「生活者発想」は、博報堂独自のクリエイティビティを特徴づけている理念です。「生活者発想」と「クリエイティビティ」、一見結びつかないと思われるかもしれませんが、徹底して生活者に寄り添い、生活者の視点を価値創造の起点とする姿勢こそ、博報堂のクリエイティビティの根底をなすものだと私は捉えています。
「消費者」という言葉があります。POSデータや自販機の購買データを解析すれば、いつ、どこで、どの年代の人々が、どんなブランドの商品を購入しているかという消費行動を把握することができます。AIやIoT、ビッグデータ解析などの技術を活用すれば、極めて詳細な消費行動の分析も可能です。しかし、モノを買うためだけに生きている人間はいない。こうした「消費」はあくまで人々の生活の一側面にすぎません。
どのような価値観を持った人々が、家族や友人、仕事仲間たちと日々どんな暮らしをしているのか。どのような場面で歓びや幸せを感じるのか。平日や休日、どんな情景の中で何を感じ、どんな汗をかいているのか──。人々の「生活」をまるごと観れば、その壮大な物語の中に、商品・サービスを提供できる機会、企業が価値を提供しうる機会が無数に見えてくるはずです。
人間を「消費者」ではなく「生活者」と捉え、その生活のすべてをまるごと理解しようとすること。これを我々は「生活者発想」と呼んでいます。まるごと観るから、欲求や動機という人間の芯が見えてくる。博報堂を支える重要な理念の一つであり、どんなときもこれを追求しようとする姿勢が社風として根付いています。
生活者発想を博報堂が提唱しはじめたのは1981年。当初は広告制作を支える技術として構想されたものでした。企業と生活者をコミュニケーションでつなぐのが広告の役割であり、コミュニケーションの基本は相手を知ること。相手=生活者を知らないままでは優れた広告などつくれるはずがありません。
当然ながら、クライアント企業は自社の商品・サービスについては熟知されています。これに対し我々は広告会社として生活者の側に立ち、生活の実像を誰よりも深く知る存在として、クライアントとともにより良いコミュニケーションを創っていくことを志向したのです。
そして、同じ年に「生活者発想」のフラッグシップ機関として発足した博報堂生活総合研究所を中心に、人々の生活に関するあらゆる調査研究を積み重ねてきました。「商品」や「サービス」でも、「消費」や「購買」でもなく、「生活」に関するデータや知見がこれほど蓄積されている企業は、他にはないと自負しています。
とはいえ単に生活者のデータを集めるだけではクリエイティビティにはつながりません。そこに必要なのは、「解釈する力」。そこからクリエイティビティが生まれるのです。
人は自分の欲望を自分では語れないもの。仮にアンケート調査で「赤いものがほしい」と答えた人がたくさんいたからと言って、そのまま赤色の商品を売り出しても、間違いなく買われない。この場合の「赤」が何を象徴しているのか、そこにどんな潜在的欲求が隠されているのかを読み解かなくてはなりません。
一例を挙げてみます。博報堂生活総合研究所が実施してきた調査の一つに、『幸福写真調査』があります。数百人もの人々に「あなたが幸せを感じる風景の写真を撮影してください」と依頼し、その写真を集めて分析する調査です。ある時、戸外の写真を集計したところ、自分が育てている野菜の写真を撮っている人が圧倒的に多いことがわかりました。これだけでも興味深い結果ですが、単に「生活者の間で家庭菜園が流行っている」と捉えても、価値創造のヒントにはならないでしょう。庭先やベランダでキュウリやトマトをつくることに幸せを感じる人が増えている。これはどんな心の表出なのか。そうか、人々の幸福感が大きく変わりはじめている。つまり今の時代、何かを育てることが幸せに密接につながっているのだ。食べ物を育てる、緑を育てる、ペットを育てる…こうした行為を通じて、人々は「思い出」という見えないストックを得ることを望んでいるのではないか。……このように我々は解釈し、暮らしの底に潜む潮流を「育の幸福」という風に表現します。この解釈の先には、AIやロボットを育てる楽しさ、地域コミュニティを育てる喜びなど、新たな生き方が浮上してきます。
生活者を徹底的に観察し、観察をもとに解釈し、そこから未来を表現し発信することで、初めて「生活者発想」はクリエイティビティと結びつきます。それにより、一般的な消費者分析からは決して導けないような、世の中の期待値を超えた驚きのある提案が可能になるのです。
