――CRMの目指すことが変わってきているということですが、その背景から教えてください。
荒井:私たちのクライアント企業にはメーカーが多く、これらはB2B2Cの形態であることがほとんどです。つまり流通が間に入って、最終的に生活者に届くという形です。さらに現在では、流通と生活者の間にサービサーやプラットフォーマーという新しいレイヤーが入り込んで来ていて、流通でさえも直接の生活者接点を持てない領域が出てきています。要するにメーカーも流通も放置しておけば生活者から遠ざかる一方なのです。
――その中でCRMが目指すこととは何でしょうか。
荒井:CRMの概念が大きく変わってきていると思います。これまでのCRMは言わば、Customer Repeat Managementで、メール等を中心に継続購入を促進するような取り組みでした。しかし、今は何らかの生活者接点をサービスとして生活者に提供し、そこから継続的なエンゲージメントを作っていく、それだけでなくそこから得られるデータを、商品開発・営業活動・マーケティング等に活かしていくということがCRMとして求められるようになっています。CRMを構築する際に、生活者視点・ビジネス視点で顧客接点をどうやって作るのかをセットで考えなければいけない時代になったということです。しかし、そのためにはマーケティングも、システムも、自社のバリューチェーンも解らないといけない。それで私たちMSC局がそのタスクを支援しているのです。
既に多くのメーカーが様々な取り組みを開始しています。食品メーカーであればレシピサイトを作って会員登録してもらう、アパレル企業が自社ECサイトを構築し生活者に直接購入してもらうなど、目的はどちらも同じく生活者との接点を作ることです。しかしなかなかうまくいかないという話が多いのです。
――なぜ多くの企業が生活者接点作りで苦戦しているのでしょうか。
荒井:多くの企業が陥りがちな間違いは、せっかくWebサイトやアプリを通じて、サービスを作ったのだからと、一気に大々的なプロモーションを実施してしまうことです。瞬間的な会員増や売上増につながることもありますが、多くは継続的なビジネスになりません。
ではどうすればいいかと言えば、生活者接点作りには大きく3つのフェーズがあることを踏まえ、そのような実行計画を作ることです。その3つとは、「0→1」のアイデア出しのフェーズ、「1→10」の勝ち筋を見つけるフェーズ、「10→100」の拡大フェーズです。
そしてこのうちで最も重要なフェーズが、「1→10」の勝ち筋を見つけるフェーズです。様々な企業様とお話していると、この「1→10」の精度が低いか、またはそもそも「1→10」がないケースが多く見られます。
もちろん、「0→1」で本当に生活者が使ってくれるのか、検討されています。しかしそれはあくまで仮説でしかない。やってみないと分からないのが実態です。だからこそ、最初から1→10フェーズを織り込んでPJをデザインしないといけないのです。
――1→10のフェーズでやるべきこととは何でしょうか。
荒井:大きく3つあります。
①共感をじっくり作り上げる。
②最も価値が出せるものに提供物を絞る。
③たった1つのKPIを見つける。
この3つが1→10での目標となります。
――では、順番にうかがいます。まず共感をじっくり作り上げるといはどういうことでしょうか。
荒井:最近話題になっているD2C(Direct To Customer)ブランドやDNVB(Digital Native Vertical Brand)の戦略が参考になります。まずブランドストーリーがあって、そこから4Pを考える――ここまでは従来のマーケティングですが、その後の戦い方が違います。
彼らは、たとえば商品が届いて箱を開けるときの体験、初めてサービスを利用するときの体験、あるいはサポートとしての問い合わせ時の体験などをSNSで拡散してもらうにはどうしたらいいか逐一考えて設計するのです。4Pだけでなく、購入・利用・問い合わせ等のあらゆる体験がブランドの傘の元に、オープンエンタテインメントにしていくという考え方です。
とあるD2Cブランドでは、カスタマーサポートにメールで問い合わせが入ると、5分以内にYouTube上に回答動画を作成し、そのURLで返信しています。別のブランドでは、発送した商品にステッカーを同梱して、それを貼るとじぶん仕様の商品ができるようにしています。どちらも他の人に話したくなる対応で、SNSに拡散したくなります。
