博報堂の嶋浩一郎です。博報堂ケトルのクリエイティブディレクターとして多くの統合キャンペーンを手がけて来ました。あるときは新聞広告、あるときはアウトドアメディア、ARコンテンツやバイラル動画など、そのときどきでクライアントにとって最適な方法で課題解決に取り組んできました。おそらく、私が担当してみなさんがよくご存知の仕事は全国の本屋さんと立ち上げた「本屋大賞」だと思います。下北沢に「本屋 B&B」という書店も経営しています。
今年度博報堂に戻り、博報堂の執行役員と博報堂ケトルの取締役・クリエイティブディレクターを兼任しています。業界の際が崩れ様々な企業が新しいビジネスを標榜し、大きな産業構造の変化が起きている今、企業と生活者の関係、企業のコミュニケーションはどうなっていくのかお話ししたいと思います。
博報堂は2019年、新たな中期経営計画を発表し、同時にデジタル化が進む日本に「生活者インターフェース市場」という新たな市場が生まれつつあるという認識を示しました。グローバルで際立ったイノベーションが起こっている中、日本企業にとっては厳しい状況だとも言われますが、広がりつつある生活者インターフェース市場は、企業にとって大きなビジネスチャンスだと考えています。また、私たち生活者一人ひとりにとっては、新しいサービスを享受し、これまでになかったライフスタイルが生まれる機会にもなると思っています。
まず、「そもそも生活者インターフェースとは何か?」についてお話しすると、たとえばスマートフォンは私たちの生活を大きく変え、24時間365日ネットに接続することを可能にしました。ですが、今やネットにつながっているのはPCやスマホだけではありません。家がスマートホームになり家電がIoT化し、クルマもコネクティッドカーに進化しインターネットと接続します。これらのアイテムを接点として、企業と生活者が直接つながれる環境が生まれるのです。IoTを下支えする5Gというインフラも整いつつあるため、生活者との接点は今どんどん増えています。この環境の中で生まれるのが「生活者インターフェース市場」です。
今後はさらに、たとえば家の中では鏡やトイレ、人が直接身につけるメガネやウエアなどもIoT化していくことでしょう。鏡がIoT化したら、毎日肌のチェックをして、化粧品会社がお勧めの商品を提案することもできるでしょう。また家の外でも、自販機や店舗などがIoT化すれば、そこにも新しいサービスが数多く考えられます。街のIoT化も進んでいます。
90年代、私たちは情報をデジタル上でやり取りする「情報のデジタル化」を経験しました。それに対して今は「生活自体のデジタル化」を経験しているのです。さまざまなインターフェースを介して、企業は新しい生活価値や体験を提供できるようになったと同時に、今までは取得できなかったデータも得られるようになるわけです。しかも重要なのは、そのインターフェースが課金の窓口になることです。インターフェースを介して体験を提供し、そのサービスを換金することが可能になるのです。
このように、新しいサービスやビジネスが生まれる可能性を大いに秘めている生活者インターフェース市場ですが、課題もあります。IoT、と先ほどから何度も使っていますが、実はとても不思議な言葉で、直訳すると“モノのインターネット化”となります。大事なのは新しい価値や体験の提供で生活がよりよくなることなのに、企業は“モノ”の話ばかりしている、という状況があります。
IoTを活用した未知のサービスを開発するには、テクノロジーの進化はもちろん重要ですが、技術革新の先に「生活がよりよく変化すること」がもっとも大事だということを忘れてはいけないと思います。新しいビジネスをつくるためには、インターフェースを支えるテクノロジーやデータについて知る必要があるのと同じように、生活者の感情や欲望を知る必要があるのです。
人はどんなそのインターフェースの前で何を考え、どうすると満足するのか。それは、時代とともに変わっていくものでもあります。例えば、働き方改革が進めばオフィスでの人間の行動や求めることも変わってくるわけです。このような生活者を取り巻く環境や行動、気持ちの変化を、我々はより研究しないといけないと考えています。
では、生活者理解を前提にして、24時間365日企業と生活者がつながることができる時代に、企業のコミュニケーションはどう変わるのでしょうか? 押さえておくべきことを2つ、考察したいと思います。
ひとつは、企業と生活者の関係性が、より長期的なものへと変化していることです。今までは、企業が生活者へメッセージを伝える手段としてマスメディア広告が主に使われてきました。一方、朝起きて、ベッドも鏡も車もすでにつながっている世界が実現すると、広告のようなワンショットの情報伝達ではなく、「ずっと一緒にい続ける」アプローチが大事になってきます。企業のマーケターや僕らクリエイターの役割も、伝える仕組みを作る仕事から、つながる仕組みを考えることに変わっていくんだと思います。
生活者側から見れば企業のコミュニケーションは「合コンでモテる人より同棲したい人」と思われなきゃいけなくなるわけです。企業は、単発の接触でおもしろがってもらうのではなく、常にそばにいてほしいと思われるコミュニケーションを図る必要が出てきているのが、ひとつの大きな変化です。
もうひとつは、企業と生活者がよりパーソナルな関係を築くようになっていることです。僕はこれを、すごく“ラジオ的”なコミュニケーションだと思っていて、ラジオとリスナーのような関係性がこれから企業にとってとても大事になってくるのではないかと考えています。
これはどういうことかというと、ネットが登場する以前は、企業の情報発信の場はマス広告が中心でした。次に90年代にネットが普及し、企業はホームページ今でいうオウンドメディアを立ち上げて自己紹介をするようになりました。00年代はソーシャルメディアが広がりました。すると企業は自社アカウントをつくって、生活者のタイムラインに自社情報が流れる工夫を始めました。そして2010年以降、スマホが普及すると、企業は自社サービスをアプリという形にして、生活者のスマホの中に入れてもらおうとするようになってきました。
