※この座談会は3月の初旬、新型コロナウイルスの影響が深刻になる以前に実施し、公開を延期していたものです。コロナ禍において若者をはじめ人々の生活には大きな変化がおこっていますが、感情と向き合う/感情を表現することは益々重要なテーマになっています。
現在、そしてこれからの暮らしについてもイメージしながらお読みいただければ幸いです。
座談会メンバー
ゲスト
枝優花(映画監督/写真家)
若者研 研究員
ボヴェ啓吾(博報堂若者研 リーダー/ストラテジックプラニングディレクター)
岩佐数音(博報堂若者研 研究員/ストラテジックプランナー)
金井塚悠生(博報堂若者研 社外研究員)
若者研 学生研究員
小川莉歩(中央大学 総合政策学部/4年)
上迫凛香(上智大学 文学部/4年)
小野里奈々(法政大学 社会学部/4年)
金武弘花(明治大学 情報コミュニケーション学部/4年)
佐藤美梨(慶応義塾大学 文学部/4年)
菅野美音(東京藝術大学 美術学部/2年)
末松和輝(慶応義塾大学 経済学部/2年)
岩佐
以前、若者研の中で、若者が感情表現が苦手なことの背景に「自己肯定感の低さ」が関係しているのではないかという話がありました。枝さんはどう思いますか?
枝
冷静に自分と向き合うことが大切だと感じる一方で、自分のいいところは自分で見つけるものではなくて、他人が見つけてくれるものだと思っています。
私は仕事で出会った何人かの大人達から「あんた、才能あるよ」って言われたことがありました。でも、自分の才能って信じられないから、「才能って何ですか?」って話をしたら、「才能があるっていうのは他人が評価することだから、とにかく自分の中に才能があるって言ってくれる大人達とたくさん出会え」って言われたんです。そうすることで、自分を認めることができると。自分で自分を認めるのはかなりしんどい作業だから、いいねって言ってくれる人とたくさん出会って自己肯定感を上げろってことなのかと思いました。
ボヴェ
「自立とは、依存先を増やすこと」という言葉を思い出しました。誰にも依存しないで自分自身を肯定するのは困難なので、依存する対象を増やして分散していくことが自立に繋がるという考えなのですが、枝さんの「自分を肯定してくれる人とたくさん出会いなさい」という話はそういうことかと思いました。
小川
私は結構いろんなコミュニティーに友達つくるタイプなんですけど、就活の時に改めて良かったなって思いました。友達と話してる時に、自分が思っている自分の良さよりも、自分が思ってる相手の良さの方がすらすら言えることに気づいたんです。お互いに自己肯定感を高められる友達がいろんなコミュニティーにいるのはいいなって。
菅野
枝さんはコミュニティーを転々とする中で、新しい環境に飛び込むのが怖いと思ったことはないんですか?
枝
確かに転々とはしてるんですけど、仲間は増えていっているんですよ。1つの仕事が終わっても、みんなとさよならではなくて、そこで、親友ができることもあります。確実に仲間は増えていってる感覚があるので、どんどん怖くはなくなってきてるのかもしれないですね。
末松
枝さんに質問なのですが、色々なコミュニティーを渡り歩く時に、空気感ってどこも同じじゃないかと思うんですけど、その中で、ずっと素の自分でいられるのかなって。
ちょっと、自分を演じてしまったりすることはないのかなって気になりました。
枝
私は、演じてもいいと思ってるんですよ。よく「ありのままの自分」とか言うけど、人間なんて絶対ちょっとずつ違うじゃないですか、親の前とか、友達の前とか、恋人の前とか。そういう中でどれが本当の自分なの?って悩む人もたくさんいると思うんですけど、私は、全部本当の自分だと思うんですよ。だから、「自分を演じる」って言うとなんか悪いことみたいに聞こえますが、それすら、楽しめばいいんじゃないかと思ってます。
その上で、一番楽な自分やしっくりくる自分は何かを考える。
私は、ちゃんと相手に自分が一番楽な自分を見せつつ、相手が喜ぶような自分を見せるというか、そうやって、バランスをとるようにしていますね。
その中で、どこかで自分にとっていいあんばいで居やすい瞬間が見つかったりすると思うので。
上迫
