松井:私たち「キャリジョ研」は、働く女性について研究をしている有志の社内プロジェクトで、今の働く女性は決して単一に語れるものではなく、多様性にあふれているということを発信しています。
上野先生の東大祝辞は、「なぜ今これを伝える必要があるのか?」について改めて考えるきっかけを与えてくださったと思うのですが、なぜ今、女性のエンパワーメントが注目されるようになったとお考えですか?
上野:それは、国策だからでしょう。「女性が輝く」とか、「女性活躍」とか、きれいに言っているけど、女性を戦力化しなきゃいけないっていうのは、もう本当にマストの国策。なぜこんな皮肉っぽく言うかといえば、女性のエンパワーメントだとか、女性の多くが要求してることなんて、何十年も前から言ってきたことだから。これまでずっと追い風が吹かなかったのに、やっと、一定数の働く女性たち、しかも発言力のある女性たちが増えてきて、無視できなくなったからでしょう。なにも急にはじまったわけじゃなくて、何十年も前からやってきたことなのに、なにも変わってないからこそ、言わなきゃいけないんです。
神村:なるほど。
上野:育休制度だって少子化対策でできた法律で、女性の要求でできたんじゃないんです。女性はもっと前から要求していたのに、1.57ショックに急に財界があわててできたもの。中野円佳さんの『「育休世代」のジレンマ』(光文社新書、2014年)は読まれましたか?
宇平:はい、読みました。
上野:これは彼女の修士論文が本になったものですが、働く女性を80年代後半の均等法第一期世代と、その後徐々に定着していった第二期世代、さらに2000年代以降の第3世代を世代区分しています。2000年代になってから女性の高学歴化が一定のレベルに達して、彼女たちを戦力化することに企業が目覚め、その人たちが出産・育児年齢を迎えた。
この世代の女性たちは権利意識が強いので、当然のように育休を取ります。女性の育休取得率は、該当者の90%に達しています。対して男性は6%。女性が育休を取ることにためらいがなくなった、ってところまではいいんだけど、その後戻ってきたところがマミートラックでしょう?それで結局、「戦力外通知」を受けることに傷ついた女性たちが辞めていくっていうのが彼女の分析でした。みなさんは均等法の時にはすでに生まれてました?
松井:ちょうど生まれたくらいですね。
上野:均等法の時に言われたのは「女を捨ててかかってこい、だったら男並みに扱ってやるよ」だった。ジェンダー研究者の大沢真理さんが論文で卓抜な表現をしていました。均等法は「テーラーメイド(紳士服仕立て)な法律」だと。身体に合わない紳士服を着て男並みに働かないと男並みに扱ってもらえない、と。
そのとおりの働き方を実践した結果、結婚しなかった女性、あるいは離婚した女性、結婚しても子どもを作らなかった女性がたくさんいたけど、その人たちは次の世代のロールモデルにならなかった。私たち、あんなふうにはやりたくないし、やれないって。
神村:ちょっと胸が痛いです…。私はこの4月から管理職になったのですが、そういう意味で言うとロールモデルですね。私がテーラーメイドで働かなくてもきちんと会社で生きていける、っていうことを見せないといけない。
上野:だとしたらその期待に応えて、堂々と定時退社とかすればいいじゃない。部長が定時退社したら、周りはやりやすいよね。
神村:そうですね。だから早速やり始めてます。
上野:すばらしい!山口一男さんが『働き方の男女不平等』(日本経済新聞出版社、2017年)ではっきり言っていますが、管理職が他の誰よりも長時間労働することが女性が昇進する際の最大の壁になってるって。だから管理職が自ら定時退社するって、すばらしいロールモデルですよ。
神村:私は4歳の子どもがいるのですが、今まで上に立った人は、多くの方は結局、自分の母親に手伝ってもらって夜中まで仕事をしていましたよね。
上野:そういうのをケアのアウトソーシングの「アジア型解決」っていうんです。
宇平:うちにも子どもがいますが、周りのママさんとかは、家事をアウトソーシングするとか、ちょっと料理を手抜きするとかに罪悪感を感じてる人がすごくたくさんいる気がします。
