──企業の組織開発に室内楽演奏を結びつけるというアイデアは、どこから生まれたのですか。
森
博報堂ブランド・イノベーションデザインのミッションは、クライアントの新事業と社会変革を生み出すことです。ただ新領域の事業創造には時間がかかり、目に見える成果を短期間に考えると企業の担当者の精神的負担が重すぎるため自分が好きなことを起点にし、その延長線上に本当にやりたいこと、この社会で果たすべきことを事業にすることを勧めています。
──森さんもそうしていると。
森
そうです。私にとっては、それが音楽です。私は中学時代に管弦楽部で出会ったクラリネットを現在でも生方正好先生、高橋知己先生に学んでいます。そして長らく「指揮者を置かないオーケストラ」として有名なニューヨークのオルフェウス室内管弦楽団の活動に関心を持っていました。メンバーが交代でリーダーを務める独特の活動と、その運営方法は「オルフェウスプロセス」と呼ばれ、企業の組織運営や研修にも取り入れられています。20年ほど前に日本でも注目が集まりましたが、定着は難しかったようです。
──それはなぜでしょうか?
森
日本での普及活動に説得力のある演奏や説明が伴わなかったからではないでしょうか。しかしアイデア自体はやはり優れていて、いくつかの工夫を加えれば活用できるのではと私は思っていました。
折しも、ある企業のインナーブランディング業務で、ラルーの『ティール組織』というパラダイムを参考にした、現場での「自生的リーダーシップ」というテーマを実践する機会がありました。「自生的リーダーシップ」とは階層構造や指揮系統が自在に変化する、まるでそれらがなくなったかのようにみえる組織をめざし、構成員のそれぞれが「自分らしいリーダーシップ」を発揮するということです。
カルテットに代表される室内楽でも、まさにこれが重要なんです。自生的リーダーシップがうまく機能していると、優れた演奏になることが多い。逆に先生のような人がひとり座っていて、皆が「言われたとおりにやりますよ、仕事ですから」といった態度である場合は、あまり成功しません。室内楽の実演と組織開発のメソッドを掛け合わせて示すことで、企業の方々にも理解していただきやすくなるのではないかと私は考えました。
そうして開催したワークショップに出演していただいたことが、アミクス弦楽四重奏団との最初の出会いでした。演奏者の皆さんはそれぞれの楽器の専門家です。しかしカルテットも会社も、専門性の高い人が集まったからといって必ずしもいいチームができるとは限りません。それぞれの専門性や個性を活かしながら、組織としてどう成果を出していくか。それぞれがどのように互いにリーダーシップを発揮していけばいいか。その例として、実演していただいたわけです。
新規事業を生み出す指針、「オルフェウスプロセス」の発展的応用、クライアントのインナーブランディング業務──。それらが結びついて生まれたのが、この「弦楽四重奏ワークショップ」という組織開発プログラムでした。
──プログラムの概要を教えていただけますか?
森
まずは参加者に純粋に演奏芸術に触れていただきます。つまりカルテットに演奏してもらい、それを聴いていただく。その後のワークショップでは「画像投影法」という方法を用いて、概念をビジュアル化した240枚くらいのカードから、自分自身と組織を最もよく表していると思うものを1枚ずつ選んでもらって、その変化を物語として表現していただきます。その行為を通じて自己理解と組織ビジョンを深掘りし、実現したい未来像を言語化していきます。
──演奏を聴いてもらうことにはどのような意味があるのでしょうか。
森
何より、純粋に芸術に触れていただくことで、そのパワーを感じてもらう。そこに実践的な意味として加えているのが「ソーシャルキャピタル」という考え方です。日本語では「社会関係資本」と訳されますが、簡単に言えば「組織の成員間の関係の質を高めることで、企業の質を高める」ということです。アメリカの社会学者コールマンほかの研究が知られていますが、私が過去に2回、3000サンプルを対象に調査をしたところ、日本でもこの考え方が適合することが分かっています。
有名なのは、サクセニアンによるシリコンバレーとボストンの比較研究です。優秀な人材と豊富な研究資金という条件は同じでも、ボストンは研究所の守秘義務や研究者のライバル心によってでしょうか、異なる研究所のメンバーが交流することは、ほとんどありませんでした。それに対して、シリコンバレーには非常に活発でダイナミックな人的交流がありました。結果はご存じのとおりです。