今のお話、すごくしっくりきました。普段、新しいコミュニティーに入った瞬間って、最初に馴染めないことが多くて、無理に相手に合わせて、逆に舐められちゃったりとか、それが辛い時がありました。でも、「もう、どうでもいいや」ってふっきれた瞬間があって、そうなった時に、初めて距離が縮まる気がしました。
枝
そうですね。恋人の前だと素の自分でいなければいけないとか、素の自分でいれない私は嘘をついているのではないだろうかとか、そうやって、悩んでいる人もたくさんいると思うんですけど、決して全てを曝け出すことが、絶対に正しいとは思っていないんですね。なんかみんな無意識の内に本当の自分は1つでなければならないと思い込んでしまっている。
でも、本当の自分なんてどんどん変容していくから。そこを受け入れて、楽しんで、楽でいられる自分を知る方が大事なんだろうなと思います。
枝
これまでの話を聞いていて改めて今の時代はみんな他人に興味を持ち過ぎだと思いました。例えば、SNSでの芸能人の不倫へのバッシングとか。他人の不倫とかどうでもいいだろと思うんですけど、みんなめちゃくちゃ興味あるじゃないですか。他人への興味とか、他人に対して自分を誇示することに関心が偏っていて、そのためのツールが増えているせいで、結果的に自分と向き合う時間がめちゃくちゃ減ってる気がしました。
岩佐
なるほど、すごく面白いですね。確かに、今ってインスタントな刺激というか、すぐに反応が返ってくるコール&レスポンスみたいなものが増えすぎているのかもしれないですね。
枝
増えてますよね。自分の中で揉んで考えてからアウトプットするって過程がなくて、反射のようになっている気がします。いいねとかもすぐに来る前提だから、来なければ不安になる、認めてもらえる前提とか、返事が返ってくる前提のものも多い。
私は高校時代に母親から、「お前は本当に可哀そうな時代に生まれた。家に帰っても誰かと繋がってなきゃいけない。ひとりの時間がないと精神的にしんどくなるのに、今の子にはそれがないから可哀そう」って言われていました(笑)
小川
Zenlyみたいな位置情報共有アプリを使えば、いつでもお互いがどこにいるのかまで分かる時代ですからね。
金井塚
SNSなどでずっと繋がっている状態だとひとりの時間を持つことは難しそうですね。
皆さんはどうですか。
小野里
私は、ひとりの時間は絶対必要ですね。デジタルデトックスをする日を月に1~2回くらいは絶対入れてて。全部シャットダウンして、サウナに行ったりします。
枝
めっちゃいい。最近、まわりがサウナにハマる人達であふれてます。
サウナではスマホを絶対にいじれないから、ひたすらじっと自分と向き合うみたいな。
岩佐
先ほど、枝さんがおっしゃっていた「家でも誰かと繋がってる」というお話は、場所とモードが紐づかなくなってきているということなのかと思いました。その上で、サウナはモードの切り替えがしやすいのかなって。
場所とモードを切り替える手段を持っていると、ちょっと楽になるのかもしれないですね。
ボヴェ
自分ひとりの時間がないとか、自分と向き合う時間がないという状況が、感情表現に影響を及ぼしてると感じることはありますか。
小川
私は、自分ひとりの時間が多すぎると塞ぎこんじゃいます。今は、バイトができなくて、お金もないから、家にいるしかないんですけど、どんどん自分が暗くなっていく気がして、人に会わないと自分のその部分は回復できないので、友達に「会えない?」って連絡します。
自分だけで考える時間が辛いので、友達と会って、一緒に自分が今抱えている課題を一緒に解決してもらうとか。やっぱり、第三者がいるってのはすごい大事なのかなって。ひとりの時間はバランスが大事だと思いました。あればいいってものでもない。
岩佐
もしかしたら、みんなが必要な「自分の時間」ってのは、ひとりの時間というよりは、
「自分と向き合う時間」なのかもしれないですね。もしかしたら、友達と2人で対話することが、自分と向き合う助けになることもあるかもしれない。
枝
面白いですね。この前、ものをつくっている時に、何故こんなしんどいことをやり続けるのかという話を創作活動をしている友人のみんなとしていたんですが、「結局みんな寂しいからやってるんだ」って結論になりました。寂しいからこそものをつくっている。寂しくなかったらきっとものをつくらなくても生きていけるみたいな話をしていました。それから「寂しい」って言葉が面白いって思って、インスタで「みんなどんな時に寂しさを感じるか」という意見を募集してみたんです。そしたら恋人がいる時ほど、寂しいって意見が結構あって、すごく分かると思いました。誰かと繋がっているからこそ、ひとりが寂しいと感じる。それが、顕著になってる気がして面白いと思いました。
