鷲尾
ここは広い公園(山口市中央公園)の中にあるんですね。YCAM(ワイカム)の建物も波打つような屋根が印象的です。そのこともあるのでしょう、伸びやかな感じがして心地よいですね。
伊藤隆之さん(R&Dディレクター、以下敬称略)
都心だとなかなか難しいかもしれませんね。
鷲尾
内部は、図書館や、ホール、スタジオなど、いろんな空間がつながっている構造なんですね。
会田大也さん(アーティスティックディレクター、以下敬称略)
YCAMには、地域の情報拠点としての山口市中央図書館、大規模な展示やイベント、アーティストの滞在制作などができるホワイエ(フリースペース)、スタジオ、映画館、コミュニティスペース、ラボ、キッズスペースなどの機能があります。仮設壁で動線を変えたり、天井材の工夫によってプロジェクターや照明やバナーの吊り点を変更したりすることが容易です。例えば、ここ(ホワイエ)も、気軽に空間を変えていくことができます。普段は学生たちが勉強してたりするけれど、大きなギャラリースペースにもすぐ変わることができます。
鷲尾
とても柔軟に使うことができるんですね。中庭の緑の植栽の向こうに、図書館の様子もうっすら見えますね。向こう側ってどんな感じかなって、散歩するような感じで歩いてまわりたくなる。
伊藤
異なる機能を横につなげるとそれらがミックスされる。これは設計を手掛けられた磯崎新さんのコンセプトですね。事実その通りで、お互いにつながり合おうという力が常に働くんですよね。
天野原さん(マネジメント担当、以下敬称略)
この中央公園は、もともと学校や体育館があった地区で、当初は博物館や図書館、ショールームなどを備えたコンベンションセンターをつくるという計画があったようです。1980年代後半から90年代初め頃ですね。当時は、山口市には市立の図書館もありませんでした。最初の構想では、劇場、パブリックスペース、展示スペース、図書館は、すべて別々に建てる予定もあったそうですが、結果的に、先端的なメディアアートを体験できる空間と、こうした日常的に市民が使う図書館とが一緒になって横並びにつながっている。それはとても大切な点だと思います。
鷲尾
YCAMの開館は2003年ですね。
会田
構想自体は、実はさらにその10年以上前の、1988年ごろからスタートしているんです。
鷲尾
開館まで10年以上もの準備期間があったんですね。YCAMは規模の大きな公共事業ですが、「メディア・テクノロジー」をテーマにするということも含め、この事業を推進されてきた方々は、とても強い信念やヴィジョンをお持ちになって取り組まれてきたと感じざるを得ません。
会田
それは事実その通りだと思います。行政側に先見の明を持った「スーパー公務員」がいたということですね(笑)。
天野
もともと山口市は大企業や設備産業に依存する町でありません。農業や観光業、サービス業などが重要な役割を持っています。この町の将来を考えた時に、今後大切なのは「人づくり」であり、そのためにどのような機能に行政として投資すればいいか。そのことを当時、市役所の中では真剣に議論しあったと聞いています。
会田
「市民の目先のニーズに応える」というやり方もあったとは思うんです。でも、そうではなくて、今は市民がまだ気づいていなかったり、理解できていないとしても、将来は必ず町と市民にとって大切になるであろうことに、行政として投資するんだ、そういう判断をしたということですね。もちろん、実際に竣工するまでの10年間の中では、いろいろな議論があったわけですが。
鷲尾
1980年から90年代は、世界各地で先端テクノロジーとアートとをテーマにする公共施設が生まれた時代でした。「メディアテーク」とか「メディアセンター」と呼ばれる施設ですね。例えば、アルスエレクトロニカ・センター(オーストリア)も1996年にオープンしています。他には、カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター(ZKM)がやはり1997年ですね。日本では、東京にインターコミュニケーション・センター(ICC)が同じく1997年にオープンしています。せんだいメディアテークは2000年になってからですね。
会田
山口市がそうした世界的な潮流をリサーチしていたのも確かですね。でも当時の山口市の担当者たちは、みんな自費で海外視察に行ったそうです。世界の動向を自分自身で見てきたことで、「メディアアートそのものの将来は分からない。でも新しいメディアに触れていくことの意義、特に将来の市民にとっての『教育』という点では、非常に価値があることを実感したんだ」とおっしゃっていたことを覚えています。
鷲尾
