松井:私たちは働く女性を研究するプロジェクトとして2013年から活動しているのですが、ひと言で「働く女性」といっても、やりたいことや仕事へのモチベーションもさまざま。精神的な多様性を認めていこう、という発信をしています。『ダルちゃん』を読んだとき、非常に深い共感と発見があって、今回はるなさんにお話を伺いたいと思いました。
はるな檸檬(以下はるな):ありがとうございます。よろしくお願いします。
長谷川:これまでさまざまな女性をテーマに漫画を描かれていますが、働く女性を主人公にしている理由はありますか?もともと会社員をされていたという影響もあるのでしょうか。
はるな:私はデビューが『ZUCCA×ZUCA』という作品で、周りにいる宝塚ファンの友達をモデルにしているんです。その人たちが全員働いていたというのもあるし、『ダルちゃん』は20代のOLさんが共感できるようなものにしたいということで、自然にそうなった感じですね。
私自身も一生仕事をしたいし、なんなら大黒柱になりたいくらい。育った環境が影響してると思うんですけど、うち、父親しか働いてなくて、家の収入は基本お父さんのもの、お父さんが好きにお金を使って、生活費は渡された中で、やりくりしないといけないという家で。父の給与明細を母も誰も見たことがなくて、父がいくらもらっていたのか未だに知りません。
ザ・男尊女卑みたいな中で、働いている父が一番偉いっていう。小さいときからそれが当たり前で、お父さんのお金を使わせていただいてますみたいな価値観だったから、自分のお金は自分で稼ぐんだっていう意識がすごく強い。いま、定年のない仕事をしているのもそれが影響していると思います。
瀧川:それはすごいですね…。逆にお母さまから影響を受けたことはありますか?
はるな:うちの母はもともと勉強が好きで、教員免許も取って、教師になりたかったそうなんです。でも、「女性は家庭に入るべし」みたいな価値観の中で1度は諦めて。私が小6のときに書道塾を始めて、それでやっと働き始めた。いまは書道の先生と着付けの先生と体操の先生をやってるんですよ。
長谷川:お母さまもバリバリ働くことが好きなタイプってことですよね、本当は。
はるな:本当はそうなんでしょうね。時代もあってそれをできなかったというフラストレーションというか悔しさみたいなものもあったと思いますし、無意識の中でそういうメッセージを受け取っていたのかもしれないです。私は働かなきゃみたいな。主婦の方は旦那さんのサポートをすることが仕事として十分成り立っているので、それはすごく素晴らしいことなんですけど、私はちょっと環境が極端だったのかも(笑)。働かないと耐えられないみたいな感じです。
長谷川:『ダルちゃん』を読んだとき、いまの働く女性の悩みがすごくリアルに描かれているなと感じたんですが、これは周囲にいる方にヒアリングをされたんですか?
はるな:1回もしてないですね。たまたま#MeTooの時期とかぶっていたこともあって、いわゆるフェミニズム的な文脈で取られることが多かったんですけど、私はそんなに意識してなくて。もうちょっと普遍的なことを描いたというか、本当に単純に、あなたが一番知らないのはあなた自身のことですよ、っていうのを描きたかったんです。あなたが周りの価値観に合わせるのか、あなた自身を見つめるのかという対比。やっぱり自分のことが一番分からないんですよね、人って。
長谷川:最近、「自分らしく生きていいんだよ」というような風潮があると思うんですが、そもそも自分らしさって何なんだ?ってなってしまっている人も多いように感じています。
はるな:言葉が浮いてるなという気はすごくします。自分らしくするって、具体的にどうすることなのかわからないまま使われちゃってるというか。自分に向き合うというのはネガティブな部分も見つめるということなので、それって実は人間が一番やりたくないことだと思うんです。でも、そこさえもっていれば誰でも幸せになれるのに。やり方も実は明確にあるんだけど、そこはあんまり話題に上らないですよね。
松井:そのやり方というのは?
はるな:「内観」や、「モーニングページ」のプログラムみたいな。
長谷川:「内観」というのはどういうものなんですか?