小川
以前、若者研で挙がっていた「繋がり孤独」って言葉がしっくりきました。普段はLINEとかで繋がっているけど、実際に会えるわけではないって時に、孤独感とか、寂しさを感じることがあります。
岩佐
やっぱり、LINEとかで繋がってるのと実際に会うのは、全然違うのかな。
小川
違いますね。さっき枝さんもおっしゃっていたんですけど、対面ってすごい大事だと思いました。会って顔を見て話すとか、電話で声を聞くとか。チャットの文面だけだとその人の言葉って感じがしないので。生の言葉を交換するためには、その人の身体から出て来る言葉を五感で感じられるのがいいなって思います。
枝
最近面白いなと思ったのが、年下の人とご飯に行くと、半分くらいの確率で対面になった時に、目を合わせてくれないんです(笑)
「何で、目を合わせてくれないんだよ。楽しくないのかな」って不安になるんですけど。お店を出て、ぷらぷら横並びで散歩してると、めっちゃ楽しそうに喋り出すんです。たまたま私が会った若者がそうだったのかもしれないですけど。
上迫
分かります。私は、この前友達とご飯食べた後にお台場を散歩したんですけど、横並びで話してると、すごく深い話ができて、久しぶりにその場で楽しいって思いました。
その時は、目を合わせない対話って、こんなに可能性があるのかって感じました。感情表現に苦手意識を持っているからこそ、お互い顔は見ないけどすぐ横にいるみたいな、横並びで歩いて話すのっていいのかなって。
枝
対面すると見られてるって意識してしまうのもありますよね。横並びだと見られている感覚が薄くなるから、自分に向く意識が減るというか。だから、散歩は本当におすすめです。
小野里
私のまわりではひと缶文化みたいなのがあります。飲み屋に行くと、時間も、お金もかかるので、コンビニに行って、ひと缶だけお酒を買って、それを道端とかで、喋りながら飲むみたいなのがめっちゃ好きです。ひと缶友達みたいな。
ボヴェ
それは、みんなやってるよって感じなのかな。
小川
私は、友達と遊ぶといつも私が歩かせてしまいます。原宿から新宿までとか。やっぱり、お店とかでは話せないようなことも話しやすいですね。横並びで歩いてると、誰もいない空間が完成するじゃないですか。まわりにいる人が絶対に気にしてないっていう安心があります。
岩佐
自分に対して向き合ってくれている感覚が得られることが重要なのかなと思いました。
LINEとかって同時にいろんな人に返せるけど、横並びで歩いて話しているとお互いと向き合わざるを得ないですもんね。
ボヴェ
これまでのお話を聞いていて、本当の自分なんてものはどこにもないので、環境に合わせて意識をしながら自分の中のグラデーションをコントロールしていけると苦しみが和らぐのかなと思いました。理想の自分も、素の自分も、どちらも正解がないというか。
小川
私は、コミュニティーごとに自分のモードを切り替えてるなって思いました。
ボヴェ
自覚ができていると、自分を見失ったりしないもんね。
小川
今までは、無意識にやってたんですけど、就活で自分と向き合う時間が増えたからこそ、いろんな自分を受け入れられるようになったんですよね。「自分はこうです」って一言で言わなきゃいけないと思ってたんですが、「いろんなコミュニティーに属してる自分がいて、全部自分なんです」ってのを認められるようになりました。
上迫
コミュニティーに合わせて自分が変わることを「偽ってる」と認識するとすごく辛くて、全部自分って認められたらもっと楽になれるんじゃないかってずっと思ってたんですけど、頭では分かっていてもまわりに合わせてる自分にもどかしさを感じることがありました。
今回、枝さんの話を聞いて、今の自分はコミュニティーが限られているから、もっといろんなコミュニティーに入って、人と会って、自分のスイッチが切り替わる感覚が掴めたら違和感も減ってくるのかなって思いました。
枝
相手の中の自分が、なりたい自分と乖離してるとすごくしんどいですよね。
私も、つい、本当の自分じゃない自分を出した時に、それが相手に受け入れられてしまって「あ、それは本当の私じゃないんだけど」と苦い思いをした経験がありました。