YCAMの活動理念は「ともにつくり、ともに学ぶ」ですね。メディア・テクノロジーがもたらす社会の変化、ひとの感性や身体感覚の変化を、市民と一緒になって「つくる」ことを通して学ぶこと。
会田
その通りです。 そして、施設自体が市民と一緒に育っていく場所でありたいと思っています。
鷲尾
YCAMでは、メディア・テクノロジーを生かした作品やパフォーマンスの制作、メディアリテラシー教育のプログラムなどを自ら開発されています。例えば、京都市や横浜市など他の町で行われたアートフェスティバルで、「これはYCAMで開発・制作されたプログラムですよ」と、これまでに幾度となく教えてもらったことがありました。友人のアーティストたちも何人も、この場所で滞在制作をしています。
会田
YCAMは既存の作品の収集よりも常に新しい可能性を自分たちで探求して、つくったり試したりして、市民の人たちと一緒に体験して学び合う。そういう役割にフォーカスしています。
公共の文化施設というと、「地元作家を育てよう、紹介しよう」という方針も全国にはあると思います。でも本当に実力のある作家は自ずと世界から呼ばれるものです。地元の表現者だけサポートしていくと数が少ないので、縮小傾向になってしまう。
そうではなくて、ここを訪れる市民一人ひとりのアートを見る目が肥えていくことの方が、結果的には地域やアーティストにとっても、よっぽど良いことなんじゃないかと思います。
伊藤
特に「ともにつくる」でいうと、YCAMでは、「R&D(研究開発)プロジェクト」が全体の活動の基盤になっています。「YCAMインターラボ」というチームが中心になって、新しいテクノロジーの可能性を考え、試し、実験していく機能がまず真ん中に位置付けられています。それはもう開館当初から、その機能には徹底してこだわってきています。
会田もそうですが、YCAMのスタッフには、自身がアーティストという人たちが多いんです。「つくる」ということがまず基本にあるような人たちです。「こんなのが欲しいな」と思った次の瞬間には「じゃあ、つくろうよ」ってなる自然の流れがある。
会田
また別の角度から言えば、東京から遠いってことも影響していますね。アーティストにわざわざ来てもらってワークショップをやって、その謝礼を払うということを、何度も気軽にはできないじゃないですか。外注するんじゃなくて、まず自分たちでつくってみる。自分たちで試して、開発してみれば、何回でも実施できクオリティを改良していける。地方だってことをデメリットではなくてメリットにしていくということですね。
伊藤
開館当時、YCAMに出向してきていた市の職員も、「その方向がいいんじゃないか」、「単に来館者数という量だけを追い求めてもしょうがない」と言っていましたね。
会田
「ニーズじゃない、ラックだ」って。量でカバーできるようなニーズに応えることは民間がやればいい。そうではなくて、これから市民にとって必要になるであろうことを探そう。その意識は行政側にもはっきりとあったと感じています。
鷲尾
「実験性」とは、実は公共的な空間だからこそ必要なことなんだと思います。
会田
そう思います。そこが、まさに先見の明なんだと思いますけど。それに加えて、山口の人たちの「長州人の気質」ってこともあるかもしれませんね。他と一緒じゃないことをしよう、という部分が。だから自分たちでまずはやってみよう、つくってみようと。
伊藤
確かに、そこは市役所の人たちも結構全員共通している感じがしますね。
会田
スポーツにテクノロジーをふんだんに取り込んでいるのがとてもYCAMらしい取り組みだと思います。「運動会」って誰にもわかるフォーマットですよね。それをもとに、みんなで新しい競技を考えたり、レベルアップさせていく。ここには、ライティング、音響、ネット回線、モーションキャプチャーもあります。こういう技術を使って、市民自身が、自分たちで楽しむ場を自分たちのアイデアや発想、技術でもっと面白い場所にしていく。毎回毎回、実施するたびに参加希望者が増えています。しかも募集から定員いっぱいになる期間がどんどん短くなってるんですよ。
鷲尾
みんなにとっての「日常」を、新しい「日常」にしていく。あるいは「非日常」を「日常」にしてしまう。
伊藤
「日常」がアップデートされていく、その発想は大切だなって思っていますね。それを具体的にしていける技術的な環境がここにはあります。それはYCAMのアドバンテージですね。
会田
「YCAMスポーツハッカソン」も、もともとはパフォーミングアーツの流れから生まれた企画だったんですが、今は教育プログラムとしても実施されています。YCAMでは「アートプロジェクト」をつくることが基本であっても、そこには教育的な要素がかなりの割合で組み込まれるようにする発想が全体の活動を貫いています。
