新型コロナ騒動の影響で、不要不急の外出への自粛が求められたり、大人数での会合もやらないような空気感となっている。こうしたなか、私の仕事仲間から聞かれるようになったのが「会議が激減してやるべきことだけができるようになりました。これまで2時間の会議とかで数字の報告聞かされたりしていましたので」という声だ。
おいおい「やるべきことだけができるようになりました」ってことは、その会議、実は元々いらなかったんじゃないの? なんて思うのだが、昨今のブラック企業批判に加え働き方改革、そして新型コロナ、さらには日本人の生産性の低さが指摘されるなど、労働時間は昔より短くなっているのでは。
現在私も博報堂で会議に参加することは1日に1~2.5回ほどはあるのだが、私が社員として在籍していた19~23年前と比べて圧倒的に会議の回数も平均時間も減っている。私自身が統合プラニング局の中心部の作業スペースのようなところで仕事をしており、会議室を取るでもなくその場で会議をしてしまうという事情もあるが、短いものであれば15分で終了する。
「この商品をとにかく露出させたいんですよ。特徴はこの資料を見ていただきたいのですが、クライアント(広告主)は知名度をより高めたいと考えています。特にウェブでその名前が出るようにしたいそうです」
こんな感じでバシッとクライアントの課題とやりたいことを聞き、その販路がどこにあるのか、一体その商品の画期性はどこにあるのか、といった説明を私は受ける。「なるほど。ならば明後日までに企画を送ります」と作ったA4で1~2枚のファイルをメールで送って一旦あとは得意先の返事待ちとなる。かつてあった「パワーポイント信仰」のようなものもなく、私がこの20年、出版業界で慣れ親しんだA4で1~2枚が受け入れられている。
これは博報堂の社員と私の2人だけでチャッチャッと決まる例だが、6人ほどいるような会議にしても、1時間以上になることは滅多にない。昔は1.5時間が既定路線だったし、4時間になることも時々あった。最長8時間というものまであった。
前述の通り社会通念の変化が大きく影響しているのだろうが、恐らく博報堂も含めた広告業界全体で「大人数で考えることが大事」「長時間皆で考え抜くことが大事」という考えが消滅しているのではなかろうか。今でも6人の会議でまったく喋らない人というのはいるが、その人は議事録を実は取っていたりするわけで、何らかの役割は果たしている。だが、昔であればこの会議には10人がいて、「いるだけ」の人も4人ほどはいただろう。私もその一人であることが多かった。
そして、極めて大事なのが「遅刻する人が減った」ということである。15時に予定されている会議の場合、全員が揃うのがヒドイ時は15時45分だったりした。会議のキーマンたる人はその中で最も忙しい営業やクリエイターだったりするわけで、皆が「○○さんも忙しいからしょうがないよね」なんて話をし、遅刻を容認する空気もあった。それは、自分も時々遅刻をすることがあるわけで、全面的に非難できないからである。ただ、今は遅刻をすると白い目で見られることが分かっており、遅刻する人は滅多にいない。また、遅刻をする場合は同じ部署の誰かに会議の進行やらアイデアの提出は任せ、最低人数で会議が回るようになっている。
あとは「遅い時間から会議をするのがカッコイイ」という風潮も消えたように感じられる。そもそも、夜遅くなると執務室から人が消えている。昔は「てっぺん」(午前0時)を越えてから始まる会議もあり、この時皆が妙に興奮しているところがあった。午前2時ぐらいになると、東京・田町のグランパークタワー前にはタクシーの列ができ、それは反対側車線の列も含め、百メートル超にも及ぶ列になっていた。いや、巨大な交差点を挟んだグランパーク側のところに並んでいたのだっけ……。そこは思い出せないが、とにかく尋常ではない数のタクシーが並び、長距離客を捕まえようとしていたのである。
深夜に飲みに行く時、この列に並んでいたタクシーに乗ろうとして「麻布十番」などと言おうものなら「チッ」と舌打ちをされた。「あのさ、ウチはここでずっと待ってたのよ。長距離狙いなのに麻布十番なんて近すぎるでしょうよ?」なんて言われたので、以後流しのタクシーに乗るようになった。
冒頭の「2時間の会議」発言は出版社の人による発言だ。確かに彼は管理職になって以降、会議が激増している。
今後、当連載で「社員旅行」「飲み会」についても書いていくことになるが、「オンオフ」の感覚が以前よりも圧倒的に定着してきたのだろう。1990年代後半、子育てについて語る社員は皆無だった。特に男性社員が家族について語る記憶というのは滅多になかったし、私の上司とは毎日深夜まで一緒に残業をしていたのだが、2人のお子さんがいるのにこんなにパパが遅く帰って大丈夫なのだろうか? と部下として心配だった。
だが、今では会議で話される内容は「子育てする人々からどう共感されるか」などの話題も多く、そこでは自分自身の子育ての現状や保育園の制度に加えてSNSのママ友グループの話なども出てくる。
新型コロナ陽性が後に判明した70代男性が、発熱があるにもかかわらずジムに通い、1406人と濃厚接触をしたらしい、という話も議題にのぼる。彼女はこのジムの近くに住んでおり、ママ友の間では、「私達の子供は大丈夫かしら……。あと、高齢者は自由に動き回っているのに子供達が公園で遊んでいたら高齢者に通報される。ママ友が結束する事態になっています」という話も出た。この時はコロナをめぐる自粛ムードやコロナ終息後の広告会社のコミュニケーションのあり様について議論をしていたのだが、こうして自分自身と周囲の生々しい生活の実態に即した話が展開される。
広告業界に従事する者については、「生活者発想が大事」という話がある。私自身は若い頃、博報堂が1980年代に作ったこの言葉が大嫌いで仕方がなかった。偽善っぽかったのである。明らかにあの時の我々は一般生活者とはかけ離れた生活をしていた。それこそ働き方にしても酒の飲みっぷりにしても、だ。
そんな我々が「生活者発想」なんて言えるのか、エッ! と若き日の私は一人鬱勃たるパトスを持ち、ひねくれ光線を博報堂社内でビビビッと発していたのであるが、今の同社はその発想があるんじゃないかな、とも思う。事実、インターネットをいかにプロモーションに使うか、という発想、企業の情報発信が炎上しないかどうか、といった点についてはユーザーの視点をベースとした緻密な設計がされているように感じられる。
昔の「ドーンとやっちゃいましょう。派手に打ち上げ花火あげましょう! ガハハ! クライアントと楽しんじゃいましょうよ!」的なハチャメチャ広告マン的なことはほぼ聞かれなくなった。それでいいのだ。広告は生活者のためのものなのである。
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)