いやぁ~、会議っていいものですね。最近、来たる競合プレゼンに向け、「全体会議」「分科会」をリモートで行っているが、会議が終わる度にそのような気持ちになると共に、気分が高揚する。
一体なんでそんな気持ちになるのかと思えば、「仲間」感があるのだ。コロナ禍の中、誰とも会わない日々が続いていたが、会議ではリモートとはいえ、同じ志を持つ“同志”と会える。中には「はじめまして」という相手もいるが、そんなの関係ねぇ。我々社畜はプレゼン日という目標に向けて、各部署のスタッフが考え方や企画を持ち寄り議論をするのである! 中には「それじゃ弱い!」などと張本勲さんのごとく「喝!」を入れる人物も登場するなど、和やかさと緊張感が程よくブレンドされた1時間を経験するのである。
ここで述べた「1時間」はサラリと流してはいけない。何しろ私が博報堂の現役社員だった頃、会議は「1時間半」が標準だったのだ。昨年来、博報堂の会議に参加するようになってから「1時間」を超えた会議というのは一度しか経験していない。イベント本番を控え、クライアントのところへ行き、様々な確認をするような場になった時だけだ。
そういった意味ではかつての「会議が長いと良いアイディアが生まれる」という風潮はなくなり、「各人がきちんと個人プレイの時に考えたものを皆がいる場で発表し、それに対して意見を述べてより企画を洗練されたものにする」ということを目的としているのだろう。
私は長きにわたって広告業界の長過ぎる会議を批判してきたが、2020年6月、会議が本当に心地よいのである。テンポ良く進むということに加え、各人から「勝ちたい」「オレはこの会議の中で存在感を発揮したい」という空気を感じるからだ。
思えば2001年、博報堂を辞めてから昨年の業務委託での復帰以来、18年ほど会議とは無縁の人生を送ってきた。もちろん、編集者と2人きりでの打ち合わせは何度も経験してきたが、様々な部署や協力会社の人が集う「会議」はまったくなかった。
だからこそ、会議の有用性というものについては否定的だったし、「個々人のひらめきと行動力さえ重要なんじゃボケ!」のように思ってきた。だが、こうして会議を経験するにつれ「これって何か新しいものを生み出すにあたっては必要な行為なんじゃね?」と思うようになってしまったのだ!
本原稿を書いている6月2日も会議を終えた後に書いているが、心地よい達成感と本番を前にした「やってやるぜ!」的な高揚がある。私の担当パートについて説明をする時、会議参加者が「中川さんは何を言うのか、ゴクリ(唾を飲み込む音)」といった感じになり、そこでキチンと私も自分ができることを伝える。
「いいですね」
「面白いですね」
と言われた時の安堵ったら! これが会議の醍醐味なのだろう。なんてこった。なんでオレはここまで会議嫌いを公言し続けてきたんだっつーの! まぁ、18年間個人プレイに徹してきただけにチームで何かを達成するという経験がなさ過ぎたため、自分本位になり過ぎていたんだな、と思う。
そして、会議から見え隠れするのが同じ部署の「先輩・後輩」のセットで会議に参加する2人の関係性と「愛」だ。さらには営業とスタッフの間の「信頼感」だ。先輩社員は後輩社員が用意した企画書とトークを優しい目で見て、適宜補足をする。「いいね」と言われた後の後輩社員の「ふーっ」と息をつく感じは「労働者っていいな」と思わせる。
こうしたことを今、私は感じているため、会議否定論者ではなくなった。そういった意味で、自分がいた頃の博報堂の愛すべき会議について振り返ってみる。いや、「会議」という文脈ではないのだが、自分が「会社を辞める」と宣言した日のことだ。
当連載『博報堂浦島太郎』初回で私はCC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR局)の先輩である田中雅子さんに対し、「労働時間が長過ぎるので辞める」と宣言した話を書いた。一緒に徹夜残業をした後、「ちょっと朝ごはんでも食べない?」と雅子さんから誘われ、タクシーに乗って田町のグランパークタワーから高輪プリンスホテルの朝食ブッフェへ行った時の話だ。
雅子さんは「ふーん、いいんじゃない」とアッサリと答えたと記したが、これはあくまでも私のことを考えてくれていたからの発言だ。雅子さんからは「もぉ~、あれを読むと私が中川君を一切止めなかった“人でなし”みたいな感じじゃないのよ!」と言われた。確かにその通りである。
だが、雅子さんの真意としては「中川君はもうこれ以上いたら不幸せになる」というものにあった。確かに私は会社員向きではなかったと思う。今でも雅子さんとはコンタクトを取る仲だし、一緒にスキー旅行に行ったりもしている。だからこそ「彼はもう無理」ということを感じたのだろう。私のことを一番近くで見ていたがために、「ふーん、いいんじゃない」発言が出た。
雅子さんは私のこの発言を聞いた当日、すぐにMグループリーダーに「中川君が辞めると言ってる」と伝えてくれた。M氏はギョッとしながら「マジか?」と言い、すぐにK局長に繋いでくれた。いずれも後の伝聞で知ったことだ。
その晩、六本木のバーでK局長とM氏と3人での「会議」が開催された。こんな展開になった。
K氏:今日、M君から聞いたよ。中川君、辞めるって言ったんだって?
