広告会社の人間にとって、クライアントと良い関係を築くことは何よりも大事なことだ。それを感じたのは、現在は博報堂の役員になっている営業・N氏と出会ったときである。私は入社2年目の1998年から1999年にかけてPCメーカーの担当プランナーになった。私がいたCC局(コーポレートコミュニケーション局)のチームは6歳上の女性先輩と、13歳上の男性ディレクターT氏と私の3人体制だった。
正直自分はほぼ役に立っていなかったと思う。2人の先輩が指示したことに従うのみで、何らかの提案など一切しなかった。ただ、この時サッカー日本代表が初めてFIFAワールドカップに出場したため、そのクライアントの社内イベントで選手が発するビデオメッセージの原稿を書いたことは「ワシがやった」と言えるものだ。
さて、N氏についてだが、それまでに私が付き合ってきた営業はクライアントのことを「お客様」として崇め、とにかく腰を低くする印象が多かった。それは正しい姿勢ではあるものの、N氏は異なる営業スタイルだったのだ。
当時N氏は32歳ぐらいだったと思うのだが、とにかく態度がどこに対しても卑屈さがなかった。見るからに高いスーツをバシッと着こなし、身長は180cm超、そこそこイケメンで、常に「ワシは自信があるからな」的オーラを振りまいている人物だった。
CC局のチームのトップたるT氏はN氏よりも年上だったが、N氏はきちんとT氏を立てつつもジョークや軽口を交え、我々スタッフ(プランニング部門)のやる気を引き出すようなコミュニケーションを取っていた。社外のイベント会社の人々からもN氏は「アニキ」的に扱われており人望があった。
さて、私とN氏の関係だが、2年目だったこともあり、本当に私はポンコツだった。CC局の先輩2人が「若手を入れたから色々教えてやってくれ」とN氏に頼み、N氏とはよく喋った。毎度N氏は私に対して「お前は本当に変人だな」と言った。多くの博報堂社員は何らかの文化的な知識があったり、教養があるのだが、私なぞ多摩地区の田舎で“洗練”とはかけ離れた大学生活を送ってきただけに、「タクシーに乗る」ことや「ワインを飲む」「飲食店は予約をする」ことさえ異世界の話だった。ネクタイの締め方さえよく知らなかった。
しかし、博報堂に入るとこうしたことが日常茶飯事になり、これらにいちいちギョーテンしていたところ、N氏は私のこうした行動を面白がるようになっていった。そして、クライアントのPCメーカーの人に対しても「ちょっとヘンテコな若手をスタッフに入れました。かわいがってあげてください」などと言ってくれたのだ。
N氏のこのお墨付きがあったがため、クライアントの責任者であるイケメンのA氏は、私にも気さくに接してくれた。
後に自分がフリーになってよく分かったが、別に「受注側」だからといって卑屈になる必要はない。これはN氏のA氏との関係を見て本質的に理解できたような気がする。A氏は恐らく35歳ぐらいだっただろう。N氏の3歳ほど上だったと思えるが、その若さで責任者になっているだけあり敏腕である。
そんなA氏にN氏は一切臆することなくバシバシと意見を言い、仕事を推進していく。当時、広告業界ではクリエイターがなんとなくエラい、ということになっていた。だが、それは違うんじゃねーの? と私はN氏を見て初めて感じた。
電通では営業がキチンとリスペクトされる文化があると聞くが、その頃の博報堂はクリエイターやマーケッター、プランナーがなんとなくエラソーにしていた感がある。だが、N氏は「営業がすべてのコンダクターとして、スタッフを動かす」という広告ビジネスの本質が分かっていた。
別に暴君めいた発言をするのではなく、あくまでも丁寧にお願いをするのだが、「オレが一番クライアントのこと分かってるんだからな」という自信は常に同氏のアナグマにも似た顔を見れば伝わってきた(アナグマみたいな顔だがイケメンである)。こうした営業の下で働くことこそスタッフにとっては幸せである。
さて、このPCメーカーの競合プレゼンがやってきた。クライアントのA氏に対してN氏は恐らく「えっ? オレがいるのに競合にするんですか?」みたいなことは言っただろう。それにA氏は「いやぁ、上層部からキチンと競合にしてより良いものを採用したい、と言われたので今回は競合で頼むよ」みたいに答えたのではと想像している。