それからは、自分が喋る言葉には嘘がないようにする練習をしました。
ちゃんと嘘なく自分の思っていることを相手に合わせて、それぞれの「箱」に入れて伝えるようにするんです。当たり前ですけど、人間全員違うので、その人に届く言葉、届かない言葉があって、それをいかに上手く見極めて、自分の嘘ない言葉で、自分の心を苦しめずに、コミュニケーションしていくか。大変なんだけど、それはみんな生まれながらにして、習得していることではないので、なんとか学んでいってやるしかないんだよなって思います。
私も、今でも、しんどいと思うこともありますよ。もうヤダ!って思うこともありますけど、「まあしょうがないな」って思って今でもずっと練習をしてます。
編集後記
「何を考えているかわかりにくい」「”エモい”など抽象的な表現に逃げている」とも言われがちな現代の若者たち。その背景には、「自分の感情すら、誰かと比べないとわからない」他人が見えすぎてしまう時代がゆえの悩みがありました。
他人の意見は、よい補助線となることもあれば、それが強固な基準となってしまって、自分自身に向き合うことを難しくしたり、発露しそうだった感情を押さえつけてしまったりすることもあります。
枝さんには「心の柔らかさ」を持つ重要性を語っていただきました。演劇の世界で行われているように、素直な感覚の発露を押さえつけてしまう鎧を一旦脱いでみることで、自分が気づいていない感情に気づいたり、新しいことばを与え、感情に形を与えることができるかもしれません。
その前提になるのが、「本当の自分なんて存在しない」ということ。複数のコミュニティーを持ち、複数の自分を認めてあげる。自分の意志でモードを切り替えられている感覚こそが、重要なのではないでしょうか。
実は、この対談は3月初旬に行われました。新型コロナウイルスの影響で生活も変容しましたが、学生研究員によると「自分と他人を比較する機会も必然的に減り、自分中心の時間を取り戻した」「コスパよりも自分を健やかに保つことがまず重要に」と、自分に向き合う時間が増えているよう。一方、オンラインでは、視覚・聴覚以外の感覚を他人と共有することはできないため、共感を持つことが難しい、と感じられている方もいるのではないでしょうか。コロナ禍では、他人の身体から出てくる、生のことばを受け止めることは減っているのも事実です。
若者研では、コロナ禍における若者の行動・心情変化についても、記事を発信しています。よろしければ、こちらもご覧ください。(若者研・岩佐)
★前編はこちら
■博報堂若者研 公式ウェブサイト
https://h-branddesign.com/service/wakamonoken/
構成=金井塚悠生
撮影=小野啓
1994年生まれ。映画監督・写真家。大学時代から映画の現場へ従事し、初長編映画『少女邂逅』が新宿武蔵野館を始め全国公開し2ヶ月のロングランヒットを記録。バルセロナアジア映画祭では最優秀監督賞を受賞。2019年日本映画批評家大賞にて、新人監督賞を受賞。またSTU48やindigolaEnd、KIRINJIなどの多くのアーティスト作品を手掛ける。2020年は、 TOKYO MX にてオリジナル・ ドラマ『スイーツ食って何が悪い!』(崎山蒼志主演) の脚本・演出も手がけた。 その他、雑誌『ViVi』『装苑』などでのファッションや広告撮影、 コラム「主人公になれない私たちへ」を連載など、その活動は多岐に渡る。
1991年生まれ。東京大学教養学部卒(相関社会科学)/i.school・情報学環教育部修了。2014年(株)博報堂に入社。グローバルチームにて、グローバルブランディング、日系企業の海外進出戦略立案、インバウンド戦略策定に従事。主に中国の生活者・サービス分析や、欧州のデザインファームとの協業によるブランド立ち上げ等を担当。2017年より博報堂ブランド・イノベーションデザインに参画。エスノグラフィを活用した新機会領域の策定や、未来洞察を活用した商品・サービス開発支援に従事。大学生・大学院生向けブランドデザインコンテスト「BranCo!」の運営や、東京大学とRoyal College of Artの共同プロジェクトRCA - IIS Tokyo Design Labとの協業など、大学組織や若者との共創プロジェクトも多く担当。