橋本:
浜松には防火帯建築と呼ばれる戦後に建てられた古いビルがたくさん残っているんです。これはこの町の大きな特徴です。
浜松はもともと、江戸時代から繊維産業が盛んだったこともあって、工業化は早く進んでいたそうです。それはヤマハやスズキという地場の企業の基盤にもなったんですけど、同時に軍需工場も多かったわけです。そのため、第二次世界対戦時の戦争の被害が甚大でした。米軍がハワイの方から日本に上陸する際の進入路になった場所でもあり、日本を去る時に帰りに余った爆弾を捨てて帰っていくっていうところだったと聞いています。戦時中に実に市街地の90%以上が灰燼に帰し、何も残らなかったそうです。
鷲尾:
凄まじい話ですね。
橋本:
防火帯建築はその後復興のためにつくられた建築です。逆に言えば、この町には戦前の建物はまずなくて、ほぼ全てが戦後に建った建物でできています。大通り沿いに建てられた防火帯建築は燃えにくく丈夫な建物で、権利関係も複雑だったりするので、今でもあまり建て替えが進んでないです。それがある意味、この町の骨格をつくっているわけです。そのことに気づくと、また町の見方が面白くなりますよね。
このカギヤビルはまさにその典型的な建物です。僕たちも断続的にこのビルの中の幾つかの空間をつくり直す仕事をしてきました。
橋本:
ここは「Newshop」というお店です。このビルには、写真家の経営するアートブックショップ、ギャラリーなども入っていて、この界隈の中心的な存在になっています。
最初はこのスペースに複数の店舗を入れたいという相談だったんです。でも今、浜松で店舗を新たに構えるって資金も必要なわりに、その結果が見えにくい状況があるので、そのハードルを極限まで下げてみたらどうなるだろうかと考えました。できる限り、負荷を減らして、小さなスペースから意欲のある個人がお店を出せるにはどうすればいいだろうかと。
それで、この角材を什器として、1本あたりから借りられるというシステムを考えました。店舗を設計してくれと頼まれたのですが、提案したのは運営やしくみのデザインになりました。
鷲尾:
すごく面白いですね。これまで特に地方都市では、中央から大きな力、大きな資本を誘引することで豊かになろうとしてきたわけですよね。でもそれに頼ることに、今疑問が生まれている。その結果、その地域の暮らし、地域らしさってどうなったんだろうって思わざるを得ない状況がある。
橋本さんたちの提案って、小さな新しい挑戦をやりやすくする環境をデザインしたってことですよね。新しい仕組みの提案ですね。
1トンの岩を動かすのは大変だけど、小さな小石1万個にしたら、小さな力でも少しずつ運ぶことが出来るというような。
橋本:
このお店に出店している人は、浜松を含め静岡県西部の方が7~8割くらいですが、中には東京の人もいます。それに地元の企業の方もいますよ。これは自動車の部品になるバネをつくっていた会社ですが、地元のデザイナーと一緒になって自社製品をつくり始めました。そのモデルショップとして借りてくれています。
鷲尾:
他の地方都市でもこうした動きって増えているようですね。もともとOEMとか下請けでやっていた地域企業が、自分たち自身のブランドのもとで、ユニークな技術を生かして新たな自社製品をつくっていこうという動き。地元のデザイナーやプログラマーと組んで、地域から個性を持った提案を発信していくという取り組みが増えていると感じています。
縮退期の都市というインフラをどのように生かしていけば、そこに新しいエコノミーを誘発していくことができるのか。これまでの大資本を外から誘致する方法とは異なる新しい仕組みづくりが必要だと思います。小さくても個性を持った生業がうまれていくこと。それを支援する仕組みづくり。橋本さんたちは、こうした動きを支えるプラットフォームを設計したということですね。
橋本:
ここは僕たちにとって、比較的新しいプロジェクトです。
鷲尾:
ここは立体駐車場ビルの一角なんですが、面白いですよね、こんなところに弁護士事務所があるんですね。
橋本:
窓の外に川が流れています。その風景を取り込んでオープンな印象をつくるために、光をうっすら反射するメラミン化粧板を使っています。最初はもっと閉じた空間を考えたんですが、弁護士の方から「いやもっと閉じずにオープンにしてください」って言われて。僕たちの方が固かったかなって、ちょっと反省しましたね。
※名倉祐輔さん(「ゆりの木通り法律事務所」弁護士)
「私は、もともと浜松の出身なんですが、大学からずっと地元を離れていて。私が小さい頃はこの町も活気があったんですが、一度この町は死んでしまったって思いが正直ありました。だからここには、帰ってこようとは思わなかった。
何も面白いものがないって。でも最近帰ってきてみて、意外と面白いところができてきているので驚いたんです。
面白いところ、というよりは、面白いことをしようとしている人たちが増えてきている。それは昔の活気とは違う質のものですね。
町の中に余白があって、そこを面白く使おうとしているんですよね。それで意を決して、この町で個人事務所をつくることにしたんです。弁護士って、敷居が高いイメージが強いですよね。でもこの町の中でやるなら、もっとオープンな感覚でやってみたいなって思いました。もしも東京で事務所を開いたなら、そんな風には思わなかったかもしれません。
鷲尾:
橋本さんは、この町の変化は感じていますか?
