新型コロナウイルスの感染拡大は、企業活動にさまざまな影響を与えています。顕著なのが、顧客との直接的な接点をつくろうとする動きが活発化していることです。リアル店舗への来客が減っていることがその大きな理由で、とりわけ、これまで店舗を介してエンドユーザーとつながってきたメーカーなどの間接流通系企業の中には、顧客との直接的な接点をデジタル上に構築する一種のDX(デジタルトランスフォーメーション)にチャレンジする動きが見られます。
顧客との直接的な接点をつくる上で目指すべきは、いかに関係を継続させ、LTVを高めていくかということです。ただ多くの企業のマーケティング部門は、新規顧客を獲得するノウハウは持っていても、LTVを高めるノウハウはまだほとんどないというケースも少なくありません。
LTVのVは「価値」と訳されますが、これが意味するのは「利益」です。LTVを上げるということは、一人の顧客から得られる利益を最大化するということ。これからLTVの向上を志向していく企業が最も行うべきことについて、「カスタマーサクセス」と「イノベーションアカウンティング」という2つのキーワードで探っていきたいと思います。
LTV向上のために必要とされる要素はいくつかありますが、その中でもとくに重要なものの一つが「購買リピート率」です。これを上げるために多くの企業が取り組んでいるのがCRMで、会員登録をしてもらい、メールや電話でアプローチをし、もう一度買ってもらう。買うかどうかを迷っている顧客の背中を押すことにおいては有効な手法です。
しかし、そもそもそのブランドや商品を好きではない場合、CRMの効果は限定的なものにとどまります。一方、好きなブランドや商品なら、顧客は自らの意志で継続的に購買してくれることが期待されるでしょう。その「好き」という状態をつくり出すための方法が「カスタマーサクセス」です。
生活者は商品を買うとき、その商品によって「やりたいこと」「達成したいこと」が必ずあります。その達成(=サクセス)を支援することで、もっとそのブランドや商品を好きになってもらう取り組みがカスタマーサクセスです。例えば、車を買うことの目的が「できるだけランニングコストを掛けずに日常的に移動する」という人に対しては、継続的にその方法をアドバイスしていく。シャンプーを買うことの目的が「まとまりやすい髪になりたい」ということであれば、そのためのシャンプーの使い方やヘアケアの方法を教える動画コンテンツを提供するなどもその一つです。CRMがプッシュ型だとすれば、カスタマーサクセスはプル型の方法論と言えます。
サクセスを支援する方法は1つでなく、「ハイタッチ」「ロータッチ」「テックタッチ」などさまざまな手法があります。ハイタッチは、重要なお客さんに対して1to1に近い支援を行うことで、車や住宅などの高額な耐久消費財などでとくに使われる方法です。テックタッチは、システムを活用して自動的にメッセージを発信したり、疑問に答えたりする支援方法です。ロータッチは、その中間にある方法と考えておけばいいと思います。
これまでも、顧客からの要望や問い合わせに応えるサービスは存在していました。いわゆる「カスタマーサービス」と呼ばれるものです。カスタマーサービスの役割は、あらゆる顧客に対して一律の「おもてなし」を提供することであり、そこから直接的に利益が生まれることはありません。一方、カスタマーサクセスは明確にビジネス戦略の一部であり、利益を生み出すための能動的な「働きかけ」と言えます。
カスタマーサクセスにおいて行うべきことは、まず顧客にとってのサクセスを定義し、それがどのくらい実現しているか、実際に顧客が商品やサービスをどの程度利用しているかなど、さまざまな観点から現在の顧客と商品の関係性をモニタリングしていくこと。これは「ヘルススコア」と呼ばれますが、それぞれの顧客の状態に応じて必要なサクセス支援を設計し、ブランドをより好きになってもらうためのシナリオをつくっていくのです。
カスタマーサクセスがビジネス戦略である以上、その取り組みがLTV向上に本当に機能しているのか、利益を上げているかをチェックしていくことは必須です。繰り返しになりますが、LTVのVとは利益のことです。カスタマーサクセスの取り組みによって売上が上がっても、そのぶんコストが増えていれば利益は上がりません。
では、カスタマーサクセスのパフォーマンスをどう測定していけばいいのでしょうか。企業には「管理会計」という仕組みがあります。事業や施策の会計情報を経営判断やビジネス戦略の立案に生かしていく仕組みです。この仕組みをカスタマーサクセスの観点から見た場合、いくつかの問題があります。管理会計の項目の粗さや、結果指標でしかないということ、集計のスパンが長いということなどです。
カスタマーサクセスには、その施策が利益に貢献しているかどうかをスピーディに判断し、迅速にPDCAを回していくことができる仕組みが求められます。月次あるいは四半期で結果が出るのを待つのでは遅いのです。それが求められるのは、LTV向上を目指すビジネスが「変動費ビジネス」だからです。