はるな:いろいろあるんですが、たとえば1週間完全に情報を断って、半畳ぐらいの空間でひたすら過去を思い出すっていうプログラムがあったり。
もともと仏教から派生したものを一般向けにしていて、企業で導入していたりもするようです。アプローチはいくつもあると思うし、私は普通に日記でもいいと思うんですよ。自分を知るという意味では。
あとは、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン著、菅 靖彦訳、サンマーク出版)という本でも話題になったモーニングページというプログラム。朝起きて30分ただ頭に浮かぶことを書きとめるだけ。それを続けているとだんだん本当のやりたいことが見えてくるみたいな感じなんですけど。
方法はなんでもいいんですが、自分の核に触れるみたいな経験が1度でもあると、人生は劇的に変わると思うんです。でもそういうのって、挫折とか絶望がないとなかなかたどり着かないんですよね。順調なまま生きているとそこにリーチしなくても楽しく生きていけるから。
瀧川:『ダルちゃん』でいうと“詩”というものでたどり着いた。
はるな:そうですね。いったん自分と向き合う時間。この本ではたまたま詩でしたが、方法はいっぱいあると思います。
たとえば失恋とか、本当に欲しかったものが絶望的に手に入らないとか、大事なものを失うとか、そういう経験をしないと、人って自己改革まではいかないっていうか。だから私はいつも挫折のある人生のほうが豊かだという主張をしてるんですけど(笑)。
瀧川:ご自身もそういう経験があったということですか?
はるな:25歳のときかな、彼氏と別れて生まれて初めてご飯が食べられなくなったんです。それまで何があってもご飯はモリモリ食べてたんですけど。で、何なんだろうと思って、とにかくノートに気持ちを書きまくったんです、一冊埋まるぐらい。そのときに、全部書いてしばらくしたらパッて抜けた瞬間があって。それまで自分が思い描いていた自己像と、現実の自己像にものすごい乖離があることに初めて気が付いたんですよね。そこからですね、もう吹っ切れたみたいな。
信川:どういうギャップがあったんですか?
はるな:自分は思ってたより欲深いし、こんなに卑屈でこんなに嫌なところがあるんだなっていうのを初めて真正面から見ることができた感じですかね。ほんと、火の川を渡るみたいな気持ちなんですよ。自分のうそとかいやらしい部分は絶対に見たくないから、絶対に渡りたくない。でも、その川をエイッて飛び越えると、めっちゃ平穏なところが待ってるみたいな。
信川:それは、自分の非も認められるし、周りも受け入れられるようになるということ?
はるな:そうですね、もう受け入れるに尽きると思います。いろんなものを諦める。それも、ネガティブな諦めじゃなくて明らかにするっていう感じ。そんなにいいもんじゃないなっていうか。自分もそうだし生きるっていうこと自体も。人生ってそんなにハッピーなもんじゃないっていうことを淡々と事実として見ることができたら、そのときの心の平穏ったらないです(笑)。
長谷川:そういう想いが『ダルちゃん』に結びついたってことなんですね。
はるな:『ダルちゃん』がこういうストーリーになっていくとは正直最初は分からなかったんですけど、描き始めたらもうかなり早い段階でキャラが勝手に動き始めて、そこからほぼコントロール効かないですね(笑)。もう、私のあずかり知らぬところで話が勝手にできていくっていう感じで。
長谷川:いま、人に見せているときと一人でいるときとか、実は変わった趣味がある、とかギャップのある女性を描いている作品が増えてきているように感じるのですが、『ダルちゃん』で意識したのはどういうところでしょうか?
はるな:私も会社員時代、あぁ早く帰って宝塚観たい…みたいな感じだったんでね(笑)。ここでは“擬態”って言ってますけど、社会化しないと無理じゃないですか、会社の中で生きていくって。でも建前みたいなものがだんだん大きくなって、そっちメインで生きていくっていうことが私はすごくつらかった。みんなそうやって我慢してる部分は絶対にあると思うんですよね。
長谷川:たしかに。それぞれ無理して生きてるところがありますもんね。
はるな:だんだん歳をとると無理しなくなってくる感じはあるんですけどね。
瀧川:わかります。今はめちゃくちゃ自由みたいな(笑)。
はるな:そうそう。そういうのもやっぱりある程度の諦めとか受け入れだったりすると思うんですけど、若いうちはどこにチューニングすればいいか分からないから。私自身も本当につらいなっていうときがあったので、そういう子たちに向かって描きたい気持ちはありました。
苦しいんだったらやっぱり周りを見るより自分の声を聞いてほしいっていうことに尽きますね。それで精神病んだりしたら本当に意味がないので。楽でいてほしい。
瀧川:就活とかも、自分自身と向き合うことを阻んでいる一因のような気もして。自己分析っていうものがあるじゃないですか、あれって、本当は自己分析じゃなくて、会社に合わせにいってた気がするんですよね。私の時代だと、広告会社に入るってなるとタフじゃないと、というイメージがあって、体育会系なしゃべり方してましたもん(笑)。
はるな:社会化の第1歩ですからね、就活って。あれは、鮮烈に自己否定させられる体験だと思いますね。
瀧川:女性だから、というのは関係あると思いますか?