M氏:オレは田中雅子から聞いた。すぐにKさんに伝えた。
私は直属の上司(というか博報堂では特に下っ端のヒエラルキーはないため“先輩”だが)である雅子さんに早朝に「辞める」と伝えたことを雅子さんは出社後にM氏にすぐに伝えてくれた。この日、私は徹夜明けのあと、すぐにイベントの現場に行き、そのままぶっ続けで会場にいたためオフィスには行っていない。イベントの途中、M氏から「今晩六本木でKさんと3人で話そう」と電話が来たため、仕事先から指定のバーへ行った。
「辞める」ことについての自分なりの思いを伝え、その日の早朝に雅子さんに伝えたことの真意も説明した。K氏もM氏も心配そうに私を見ている。そしてこんな会話になった。
K氏:でも、辞めて何をやるんだ?
私:特に何も考えていません。ただ、辞めたいんです。
K氏:いや、会社に残った方がいいだろう? まだ4年目だし、キミは活躍する場があるはずだ。
私:とにかくオレは辞めたいんですよ。
K氏:そう思うかもしれないけど、ちょっと考え直せないか?
私:無理です。もうオレは辞めたいです。
私にとって初の上司であり新入社員時代に“トレーナー”として様々なことを教えてくれたM氏はオロオロとしながらこのやり取りを見ている。
こうしたやり取りを経て、K局長は「このままでは人生がキツくなるぞ……」と嘆きにも似たようなことを言ってくれた。確かに安定した給料を失うのは大打撃だ。だが、私自身は「辞める」と雅子さんに早朝に言ってしまったため、撤回はできなかった。途中、K局長は「ここまで言ってなんで分からないんだ!」と若干キレモードに。
本当にここまで言ってくれてありがたかった。だが、辞めると決めた人間にとっては、今後の生活などはあまり気にしていない。ただし、自分の人生にとって初の上司であり先輩であるM氏のこの発言には思わず涙が出た。K氏がトイレに行っている間に一旦外に出て、話した時のことだ。
M氏:Kさんがお前のことを本当に考えてくれていること分かったろ?
私:はい。ありがたいことです。
M氏:Kさんはお前の今後の人生がどうなるか、とかお金の話とかもして慰留してくれている。それはその通りだし、オレも同意する。ちゃんと就活をしてこうして会社に入って4年目、これから色々楽しくなるし、活躍できるんだよ。
私:はい、そこは分かっていますし感謝しています。でも、オレは辞めると決めたんです。
M氏:お前のその気持ちは分かる。この2ヶ月ほど、本当にお前がCC局で一番残業していた様子を見ていたからキツかったことは理解している。だからそう思うことについても異論は挟みたくない。でもね……。
私:でもね……。それで、なんでしょうか……。
M氏:(一瞬間を置く)
私:(同様に唾を飲み、間を置く。何も言わない)
M氏:お前がいなくなったら寂しいじゃないかよ~。それだけなんだよ~!
これにはさすがにグッと来た。なんでこの人達は自分ごときに対してここまで必死に引き留めてくれるのだ……、と。ただ、この段階では辞めることは決めていたので、「考えてみます」などと言うことはなくこの「会議」は終了した。
そして「会議」が終わり、1時間ほどしたところ、立て続けに電話が来た。まずは田中雅子さんの同期でチームメンバーのE氏である。
E氏:おい、聞いたぞ。お前、辞めるのか?
私:はい、辞めます。
E氏:いやぁ~、中川も頑張ったよな~。傍から見ていてもあれは働き過ぎていた。まぁ、どうなるかは分からないけど、明日、昼一緒にどっかでメシでも食おうぜ。
こうしてE氏との翌日のアポを取れた。続いて電話をくれたのは、私にとって会社員生活で唯一の“後輩”であるY君からの電話だ。当時私達は「課長」「主任」と呼び合っていた。
Y主任:課長~! 会社辞めるんですか!? 寂しいじゃないですか!
私:主任、決めたんだ、オレは辞める。
Y主任:なんでですかぁ~! ちょっとやめてくださいよ!
この電話により、私はY主任と恵比寿のバーでその20分後に飲むことになり、真意を伝えた。Y主任は理解をしてくれ、ここから一気に退職への道が進むこととなる。
なんというか、これまでそれほど貢献をしていなかったペーペー社員のために、こうして周囲の人が衝撃を受け、対応してくれるのである。正直、私がフリーになって以来、様々な人間関係のトラブルや仕事をやめたい、といった話は聞いてきたが、私自身の退社騒動以上に周囲の人からの「愛」は感じたことがない。だから今回も私は博報堂に「戻りたい」と思ったのだ。
だからこそ「会議」っていいもんだな、と今になって思えるのかもしれない。
自分にとっての唯一の後輩であるY君との珍道中についてはまた今度「出張編」ということで書く。これは徹底的に呑気でアホな面白話になります(笑)。
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂入社。企業のPR業務に携わる(2001年退社)。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
(写真は1997年入社時)