──博報堂の統合プラニング局が提唱している「PJMメソッド」には、行動経済学の方法論と共通するところがあるとのことです。はじめに、PJMメソッドの概要について聞かせてください。
藤平
「3C分析」というよく知られたマーケティングのフレームワークがありますよね。まず、Customer (顧客/市場)を分析し、Competitor(競合)を把握し、差別化のポイントを明確にしたうえで、Company(自社/ブランド)の方針を決める。そんな方法論です。
これは1960年代に広まった考え方で、当時は世の中に競争領域がたくさんあり、ファクトのイノベーションも度々起こっていました。しかし、多くのプロダクトやサービスがコモディティ化している今日、常に競争戦略から考え始めることは、必ずしも正解ではないのではないか。そんな問題意識がここ数年ありました。
PJMメソッドは、いわば3C分析をひっくり返した発想法です。まず、自分たち(ブランド)が実現したいことをきちんと定義する。そのあと、その思想のもとで、生活者のどのような気持ちにどのようにアプローチするかを探し、競合やパートナーを見極める。それらを踏まえて、広告だけでなく包括的なブランド体験として生活者に提供していく──。それがPJMメソッドの基本的な流れです。
──P、J、Mはそれぞれ何を表しているのですか。
藤平
Pは「パーパス」で、企業やブランドの存在意義、志、スタンスなどを意味します。「我々はこんなブランドになりたい」と一人称で宣言するのではなく、「こんな社会を作りたい」といったように、「ブランドと社会・生活者との関係」を規定するところがポイントです。「どんな専門性で社会を豊かにしたいのか」「どんな“いいこと”を世の中に増やしたいのか」という視点がパーパス発想だと言えると思います。
Jは「ジョブ」で、生活者がそのブランドを求める「本当の欲求・理由」のことです。これは『イノベーションのジレンマ』で知られるクレイトン・クリステンセンの「ジョブ理論」に基づいた考え方で、彼の言い方に倣って表現すれば、「生活者がブランドを“雇用する”真の理由」がジョブです。これまでも「間接競合」「アンメットニーズ」といった言い方はありましたが、その延長線上にあると言えると思います。PJMメソッドでは、ジョブを洗い出すだけでなく、その後、その視点でフレネミー(パートナーにも競合にもなる存在)を見極めていきます。
最後のMですが、これは「(ユーザーの)モーメント」のことで、「ジョブ」が具体化する瞬間です。ユーザーとブランドが重なり合える瞬間と言ってもいいかもしれません。ぼくらは「あるある」とよく言いますが、「このブランドってこういう瞬間に欲しいよね」という具体的なシーンを見つける作業です。
パーパス・ジョブ・モーメントの順で考えていき、最終的にそれらの視点から「生活者のブランド体験(UX)」を生み出していく。それがPJMメソッドです。パーパスで「ブランドらしさ」を大切にしつつ、ジョブ・モーメントのパートでは新しい視点で発想する。このバランスで、広告制作からプロダクトの開発まで、多くのシーンで実践を重ねています。
原田
「3C分析」がカテゴリーにおけるナンバーワンを目指す戦略だとすれば、PJMメソッドはオンリーワンのブランドを目指す発想法と言えますよね。市場が飽和状態になり、企業の存在価値やパートナーをあらためて定義する必要がある時代。一方でデジタルテクノロジーが急速に進化し、生活者の行動のモーメントを捉えることが可能になった時代。そんな現代にふさわしい考え方だと僕は捉えています。
──生活者(モーメント)からスタートせずに、ブランドからスタートするという点で、博報堂が掲げる生活者発想と矛盾する気もしますが……。
藤平
鋭い質問をありがとうございます(笑)。博報堂がかかげる「生活者発想」は、人を単に「消費者」として捉えるのではなく、多様化した社会の中で主体性を持って生きる「生活者」として全方位的に捉え、深く洞察することから新しい価値を創造しよう、という考え方です。違う言い方でいうと、先入観や独断にとらわれずに生活者にふれるようにふれましょう、ということ。なので、PJMメソッドは、実は「生活者発想を体現している」とぼくは考えています。例えば、パーパスを規定する際に最も大事になるのは、「生活者をどう幸せにしたいのか」という視点。ジョブも「生活者は本当はどんな理由でこれを選ぶのか」という視点が欠かせません。順序こそ逆転しているものの、フラットに目線が生活者に向いているメソッドなんです。
──「行動経済学」とはどのような学問なのか。これも概要を説明してもらえますか。