上野:日本は「3歳児神話」が強いから、何がなんでも母の手でって思い込んでる女性が多いようですが、戦前には女中さんも乳母もたくさんいました。今の女性だって人件費が安ければ使うでしょう。そのコストの分岐点が年収の何%なのか。世帯年収の15%、いや30%でもたぶん使うんじゃないかな。だって育児は永遠に続くわけじゃないから。
宇平:その間にキャリアを形成して、その後年収が上がればいいって思っちゃうんですけど、その考えは周りには全然広まってないなっていう感覚があったので。
上野:社会意識って思ってるよりもあっけなく変わる。それは介護保険で痛感しました。だって、介護保険ができた時、なんて言われたと思う?介護のために「他人を家に入れる人なんかいない」とか、「他人に頼んでることが世間に知れるなんて恥だ」とも。当初は行政職員が1軒1軒回って利用者の掘り起こしをしてたのに、3年後には利用抑制に回った。そのぐらい簡単に変わる。健康保険なら、保険料払ってる人たちが病気になった時、「申し訳ないから保険は使わない」なんて人はいない。それと同じ。介護保険に関しては税方式を主張していた人たちがいたけど、保険でよかったって思う。保険だったから、利用者の権利意識が育ちました。
松井:それに関しては、介護疲れみたいなメンタルによる問題化が進んだことも後押しにはなっていないですか?
上野:なってる。介護保険を作らせた声は、嫁の悲鳴だったの。この嫁の悲鳴を組織化したのが「高齢社会をよくする女性の会」という集まりで、この会の貢献はものすごく大きい。そういうふうに世論が変わっていって、それがたまたま国策と一致して、波が生まれた。
私は90年代の最大の成果は介護保険を作ったことだと思っています。均等法を作っても女の現場はたいして変わらなかったけれど、介護保険を使うことで日常生活が変わる。生活と意識の両方を変えました。
松井:先ほど、均等法以降、3世代時代が巡ったというお話がありましたが、いま年代によってはフェミニズムと聞くとヒステリックなイメージを連想して、「私はフェミニストではない」と主張する女性が多く見られるようです。そのあたりどう思われますか?
上野:リブ世代はものすごくスティグマ(社会的な汚名)を受けました。メディアに猛バッシングを受けて、「ブスのヒステリー」なんて言われた。それを次の世代はじっと見て、こんなことやると叩かれる、男を敵に回すとソンだってことをとことん学習したんだと思う。リブの次に出てきたのが“フェミニスト”。フェミニストは横文字だから、リブよりちょっと無難だと思われたのね。その次に“ジェンダー”っていう言葉が出てくると、ジェンダーっていう言葉は学術用語に聞こえたので、またまた学歴の高い女性が飛びついた。アメリカに"I'm not lib, but..."という言い方があるけれど、それが"I'm not feminist, but..."に変わっただけ。露払いをしないと言いたいことも言えない雰囲気がずっと続いてきました。
そのまた次の世代、いまの30代から20代のあいだで、フェミニストと名乗ることにためらいを持たない人たちが出てきた。彼女たちはリブやフェミニストが受けてきたバッシングを知らないから、フェミニズムについて、肯定的なイメージも否定的なイメージも、両方持たないんじゃないかな。
神村:ニュートラルということですか?
上野:フェミニズムの背景も主張の内容もあまり知らずに、何かの拍子に一部分を見たり聞いたりしてみたら、「え、いいこと言ってるじゃん」みたいな。新鮮!って感じなのかな。
宇平:例えば、エマ・ワトソンとか、そういう人が言ってるのを耳にするということですか?
上野:そう。20代、30代と話していると、フェミニストって言葉を学んだのはエマ・ワトソンからだって人、結構いる。だから、第一世代のディスコース(言説)は伝わってないのよ。読まれてない、聞かれていない。だから愕然とする。一生懸命走ってきて、後ろに誰かついて来てると思って振り向いたら、誰もいないって感じ。
宇平:それでも、フェミニストがヒステリックとか言われていた頃と比べたら、いいムーブメントなのかなと思ってたんですけど、そうではないですか?