今までのブランディングがイメージ作りだったとすれば、彼らのブランディングは実体験で共感を作り、自然とSNSに広がっていくことに注力しています。購買後のファネル、すなわち利用、共感、拡散のファネルに投資し、SNSを通じて結果的に新規顧客獲得への回路を作っていくという考え方なのです。
――なぜ共感を作り上げることが重要なのでしょう。
荒井:新規登録した会員がアクティブ会員になってくれる、その歩留まりを上げることが重要だからです。それをやらないとせっかくキャンペーンで会員を集めても、すぐに離脱あるいは休眠会員化し、またキャンペーンを行うという悪循環に陥ることになります。ザルに水を注ぐような状態です。
キャンペーンやインセンティブで集めた会員は、盛り上がっているとか安いといった理由で入会することが多いですが、それでは最初はよくてもビジネスとしてスケールが難しい。共感、つまり価値を感じて会員になった人は歩留まりが高く、ビジネスのスケールに一役買ってくれます。
重要なのは、購入者や会員を増やすことではなく、価値を感じ行動してくれた購入者や会員を増やすことです。1→10はあくまでピボットするフェーズです。その意味では検証する上でノイズが多くなってしまうとも言えます。1→10でしっかり価値を見極めることができれば、10→100で思い切り新規獲得に舵を切ればよいのです。
――続いて、最も価値が出せるものに提供物を絞るとはどういうことでしょうか。
荒井:特に日本の企業の場合、品質にこだわるあまり、あれもこれもと機能やサービスを付け加えてしまいがちです。しかし生活者から見ると、その結果、その商品やサービスの一番の価値が何かよく分からなくなってしまいます。何が価値なのか生活者にはっきりと分かるように絞りきることが大切です。
たとえばある有名な決済サービスは、当初タクシーの決済サービスから始めました。タクシー決済の煩わしさからの解放という価値をまず訴求したのです。ユーザーが増えてから、サービスドメインを拡大していきましたが、決済の煩わしさからの解放という価値は変わりません。
――サービス立ち上げ時に「絞る」ことの重要性は分かりましたが、どういう基準で絞ればいいのでしょうか。
荒井:「生活者にとってその課題解決の優先度が高いか」という基準です。つまり、お金を払ってでもやりたいことなのか、あるいはわざわざアプリをダウンロードして会員登録してまでやりたいことなのかという視点です。0→1のフェーズでは、生活者インサイトなどを探し、サービスアイデアを作っている場合が多いですが、そこに生活者の課題優先度という視点が欠けていることがよくあります。考えたインサイトはたいてい確かに生活者が求めているものではある。調査をしても検証できた。しかし、優先度が本当に高いのかどうかはやってみないと分かりません。たとえば、様々なお店での購買時に、ポイントカードを出してポイントが貯まる場合がよくあります。私個人としても、それは確かに嬉しい。しかし、毎回の購買でポイントカードを出しているかというとそうではない。スマホをかざして決済して、その時にわざわざ財布を出してポイントカードを探すという行為が面倒になる時もあるのです。つまり、その時の私にとって、「ポイントが貯まる」は、確かに価値ではあるが、優先度は高くないのです。
このように、いきなり1→100に展開するのではなく、1→10でじっくり検証することが大切なのです。
――では最後の、たった1つのKPIを見つけるということについてお願いします。
荒井:KPIについては、大量のモニタリング指標をイメージする方が多いのですが、ここでは1つの事業またはサービスに1個しかない、あるべき姿に移行するための乗り越えるべきKSF(重要成功要因)を計測するものだと定義します。つまりKPIを達成しさえすれば、目指す状態になるという指標であり、KPIが決まればそれを達成することに集中すればビジネスも自ずと成功するというものです。
――そういったKPIは、何を基準に探せばいいのでしょうか。
荒井:「自社ならではの価値が発揮されるか・生活者が嬉しいか・ビジネスが加速するかの3つの視点を踏まえた、具体的な生活者の行動」が考える基準になります。ただし簡単には見つかりません。半年、長くて1年以上かかることもあります。しかし見つかりさえすれば、一気に新規顧客・会員の獲得につながります。