スタッフたちはそれぞれの専門性を持っていますが、仕事の境界や縦割りは存在していません。お互いの知識を共有しながら一緒にやっています。劇場担当も、教育プログラム担当も、展示を考える。その逆になることもある。これは15年間をかけてつくってきたYCAMの文化です。
「YCAMスポーツハッカソン」はそれを象徴しているように思います。
会田
「コロガル公園」は、「公園」という環境の中に様々なメディア・テクノロジーを詰め込んで、もう一度みんなで「公園」をデザインしなおすプログラムです。子どもたちは自分たちのアイデアを投入し、遊び方やルールも全部自分たちで考えます。その代わり、ちょっとだけ普通とは違う床面があるよ、といった環境をつくったわけです。当たり前のように思っている「環境」をもう一度問い直す。そしてその「環境」のあり方を市民自らが遊びながら考え直してみる。
2012年は、YCAM10周年の1年前で、かつ東日本大震災から1年後というタイミングでした。
このプログラムは、過去に実施してきたイベントの中で最大の来場者数を獲得しました。大成功したわけですね。このとき、市民との関係性において潮目が変わったなって手応えを感じました。
このプログラムをきっかけに、市民の多くの人が、この場所はいわゆる「ハイアート」を鑑賞する場所ではなくて、ふらっと普段着で立ち寄れて、子どもたちを遊ばせられる場所へと変容した。というと大げさなのでもう少し普通に言えば、立ち位置が変わったと感じています。
鷲尾
子どもたちの創造性が入り込むことで新しい可能性が生まれる「環境」をデザインする。「公園」という誰にとっても日常的な場をフレームにして。
会田
そもそもメディアアートってオーディエンスの力によるところがすごく大きい。彫刻や絵画のようにインタラクションがないものではなくて、作品に対してお客さんがインタラクトしていかなくてはならない。一応作品として、その構成とか使用方法とかあるけど、別にそれ以外のアプローチの仕方をすることによって、もっと楽しんでも構わない、いわば「ハッキング」しがいがあるところに魅力があるわけです。別の言い方で言えばそれって、オーディエンスのクリエイティビティに依存してるわけですよね。「オーディエンス次第で面白くもつまらなくもなる」とも言える。
「コロガル公園」では、徹底的にアーティストの存在感をどんどん減らしていって、オーディエンスのクリエイティビティだけが発揮できるようなシチュエーションを、展覧会というフォーマットとしてつくってみたんです。鑑賞者論の観点から言っても、美術史的にも意義があったのではと感じています。
鷲尾
日本では「教育」と「アート」、あるいは「文化」って、あまり連携しているとは言えません。それは政策としても、行政機能としても、あるいはもっと日常的な部分であっても。YCAMはそこを架橋して、市民の創造性、つまり地域にとっての大切な文化資源を豊かにしていこうとしている。
心から人が「面白い」って思えるものの中には、本質的に「教育」も「アート」も、そのどちらのクオリティも存在しているものなんだと思います。
会田
そこにメディア・テクノロジー、メディア・アートの可能性があるんだと思うんですね。人が触れて、反応して、試してみて、失敗もしてみて、そういうトライ&エラーを起こすところに学びがある。
鷲尾
それを「教育」だと捉えるということですね。
会田
その通りです。僕はそれを「遅い教育」と言っています。速い教育というのは「コピー&ペースト」で情報や知識を広げるものです。例えば、一人の先生がサテライト授業で1万人の生徒に一気に教えるというような教育ですね。知識量、理解度、問題を解くスピードの最速を競い、画一的な評価軸の中で最高到達点を目指すような。
しかし「遅い教育」はそうではなくて、「そもそも画一的な評価軸ってこと自体が、大した問題じゃないんじゃないか」って言ってしまえるような発想が生まれる教育です。いわばXY軸を従来の評価軸とすると、これに対して、まったく異なる新たなZ軸の評価を加えてしまうような。つまりは「創造性」(クリエイティブ)を磨くってことになるのだけど。その方が面白いと思う。でもこうした「創造性」(クリエイティブ)って、従来の教育のようには教え込むことではできないんですよね。新発想のZ軸の引き方とか、なかなか教えられるものではない。だから学校の外側の公共文化施設でこうした取り組みを推進しているのです。
鷲尾