企業と生活者をつなぐ広告制作の技術としてスタートした生活者発想ですが、時代の変化にあわせて、その力を発揮できる領域を拡大させてきました。
デジタル化が進み、マーケティングの全てがデータで把握できるようになり、生活者の変化や反応をリアルタイムに企業活動に活かせるようになってきました。これに伴い、博報堂の主たる舞台も広告という範疇を超えて、マーケティング活動全体の支援へと広がっていきました。生活者発想は変わらず我々の基盤としてありながら、その姿は「広告制作の技術」から「企業活動を組み立てる技術」へと一段階進化したと言えます。
そして生活者発想は今、さらなる転換期を迎えています。世界で最もハイスピードで少子高齢化・人口減少の進む日本は「課題先進国」と言われます。かつて日本の経済・社会全体の成長が前提だった時代、与えられたマーケット環境の中で戦うだけでも企業は成長していくことができました。しかし、いまや社会全体の成長に貢献しないかぎり、企業も成長できない時代に突入しています。
社会そのものをクリエーションすることが求められる時代において、生活者発想はイノベーションや事業創造の技術、さらには「社会価値創造の技術」へとまた一段の進化を遂げつつあると感じています。
生活者発想が、なぜイノベーションや事業創造につながるのでしょうか。
既存の経営資源をベースに、まったく新しいビジネスモデルを構想することは容易ではありません。しかし生活者発想が根付いている我々は、資源の活かし方やビジネスモデルを考えるより先に、その土台となる未来の「ライフモデル」を構想します。新しい豊かさのカタチ、新しい生活そのものを先に考えるのです。
すべてのビジネスは、人間の生活の上にあります。生活者は10年後、20年後の暮らしに何を求めるのか。それによって生活のカタチはどう変わるのか。豊かなライフモデルを構想し、そのライフモデルを実現するためのビジネスを創造しようとする姿勢が博報堂のあり方であり、その起点は「生活者発想」であるはずです。
前述の「育の幸福」も、次代のライフモデルを読み解くキーワードの一例と言えます。何かを育てる行為を通じて、「思い出」という財産を得ようとする人々に対し、企業の生産拠点やデータ資産は、何を提供できるのか。販売チャネルやオウンド・メディアは、生活者の「育の幸福」をどう支えることができるのか。こう考えることで、経営資源のまったく新しい活かし方が見えてくるかもしれません。
かつては広告づくりのためにクリエイティビティを使ってきましたが、これからは事業創造・社会価値創造のためにクリエイティビティを発揮していくべき時代です。生活者発想を基盤に、ライフモデル・シンキングによってイノベーションを創出していく。これこそが博報堂にとっての、「生活者発想」と「クリエイティビティ」の最も新しい関係だと考えています。
博報堂のクリエイティビティは、突き詰めれば、生活者発想に基づいて社員一人ひとりが「好奇心」と「感受性」をどれだけ発揮できるかにかかっています。もっと言えば、人間への好奇心と、人間が織りなす世界への感受性。そのような好奇心や感受性ぐらい誰でも持っていると思われるかもしれない。しかし決定的に重要なのは、好奇心と感受性を常に働かせ、高める努力を怠らないこと。じつはクリエイティビティは、スポーツにおけるアスリートたちの能力に似ています。才能やセンスさえあれば、発揮できるというものではありません。毎日トレーニングを欠かさず、勝敗を決するその瞬間に最大限に発揮できるよう努力を積み重ねていないと機能しない。バッターボックスに立った瞬間だけ打撃力が上がるわけではないですよね。クリエイティビティも、プレゼンテーションの当日だけ都合よく発揮できるようなものではないのです。
博報堂はいわば「クリエイティビティにおけるアスリート集団」であると私は考えています。常に生活者の味方であろうとし、人間と社会と未来に日頃から興味・関心を持ち、「何か新しいことができないか」といつも考えている粒ちがいの人間たちの集合体です。一人ひとりが色々な生活者発想を持っている。博報堂がクリエイティビティを発揮できるのは、「生活者発想」が理念として、企業風土として、集団のマインドセットとして真に根付いているからだと思うのです。
これからは事業創造・社会価値創造のために博報堂のクリエイティビティを使うべき時代だと申し上げました。我々は今後、「生活者発想」を起点にどれだけ豊かなライフモデルを提案できるかに挑戦していきたいと思います。そして、この取り組みによって「生活者発想」はより強固な理念となり、当社のコアコンピタンスとしても成長し続けていくと確信しています。