松木
ごくごくシンプルに言うと、「経済学と心理学を融合させた学問」です。従来の経済学は、人々の行動の原理を「効用最大化」であると捉えてきました。人々は常に自分が最も得をする選択をして動くということです。
しかし、心理学的観点から見れば、人はいつもそのような合理性によってのみ動くわけではありません。例えば、店で商品を選ぶ場合でも、棚に並んだすべてのブランドを比較して最もよいものを選んでいるわけではなく、瞬間的に想起された記憶などに基づいて、直感的に選択しているケースが多いのです。
では、人々のどのような記憶がどのような環境下で働き、それがどのような行動に結びつくのか。そこには一定のパターンがあると考えられます。行動経済学はそのようなパターンや傾向を主に研究する学問であり、その知見をビジネスに生かしていくことを目指して設立されたのがBEworksです。
原田
マーケティングの世界でも、商品やサービスの機能の差で人の購買行動は決まるという前提が以前はありました。しかし、商品のコモディティ化が進むと、機能差による訴求は難しくなります。つまり、合理的購買行動を想定することができなくなっているということです。結果、マーケターも人間の非合理性に着目しなければなくなっています。そこにマーケティングと行動経済学の接点があるように思います。
松木
共通するのは「人の本質とは何か」という視点ですよね。まず「人」から考える。その点で、行動経済学と博報堂の生活者発想にはリンクする部分が大きいと思います。ただし、生活者のインサイトは、必ずしも生活者に尋ねることによって把握できるものではありません。「こうしたい」という思いと実際の行動の間にギャップがあるのが人だからです。人々の認知プロセスや心的表象をどうつかんでマーケティングに生かしていくか。その点で行動経済学は有効な方法を提示できると思います。
原田
僕は、行動経済学が人間の「記憶」を重視している点をとても興味深く感じています。スマートフォンが登場して以来、あらゆる購買行動がスマホのUIデザインに集約されてしまうのではないかとさえ僕は感じていました。しかし、人間の行動は記憶によって大きく左右されるというのが行動経済学の知見です。それは実は、もともとテレビCMなどが得意とする領域なんですよね。人々に強い印象を与え、記憶させ、行動を促す。それがテレビCMをはじめとする広告の力だとすれば、行動経済学がもたらす知見は、広告と矛盾するものではなく、むしろ広告をこの時代に合わせて刷新させるものである。そんなふうに考えています。
──PJMメソッドの側から見て、行動経済学との共通点はどのようなところにあると考えられますか。
藤平
この混沌とした時代に、生活者が動く真相と深層を探りたいという想いが共通していると思います。それをアカデミックなスタンスで追求していくのか、クリエイティビティを大切にしながら取り組んでいくのか。極端に言えば、違いはそれだけかもしれません。両方のアプローチを融合することができれば、大きなケミストリーを生み出せるかもしれない。そんな期待があります。
おそらく、経済学の世界にもマーケティングやクリエイティブの世界にも「人間は非合理的な存在である」と考えていた人が少なからずいたと僕は考えています。しかし、その視点を体系化する方法がなかった。行動経済学はそれを体系化した学問であり、それはぼくたちの仕事にとって、実践的な武器になると思います。
松木
行動経済学が明らかにしていることの多くは、聞けば多くの人が「そうだよね」と感じるようなことです。しかし、そのエビデンスをしっかり取集し、再現可能にする点に行動経済学の価値はあります。
例えば、多くの人々の心を捉え、行動を促した広告は、これまでは「たまたま当たった」と考えられることが多かったと思います。しかし、行動経済学はその広告が“なぜ当たったか”を理論に基づいて仮説を立て、実験などを通じてある程度明らかにすることができます。その理由自体には、もしかすると目新しさはないのかもしれませんが、「明らかにする」という点に意味があると思っています。
原田
これまで、クリエイティブには「マジック」があると思われていたわけですよね。そのマジックのすべてが解明できるとは思わないけれど、ある程度は再現可能にできるかもしれない。再現可能な部分が増えれば、私たちのクリエイティビティはさらなるクオリティの向上に注げる。それが僕たちの立場からの行動経済学への期待であり、PJMメソッドが目指しているのもそれに近いと僕は考えています。
藤平