人と人の有機的な結びつきや協力関係が優れた結果を生み出す──。それをカルテットの演奏に接することで実感してもらうのが、このプログラムの基本コンセプトです。もちろん、演奏自体が十分な説得力を持つことが必要になります。アミクス弦楽四重奏団の皆さんはいつも期待以上の演奏をしてくださいます。
──ご自身が演奏に加わることもあるのですか。
森
イノベーションは「新結合」すなわち、従来の枠組みに異なる要素を組み合わせることによって生まれます。また本来、クリエイティブには、不調和なものを組み合わせるという意味もあります。その構造を「4人(アミクス)+1人(私)」という目に見える形で実演するために、私がブラームスやモーツァルトの五重奏曲を通じて、演奏に加わることがあります。
私が加わるだけでなく、参加者に私がいた場所に座ってもらい、その感想をお聞きすることもあります。多くの場合、本人は「すごく不安」と。一方、それを見ている参加者の皆さんからは、その人が「いつもの雰囲気と全然違う」といった感想がよく出ます。このときに私がお伝えするのは、「会社の新規事業などでイノベーティブな人材をチームに入れる場合、周りの支援や力強いマネジメントがないと本来のパフォーマンスを発揮できない」ということです。また、「新しく何かを始める時には、評価されようと思わず、自分が本当に好きなことを起点に考えてほしい」ということも、私自身が演奏に入ることを通じて訴えています。「外から見ているのでなく、中に入っていきましょう」ということも。
──演奏の「実験」をすることもあるそうですね。
山本(ヴィオラ)
演奏者が座る位置を変えて演奏してみるという実験です。通常の弦楽四重奏の配置は、客席から見て一番左に第一ヴァイオリンが座り、ついで第二ヴァイオリン、そしてヴィオラ、一番右がチェロになります。それを例えば、ヴィオラとチェロを入れ替えたり、第二ヴァイオリンを一番右に移したりして、同じ曲を演奏してみるわけです。
──それによって音の聞こえ方が変わるのですか?
山本(ヴィオラ)
かなり変わりますね。音響的な面だけでなく、演奏する側としても普段と違う人の音が良く聞こえますので、弾きにくくなったり、逆にそれを新鮮に感じたりします。それによって演奏も変化していると思います。
森
配置の入れ替えによる変化は、わかりすぎるほどわかります。変えたほうがよくなる場合もあれば、変えると演奏が難しそうだな、と感じられる場合もあります。
──なるほど。人の配置や構成の変化で組織は大きく変わるということですね。
森
そうです。組織構成を柔軟にすることは、パフォーマンスの向上や、新しい雰囲気の創造につながります。参加者の皆さんに「あなたが最適と思う配置に演奏家を並べ替えてください」とお願いして違いを感じ取っていただくこともしています。
宮川(第一ヴァイオリン)
曲の場面ごとにリーダーが変わることを演奏から感じ取っていただけることも多いですよね。全体を通じて第一ヴァイオリンが必ずしもリーダーシップを発揮するわけではなく、場面によって第二ヴァイオリンの宮本さんやチェロの松本さんが演奏を主導することがあります。一般的な組織では仕事の局面でリーダーが変わることはないそうなので、新鮮な驚きがあるようですね。
森
そうですね、補助役に見えがちな第二ヴァイオリンが主導する箇所を取り出すこともしています。また、作曲家が割り当てた役割そのものを入れ替えて実演することもあります。ヴィオラの方がチェロよりも高い音を弾けるのですが、ブラームスという作曲家は、二重奏の旋律を書くときにあえて高い音をチェロが弾き、低い音をヴィオラが弾くという手法を多用しています。あえてその楽器がもつ本来の機能を逆転させた設計です。
これを、ヴィオラとチェロを入れ替え、つまりそれぞれの本来の機能に沿って演奏をしてみます。すると、曲の個性が大きく損なわれ、もともとあった切迫した感じが出ない。これは、クラシック音楽になじみのない方でも、一瞬で分かっていただける場面ですが、組織内のパワーバランスを考える際に大いに参考になる発見です。
──演奏者として企業研修に参加してみての感想をお聞かせください。
宮川(第一ヴァイオリン)
演奏自体は、環境や聴衆が変わっても大きくは変わりません。でも、ビジネスパーソンの皆さんとディスカッションをするのは初めての体験だったので、最初は戸惑いました。自分が感じていることをどう言葉にすればいいか。それは今でも難しく感じます。
山本(ヴィオラ)