――もう少し具体的に説明してください。
たとえばとある百貨店のPJで説明します。その百貨店はマーチャンダイジングや店頭での接客力が強みでした。そして、生活者の購買行動がデジタル化してきた事により、店頭での打ち上げが減少傾向にありました。もちろん、デジタルでの売上も作ることは検討しつつ、店頭の売上の減少傾向を少しでも食い止めるという事が課題でした。PJで検討してきた内容は割愛しますが、その百貨店の価値は当該売り場での販売ではなく、生活者の真のニーズを汲み取ったクロスカテゴリーでの販売であるという結論に至りました。そして、それを生活者・ビジネスの視点から、具体的な作るべき生活者行動に落とすと、館内回遊であるということが見えてきたのです。つまり、KPIは来館者における館内回遊率です。その後で、そのKPIを高めるための生活者接点を設計していったのです。ではどうやって館内回遊を促すか。そこにコアアイデアがあったのですが、そこは割愛しますね。
もちろん、これが本当に正しいKPIかどうかは分かりません。それを検証するのが1→10でのタスクになるわけです。
――ここまでのお話を、CRMあるいはマーケティングの変化という観点からまとめてください。
荒井:広く伝えるという従来のマーケティング活動が、今は生活者の反応を見極めながら、生活者と共に、育てていくマーケティングに変わったと言えるでしょう。
多くのメーカーが生活者接点作りでうまくいっていないと言いましたが、それはいきなり1→100を目指す会社が多いからです。1→10をまず実現するフェーズを設けることが成功のカギです。このフェーズでは、生活者接点そのものを作っていくということももちろんありつつも、特に重要なのは顧客育成のためのアプリケーションを作るということです。アプリケーションというとシステム用語ですが、スマホアプリ・Webサイト・店頭などの生活者接点・それを支えるシステム基盤・データ分析基盤・それらを一体的にPDCAしていく体制や業務プロセスの総称としてアプリケーションという表現をしています。
このアプリケーションは、共感作り・提供物絞り・KPI探索が目的になります。したがって、どのようなデータ分析をしていくのか、またどのように低コストで試行錯誤できるチューニングしやすいシステムを作るのかが重要になります。
1→10フェーズをやりきるためには、戦略立案はもちろん、システム構築とUX/UI実装も必要となります。これらを一気通貫で提供できる体制がMSC局なのです。
――MSC局ができることをもう少し具体的に教えてください。
荒井:たとえばアプリを作ってみたが、主要ターゲットである20代前半の若者が使ってくれないということが分かったとしましょう。マーケターなら、彼らへの価値が提供できているかどうかの検証を始めるでしょう。ところがUXデザイナーなら、アプリのファーストビューが分かりにくいからだと考えるかもしれません。これがITエンジニアだと、アプリのレスポンスが遅いからではないかと疑うでしょう。
このように専門が違うと視点も違ってきます。どれも正しいかもしれないし、間違っているかもしれません。重要なことは幅広い視点から考えることであり、ここに外部の事業会社やSI企業から中途採用で入ってきたメンバーと、生活者発想フィロソフィーを受け継ぐ博報堂のプロパーの社員がほぼ半分ずつで構成されているMSC局の強みがあると考えています。
そして、このような1→10のフェーズを動かす、一番のキーワードは機動力です。ピボットを短期間でどれだけできるか、その機動力こそが成功と失敗を分けます。
ではその機動力とは具体的には何なのか、これはまた後日ご説明します。
(続く)
2012年博報堂入社。事業戦略・マーケティング戦略から情報システム開発までを一気通貫して支援する、ストラテジックプランニングディレクター。 大手SIerの経営企画を経て、大手メディアサービス企業の不動産広告事業における事業企画・営業推進にて、事業を成長させる事の難しさ・泥臭さを最前線で経験する。その後、経営コンサルティングファームにて第三者として事業支援を行った後、クリエイティブとの融合による、新しい事業支援のあり方を作るために博報堂に転身。