やってみて、体験してみて、トライ&エラーしてみて、違和感を感じてみて、疑問をもって初めて体感できる。つまり時間をかけてみること。「速い教育」、つまり情報「量」や知識「量」に依存した教育では、大都会や首都圏の方にアドバンテージがあったように思います。しかし「遅い教育」では、実験的なことができる物理的、文化的な「環境」があることがアドバンテージになります。空間と時間と、そして人間。その3つの「間」(=余白)が満ちていくことで、創造性が生まれる。それは、地方都市の可能性に直結するようにも思います。
会田
全くその通りですね。YCAMはそのような環境でありたいと思っていますね。もちろんそのことを市民全員が言葉の定義として分かっているというわけではないとは思います。そのためにはまだ時間が必要でしょう。ただ市民の一人ひとりが、自分の言葉で「YCAMがこの町にあっていいな」と感じる理由を語れるようになれば、それはある意味この場所が目指してきたことが実現した瞬間になるんだろうな、って思います。
天野
YCAM設立当初は、やっぱり市民にとっては他の公共施設と比べて異質なものだったと思うんです。でも15年経って、今では当たり前のものになっていると感じています。違和感を感じる人はほぼいない。狭い意味でアートを理解してる、理解していないということではなくて、ここで展開されているものを、生活者としてごく自然に受け入れているというのが、現状なのかなと思います。外からYCAMを訪れる人の中でも、この場所のコンセプトや実施していることの先進性を評価して、子どもと一緒にこの町で暮らしたいなと移住を決めていただいている状況も生まれています。
鷲尾
それは素晴らしいですね。今、人口減少ということが大きな社会課題として挙げられています。これからは、そうした新しい可能性を日常の環境として整備しようとしているところに、人は動き集まっていくように思うんです。そのことに意識的に公共政策を捉えられる都市は、これからの変化の時代を可能性に変えていけるように思います。
取材: 2019年11月2日
→後編につづく
東京造形大学、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]修了。ミュージアムにおけるリテラシー教育や美術教育、地域プロジェクト、企業における人材開発等の分野で、ワークショップやファシリテーションの手法を用いて「学校の外の教育」を実践してきた。一連の担当企画にてキッズデザイン大賞や、文化庁メディア芸術祭、グッドデザイン賞などを受賞。東京大学大学院GCL特任助教、あいちトリエンナーレキュレーター(ラーニング)を経て、現在山口情報芸術センター[YCAM]学芸普及課長。
東京工業大学生命理工学部生体機構学科、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)修了。同アカデミー卒業後、YCAMに音響エンジニア/プログラマーとして着任。2009年文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨークに1年間滞在し、アーティスト/プログラマーのザッカリー・リーバーマンのもとで、オープンソースの視線検出ソフトウェア/ハードウェア「EyeWriter 2.0」の開発に携わる。現在は、YCAMの研究開発プロジェクト全般のディレクションを担当。山口情報芸術センター[YCAM]YCAMInterlab課長。
山口市役所から山口情報芸術センターなどを管理する山口市文化振興財団へ出向し、予算、会計、人事、施設管理等を行う事務局の立場から活動を支援するとともに、行政、企業、大学等との連携窓口の役割も担う。現在財団事務局次長(兼)山口情報芸術センター[YCAM]総務担当総括(兼)学芸普及担当主任(マネジメント担当)。
山口情報芸術センター(YCAM:Yamaguchi Center for Arts and Media)
〒753-0075 山口県山口市中園町7-7
https://www.ycam.jp/
戦略コンサルティング、クリエイティブ・ディレクションから、文化政策・文化事業の領域に渡り、地方自治体や産業界とのプロジェクトに数多く従事。2014年、アルスエレクトロニカ(オーストリア)と博報堂との共同プロジェクトを立ち上げ、プロジェクトリーダーを務める。東京大学大学院工学系研究科・都市工学専攻「地域デザイン研究室」にも所属し、欧州、アジア、日本各国の「持続可能な都市政策」に関する研究も行なっている。プリ・アルスエレクトロニカ賞「デジタルコミュニティ部門」審査員(2014~2015年)。主な著書に『共感ブランディング』(講談社)、『アルスエレクトロニカの挑戦~なぜオーストリアの地方都市で行われるアートフェスティバルに、世界中から人々が集まるのか』(学芸出版社)等。
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