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今はなき「社員旅行」文化、平成初期ののどかな風景と詐欺師(?)との対決 (連載:中川淳一郎の「博報堂浦島太郎」)

2020.04.22
ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんが18年ぶりに博報堂に帰ってきた! 久しぶりの古巣を歩きながら、中川さんが感じた変化や懐かしの話を自由に語っていただく連載『博報堂浦島太郎』。コロナ禍の中で綴られた第6話をお届けします。

 世の中新型コロナのせいで陰鬱な空気が充満している。当然博報堂もリモートワークになっており、久々にオフィスに行きたくてたまらないものの、今は仕方がない。新規で開始したクライアントとの定例会もいきなりリモートでの実施となった。それにあたり、事前の社内打ち合わせを営業担当者及びプランナーがすることになったが、これも当然リモートである。

 今回の動きについて私のところの部署は早かったと感じている。私が深く付き合っている複数社がリモートになるよりも、10日~2週間は早かった。そして部長はコロナ禍の「最中」「その後」のクライアントのコミュニケーションはどうあるべきか? といったアイディアを部員に募り、私も意見書は提出した。とにかく先手を打つべく動くこの姿勢はいいと思う。

 さて、「コロナ後」の広告コミュニケーションの流れの一つは「何でもない日常がいかに尊いものだったか」ということになるだろう。これは阪神淡路大震災や東日本大震災など、激甚的な被害をもたらした災害の被災者はすでに分かり切ったことだとは思うが、これを全国レベル、いや、世界レベルで分かったのが今回のコロナ禍である。

 今回は本当に愛おしくてたまらないと今では思える「社員旅行」についてだ。今のご時世、「会社の飲み会をやるのであれば、残業代をつけてください!」的な意見もあると報じられているが、1997年から2001年にかけ、私が博報堂の従業員だった時代は旅行ばかりしていた。

 当然「そんなもん行きたくないよ、チッ」などと思う人もいたかと思うが、強制ではなく行きたくない人は別に行かなくても良かったし、すべて楽しかった。何回旅行に行ったかを思い返してみたのだが、4回だった。4年間で4回! かなりの頻度ではないだろうか。

第1回:局全体での熱海温泉宿旅行(1泊2日・1998年)
第2回:自分が所属していたグループ員と局長との熱海旅行(1泊2日・1999年)
第3回:所属グループの一つ上の先輩が異動するから“異動カウントダウン”グアム旅行(3泊4日・2000年)
第4回:私が会社を辞めるための鬼怒川温泉“さよなら旅行”(2泊3日・2001年)

 第1回については若干昭和の香りがするものだ。全員浴衣を着て大宴会場で局長が「ガハハハハ」的な挨拶をして乾杯の音頭を管理部長がする。散々飲んだ後は自由行動となり、麻雀をやる人もいれば、夜の歓楽街に行く人もいた。翌日は自由行動だった。私が押入れに入っている写真があるが、これは誰かの部屋で2次会をしている時の様子である。

熱海温泉宿旅行(1998年)

 第2回については、前年の熱海旅行が思いのほか楽しかったため、「今年も旅行行こうぜ!」とばかりに企画したものだ。派遣社員も含め漁船をチャーターしアジ釣りをした。

2年連続の熱海旅行(1999年)

 そして、印象深いのが第3回と第4回である。第3回についての写真はないのだが、なんと「グループの構成員の一人が」「同じ局内の別チームに異動する」というだけでグアム旅行に行ったのである!

 この時異動するY氏は私の一つ上の先輩だ。「異動するのは悲しいのでみんなで旅行に行きたい!」と主張し、同グループに所属する6人と管理部の「デスク」と呼ばれる人、そして他社から我々の部署に出向している人の合計8人で行くことになった。

 この時“ネット通”として知られていたY先輩は自分が見送られる存在だというのに、自らグアムの激安ツアーをネットで探していた。その結果Y先輩が見つけてきたのは3泊4日の4つ星ホテル宿泊で3万9800円、というとんでもない激安価格のものだった。