質問されて答えなければならないこともありますからね。会場の皆さんの言葉を聞いて、こちらが考えさせられることもよくあります。
──どんな質問が多いのですか。
山本(ヴィオラ)
「成果に対する責任をどう話し合うか」といった、カルテット内での意思疎通の方法など、コミュニケーションに関する質問が多いですね。
宮川(第一ヴァイオリン)
「喧嘩したときはどうするのか」とか、「一緒に食事に行くときは誰が店を決めるのか」といった具体的な質問もあります。
──音楽家とビジネスパーソンの対話では、共通言語を見つけることが難しいのではないでしょうか。
森
当初は、「この試みは参加者に相当な音楽的素養がないと成功しない」という声もありました。しかし実際にやってみると、ファシリテーションを工夫しさえすれば、まったく問題なくスムーズでインタラクティブな交流が毎回実現しています。
クラシック音楽に普段親しみがなくても、音楽への感性が鋭い方も多く、メンバーの一人の都合が合わずに代理の方に入ってもらったとき、誰が代理かを一発で当てられたこともありました。演奏のクオリティはまったく遜色がないにもかかわらずです。ワークショップ参加後にコンサートに通うようになった方や、アミクスの皆さんのリサイタルにおいでくださる方も増えています。
──このプログラムを活用できるのはどのような組織なのですか。
森
業種などは限定していませんが、「組織変革に芸術を用いる」ことに共感していただくことは必須だと思っています。現在のところ、ご依頼の窓口となっているのは、経営企画や人事、研究開発部門などが多いですね。あえて言えば、より成果が出やすいのは中間管理職手前までの若手と、取締役会出席者くらいのトップ層ではないかと感じています。
──今後、「Hasso Caffe Quartet」として活動していく予定とのことです。
森
東京・神田錦町に、博報堂が運営する「HASSO CAFFÈ」というカフェがあります。新しい発想を生み出す場となることを目指して5年ほど前にオープンしたカフェです。ここでカルテットの演奏を聴いていただき、私たちのコンセプトをご理解いただく活動を今後行っていく予定です。
当面、新型コロナウイルスの影響で来店していただくことは難しいので、メンバーが集まれる状況になり次第、演奏をオンラインでお届けし、感染被害が収まってきたら、徐々にリアルな演奏会に移行していく計画を立てています。
これまでの活動にはアミクスの皆さんのほか、ヴァイオリンの山縣郁音さん、宮川莉奈さんほか多数の皆さんにもご出演いただいています。私が加わることもありますが、プロの演奏家による本格的な室内楽演奏に多くの方々に触れていただき、芸術の力を使って組織の価値を高めることの可能性をぜひ感じていただきたいです。
最後に少しだけ。私が学んできたクラリネットは、18世紀においては発明されたばかりの新技術そのものでした。巨匠モーツァルトは、弦楽四重奏という既に完成された組織システムにこの新技術を組み合わせるという挑戦によって、歴史に残る名作五重奏曲K581を創造したのです。彼は「予約演奏会」という、一定以上の聴衆が新作を聴きたいと資金をプールするならば上演するという仕組み、今日の「クラウドファンディング」も使いこなした、18世紀のクリエイティブイノベーターでもありました。芸術に学ぶのは人類の実践してきたこと、すなわち過去に学び未来を見出すことです。
在京管弦楽団他に出演するなど、多方面で活動中の桐朋学園大学、東京藝術大学卒業メンバーで2016年に結成。とやま室内楽フェスティバルに2016年以降毎年参加、富山県内ホールでの演奏や各所でのアウトリーチを行う。タミヤコンサート2019春に出演。サントリーホール室内楽アカデミー第4・5期フェロー。
第一ヴァイオリン 宮川 奈々(Nana Miyagawa)
第二ヴァイオリン 宮本 有里(Yuri Miyamoto)
ヴィオラ 山本 周(Shu Yamamoto)
チェロ 松本 亜優(Ayu Matsumoto)
1977年茨城県生まれ。2000年に東京大学文学部(社会学)卒業後、4月株式会社 博報堂に入社。PR戦略、公共催事・展示会業務を通じて、現在のブランディング業務に至る。
専門分野は、B2Bのブランドマネジメント業務、エグゼクティブ・コーチ、組織開発。
日本社会学会員・日本マーケティング学会員として講演・論文刊行も多数。クラリネットを、生方正好氏、高橋知己氏に師事。作品解析・組織開発の手法を業務にも応用している。
本文中写真は、アミクス弦楽四重奏団(c)池上直哉、それ以外は(c)reiko hayakawa