マスマーケティングにおけるマーケティングの目標は、市場シェアを上げて損益分岐点を超えることです。この場合、マーケティングコストは固定費となります。一方、LTVの向上を目指すマーケティングの場合は、一人ひとりの顧客のリピート獲得が目標になるので、獲得効率によってコストは変動します。変動費を抑えて利益率を上げる方法は、獲得効率を上げることです。そのために、獲得効率をリアルタイムで把握し、それを改善する施策を都度実行していく取り組みが必須となるのです。このような変動費ビジネスのマネジメントのために生まれた会計の仕組みが「イノベーションアカウンティング」(革新会計)です。
イノベーションアカウンティングは、スタートアップ企業から生まれた方法論です。少ない資金で成果を出すスタートアップは、迅速にPDCAを回しながら、打ち手を改善し、利益構造を検証してくことが求められます。
イノベーションアカウンティングにおける代表的なパフォーマンス算出の方法に「ユニットエコノミクス」というものがあります。ユニットエコノミクスは、シンプルな「LTV/CAC」という方程式で示されます。分母のCACは「カスタマーアクイジションコスト」、つまり、一人の顧客獲得にどのくらいのコストがかかったかを数値化したものです。一方、LTVは、顧客一人当たりの平均粗利益額を顧客の離脱率で割ったものです。これらの数値は購買サイクルによって異なりますが、月単位で集計されることが多いです(図参照)。
スタートアップの世界では、この「LTV/CAC」の数値が3を超えていないと、「そもそも成立の見込みがない事業」と見なされます。簡単に言えば、顧客がもたらす粗利益が、新規顧客獲得コストの3倍なければならないということです。
事業の良し悪しを判断する直接的な利益には営業利益と粗利益がありますが、LTVの評価は粗利益で行う必要があります。LTVを高めるために顧客に直接的に施策を売っていくコストは、マーケティング費用の中でも変動費としての動きになります。ブランディングやPRなどのマスマーケティング費用は固定費ですから、マーケティング費用の内訳が固定費と変動費に分かれてくるのです。LTVを志向するほど、マーケティング予算における変動費の割合が多くなってきます。そのため、このようなユニットエコノミクスの概念が必要になってくるのです。
この方法が優れているのは、変数を4つに絞っている点です。つまり、「新規獲得顧客の数」「獲得にかかったコスト」「顧客の離脱率」「一人当たりの顧客の平均利益」です。そこから導き出される数値は、ほぼ粗利益に等しいものになります。変数が少ないので施策に反映しやすく、PDCAを回しやすい。それがこの方法の大きなメリットです。
もちろん、営業利益を算出する場合は、販管費や固定費を含める必要がありますが、それには時間がかかるので、より短いスパンで計算できる粗利を算出し、施策をスピーディに回していこうというのがユニットエコノミクスの基本的な考え方です。粗利率を3倍以上としているのは、そこから販管費や固定費を除いても営業利益ベースで確実に黒字になると考えられる水準がそのくらいだからです。
カスタマーサクセスの施策がビジネスに貢献しているかどうかを見極め、よりよい施策を打っていくために、私はカスタマーサクセスとイノベーションアカウンティングを統合して考えていくことを強くお勧めします。
カスタマーサクセスは、マーケティング、セールス、サービスの各領域を横断した取り組みです。海外のスタートアップは、そもそもマーケティングというセクションを持たないケースが少なくありません。「カスタマー部門」をつくり、そこにマーケティング、セールス、サービスの3つの機能を統合するほうがカスタマーサクセスやイノベーションアカウンティングを実行しやすいからです。日本の大企業がLTV向上を目指す場合、そこまでの組織改編を行うことは現実的ではないと思いますが、複数部門をまたいだ横断的なプロジェクトとしていくことは必須です。事業、IT、CRM、カスタマーサービスの各部門が揃わないと、LTV向上の取り組みをビジネスに貢献する施策としていくことは難しいと考えるべきでしょう。
生活者が新しい商品やブランドと出会うのは、多くの場合はリアルな店舗においてです。ECは基本的に「指名買い」のチャネルであり、なかなか新しい「出会い」を作り出すことは難しいのが現実です。未だコロナ禍でリアルな場での買物が避けられる傾向にある現在、企業は新しい顧客との出会いを求めるだけでなく、“すでに出会っている既存顧客”との関係をこれまで以上に大切にすることにも力を傾けるべきではないかと私は考えます。カスタマーサクセスに取り組み、LTVの向上を目指していくことは、まさにウィズコロナの時代に企業が進むべき方向性であると言えるのではないでしょうか。
2012年博報堂入社。事業戦略・マーケティング戦略から情報システム開発までを一気通貫して支援する、ストラテジックプランニングディレクター。大手SIerの経営企画を経て、大手メディアサービス企業の不動産広告事業における事業企画・営業推進にて、事業を成長させる事の難しさ・泥臭さを最前線で経験する。その後、経営コンサルティングファームにて第三者として事業支援を行った後、クリエイティブとの融合による、新しい事業支援のあり方を作るために博報堂に転身。