橋本:
感じますね。今日みたいに、浜松を案内する機会って時々あるんですが、明らかに案内するときのレパートリーや幅が広がってきています。普通に遊びに来ても、巡っていて楽しい町になってきてんじゃないかなと思いますね。
顔の見えるプレーヤーたちも少しずつ増えていると感じているし、同時多発的にいろいろな取り組みを生んでいます。僕らはそのうちのごく一部です。
一方で今の時代の中で、建築やデザインに何ができるか。僕たちはそのことを考えているというだけなんですよね。地域と関わることによって、今どんな面白い建築ができるんだろうっていうことを知りたくてやっている。もちろんこの地域がよくなってほしいと思うし、楽しい場所になったらいいなと思うけれど、地域活性化のためにやっているというわけじゃないんです。そもそも浜松の抱えてる問題を、僕たちが解決できるとは思っていないし。
鷲尾:
この場所って、もっと面白くできるんじゃないか。まずそのことから、ですよね。
橋本:
そうです、そうです。いつも場所が持っている「コンテクスト(文脈)」を考えます。魅力的な、創造的なコンテクストを見つけてきて、それをある方向に軌道修正したり、増長したり、反転させたりしながら、新しい可能性を見つけ出していきたい。
鷲尾:
それが結果として、その場所や、都市の持つ新しい「価値」になっていくわけですね。
橋本:
建築って、基本的には「動かないもの」っていう印象はすごく強いと思うんですけど、実際には、人間の体ほどではないにせよ、一定の期間が来たらメンテナンスするのが当たり前だし、動いているものなんですよね。動かないと思っていたら、ストックとして活用されずに放置されてしまう。しかし「動かす」ことで、それが新しい魅力になることがある。
昔の日本の住宅も、増築したり、減築したり、屋根を増やしたり、あるいは柱を取っちゃったりとか、割ともう、ごそっと改造できるみたいな価値観でつくられていたわけです。その時代に戻るというわけじゃないんだけど、つくって終わり、デザインして竣工したら終わりっていう発想って、全然ごく最近の考え方でしかない。建築や、都市が持っているストックは「動いていく」っていう前提で考えることが、すごく大切なことだと思っています。
鷲尾:
よく地方都市では「何もない、何もない」って、自己否定的な声を聞くけれど、それより、どうやったら既に手にしたストックを動かしてみることができるかを考えてみるということですね。
橋本:
「何もない」ということはないはずなんです。建築にはありとあらゆるものが関わる可能性があって。今ここの可能性を創造的に見ることが重要です。それが建築家としてのチャレンジだと思うし、自分たちのパフォーマンスを最大限発揮するということだと考えています。
それは必ずしもその地域のため、クライアントのためだけでもない。もちろん建築の歴史のためだけでもない。そういうものがミックスした状態で、自分たちができる渾身の球を打ち返すみたいなことをやっぱりやりたいといつも思っています。
なんとなく建築家って、新しくて面白い建物をつくって有名になっていくみたいなストーリーがありますが、それって歴史的に見ると、全然一般的な話じゃない。アウトプットとしての作品市場主義の歴史は浅くて、それこそ、材料としての木材を山から育てるみたいな、そういう時間的にも空間的にも大きな広がりのなかで、建築をつくるっていうことが当然だったわけです。
鷲尾:
その意味では、橋本さんたちは今、浜松って場所が持っていた資源をもう一度動かして、つくり直していくって仕事をされている。
橋本:
そうですね。ストックってどんな町にも必ずある。でもその活かし方がよくわからないからストックなわけで、それがどうやったらフローとなって、この町の中で、生活圏の中で、循環していくことが出来るのか。そのことを考えていくのは簡単ではないですが、やる価値のあることだと思っています。
鷲尾:
そのことによって、町の新陳代謝を高めていくこと。まさに「町医者」という仕事ですね。これは広義の意味で「デザイン」の仕事と捉えてもいいように思います。
橋本:
僕たちの仕事は小さなプロジェクトの集合体ですが、この浜松という町が持っている骨格、これまでこの町がつくってきた歴史的なメガストラクチャーを更新しているという見方もできる。この町のリソース、ストックを更新していくということが、実は大きな都市の文脈に接続していく可能性を持っています。だから、僕たちは継続的にこの町から学び、この町で仕事をしています。
※撮影: 青木遥香
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1984年、兵庫県生まれ。2010年、横浜国立大学大学院Y-GSAを修了し、翌2011年、大学生時代の同級生たちと建築設計事務所「403architecture [dajiba]」を静岡県浜松市で設立。2017年には個人として橋本健史建築設計事務所を東京で設立し、東京と浜松の2拠点で活動を開始。建築作品に《富塚の天井》《代々木の見込》《東貝塚の納屋》ほか。著作として『建築で思考し、都市でつくる』(LIXIL出版)。受賞歴として2014年に吉岡賞、2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別賞。
http://www.403architecture.com/
戦略コンサルティング、クリエイティブ・ディレクション、文化事業の領域で、数多くの企業や地方自治体とのプロジェクトに従事。プリ・アルスエレクトロニカ賞「デジタルコミュニティ」「ネクストアイデア」部門審査員(2014〜2015年)。主な著書に『共感ブランディング』(講談社)、『アルスエレクトロニカの挑戦~なぜオーストリアの地方都市で行われるアートフェスティバルに、世界中から人々が集まるのか』(学芸出版社)等。現在、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻「地域デザイン研究室」にも在籍。
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