上野:功罪両方です。否定的イメージもないけど、肯定的イメージもない、先入観がないのはけっこうだけど、つまり無知。それを私が痛感したのは、『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日新聞出版、2018年)を出したとき。あの本が出るまで、ミソジニー(女性嫌悪)っていう概念も、ホモソーシャル(男性同士の連帯)っていう概念も、ごく一部のジェンダー研究者しか知らなかった。なにしろミソジニーって漢字変換すると「三十路に」って出てきましたからね。それが広がった。あの当時若い読者からいろんな反応やお便りをいただいけど、「聞いたことなかった」、「新鮮です」って。そんなに知られていなかったのか、と逆にショックでした。
信川:それは、若い子たちがいままで虐げられてるみたいな、被害者意識も不平等も感じたことがなかったということなんでしょうか。
上野:そんなことはないでしょう。例えば学校の中でも、性関係の中でもいろんな被差別経験をしてるはず。だけどそれを言語化するボキャブラリーがないだけ。私たちがジェンダー研究で何をやってきたかというと、女性の経験の言語化。「このモヤモヤをセクハラと言うのよ」「夫の躾と言われてたものは、実はDVと言うのよ」って、経験の再定義をやって、新しいボキャブラリーを獲得してきた。それがフェミニズムにとって理論武装になった。だけどそれが伝わってない。たぶんそういう言葉に触れるのは、大学のジェンダー論の講義がはじめてかもね。
私の東大祝辞、いろいろ話題を呼びましたが、私の側に何か功績があるとしたら、18歳の子供にわかる日本語で話したこと。そして短かったこと、この二つ。長けりゃ読まれないし、難しい言葉で書かれるとわからない。内容は私が昔から言ってきたことで何一つ変わっていません。
松井:そうなんです。わたしのようにフェミニズムやジェンダー論に精通してなくてもよく分かるお話でしたし、すごくいいお言葉だなって感動しました。
われわれの仕事である広告も、ターゲットを決めて、媒体などによって話法を変えてくのは常識なんですが、上野先生もターゲットによって話法を変えたりというのは意識されますか?
上野:もちろん変えます。私は講義の時のしゃべり方と、一般聴衆向けにしゃべる時と、専門職相手にしゃべる時とでは違います。TPOで使い分けるのは当然だし、それは伝え方のスキルだから。
松井:広告の中にもエンパワーメントメッセージが増える一方で、うまく伝わっている例と、そうでない場合があり、中には炎上案件になってしまうケースもあります。
上野:私はあまりテレビを見ないんですが、炎上で広告が取り下げられるという話を聞くと感慨があります。厖大な広告費を使って発注したに違いない広告があっけなく取り下げられてしまう。そういう時代になったのだなという感慨です。
日本における性差別広告に対する抗議の古典的な事例は、1975年。ある食品会社の広告で妻は食事を作る役割であることを明言するようなキャッチコピーが書かれていました。そこで、「国際婦人年をきっかけに行動する女たちの会」が企業に抗議に行ったら、その時は「少数派の意見として聞いておきます」って、けんもほろろに追い返された。当時のことを思い返すと、こういう反応に企業が非常にセンシティブになったということに、歴史的な感慨がありますね。
松井:わたしたちキャリジョ研の研究対象は働く20・30代女性になるのですが、マイノリティーを感じやすい女性たちが幸せに働くにはどうすればいいか、アドバイスをいただけますか?
