功し、権力を握った人でも、
熟議などして自分の意見を押し通すのが
面倒になる。
「もう、いいや!」と言って、持論のみを
グリグリ押し通そうとする。
世界中でこうした人々が跋扈しているのは、
世の中がスピード!スピード!と言い過ぎた
せいかもしれません。
言葉で説明することを諦めた
短気な人を「決断力がある」「実行力がある」と
見るのは明らかに間違いでしょう。
高校時代に愛読していた「知的生活」を
送る方法を書いた本があります。
この中で「知的」であるとは、
「わからないことに耐えること」
という一文がありました。
わからないことだらけの高校時代、
この言葉にどれだけ救われたことか。
「わからないから、もういいや!」
と何事にも短気になって、
勉強もやらない、人との交際も
面倒くさいと思っていた私。
それが、この一言で、
「わからないことは悪いことじゃない」
と思えたのですから、コトダマの
力は偉大です。
以来、かなり気が長くなり、滅多な
ことで怒らなくなったように思うのです。
時には独断が求められる経営ですが、
その独断が、短気からくるものではいけない。
みんなに説明したところで、どうせ
わかってもらえないからと口をつぐみ、
実行力を行使することは決して知的では
ありません。
その決断の奥底に、
「短気のコトダマ」が潜んでないか。
「もう、いいや!」という気分で
動こうとしてないか。
もう一度、胸に手をあてて聞いてください。
短気のコトダマは、弱気のコトダマと
イコールです。
勇気をもつには、
「わからないことに耐える」努力が
必要です。
忍耐力あっての決断力。
ゆめゆめこれを忘れてはなりません。
<経営のコトダマ>
第1回 あなたの会社が終わるとき
第2回 徹底的に戦いを省け
第3回 サービスとホスピタリティ
第4回 文学は、実学。
第5回 未来を五感で味わいつくせ
第6回 体調のコトダマ
第7回 座右のコトダマ
第8回 激励のコトダマ
第9回 未来のコトダマ
第10回 気くばりのコトダマ
第11回 変化のコトダマ
第12回 先輩のコトダマ
第13回 効率のコトダマ