はるな:あるとは思います。でもやっぱり、男性にはまったく別の次元の大変さがあって、男性のほうが自分にリーチしにくいと思うんですよね。
瀧川:こうあるべき、という社会の価値観があるから?
はるな:そう、こうあるべきが強い。『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(レイチェル・ギーザ著、冨田直子訳、DU BOOKS)という本を読んで、男子めっちゃつらいなと思って。こうでなければならないという圧が女性がよりよっぽどある。男性に求められている、なんとなく寡黙で力強くみたいなもの…とは違う方向に、実はすごく希望の芽があると思うんですよ。女性同士って、めっちゃくちゃおしゃべりするじゃないですか、あれって、それこそ日記を書くみたいなことを他人を使ってやってるんですよね。あ、私こんなこと思ってたんだ、しゃべってて初めて気付いた、みたいな。
長谷川:わかります。これまでのキャリジョ研の対談でも、この多様性の時代を強く生きていくためには、シスターフッドと呼ばれる女性同士の連携が改めて大事になるんじゃないかとおっしゃってくださった方もいました。
はるな:女の友達はいいですよね。すごくいい。でもやっぱり、いい友達ができるということに関しても、自分を知っている前提があるとないとで全然違う。自分がどういう人間か分からないままなんとなく付き合っていると、結果つらいみたいなこともあるので(笑)。自分が本当に何を求めてるかを知るっていうことに尽きると思いますね。
長谷川:もはやパートナーの見つけ方にも近いものがありますよね。
はるな:そう。婚活とかも実は自己分析なんですよ、全部つながってると思いますね。
瀧川:さきほどの“あるべき論”にとらわれるな、という話にもつながると思うのですが、『れもん、うむもん!』は、育児書があるべき論ばかり語られる中、リアルな実態を知る機会になってくれたらという想いで作られたそうですね。
はるな:もう、うそとか表面的なこととか、リアルじゃないことに構ってるひまがないんですよね。毎日必死じゃないですか。そういう中で、本当のことしか知りたくないのに、表に出ている情報とリアルのギャップがあまりにすごくて衝撃だったんです。
でも、描くのは本当に嫌だった…。思い出すのがつらすぎて、泣きながら描いてたくらい(笑)。でも、これから産む人のために世に出したいという想いで描きました。本にしていったんここに置いておくんで、いいときに読んでみてくださいっていう気持ちで。
瀧川:私も妊娠したときに友人からこの本をもらって、夫といっしょに読みました。産んだ後、おっぱいがこんなに痛いなんて誰も言ってくれなかったし、幸せいっぱい!みたいになると100パーセント思ってたので、読んでおいて本当によかった。
はるな:そうなんですよね。沐浴の仕方とかオムツの替え方みたいな、そういうノウハウももちろん大事だけど、もっと心の部分に焦点を当てるようなものが欲しかったなっていう。こんな簡単に壊れてしまう、手を離したらすぐに死んでしまいそうなもろいものが、自分一人の責任で家にあるという恐怖感とか、自分の親からも聞いたことがなくて。でも、たぶんみんな積極的に忘れようとしてるんだろうなって、つらすぎるから。そういうところをあえて描くものがひとつぐらいあってもいいんじゃないかと思って描いたところはありました。
長谷川:はるなさんは、どの作品もいろいろな女性の気持ちに寄り添い、背中を押してあげたいという想いで作られているように感じますが、いかがですか?
はるな:うーん、どちらかというとベースは職人っぽい作家だと思うんです。まず主張があってそれを表現したい!というよりも、求められているものを求められる水準で返したいな、という気持ちがあります。最近は少し表現したい欲も出てきましたが。
デビュー作の『ZUCCA×ZUCA』も担当さんのオーダーに沿うかたちで描いていたんですが、当時って宝塚ファンであることを会社では絶対言わない!みたいな人がほとんどだったんですね。そういう友人を見ていて、会社でのあなたは知らないけど、一緒に観劇してるときこんなに輝いてるじゃん!みたいな気持ちがあって。それを全力でやってる友人たちがすごくすてきだったので、みんなに自己肯定感を持ってほしいっていう気持ちはありましたね。
長谷川:例え会社では隠していたとしても、そこまで自分の好きなものに熱中できるというのは、自分に正直に向き合ってる結果という感じもしますよね。
はるな:そうですね。わりとこっちのほうが自分にリーチしてる感じはしますね。子どもが保育園に通い始めて改めて思ったんですけど、みんな全然違うじゃないですか、子どもって。仮面ライダーが大好きで戦闘ごっこばかりしてる男の子もいるし、でもおままごとするのも楽しいみたいな男の子もいて、人間って実はちゃんと好きなものが明確にある。それが社会化のなかで均質化されてしまうんでしょうね。
松井:最初の方のダルちゃんもそういう感じでしたよね。どこにでもいる普通のOLで、自分というものが見えていない。
はるな:はい。でも、私は擬態が悪いことだとはそんなに思ってなくって、ただ擬態のみはやめよう、ということですね。社会化するのが100パーセント悪ではないから、そこを上手に使いつつ、両輪で回していこうよ、という。自分自身にもきちんとリーチできていれば、本当の意味で社会化もしやすくなるんだと思います。
瀧川:はるなさんが『ZUCCA×ZUCA』でデビューされたのが2010年。それから、マタハラとか、保育園落ちたとか、#MeTooとか、ここ数年大変革期だったように思うんですが、漫画の反響なども含めて変わったと実感されることはありますか?