上野:女性は、これまで男社会に過剰適応して生き延びてきたと思う。セクハラ問題もしかり、嫌なことも全部のみ込んできたのよね。でも嫌なことを嫌って言わないと、
次の世代の女性たちが迷惑をこうむる。だから、嫌なことは嫌、やりたいことはこれがやりたいってちゃんと言っていく。風通しのいい組織を作って発言しやすい場を作る。結局それは「ノイズを発生する装置」をつくることなんだよね。多様性を高めるのは、ノイズを増やすためですよ。ノイズが発生しない組織は、絶対伸びないもの。
ノイズを嫌うのが均質な集団を維持したいホモソーシャルな人たち。ホモソーシャルの集団の中にいる人たちはすごくラクなんだと思う。忖度のし合いで、ツーカーで通じるから。
信川:私のような若手からすると、嫌なことは嫌、好きなものは好きと言うのは、ヒステリックな女だとか、わがままな女子社員だな、みたいな見え方をしてしまうと思っているのですが、その中でもサバイブしていくためにはメンタルを鍛えるしかないっていうことなんですかね。
上野:そんなことはない、でも、絶対必要なのは仲間。孤立しないことが大事。セクハラの場合にはっきり言えるのは、傍観者にならないこと。
神村:そうですよね。実はキャリジョ研ができたのには、そういう意味合いもあるかなって思うんです。自分はわりと過剰に適応していた可能性があるんですけど、この組織ができて、若い子たちもどんどん入ってきて、意外と大胆に主張したりしている感じがあって。でも、それを言ってのけても、味方になってくれる仲間がいる。
上野:こういう活動を、社内で勤務時間内に公然とやれるようになったのね。
信川:はい。キャリジョ研というプロジェクトを活かして、結構言いたいことを言えている気はしますね。でも、気の強い女たちの集まりというような偏見を持った人も少数ですが、いる気がします。
上野:なんで偏見なの?そうよって言えばいいじゃない。「気の強い女」って思われるのがイヤ?嫌われてなんぼだと思うけど。
宇平:怖いって言われるってことは脅威だってことですからね。
上野:そのとおり。相手の脅威になってなんぼ、でしょう。ホモソーシャルな集団って、自分よりも力量のない、自分を脅かさない男性を選んで縮小再生産していく傾向がある。男性の友人が採用人事についてこう言ってた。「簡単だよ、自分よりできる人を選べばいいんだろ」って。でもそう思える男はほとんどいない。
神村:なるほど。私は最近頼ればいいと思いはじめたんです。自分よりできる人に頼ればいいんだって。
上野:そういうことを素直に思えるのが女性のメリットかもしれない。男性は見栄を張りたがる人が多いから。できないから助けてって言っちゃえばいいのにね。
神村:無理なものは無理だって音を上げてもいいのかなって。ちょっと開き直ったというか(笑)。そうするとだいぶ自分の声が届くようになったんですよね。
上野:それは男女を問わず、真理ですね。
神村:失うものもなんもないので(笑)
上野:あ、それは強み。私も、自分のことをいつもそう思ってた、失うものは何もないって。だって、私たち女性は、あの当時大学へ行った途端に、職なし、結婚する可能性は遠のくっていう、そういう世代だったのよ。職もポストもみんな拾ったようなもんだから、なくてもともとって。
松井:今、キャリジョ研はリーダー論にも取り組もうとしているんです。昔ながらの「背中を見て育て」みたいな感じだけでなく、もっと多様なリーダー像もあっていいんじゃないかなと。神村が言ったみたいに“人を頼りながらうまく動かす”、みたいなのは女性は得意なのかもしれないと思うんですよね。
上野:リーダーシップは局面によって変わるから、じゃあここはあなたが仕切ってよとか、どんどん柔軟に変えてけばいいと思う。何もかも100%オールマイティーのリーダーなんかいるわけないんだから。そういう権限委譲をしていくことが大事。
現場の裁量権が大きいとモラルは上がる。これが制限されるとモラルは下がる。それを私は介護現場で見てきました。復興支援の現場でも見てきた。
男性の中にもそういうリーダーがいる。だから、いちいち女性型とか男性型とか言う必要ないと思う。リーダーシップに多様性があると思えばいいのよ。
神村:本当にそうですね。今日は、私のモヤモヤが言語化されて、とってもすっきりしました。
松井:そうですね。言葉でしっかり定義されるのは大事ですね。
上野:女性学・ジェンダー研究にはおびただしい調査研究の蓄積があります。データもエビデンスもすでに50年の実績がありますから(笑)
松井:多くの気づきがあり、贅沢なプライベート講義をいただいた気分です。今回は私たちの素朴な疑問にも丁寧にお答えいただき、本当にありがとうございました!
社会学者。1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。1995年〜2011年東京大学大学院人文社会系研究科教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、高齢者の介護問題にも関わっている。1994年『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞受賞。2012年度朝日賞受賞。2019年フィンランド政府からHan Honorを受賞。著書:『ケアの社会学』(太田出版)、『老い方上手』(WAVE出版・共著)、『おひとりさまの老後』(法研)『おひとりさまの最期』(朝日新聞出版)他。