「こ~れ~は~、ちょ~お~と~く~ですよぉぉぉ~!(これは超お得ですよ)」とY先輩は言い、皆で3万9800円ずつをY先輩に渡し、Y先輩がそのカネをまとめて振り込むことに。チケットは、元々旅行代理店にいたという仲介者のEさん(女性)が旅行の1週間前に博報堂まで全員分を持ってきてくれるという話になっていたが、その日に来ない。「まぁ、1日ぐらいはズレるよね」と皆鷹揚に構えていたのだが、出発5日前になってもEさんは来てくれない。

 Y先輩もEさんに何度も電話をするものの、一切出てくれないとのこと。そしてY先輩がネットを駆使して調べ上げた結果、どうやらEさんは詐欺師的な旅行代理店的動きをしていることが明らかになった。「Eさんが来たらみんなで拍手をして迎えよう!」なんて歓迎ムードだったのに、まさかのEさんは詐欺師の片棒を担いでいたのだ。

 「ここからは憶測ですが……」とY先輩は皆を前に言ったのだが、グアム3泊4日3万9800円の真相というものは、大手旅行代理店の従業員男性が愛人であるEさんに元々バッファーのある空いた航空機チケットやホテルの部屋を横流し、それをEさんがパッケージ化して激安価格でネットで売る、というもののようだった。そんな手口がまかり通るのかは分からないが、Y先輩の見立てはこうだった。いや、この手口だと男性の不正がバレるとは思うものの、この異常な安さはこうした裏事情があってもおかしくない。

 だが、何らかの事情で我々のツアー分を大手旅行代理店男性がEさんに融通できなくなったため、Eさんは音信不通になってしまったのでは、とY先輩は予想する。そしてY先輩は「なんとか僕はEさんの居場所を突き止め、ちゃんと旅行ができるようにします」と決意を込めて話す。

 私は「この人、自分の送別会のために自分でツアーを手配して、さらには取り立てまでするってすげーな!」と正直思った。仮に詐欺師にひっかかったとしてツアーがなくなったとしても、Y先輩の送別会を日本でやれば自分としては満足だったが、Y先輩は「皆さんから自分のためにお金を集めてしまった以上、絶対にオレは引き下がらん!」という強い覚悟を持っていたと思われる。

 さて、そうこうするうちに、Y先輩は旅行の3日前、様々な情報を基にEさんが住む街を訪れ、帰宅途中のEさんを捕まえることに成功! この執念により、Eさんは8人分のツアーをキチンと追加料金ナシで実施することを約束。その場で発行手続きをさせることなどを約束させ、Y先輩はEさんの勤務地等の情報を含めた個人情報もすべてGETして外堀を埋めた。

 恐らくは「愛人からの横流し」も含めて弱みを握ったのだろう。Y先輩はその翌日にはすべてのチケットを持ち会社にやってきたのだ! これで旅行に行けることになった。そして旅行出発日の金曜日の定時終了後、全員一緒に会社からグアムに向かう予定だったのだが、我々の部署のE先輩が「パスポートがない」という理由で一旦自宅へ。彼とは直接成田空港で落ち合うことになった。

 皆で成田エクスプレスに乗る車内、私がPRを担当していた案件について新聞社から問い合わせがあった。私が書いたプレスリリースを記事化したい、というもので追加コメントが欲しい、というものだ。こちらとしてはクライアントの商品が新聞に載るのはありがたいことなので成田エクスプレスの中でコメントした。

 先輩方は「いやぁ~新聞に載るの良かったなぁ。よくやった!」とホメてくれたが、ここから先が問題だった。なんと、パスポートがない、と家に帰ったE先輩は結局パスポートを見つけられず、旅行に参加できなくなったのだ。

 結局8人で行く予定が7人になったのだが、Y先輩の異動が執行される2000年4月1日0時00分、グアム4つ星ホテルの部屋に全員が集いカウントダウンをした後、東京に残るE先輩とともにY先輩の異動を祝った。

 いやはや、実にアツい旅行だったので今回は私の“さよなら旅行”を書く状況には至らなかったので、これについてはいずれまた、「退社」がもたらす心境についてつぶさに綴ってみる。ちなみにこのY先輩の異動カウントダウングアム旅行にはオチがあり、旅行代理店(?)のEさんと、旅行に行くことができなかったE先輩は同じ苗字だったのだ。

 これにはさすがにグループリーダー・M氏も「今回の旅行は『E』に振り回されたな」と苦笑するのであった。

◆中川淳一郎/なかがわ・じゅんいちろう

1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)

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