はるな:すごくあります。というより、『ダルちゃん』を描き始めたときにフェミニズム的な思考は本当になくって、#MeTooとかも他人事というか。私、最初にも少し話しましたが、田舎の生まれで男尊女卑とか当たり前な価値観の中で育ったんです。お正月の親戚の集まりでは、テーブルに座るのは男性だけで女性は基本台所から出ないし、何か食べるのも台所で立ったまま食べて。あとはずっと給仕とかお酌とかしてる。それが当たり前で、誰も疑問を持ってないし、逆に男は持ち上げてやらないとしょうがないんだなくらいに極端な思考になっていたので、フェミニズムなんてここ数年で気付き始めるっていうくらい。
松井:それは何かきっかけがあったんですか?
はるな:『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳、筑摩書房)とか、田房永子さんが最初責任編集をされた『エトセトラ』という雑誌を読んで感銘を受けたというのもあります。当たり前と思ってたことがそうじゃなかったのかもしれないみたいな。本当に少しずつ、でも急激に私自身もその変革の波を感じてますね。
信川:『ダルちゃん』は、ご友人も含めファンの方々はどういう反応でしたか?
はるな:やっぱり、フェミニズム的文脈で読んでる方がすごく多くって、びっくりしましたね。もうちょっと性別を問わず乗り越えるべき、普遍的なものを描こうと思っていたので、へえ〜となりました。
下萩:私は『キム・ジヨン』なんかも読んでいるのですが、フェミニズム文脈にちょっと反発したくなっちゃう自分もいて。ちょっとその型にはめないでよとか、フェミニズムを掲げているように思われたくないみたいなところがあるんですね。はるなさんはフェミニズム文脈で描かれていなかったということですが、そう言われたときに反発のような気持ちはなかったですか?
はるな:と言うよりも、私は知識がなさすぎて何のこっちゃ分からなかったというのが正直なところ。まだまだ勉強途中だし、フェミニズムって言ってる人全員が、実はそれぞれ違うっていう、すごく多様性があるものだと思うんです。フェミニズム自体、はめられる型も存在しないから、それについてまだなにも語れないという感じですね。
長谷川:フェミニズムが広まっていること自体は、はるなさんがずっとおっしゃっている、もっと自分自身に向き合えばいいのということとちょっと近いような気もしますが、いかがでしょう?
はるな:重なるところはあるかもしれないですね。意識が自分の内側に向かっているか、社会に向かっているかで概念としての層が違うかもしれませんが、フェミニズムの根本にも結局これはある気がしています。
エマ・ワトソンさんが“セルフパートナー”と言っているのも、結局自分と向き合うことだと思うし、私はむしろそこにしか興味がない。あなたがあなたであることが一番重要で、それがすべての基本にあると思いますね。
松井:ある種、哲学的なものですよね。はるなさんはご自身の経験も踏まえたうえで、幸せに生きていくためにはなにが必要なのかを描いてらっしゃると思うのですが、最後に働く女性にメッセージをいただけますか?
はるな:社会に変革を求める活動を私も強く支持するし、そのために何ができるかを真剣に考えています。しかし、最終的には社会がどうなるかは誰にも分からない。願ったとおりになるとは限らない。だからこそあなたがあなた自身のことを理解して、自分でそれを認めてあげることだけが、あなたを守ってくれると思うんです。『ダルちゃん』だと抱きしめるっていう言い方をしてますけど。
自己分析に時間を費やすっていうのは少しも悪いことじゃないしナルシシズムでもない。むしろ、自分をケアして自分に時間を使うことが社会とつながる一番手っ取り早い方法だし、それがあなた自身の幸せにもつながっていると思っています。