野坂:
まず、不便益について、改めてお聞かせください。
川上:
不便で良かったことを私たちは「不便益」 と呼んでいます。不便の益 (benefit of inconvenience) です。
不便で良かったことってありますよね。たとえば、富士山の頂上に登るのは大変だろうと、富士山の頂上までエレベーターを作ったら、どうでしょう。よけいなお世話というより、山登りの本来の意味がなくなります。
また、私が子供の頃、遠足のおやつは300円以内でした。もし自由に好きなだけおやつを持ってきても良かったとしたら、どうでしょう?遠足前日に半日をつぶしてスーパーをうろつき、自分ならではの組み合わせを考え抜いたのは、今思えば楽しい思い出です。
野坂:
「不便であるからこそ得られる益」に注目して、不便の効用による豊かさに積極的な価値を見出すというのは非常に面白い発想ですよね。川上先生がそもそも「不便益」の研究を始めたのはどういうきっかけなんですか。
川上:
もともとは98年に僕の師匠が言い出したんですよ。僕はずっと工学をやってきたので、物事を便利に効率良くする方向で思考するのが当たり前だったこともあって、正直、最初の4、5年は「ふーん」と思っていました(笑)。でも、研究助成金がついたこともあり、こんなテーマが世に認められる研究になるんだと見直すようになりました。
それに、効率だけを追い求めて、「便利」なものだけが認められる風潮はなんだか押し付けられた宗教のように思えてきたんですね。「不便」に注目するのはありだなと思ったら一気に視野が広がりました。効率一辺倒は楽なんですけどね。
野坂:
私は、社内のライブラリー管理もしている所属の上長から新しい蔵書を教えてもらった中に、「不便益」という考え方を紹介した本があることを知って、これは面白い、何かのヒントになるかもしれないと即座に感じました。
「不便益」私がこれまで研究してきた多くの企業のCRMやマーケティング施策、プロモーションやキャンペーン、体験設計といったサービスの方向性とは真逆だったんです。
顧客に対して良かれと思って便利なサービスを提供するからブランドは気に入られるというのが一般論なのに、「不便にすることに意義がある」という考えにはひねりがあって面白いと思いました。そこで早速、「不便益」に該当する施策を調べて先生に意見を求めたんです。
川上:
2018年の11月でしたよね。
野坂:
はい。実際に不便益的な要素が少しでも見いだせる企業施策の事例を探してみると、原石がたくさん転がっていました。それらが50例ほど貯まったところで先生に見ていただきました。
川上:
たとえば、貯まったマイレージを使って、お客さんが“自分では選べない”場所へ飛ぶ空の旅を提供している航空会社の施策が良い例でした。目的地が不明なのは「不便」ですが、同時にだからこそ、わくわく感や驚きが得られる。仮に「失敗したな」と思っても、そういう旅を選ぶお客さんは失敗も含めて楽しいと受容してくれる。施策として非常に興味深いと思いました。まるで目隠しして連れて行かれるようで、なんだか怖い気もしますが(笑)、選べないところが楽しいし、面白い。
野坂:
子どもが、売り場で一人で服を選び、コーディネートに挑戦するという販売施策もそうですね。この施策にもわくわくとした楽しさがあります。経験したことがないことに挑戦させられるので、子どもからすれば最初は戸惑うはずです。でも、やっているうちにだんだん目が輝いてくる。オシャレに目覚めるきっかけになるかもしれません。便利から入っていったら、この喜びはないと思うんですよ。
そのほかには、定刻にならないと配信されないWEBの動画プログラムも面白いと思いました。今やインターネットを利用すれば時間を気にせず、自分の都合の良い時間にいくらでも見られるというメリットがあるのに、そこでのドラマは特定の日時に待機して見るしかない。あえてお客さんに不便を強いているわけです。でも、不便だからこそ、むしろそのドラマが楽しみになっていく。喜びや驚きを見出すことができて、ブランドに対するロイヤリティが上がっていくんですね。
川上:
僕はもともと工学出身の人間なので、プロダクトデザインやサービスデザインを対象に「不便益」を研究していました。企業施策という発想はまったくなかったので、最初に野坂さんからお話をいただいたときには新鮮でしたね。モノしか思いついていなかったので、初めて施策のデザインという分野があるんだと知りました。
それに、僕はいままでこのテーマで、企業と共同研究というしっかりした形で協業した経験はないんですよ。ある程度の段階までご一緒したことはありましたが、正式に期限を設けて研究するのは今回の博報堂とのコラボレーションが初めて。「不便益」の適用先が広がりますし、「不便益」が企業施策のデザインに使えることがわかってうれしいですよ。
野坂:
先生にお聞きしたいのですが、「不便益」を誤解して受け取る人はいませんか? 不便は悪いものだという思い込みがあって、伝え方に苦労されることも多いように思うのですが。
川上:
「不便益とはこれだ」と一言で表せる言葉がないので、誤解されることは珍しくありません。よくあるのがノスタルジーと混同されること。「不便益」とは「昔に戻れ」ということだととらえられるのはつらいですね。「いまぐっと我慢しておけば将来良いことがある」という考え方だと思われることもよくあります。
野坂:
楽しいことに目もくれず、我慢してがんばって勉強したら将来が開けるとか(笑)。