では、これはこの先どうなるのか? 今いちばん進んでいるのが、SNSのメッセージやショートメールサービスのような、1対1でつながるサービスです。銀行や宅配便など、パーソナルなサービスで使われるようになっています。
ここまでを図のように一連で振り返ると、左側から右側にどんどん進化していますが、左側のメディアがなくなるというわけではありません。左側はエントリー層の人に向けて、不特定多数に情報伝達するメディアとして機能し、右はどちらかというと顧客になった人向けの仕組みとして役割分担をするようになっていくんです。
もうひとつ重要なのは、左はパブリックで、右にいくほどプライベートな情報発信になっていることです。ショートメールなどのプライベートな空間で、企業と生活者がコミュニケーションをとるようになるのです。僕は図の左側がとてもテレビ的で、右側がラジオ的な表現だと考えているんです。ラジオはカテゴリでいうとマスメディアですが、実際にパーソナリティの語り口は1対1であることが特徴です。「テレビのご覧を皆さん」と語りかけるテレビと対照的に、「この番組をお聴きのあなた」というコミュニケーションが展開されています。
このような、プライベート空間でのパーソナルな対話が、今後企業と生活者との間にも求められるようになると思います。あわせて前述の、長期的で「一緒にいたい」と思われる関係構築が、これからの企業のコミュニケーションにおいて重要になります。
では、このような“つながる時代”に、企業はどんな観点でブランディングを考えていくべきでしょうか? 僕は、次の3つが挙げられると思っています。
ひとつ目は「便利であることと愛着との関係性」について考えなければいけません。言い換えると、「便利だけでいいのか?」という問いかけでもあります。テクノロジーありきでサービスを開発するときに陥りがちな罠は、とにかく最適化や合理化を求めてしまうことです。が、実は最適化や合理化とブランディングは両立しないところがあって、人は「便利だ」といくら感じても、「好きだ」と感じるかどうかは別問題である、という課題があるのです。
京都大学の川上浩司教授は、「不便益」という言葉で、人は意外に非合理なものに愛着を感じる、という話をされています。またAI研究の第一人者であるPreferred Networksの西川徹社長は、工場用ロボット開発の豊富な経験をもとに家庭用ロボット研究を進める中で、工場のように最適化や合理化を追求したロボットを家庭に持ち込むと、人に恐怖を与えてしまうと話されています(https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/75122/)。
つまり、便利さとは別の軸で、人が魅力や喜びを感じるようなテクノロジーの使い方を考える必要があるのです。コンビニエンスは、ラブとはイコールではありません。どうしたらラブが生まれるか、を考えないといけないと思います。
2つ目は、どうやったらラブが生まれるのかという話にもつながりますが、「インサイト発掘の重要性が増す」ことです。人は意外に不器用で、自分の欲望を完全に言語化することができません。様々な学説がありますが、人は自分の欲望のほとんどを言語化できていません。図式化すると海に浮かぶ氷山のような感じです。ネットは言語化できている欲望を満たすにはとても便利ですが、逆に言語化できていない欲望を提示することは苦手です。また、人はその「言語化できていない欲望」を言い当ててくれるサービスやプレーヤーにとても感謝する、という部分があります。
冒頭で、本屋の経営もしていると紹介しましたが、この便利な時代にリアルな書店を運営するのは、「まだ気づいていない欲望に気づかせてくれる」存在になれると思っているからです。目的なくふらっと立ち寄って、買うつもりのなかった本に出合って「こういうものが欲しかった」と思う、そんな体験が重なると店にラブを感じてもらえます。
このように、生活者自身が気づいていない欲望、インサイトを発掘して提示することが、ラブを感じてもらえる大きなカギになると考えています。だから、生活者の洞察が今まで以上に大切になっているのです。
そして3つ目は、「帰属意識の明確化」です。D2Cも、メーカーのサービス化も、サブスクリプション型サービスも、今拡大しているビジネスはいずれも生活者インターフェース上で生まれているものです。このように企業のコミュニケーションが長期的でパーソナルになっていくと、そこで提供される価値や体験を、生活者は「どんな生活を送りたいか?」を軸に選ぶようになっていきます。
するとそこで求められるブランディング活動は、プロダクト提案ではなくライフスタイルやカルチャーの提案になります。アプローチとしては、広告ではなく長期的なプログラムに近くなっていく、ファンクラブ運営のような形が適するようになると思います。企業が提案する生活や価値観に共感した人が、そのクラブに入るわけです。最近よく聞かれる「ブランドパーパス」は、まさにこの潮流を言い当てています。企業は今後、帰属意識を刺激する物語を提示して共感を呼ぶことを考えていく必要があると思います。
以上、駆け足でしたが、企業と生活者の間に新しいインターフェースが生まれようとしている今、企業が考慮すべきことをご提案しました。「長期的」で「パーソナル」な関係がスタンダードになる中では、便利さだけでなく愛着の構築も考える必要があります。そのためにはインサイトを探求し、また帰属意識を持てるようなライフスタイルや価値観を提示して、共感を得ることが求められます。そしてこの実現には、生活者発想に基づく生活者の包括的な理解と、クリエイティビティがますます重要になってくると考えています。
5GやIoTといったテクノロジーの進化によって、全てのモノがつながり、生活の新たなインターフェースになろうとしています。そこから新たな体験やサービスの可能性がひろがり、社会の仕組みと市場がうまれる時代。これを「生活者インターフェース市場」の到来と捉えました。この新しい市場において、どのような価値を提供していくべきか。博報堂の新しい取り組みについてお伝えしていきます。