かくして私もこの競合プレゼンにPR戦略のプランナーとしてかかわった。プレゼンの現場にも行ったが、私は特に何を喋るでもなかった。アイスコーヒーを飲みながら博報堂のプレゼンを聞き続けた。そのプレゼンはA氏よりもさらに上の役員もいるようなものだった。
結果は翌日出ることになっていたが、翌日、私の携帯電話にN氏から電話が来た。
N氏:「おぉ、中川。お前、今時間ある? グランパーク(当時の博報堂のビル)の敷地内の○○(店名)にAさんがいらっしゃっていて、色々とお前に言いたいことがあるらしいんだよ」
私:「はい! 今すぐ行きます!」
かくして私は当時のCC局があった13階からすぐに1階へ行き、○○に入った。するとA氏とN氏は仏頂面をし、腕組みをしている。これを見た瞬間、「ヤバい! 怒られる! オレは何をやらかしてしまったのか……」と思った。
N氏は「中川、まずは座れ。何飲む?」と言い、私は店員にアイスコーヒーを頼んだ。
そして数分後、アイスコーヒーがやってきたのだが、N氏はこう言った。
「今さ、アイスコーヒー飲んでるだろ? どう?」
私は「おいしいですね」と言ったが、N氏はため息をつき、こう続けた。
「このアイスコーヒーがヤバいことをもたらしたんだよ……」
これには「えっ? どういうことですか?」と聞いた。N氏はこう言う。
N氏:「お前さ、この前のプレゼンの時、アイスコーヒーに入っていた氷をカリカリ噛んでいただろ?」
私:「はい、オレはアイスコーヒーの氷が好きだしもったいないのでいつも噛んでます」
N氏:「いや、お前があの時アイスコーヒーの氷を噛んだあの音がエラい人には気に障ったようでさ……」
私:「ゴクリ(と唾をのむ音)」
N氏:「提案自体は良かったんだよ。でもね、今日さ、Aさんがわざわざ博報堂まで来てくれただろ? お前に対してキチンと伝えたいと思ったみたいなんだよ」
私:「はい、それで結果は……?」
N氏:「負けだよ」
私:「えぇぇぇぇ!!!」
A氏:「あの時は中川さんが氷を噛まなければ博報堂が勝っていたんですよ……。甲乙つけがたい提案だったのですが、上層部からは『氷を噛むスタッフがいるのはどうかと思う……』という声が出て、結果的に博報堂は選ばれなかったのです」
これには私も茫然とし、「Aさん、Nさん、申し訳ありません、私があの時氷を噛まなければこんなことにならなかったのに……」と謝罪をした。
N氏は「お前な、人生で色々な局面はあるけど、『まさかコレが!』というのはあるんだよ。今後は大事な会議やプレゼンでは氷を噛むなよ」と言った。私は「はい、もう特別な時は氷は噛みません」と心から反省をし、2人にお詫びをした。
この段階になると2人ともニヤニヤしており、N氏はこう言った。
「バーカ、中川、オレらが勝ったんだよ。Aさんはわざわざこうして報告しに来てくれたんだよ」
N氏とA氏は、カフェで今回の結果について真面目に話し合い、今後の展望についても議論したことだろう。その後「ちょっと中川をペテンにかけてやりませんか?」「いいですねガハハハ」的に私を呼び、こうした小芝居を打ったのだ。
これに対して「パワハラです!」みたいに言うのはやめてほしい。あくまでもN氏はクライアントといかに良好な関係を作り上げるか、ということを考えて私という呑気で最若手をからかうことをクライアントのA氏とともに決めただけなのだ。
実際、私がノコノコとやってきて「オレのせいで……」と打ちひしがれる様も含め、チームの一体感を高めることになった。
N氏は今は役員だ。こうして私も博報堂に戻ってきたが、社員食堂で昼食を食べているN氏から「おーい!」とこの前声をかけられた。一体なにかと思えば、詳細は省くが、お前のツイッター見てるぞと言ってくれた。これには私も感激した。
クライアントだろうが、年下のスタッフだろうが誰にも分け隔てなく抜群のコミュニケーション能力を持つN氏から色々社会人として学ばせてもらった気がする。
私は2010年、小学館から招聘され「NEWSポストセブン」というサイトを作る手伝いをしたが、最終的なGOサインは小学館のある役員から出た。もろもろ準備は進めていたものの、最終判断はこの役員との食事会で私の本気度や信頼度が試されてのうえだったと思う。この時、N氏の「食い込み力」を参考にし、小学館の信頼は得られ、今は同サイトも成長をしてくれた。N氏にこの場を借りてお礼申し上げたい。
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)