川上:
そう。これはもう「違います」としか言えないですね。「不便益」を理解するためには、わかりやすく言えば、「何でも勝手にやってくれたり、効率的にものが進むことが、必ずしも喜ばしいことではない」ということに気づく必要があります。不便ゆえに自分でできる喜びに気がついていくわけですね。その意味では、マインドセットを変えなければなりません。
京都大学ではサマーデザインスクールを実施しています。そこで「不便益」をテーマに3日間集中してデザインワークを行うと、参加している大学院生たちが不便=ネガテイブではなく、そこに益があると考えてくれるようになるんですよ。マインドセットが変わるんですね。彼らから「不便の中に益がないかどうかずっと考えてしまう」などと聞くと、してやったりと思います(笑)。
ネガテイブなことでも言い換えによって良く見えていくことは多いです。いままで悪いとされていた不便に光をあてて、そこに良いことはないのかと目を向けていく。「不便益」にはものの考え方を変えていく力があると思います。
野坂
私もこれまで「不便益」という発想はなかったのですが、先生とお話しするようになって、例えば、月額制でいろいろな服が届くサブスクリプションサービスもある意味「不便益」だと考えられるのではないか、と思うようになりました。あれって合理的なように見えて、失敗するリスクがありますよね。届いてみるまではどんな服が入っているのかわからない。好みじゃない服が入っているかもしれない。でも、知らないブランドを知るきっかけになって、ブランドの理解が進む可能性もあるんですよね。
川上:
「失敗の可能性」は不便の一つです。自分で中身を選べないサブスクリプションは、先ほど話したマイレージを使った“選ばない空の旅”と同じように、失敗の可能性という不便さをうまく使っていると思います。
私事ですが、旅といえば、携帯電話を持たない出張も不便でいいものですよ。食事をする店も自分の目と足や口を駆使して見つけなくてはならないので不便きわまりない。看板などを見ながら選ぶのは手間ですがそれが妙に楽しいんですね。もちろん失敗する可能性はあるけれど、大当たりするとすごくうれしくなる(笑)。早め早めに動かざるを得ないので時間的な余裕も生まれます。出張なのに、町を眺めながらのんびりとプチ旅行の気分を味わえますよ。
野坂:
記憶に残る旅になりますね。
野坂:
先生との協業を通じて気づいたことはたくさんあります。中でも、不便が社会に還元されてやがては益になるという概念を深く知ることができたのは大きな収穫でした。例えば、自分の周りの空模様をスマホで撮影して気象サービスの会社に送ると、それらのデータが大量に集約され、全国の天気概況がわかったり、自分の周辺の雲の動きがつかめて天気が予測できたりなど、有益な情報として活用できますよね。一人ひとりが多少面倒でも個々の情報を提供することで、結果として、自分にとっても、多くの人にとっても、便利で役に立つ気象情報が形成されていく。これは新しい価値だと思います。
川上:
僕も以前は、「自分の不便」が「自分の益」として返ってこなければ意味がないと考えていましたが、自分にとっては手間がかかる不便なことであっても、それが集まると社会全体の益になり、最終的には自分も達成感や幸福を得られることもあると知りました。「不便益」に対する最悪な誤解は、「自分の不便」が「誰かの益」に利用されるという考え方です(笑)。そうではなくて、自分の不便が社会に還元されて、それが回り回って自分にも益をもたらす。皆もハッピー、自分もハッピーになれる、ということをぜひ知ってもらいたいですね。
野坂:
今回、先生の知見をお借りしながら「不便益」を使った施策を丹念に探し出したことで、「便利なサービス」を「不便なサービス」へと変換し、これまでとは逆の発想で多角的で斬新な顧客体験施策の創造へとつながる「発想支援フレーム」を開発できました。今後も、「不便益」の発想をどんどん増やして研究を進化させたいですね。数が増えれば、そこに定量的な価値が生まれて、成功や失敗のパターンがわかるようになる。それを有効なサジェスチョンにつなげて、さらなる知見が得られるようにしたいですね。「発想支援フレーム」もブラッシュアップしていきます。
川上:
博報堂の方々はきっちりと枠組みを設定した上で、ミーティングをぐいぐい引っ張ってくれるので協業の相手としてうれしい限り(笑)。これまでプロダクトデザイン系でやってきたことを企業施策に特化した形でリバイスしてもらいましたから、実践は博報堂さんにお任せして、早く「不便益」から発想された企業サービスを見てみたいですよ。これからの広がりが僕としても楽しみです。
川上浩司(かわかみ・ひろし)
1964年生まれ。京都大学工学部卒業、同大学院工学研究科修士課程修了。博士(工学)。
同大学情報学研究科特定教授。京都先端科学大学教授併任。著書に「『不便益から生まれるデザイン』」(化学同人、2011年)、「ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便益を取り入れてみてはどうですか?〜不便益という発想」(インプレス / ミシマ社、2017年)。
野坂泰生(のさか・やすお)
1989年博報堂入社。事業局を経て、2002年より研究開発局。主な担当領域は、顧客リレーション/UXを中心とした企業施策、トレード(流通)マーケティング。