人間を見つめ直して、深いところに到達することができれば、マーケティングやクリエイティブも変わっていくはずです。PJMメソッドも行動経済学も、その道筋をつくるための発想法と言えるかもしれません。
──PJMメソッドの立場から見て、行動経済学にはどのような可能性があると考えられますか。
藤平
例えば、ミネラルウォーターを売ろうとする場合、これまでは「ミネラルウォーター市場」という限定されたマーケットの中で、機能や価格を訴えることで競り勝とうとしてきたわけですよね。しかし、機能・価格は徐々に横並びになりました。それで、「どういう気持ちで買ってもらいたいのか」という問いが生まれてきました。その視点があると、水を手に取る前の生活者の行動が大事になるし、他社の水と競うよりも味方を増やした方が選ばれる確率が高まりそうですよね。この「選ばれる確率」を高めていく知見が、行動経済学にたくさん貯まっていると思っています。
原田
例えば、「リフレッシュしたいときに水を買う」のだとすれば、競合はガムかもしれないし、カラオケかもしれませんよね。セットで販売するとか。
藤平
まさにそうです。気持ちがどう作用して行動に至るか。そこにどのような環境要因があるか。それを明らかにしようとしているのが行動経済学で、その視点は、PJMメソッドの「ジョブ」や「モーメント」の考えをドライブさせてくれるものだと思っています。
──PJMメソッドと行動経済学のコラボレーションには今後どのような可能性があるのでしょうか。
藤平
共創の可能性もあるし、競争の可能性もある。そんなスタンスで臨むのがいいと思っています。例えば、ある課題を解決する場合、一緒にひざを突き合わせて一つのアイデアを生み出すのがいいのか。それとも、それぞれが異なるアイデアを別々に出し合って競い合った方がいいのか。そのどちらの可能性もありうると思うんです。もちろん、お互いの強みが活かされることが望ましいので、持ち味を薄め合ってしまうことは避けなければなりません。とにかく、まずは「クリエイティビティ×アカデミック」の組み合わせで、実際にやってみることだと思います。
松木
行動経済学は科学的根拠と手法をもとに仮説を検証していく学問です。PJMメソッドによってもたらされた仮説を、科学的に検証する。そんなコラボレーションは一つありうると思いますね。
原田
僕が大きな可能性を感じているのは、インナーブランディングの領域です。新規事業の部門がどんどん立ち上がり、M&Aも盛んになっている今日、そこに集まるバックグラウンドの異なる人たちが一つになるための「カルチャーづくり」に苦労している企業が少なくありません。新しい時代にふさわしい新しい組織のあり方や経営者の行動規範をつくっていくのに、PJMメソッドと、心理学にもとづいた行動経済学は大いに役立つと思うんです。
藤平
実際にそういったご依頼も出てきていますし、PJMメソッド自体、「広義のブランドの始まりの瞬間」を想定しているところもあります。例えば事業統合や新事業の立ち上げなど、自社のブランディングに課題のあるクライアントがいれば、ぜひ積極的にお応えしていきたいと思います。
松木
会社は人間の集団であり、人間は「意味」がないと行動できません。例えばその「意味」を、PJMメソッドをつかって規定し、その「意味」に基づいて実際の「行動」を行動経済学的に促していけるかもしれません。まさに企業の組織改革やインナーブランディングの領域でのコラボレーションには大きな可能性があるのではないでしょうか。
──最後に、今後に向けたビジョンを聞かせてください。
藤平
僕の肩書きには「クリエイティブ」と入っていますが、何のプロかというときに「アイデアやデザイン」というだけでは、これからは不十分であると思っています。課題を見極め、解決の道筋を作るという、ストラテジックアプローチも、等しく重要になる。この先は、「ロジックとクリエイティビティを両立させる」ということにチャレンジをしていきたいと思っています。そして、そこにPJMメソッドや行動経済学のアプローチを適用することで、優れたブランドを増やすことに貢献できると思っています。
松木
異なった出自を持つ二つの新しいアプローチがどう融合し、そこにどんなシナジーが生まれるか。まずは、そのトライアルに取り組んでいきたいと思います。
原田
PJMメソッドは、世の中をフォーグッドな方向に変えていくための考え方です。PJMメソッドと行動経済学の力で難しい課題を解決しながら、世の中を、未来をよくしていく。その最初の成功例を、ぜひクライアントの皆さんとともにつくっていきたいですね。